一生

人生観と死生観

わがコンサートーバッハを聴く

2008-11-20 16:59:45 | 哲学
11月20日 晴れ
 午後のひと時CDの音楽を聴くことにした。曲はJ.S.バッハ傑作集。G 線上のアリア、チェンバロの傑作イタリア協奏曲、有名なトッカータとフーガニ短調、ゴルトベルク変奏曲アリア、無伴奏チェロ組曲プレリュード、それにマタイ受難曲のコーラスなどなど。
 クラシック音楽はしばしば疲れた人の心を癒すといわれる。音楽がその力があるのはドーパミンなど脳内ホルモン様物質の分泌を促すことによるらしい。
 モーツアルトのような天才は自分の病を癒すために作曲したという説があるが、これは少し極端な学説としても、人間のいのちの根源に音楽が深く関わっていることは私のような素人にも実感できる。音楽はいのちの泉として尊重し続けてゆきたいものである。

元厚生次官二家族の受難

2008-11-19 18:19:43 | 哲学
11月19日 晴れ
 驚くべき事件発生。元厚生省の事務次官山口夫妻が殺害され、同じく元事務次官の吉原健二氏の夫人が大怪我。まだ犯人は捕まっていないが一刻も早く捕えて、事件の真相を解明して欲しい。
 テロは許すべからざる犯罪だ。何を血迷ったか。殺すことによって何のメリットがあるのか。憤慨にたえない。
 厚生行政とくに年金行政に問題が山積しているにしても、テロはいけない、テロで何が解決できるか。

断定しない若者言葉

2008-11-18 16:47:39 | 哲学
11月18日  曇り
 「これってなんちゅうか、中途半端じゃない? ピアスは耳にするものとばかりは限らないんじゃない?口元の飯粒とかと間違える年寄りの人とかいても、教えてやればいいんじゃない?」
 若者には若者文化があると寛容だった私もピアスを口元にしている若い女性を見て驚いた。飯粒と間違えたのは私である。「あ、口元に何か付いてますよ」
 ニコニコして答えたのはその女の子であった。「これピアスです」
 私がニコニコして言ったから争いにはならなかった。暴力を振われたりすることもあるそうなので近頃は物騒な世の中だ。
 週刊朝日を見ていたら、内舘牧子が論じていた。断定しない若者言葉に彼女はイラついているが、まったく同感だ。歯がゆいことおびただしい。それは若者だけでなく、もっと年上の年齢層にも拡がりだした。「とか」を多用する、また文の途中に疑問形を入れて、断定を避けつつ柔らか味をつける。こんな日本語はまったくいただけないが、世はとうとうとしてその流れに従うかに見える。困ったものだ。

義理堅い越後人

2008-11-17 16:12:35 | 哲学
11月17日 晴れ後曇り
 故郷新潟からの便り。NHKで来年放送予定の「天地人」を意識して、上杉家家老直江兼継ゆかりの南魚沼、上越市などでは行事が始まっているよし。
 私は「夏戸城志田氏ゆかりの会」の会長をしていたことがある。志田氏というのは正式には志駄氏で、先祖は源頼朝の叔父の志駄先生(しだのせんじょう)義広(よしひろ)で、義広が頼朝に対立して殺されたため滅びかかったのだが、子どもの一人が何とか逃げのびて上杉家の家臣となり、新潟県寺泊(現在長岡市)地区に夏戸城を構えた。その後裔の志駄義秀は戦国時代の終わりごろ上杉謙信の小姓となり、後には景勝配下の武将となった。義秀は直江兼継夫人お船(せん)の方の甥に当たり、家老の兼継が最も信頼する与板組の侍で、兼継亡き後に上杉藩家老となった人だ。
 関ヶ原合戦後上杉家の苦難の時に志駄の一族は散りじりになったらしく、新潟に帰って郷士や農民になったものもある。その子孫が中核となって「夏戸城志田氏ゆかりの会」を作ったのであった。私もその一人なのだが、今は会はほとんど休会状態である。実はNHKに直江兼継を取上げるよう運動が起こったとき、私も南魚沼や、米沢のグループに接触し、私の著書「夏戸城のロマン」を参考にNHKに持っていってもらったことがある。
 今日副会長の志田覚衛氏から手紙が来た。かっては新潟県畜産試験場長を務めた人で、越後人らしい義理堅いスタイルだ。すでに80歳を超え、奥さんを亡くされたよし、不自由な生活ではないかとおそれるが、詳しいことは分からない。地方の過疎化が進行し、その土地の老人にはきびしい世の中になった。思いやりのある政治がおこなわれるように祈る。

