日本での大震災直後に、こちらハワイでもファースト・ハワイアン・バンクをはじめとした9社の銀行が中心となって「アロハ・フォー・ジャパン」という支援組織を立ち上げ、義捐金をハワイ日米協会経由で日本赤十字社に送ると発表されています。
そしてこれに賛同したTシャツ・メーカー6社による「アロハ・フォー・ジャパン」のTシャツが各地で20ドルで販売され、収益金のすべてが米国赤十字社経由でやはり日本へ送られることになっています。我が家でもあちこちに設けられている募金箱に募金するとともに
このTシャツも早速購入いたしました。
Tシャツの背中には「世界は平和を求めてハワイに期待を寄せるでしょう。ハワイにはアロハの心がありますから・・・」というアンティー・ピラヒ・パキによる言葉も記されています。
ハワイや米国の組織も数多く新聞やTV、商店等で募金を呼びかけていますが、日系の組織でもハワイ日米協会、ホノルル日本商工会議所、NPOハワイシニアライフ協会、JAL,JTB、JALPAK、マルカイ、ニジヤマーケット、そのほか多数の企業が協力しています。ハワイ在住の日系人のための刊行物「Lighthouse」にも詳細が紹介されています。
ところで、東京の病院から被災地に派遣されたナースのかたのブログを読んで大変感銘を受けました。内容は毎日の出来事の詳細なレポートなのですが、冷静にというリーダーからの指示を破ってまで被災者と一緒に苦しみ、泣きながら全力でサポートし続ける姿はTVや新聞記事からは知りえなかった被災地の実情を伝えてくれています。
14回の記事に分かれていますが、最終回にはわずか一週間でなんと1999件(この数はおそらくブログで設定された限界の数なのでしょう)のコメントが寄せられています。
ツィッターによって一気に広まったこともあるでしょうが、ひとりのナースのレポートがこれだけの反響を得たのは、筆者の人間性が多くの人たちの共感を呼んだ結果と思います。
とても全部読めませんですが、本当に正直な人だと思います。
被災地の人も心救われたかと思います。
重い十字架を背負いましたね。
義援金もですが、被災県市町村への復興支援金寄付も、少額でも長く続けていこうと思います。
彼女のブログ本体は昨日読ませていただきました。
テレビでも医療現場のことはやっていましたが、やはり実際に行った方の手記となると…。
彼女を含めてお世話にまわる方々の日常では考えられないご苦労と努力には頭が下がります。
今回の震災で、避難所間の支援の格差というモノを考えてしまいます。
避難所となるような施設にはあらかじめトランシーバーのような電池式の無線機を備えておき
被災時にはスグにとは行かなくてもネットワークを立ち上げられないものかと思ってしまいます。
と「ここに書いても…」ですね。
失礼しました。
私たちからの金額はそれに比べるとささやかかもしれませんがこれからも続けて生きたいと思います。
あのブログのコメントに出版の打診もありましたが、ネットに無関係な人たちにも読んで欲しいですね。
この方のブログはまだ読んでいませんが・・・
仙台の近く、岩沼市に看護婦になりたての姪が住んでおります。幸い無事でしたが、まだ水道が復旧していなかった3月20日、「水と食べ物がない。」と悲痛な声で訴えておりました。浦和の辺りも水や食べ物が手に入らない状況でしたが、必死に探しまわってかき集め、「3月21日から常磐道がいわきまで開通。」とのニュースを頼りに、行ける所まで行ってみよう、と出発しました。
ただし、ガソリンが買えなければ引き返す。スノータイヤじゃないので、雪になったら引き返す、という条件で。
まさに掛けでした。
21日朝になって、常磐道は通行禁止のニュースがはいったりして、急遽、東北自動車道を宇都宮まで走り、その後は一般道を北上。途中まで走れた高速道では乗用車は走っておらず、自衛隊の隊列や消防車ばかり。10時間かかって目的地にたどり着くことができました。荷物をおろしてとんぼ返りしたのですが、休み無しで走った為、万一を警戒して、夜中11時頃、郡山駅の近くで1泊。駅は電気は付いておりましたが、破損が激しく、閉鎖されておりました。翌日国道49号線をいわき市に向けて横断。途中、一度も対向車とすれ違うことのない異様な光景でした。ガソリンが買えないので走れないのです。
まれに開いているガソリンスタンドがあると長い行列。そして夜は翌日の開店を待って、徹夜で車で並んで待っておられるのです。
私たちは幸いなことに、高速道に乗れば「2000円分だけ。」など、制限はありましたが、給油はできました。
いわき中央インターで「避難車両」の証明書をいただき、帰りの高速料金は免除されました。
高速道路は50キロ制限でした。路面が波打っていて危険な状態でした。
一般道を走っている時、どこもお店が閉まっている中、セブンイレブンが開いていて、トイレなど、快く使わせて下さったのが有難かったです。
10日位したら、もう一度被災地に出かけてみようと思っております。
次回はもうすこし走りやすくなっているかも知れませんが、無理をせずにお出かけくださいね。
ブログは読みでがありますのでお時間のあるときにでも覗いてみてください。
私もささやかで有りますが「アロハの心」を見習って支援して行きたいと思っています。
2月のウクレレ協会でお声をかけて頂いた者です。(マットさんの後ろに居た黒セーター)
あちらで私のブログを覗いているようで「最近更新がないけど元気?」と連絡をくれました。
おたがいにできることで支えていきたいですね。