一生

人生観と死生観

杜の思想

2009-11-05 16:36:09 | 哲学
11月5日 晴れ後曇り
 仙台から昨夕帰ってきた。たまたま北の寒冷気団の南下により、日本列島のほとんど全部が覆われ、寒いのなんの。最高気温も10度に届かない日が、11月3日、私どもの新仙台歴史巡礼道の行事の日であった。それでも7,8名の参加者があった。
 杜は人を思索に導く格好の場所である。明治大正の昔、仙台に来た学者や詩人たちは喜んでこのちで仕事に励み、その心の思いを詠った。阿部次郎の『三太郎の日記』や島崎藤村の『若菜集』土井晩翠の『天地有情』その他多くの優れた労作が知られている。杜は人を考えさせるところであった。人類がアフリカの森にいたころは天敵を避けて森の木々を渡り歩き、いや飛び移りかな、そして森の中では限界があると覚って森を出て平原に移り、火を上手に使って生活に役立て、弓矢などの発明品を活用した。賢いものであるが、その原点は森にあったのではないか。森は人類の故郷。森を大事にせよ。こんなことを思わされた仙台滞在であった。