眠られぬ夜にラジオ深夜便

2008-11-16 15:29:16 | 哲学
11月16日 雨
 生化学の先駆者であり、大学の大先輩に当たる赤堀四郎さんのお嬢さんから葉書で1970年に放送されたラジオ深夜便の再放送があるという知らせが入った。それは11月16日午前1時から2時の間という。化学史上の著名な人物としてその伝記まで執筆した立場ではやはり聞いておかねばならぬ。という次第で今朝は寝坊して、なお相当におねむという状態。
 さて深夜便といえば私も深夜便向けのインタビューを受けたことがあったが、その後NHKからさっぱり連絡がなく、ボツになったのではないかと思っている。たいした話が出来なかったし、電話の調子も悪くてアナウンサーの質問を聞き返したりしたのでいい話にはならなかった。期待するほどのこともないのでそのままにしている。
 ただ深夜便は意外に聞く人ガいるようで、とくにお年寄が多いそうだ。前向きよりは後向き、懐かしいメロディーなどをよく放送するらしい。老人の子守唄として十分に役に立っている。私も若い積りで何時の間にかあの『後期高齢者』の仲間入りしていたから、今日早暁のお話は有益だったと思っている。

コネ、実績、客観評価、

2008-11-15 14:41:18 | 哲学
11月15日 晴れ後曇り
 今日は七五三で土曜日のためか、買い物の人が巷に大勢出るーといってもいわきは地方の中都会、溢れるほどに人口がないのはむしろ幸いなことだ。
 アメリカ発の不況が全世界の雰囲気をおかしくしている。日本では円高、株安で企業は苦しみ始め、新規採用を控える事態となり、就職内定の取り消しが相次いでいる。若者の希望を奪うとは罪作りなことだが、企業も生き残りのために必死なのだ。私が大学を出るころの日本の就職難を思い出した。
 会社に入るためには会社の幹部のコネがあると有利だといわれる。私もあるところを狙って、親戚のものに頼んで履歴書などを送ってみたことがある。しかしそれは効果があまりなかった。まったく公平な試験ー国家公務員の試験でトライしてみたがこれは成績主義なので、幸いパスできた。さて採用が決まって困ったのは仕事のテーマの問題であった。採用する側はおよそ勝手な希望を出してくる。こちらがいくら調子を合わせようにも、まるっきり未経験の仕事はやれそうもない。
 選択肢で残ったのは放射能か爆薬しかなかった。どちらも危険なものである。新しさは放射能だが、大学では習ったこともなく、困った。勉強すればやれないことはないだろうと覚悟を決めて、放射能の研究に入ったのが今日の自分の始まりであった。窮すれば通ずということがある。困りに困ってT大学のK教授に泣きついて初歩からの訓練をしてもらい、少しずつ実績をあげていったのが、開運の始まりであった。自分のことは自分では分からぬ。客観評価ということが近頃よく言われるようになったが、とにかく地道でも努力して、実績をあげることが人の目にとまるきっかけである。SLOWLY BUT STEADY! 小さいものはこれでしか道をつくれぬ。だがこれが世の中での本当の生き方だと私は思う。

