前のブログの続きです。
佐藤春夫は「海辺の恋」の詩を詠んだ後、
谷崎潤一郎から、一旦は許されていた千代との交際を拒否され、失意のうちに帰郷します。
そこで詠んだ詩がこの「秋刀魚の歌」とのことです。
書き出しは
あはれ 秋風よ 情(なさけ)あらば伝えてよ
ーー男ありて
今日の夕餉に、ひとり さんまを食ひて 思ひにふける、と
谷崎家で、谷崎本人が留守の時、
谷崎の妻千代とその娘鮎子と佐藤の三人でさんまを食べたのを懐かしむ情景から入ります。
途中こんな一節も
・・・
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかえば(佐藤自身も妻と別れた後)
愛うすき父を持ちし女の児(こ)は
小さき箸(はし)をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸(はらわた)をくれむと言ふにあらずや
・・・
・・・しばらく嘆きが続き、最後のフレーズが
ーー男ありて
今日の夕餉にひとり さんまを食ひて 涙をながす と
さんま さんま
さんま苦いか塩つぱいか
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや
あはれ
げにそは問はまほしくをかし
とあります。
失意の寂しさ、切なさを、この「さんま」を題材にするなど、ただただ詩人の凄さを感じます。
ところで、詩中にある娘の鮎子さん。
この詩の数年後、千代は娘の鮎子を連れて佐藤と結婚します。
詩では実父の愛がうすいと詠われていますが、
つい先日(今月3日付)読売新聞に、父谷崎潤一郎が娘鮎子に送った手紙のことが出ていました。
家内がこの記事に気づき知らせてくれました。
父潤一郎は、娘が(佐藤のところから)結婚した後も、実に28年間にわたり、262通もの手紙を送っていたとのことです。
間もなく(今月10日)「父より娘へ 谷崎潤一郎書簡集」として刊行されるとのこと。
谷崎は付き合った女性も多かったようですが、一人の親として娘を思う真摯な気持ちであふれているとも。
絵は我が家の夕餉から。
書は、詩中に出てくる鮎子の“箸”に因んで、“割り箸”を使って書いてみました。
初めてのこととて、別の紙に書きました。
詩の中の漢字はその“感じ”を出すよう努めてはみましたが・・・。
佐藤春夫は「海辺の恋」の詩を詠んだ後、
谷崎潤一郎から、一旦は許されていた千代との交際を拒否され、失意のうちに帰郷します。
そこで詠んだ詩がこの「秋刀魚の歌」とのことです。
書き出しは
あはれ 秋風よ 情(なさけ)あらば伝えてよ
ーー男ありて
今日の夕餉に、ひとり さんまを食ひて 思ひにふける、と
谷崎家で、谷崎本人が留守の時、
谷崎の妻千代とその娘鮎子と佐藤の三人でさんまを食べたのを懐かしむ情景から入ります。
途中こんな一節も
・・・
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかえば(佐藤自身も妻と別れた後)
愛うすき父を持ちし女の児(こ)は
小さき箸(はし)をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸(はらわた)をくれむと言ふにあらずや
・・・
・・・しばらく嘆きが続き、最後のフレーズが
ーー男ありて
今日の夕餉にひとり さんまを食ひて 涙をながす と
さんま さんま
さんま苦いか塩つぱいか
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや
あはれ
げにそは問はまほしくをかし
とあります。
失意の寂しさ、切なさを、この「さんま」を題材にするなど、ただただ詩人の凄さを感じます。
ところで、詩中にある娘の鮎子さん。
この詩の数年後、千代は娘の鮎子を連れて佐藤と結婚します。
詩では実父の愛がうすいと詠われていますが、
つい先日(今月3日付)読売新聞に、父谷崎潤一郎が娘鮎子に送った手紙のことが出ていました。
家内がこの記事に気づき知らせてくれました。
父潤一郎は、娘が(佐藤のところから)結婚した後も、実に28年間にわたり、262通もの手紙を送っていたとのことです。
間もなく(今月10日)「父より娘へ 谷崎潤一郎書簡集」として刊行されるとのこと。
谷崎は付き合った女性も多かったようですが、一人の親として娘を思う真摯な気持ちであふれているとも。
絵は我が家の夕餉から。
書は、詩中に出てくる鮎子の“箸”に因んで、“割り箸”を使って書いてみました。
初めてのこととて、別の紙に書きました。
詩の中の漢字はその“感じ”を出すよう努めてはみましたが・・・。
それからこの字は割りばしで書いたとはこれも又凄いですね。
秋刀魚、刀のようにとがった字「さんま」、「苦いい」、「塩っぱい」、「熱き」、「涙」、「したたらせ」・・・
それぞれの思い、想いがにじみ出る文字、それを割りばしで書かれたとは、素晴らしいです。