一生

人生観と死生観

いのちの木・いのちの水

2008-11-28 14:25:44 | 哲学
11月28日 雨のち曇り
 この宇宙に不思議は多いが、いのちはその最先端のものと言って過言ではあるまい。生命の発生についての仮説はいろいろだが、完全解決は人力の限りを尽くしても得られるとは思わない。生命の維持の精妙な働きは科学から見ても驚異、ただ驚異である。生物進化の歴史は進化論で説明しきれるものであろうか。
 聖書では旧約の創世記にエデンの園にいのちの木が植えられていたことを記す。そして新約のヨハネ伝にいのちの水ーイエス・キリストみずから永遠に渇くことのないいのちの水を説くところがある。聖書全体を一貫するものはいのちであり、それを与えたもうた神のロゴスである。人は物質だけで生きるものではない。人は心を持ち、その奥の霊的部分に支配される存在である。後者を無視すれば、人生は索莫たるものとなり、ついに無にひとしくなる。
 すべて悩むものわれに来たれとイエスは言う。心の癒しと永遠の平安は彼にある。内村鑑三のような先達が熱心に説くところに共感する日々である。