子どもと夢

2008-11-14 15:40:28 | 哲学
11月14日 快晴
 小春日和の日である。秋の終わりにこのような日にめぐり合い感謝。
 子どもと夢という表題はひとつには子どもについて大人が見る夢のような期待、それから子ども自身が見る夢である。この夢も本当の夢と夢のような将来の姿など、含むところは必ずしも単純でない。
 ここで子どもの見る本当の夢を取上げてみよう。こどもは大人と違って性に関する意識は希薄だから、フロイドのいうリビドーを考える必要はない。子どもの夢でよく現れるのは恐怖に結びついた夢だと思う。嬉しいことも出てくるが、恐怖に勝るモチーフは恐らくないだろう。それだけ恐怖は原始的な感情で、身を守ろうとする本能に直結しているのである。ライオンの子どもでさえも敵に襲われ、いのちをまっとう出来ないものが多数にのぼるという。人の子も遺伝子の中に恐怖の感情は強く刷り込まれているに違いない。
 そこで子どもに怖い夢を見たかどうか聞いてみる。嵐の夜は風が木々を揺らす音が様々な怖い夢の連鎖を呼び起こす。兄弟が多いものは年上のものに虐められた圧迫感が噴出する。夢の中で気の強いものは復讐の劇に走り、気の弱いものは逃避の行動におもむく。兄弟でなくても父親が叱りつけ、子どもは母親のかげに隠れこむこともあるだろう。このような圧迫感はたいていの子どもにある。
 問題のある子どもは感情のバランスをとることが下手なので、復元がうまく出来ず、問題行動に走るもののようだ。夢をやさしく訊ね、怖い夢を解消することは有益である。前に書いた「獏が食うた、獏が食うた」の呪文は古い古い伝説によっているが、古いからといって馬鹿にしたものではない。なかなかの効果があるものである。子どもの健全な成長を見守るのは、親だけでなく、周囲にあるすべてのシニアの責任である。

心中ー天城山と玉川上水

2008-11-13 12:07:23 | 哲学
11月13日 快晴
 1957年12月4日学習院大学生の若い男女が伊豆の天城山で心中してマスコミの大きな話題となったことがある。昨夜のテレビではそれが合意の心中だったか、それとも無理心中だったか、「サスペンス劇場」のテーマとして取上げられていた。女性は愛親覚羅慧生さん、中国清朝の血を引く名門の出、男性は青森県八戸出身の裕福な家の出で、二人とも心に悩みを抱えていた。女性は父が中国に捕えられており、名門の重荷を背負い、男性は父が妾を抱える家庭の懊悩がある上、自分に流れる父の淫蕩の血の汚れを嫌悪して苦しんだ。男性の一方的思いに女性が次第に同化され、死ななくてもよいものを、狭い人生観から死に走った事件のように思えるのだが、劇場だから面白く仕立てる。世間の見方は清らかな心中として取り扱ったものが主流であったが、女性の遺族は男性側からの無理心中として譲らない。心理的には女性の側に死ぬ理由が少なく、男性を何とか死から思いとどまらせようとした努力のあとが見受けられるのだ。しかし愚直一徹な男性の思いに押し切られたものであろう。覚悟の死で、天国に望みを繋いだ心中といえば美しく聞こえるが、やはり遺族に不幸を残したことからすれば、短慮の死であった。合意の死か、無理心中かという問題設定がおかしいといわざるを得ない。
 それより先、1948年には青森県津軽地方の出である高名の作家太宰治(本名津島修治)が山崎富栄という女性と玉川上水で心中した。山崎は太宰の秘書のような仕事をしており、妻子ある太宰とは不倫関係にあった。太宰は結核が進行し、死期の近いことを思っており、自分の最期を女性を道ずれに締めくくることにしたのか、もともと破滅型の無頼作家という要素がある人だからそうなることは彼の宿命であったかも知れない。
 合意の死か無理心中かという設問にはあまり意味がないが、2件とも青森県の人が関わって破滅の人生を閉じたことは傷ましい。私は前に宿命を越えるものがあることを書いた。彼らはそれを見つける前に死んでしまった。もっとも太宰の場合は内村鑑三の弟子の塚本虎二の聖書講義を聴いていた人で、救いに近い所にいたのだが、不健全な生活が彼の心まで蝕んだ。太宰の弟子の一人が仙台に住み、最後まで
キリスト信仰に生きていた。聖霊ー御霊の働きを受け入れるかどうかで大きな差が出てくるのである。太宰の妻は生き残って子どもを育て上げた。彼女は夫の理不尽な死に耐えた。その娘の一人は作家になり、もうひとりの娘の婿は国会議員だ。僅かなところで分かれる人生の岐路である。

