MATTのひとりごと

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Shihoさんとのライブ第3回はクリスマス曲中心でした(2023年12月5日)

2023年12月05日 | イベント

 今まで6月14日、9月7日と開催してきましたShihoさんとのライブ第3回は、同じように3か月間隔での開催でしたが、今回は12月ということでクリスマス曲を中心にお送りいたしました。

  今回のいでたちはクリスマスということで赤い服を着用しました。(揃っていませんが・・・・)



  浜ちゃんの撮った写真です。


  クリスマスなのでオルガンを鳴らしたいと思い、いつものリバーブのエフェクター(中央)に加え、オルガン・シンセサイザー(左)と切り替えスイッチ(右)を持参しました。

  結線はこんな具合で、オルガン音とSG音を適当にミックスするとともに、SG単独の時はいつものようにリバーブを掛けました。

  実際の音はこのようなものですが、まだ使い方に慣れていないので実際にはほとんど使いませんでした。
来年のクリスマス・シーズンまでには慣れていないと!

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 恒例に従って(まだ3回目なのに・・・)今回も曲目の譜面をまとめた曲集を作成いたしました。

 まず、表紙と裏表紙です。なぜかいつものように表紙が左側にあります。



  裏表紙にあるQRコードを読むとこの(今回の)ブログにアクセスできます。

 それでは演奏順に譜面とエピソード(あれば)をご紹介いたします。
それぞれの曲名をクリックすると当日の動画に飛びます。

1曲め:Kaupō

 「プア・リーリーレフア」という名曲を作ったカハウアヌ・レイクによる楽しい曲です。

我らがかおりさんはレイクとの記念写真をお持ちです。すごいですね!



2曲め:E Ku`u Sweet Lei Poina `Ole

 「オロマナ」というユニットのデビュー時 (1973年)はジェリー・サントスとロバート・バウモントのデュオでした。
そしてロバートの誕生日1980年1月に友人のエマ・デフリースが贈った曲「エ・クウ・スイート・レイ・ポイナ・オレ」を収録したアルバム「カム・トゥー・ミー・ジェントリー」が1982年のナー・ホークーで沢山の賞を獲得したのですが、その時にはすでにロバートは32歳で亡くなっていて、贈ったエマも贈った年1980年12月に55歳で亡くなっていました。でも、この曲自体はその後も数多くの歌手により歌い継がれてきましたね。


         ナー・ホークー受賞アルバム「カム・トゥー・ミー・ジェントリー」

   ロバートの足跡と墓石の写真です。


  作者のエマの紹介です。記事によると米海軍の射爆場となり、たくさんのヘイアウが破壊されてきたカホオラベ島を取り戻す目的の組織「PKO:Protect Kaho`olawe `Ohanaカホオラベのオハナを守る会」の会員として活動していたようで、この会のリーダーで1977年3月7日に行方不明となったジョージ・ヘルムと相棒のキモ・ミッチェルが失踪するまで9名いた会員中2名の女性会員の一人でした。
  その後、カホオラベ島は1941年から1990年まで50年ものあいだ射爆場として使われたのち、1994年にハワイ州に返還されましたが、ジョージやキモはもちろんのことエマもこの世にはおりませんでした。

  ネット情報で「アルバムにはバンドメンバー5人が椅子に腰掛けたアンティ・エマを囲んだ写真が載っている。このときのエマは70代のはずだがとても若く見える。」とありましたが、そのとおりです、55歳で亡くなったのですから。


3曲め:Old Plantation (Ku`u Home)

  捕鯨船乗りだったケンタッキー生まれのカーティス・ウォードは1853年にハワイに移住し、王室の別荘の管理をしていました。
  彼は1965年に19歳だったビクトリア・ロビンソンと結婚し生涯で7人の娘をもうけました。
結婚した夫妻は現在のウォード・アベニューの東側でキング通りの南側の100エーカー(東京ディズニーランドの8割に匹敵する広さ)の土地を購入し、そこに「オールド・プランテーション(農園)」を作ったのです。

