MATTのひとりごと

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クイ・リーの死後に出版された曲集2冊と「Where's My Love」のナゾ(2023年5月21日)

2023年05月21日 | ハワイ音楽の歴史
「I'll Remember You」や「Lahaina Luna(正しくはLahainaluna・・・リンク先をご覧くださいね)」等私達にもなじみのある名曲を作ったクイ・リーは1966年12月にわずか34歳でその生涯を閉じました。彼の癌が発見されたのはその前年のことでしたが、若かったことも有り転移が早く、翌年にはほとんど歌えなくなったため、彼のアルバムの歌声は病室に録音機材を持ち込んで行われまし . . . 本文を読む
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Malihini Merryというレコード(2023年1月23日)

2023年01月23日 | ハワイ音楽の歴史
youtubeでこのようなレコードをみつけました。 歌手はベティ稲田でカップリングのA面は「チューチューチュー(Sioux City Sue:スー・シティー・スー)」で1947年リリースのSP盤でした。 このレコードの日本語タイトルは「マリヒニ・メレ」ですが英語のタイトルが「Malihini Merry」となっています。 もちろん曲自体はハワイ生まれの作曲家ロバート・アレキサンダー・アンダー . . . 本文を読む
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Hawaiian Wedding Songは「結婚の歌」ではない?(2014年10月11日)

2014年10月11日 | ハワイ音楽の歴史
ご存じのように「Hawaiian Wedding Song」という曲は1961年11月に初上映されたエルビス・プレスリー主演のパラマウント映画「Blue Hawaii」の中で使われました。この曲のオリジナルである「Ke Kali Nei Au」は1925年5月に上演されたオペレッタ「Prince of Hawaii」のためにハワイの大作曲家Charles Edward Kingが作曲した曲で、英語 . . . 本文を読む
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原曲よりヒットした替え歌「ハワイのわらぶき小屋」 (2014年5月18日)

2014年05月18日 | ハワイ音楽の歴史
以前、「ハワイのわらぶき小屋」が替え歌であったことをレポートいたしました。その記事から「替え歌」になったいきさつをちょっと再掲いたしますね。(下記のHawaiian Music and Musiciansはその後改訂版が発行されました。)======================================================ハワイ音楽のバイブルとも言える「Hawaiian Mu . . . 本文を読む
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6叉路文化が生んだ「ティン・パン・アレイ」とその音楽 (2014年5月18日)

2014年05月18日 | ハワイ音楽の歴史
6叉路を作り出す道路「ブロードウェイ」ニューヨーク市(NYC)の心臓部であるマンハッタン島(「島」なんですね!・・・)は1800年初頭に制定された縦横を規則正しく走る碁盤目のような道路で囲まれています。南北方向に走る道路(アベニュー:通称にしたがって「街」と呼びます)は東側から1番街、2番街、3番街、マディソン街、パーク街(昔は4番街と呼ばれていました)、レキシントン街、5番街、6番街(正式にはア . . . 本文を読む
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鷭(バン)の額はなぜ赤い?(2012年5月20日)

2012年05月20日 | ハワイ音楽の歴史
この記事は2012年5月20日のNUA例会でご紹介したものですが、当日の配布物はコピーの関係からどうしても白黒印刷になってしまうところ、私のこだわりから鷭の額だけはどうしても赤くしたかったので、コピー後に一枚ずつその写真を貼り付けていただきました。この画像は額の部分だけを1ピクセルごとに処理をするという手間を掛けています。周囲の皆さんからは「そんな苦労をしなくても赤のサインペンでちょこちょこっと塗 . . . 本文を読む
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実は「ハワイのわらぶき小屋」も元はハワイアン音楽ではなかったのです! (2012年1月24日)

2012年01月24日 | ハワイ音楽の歴史
本日のテーマは「ハワイのわらぶき小屋My Little Grass Shack In Kealakekua, Hawaii」の元歌のご紹介なのです。あの名著(自分で言うヤツが居るか!)「ハワイアン音楽快読本」ではリリウオカラニ女王が女王に即位する前の王女時代に作曲した世界の名曲「アロハ・オエ」についてのエピソードに触れました。そのくだりをここに転記いたしますね。・・・・・The Queen's S . . . 本文を読む
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「バリバリの浜辺で」は米本土製のハワイアン音楽でもありませんでした! (2012年1月14日)

2012年01月14日 | ハワイ音楽の歴史
私がFM番組「ハワイアン・パラダイス」を担当していた頃のブログに「バリバリの浜辺は架空の地名です」という記事を書きました。少し長くなりますがその記事を画像でここに転載いたします。そしてこの記事がこことかここに引用(と言うかほとんどコピー&ペースト)されています。前者の記事では「ハワイ音楽研究会」からの情報、とあるので他にも同様のコピペブログが存在するのでしょう。内容はいずれも苦心して書いた私の文章 . . . 本文を読む
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14年ぶりの「小さな竹の橋」再訪 (2011年11月23日)

2011年11月23日 | ハワイ音楽の歴史
第二次世界大戦前の米国では、まだ旅客機による旅行が一般的でなかったため、遠くへ旅行するためには鉄道や客船を利用するしか手段がありませんでした。このため当時からハワイが「夢の島」であることは知られていても米本土とくに文化の中心であった東海岸のニューヨーク、ニュージャージー、マサチューセッツ、ペンシルベニア等からハワイに出かけるためには大陸横断鉄道で何日も掛けて西海岸のサンフランシスコまで行き、そこか . . . 本文を読む
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アロハ・オエは盗作?-ハワイアン音楽快読本より-(2008年7月20日)

2008年07月20日 | ハワイ音楽の歴史
  日本では子供でも知っているハワイの名曲「アロハ・オエ」はハワイ王朝最後の女王であったリリウオカラニの作品である、ということもよく知られています。ところが先年日本最大の文芸雑誌の巻頭特集記事で「アロハ・オエはリリウオカラニが米人たちによるクーデターで王位を奪われ、イオラニ宮殿に幽閉されているときに、ハワイの人々への別れの気持ちを込めて作曲した」と紹介されていました。しかし彼女がイオラニ宮殿と私邸 . . . 本文を読む
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