人生をいつも新鮮に

2008-11-12 15:41:17 | 哲学
11月12日 曇り
 運命の関連問題で5回続け、最初は閲覧数が200件であったが、2回目、3回目と低下してやはり閲覧者は飽きっぽい傾向があるかと思ったが、4回目、5回目はまた増加に転じた。運命を甘受するのか、それとも乗越えるのかというのは人生の大問題であることは間違いない。
 人生とは何か、人は何のために生きるのか、という問題に関わると、いかにも哲学青年みたいで、青臭いという風に感じる人もいるだろう。それでも私は生涯の終わりまでこの問いをもち続けると思う。生きるということは、惰性でやっておればこれほどつまらないものはなく、人はそこらの動物となんら変わりはないのだ。
 長寿となった日本の社会で老人があまり幸せそうに見えないことは、大きな課題で、政治は真っ先にこれを取上げなければならないはずだが、今の世の中、年寄りへの給付を出来るだけ抑えようとするばかりで、これが政治なら許せない政治だという怒りが高まっている。そればかりか、職のない若者、ぐれた中年者が老人の財産を狙って振り込め詐欺に走る。ひどい世の中だ。貧富の格差を助長した政治の罪は明らかで、これを是正することは急務だ。
 しかし幸せとは、まず自分の周りから、自分のできることから作り上げてゆくのが筋である。何でも人さまにやってもらおうとするのは、不平屋で終る人で、何時までたっても幸福になれない人である。私は人生をいつも新鮮にする生き方を勧めたい。どうしたら新鮮になるか、その人、その場合によって違うだろうが、新鮮になるように工夫することは誰でもできるはずと思っている。
 人はその根源において、ある大いなるものに活かされていると思うほど、強くなれるものである。お説教として言っているのではない。そしてそれがその人に新鮮なものを見つけさせ、その人に絶えず新鮮味を帯びさせるものである。人生はいくつになっても前途に希望があると思うほど、元気が出てくる。いつも新鮮な人生こそ祝福である。

運命はあるか?その五

2008-11-11 11:09:49 | 哲学
11月11日 曇り一時晴れ 
 運命とその関連事項について長々続けたが、そろそろ結論に至らなければならぬ。 運命というと人は抗いがたい大きな力に飲み込まれるように思いがちである。実際そういう嵐のような、、あるいは大波のような、個人ではどうすることも出来ない力に直面することはある。しかしそれを単なる偶然と思って賢く処理することが出来ると思う人もいるだろうが、考える間もなく襲ってくる嵐や波をどうやって避けたらよいのか、事実としては人の能力の限界以上のことだろう。運命観がそこに生じるのは自然の成り行きであり、私はそれを否定しない。 しかし運命を受動的に受け取るばかりではいわゆる東洋的諦観に陥るばかりだ。もっと能動的に受け取る道があると私は思う。運命が使命に変わるということ、これは人が神を信じ、受け入れる時に出てくる態度である。キリスト教文明に2000年さらされた西欧ではこのことをまともに体験している人はいろんなところにいる。日本でも明治以来使命観を持って勇気ある行動を世に示した人々はいる。 宮沢賢治の友人であった斉藤宗次郎の日記が岩波書店から出版されたことはまだ記憶に新しいが、東北の地にあって神とキリストを証したこの一草の根信者がどれほど友を激励したか計り知れない。彼は賢治の有名な「雨にもまけず」の詩のモデルになった人ともいわれ、内村鑑三の身近な弟子として知られている。神を心に持つことによって運命は使命に変わり、明るい目標を持って困難を乗越える。