  この曲は夫妻の友人モンタノ夫人が作詞し、同じく友人の作曲家デイビッド・ナペの作曲で誕生した曲です。




  この地図の上方を斜めに通っているウォード・アベニューから下側(東側)の広大な土地がウォード夫妻の所有地でした。
  キング通りとウォード通りの角にある「ニール・ブレイズデル・センター」はちょうどハワイ州が誕生した1959年とその前後の時期にホノルル郡とホノルル市の長だったかたの名前にちなんだ建物なのです。ワイキキにコンベンション・センターができた現在でも大きな催しがここで行われていますね。




  オールド・プランテーションに建てられたコロニアル風の邸宅です。

4曲め:Christmas In Hawaii


  ハワイのクリスマスに必ず歌われる「メレ・カリキマカ」という曲があります。



  この曲はハワイ生まれの大作曲家で「ラブリ・フラ・ハンズ」や「マリヒニ・メレ」など数多くの曲を作ったロバート・アレキサンダー・アンダソンが1949年に作った曲で英語の「メリー・クリスマス」のハワイ語訛り「メレ・カリキマカ」を歌詞にしたもので、この曲のお陰でしょうかあちこちでこのフレーズを目にします。


 

  今回ご参加いただいた皆様に差し上げたこのお菓子も「メレ・カリキ・マック」というマカダミアナッツをチョコレートでくるんだ菓子でもちろん「メレ・カリキマカ」をもじった商品なのです。

  この作者が12年後の1961年に作ったもう一つのクリスマス曲がこの「クリスマス・イン・ハワイ」ですがハワイには同じタイトルの曲がたくさんあるようですね。

5曲め:Ku`u Wā Li`ili`i (Hūpēkole)

  この曲はShihoさんがお好きなレナ・マシャードの作品で、「鼻たれ幼女」が淑女?にまで成長することを歌う軽快な曲です。「フーペーコレ」は「鼻たれ」のことで、作者自身の幼少時のことをうたったとのこと。



6曲め:He Lei Poina `Ole

  この曲は1999年10月にかおりさん宅で開催された「第一回ハワイ文化勉強会」にクム・フラでアンティー・マイキの長女キャレン・アイウとともに招聘された現代ハワイ文化のオーソリティーで名歌手でもあるクウイポ・クムカヒによってかおりさんのために作られました。
  一人娘だったかおりさんが御父上を亡くされたばかりであり、クウイポ自身も一人娘であったので父親から見た娘のことを「愛する忘れえぬ花」に例えてこの曲を作り上げたのです。

  この曲は2009年にリリースされた彼女のアルバム「Ku`uipo E Hula Mai Me A`u」の5曲めに収録されました。


  曲の解説がこれです。
  「この曲は私の親友(もちろん、かおりさんのことです)のために書きました。彼女は一人娘でしたが、私も同じく一人娘だったのです。この曲を書いた時には彼女はすでに父親を亡くしていましたので私自身が親を亡くした時に自分の日常はどうなっているかを想像してみました。私はよく両親が私のことをどのように感じているかを考えます。そして私がいかに幸運であったか、今も幸せかを思い出させてくれます。私は親が子供をみる立場に立ってこの曲を作りました。」


  歌詞の冒頭に「Nani wale e ka pua mohala ma ka hikina.......」というフレーズがあります。この「pua mohala」は固有名称としての「~の花」ではなく「開いている花、咲き誇っている花」の意味で、キャレン・アイウの母親で伝説のクム・フラの大御所アンティ・マイキ・アイウがかおりさんにつけてくださった彼女のハワイアン・ネームなのですが、クウイポはその単語を巧みに歌詞に織り込んでいます。


  名前を戴き、曲まで戴いたかおりさんは素晴らしいハワイ音楽生活を過ごされていますね。

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  前半が終わりゲスト・コーナーとなりました。

  最初の登場は麻子さん、Ku`u Ipo Pua Roseを踊られましたが動画はありません。

  二人目は西山さん、Hanalei Moonを歌われました。

  三人目はミツさん、このお店のマスターの愛弟子で、先生のアレンジになるKu`u Lei Awapuhiを弾き語りしました。

  最後のゲストは浜ちゃん、季節に合わせてWhite Christmasを歌いましたがYukiさんが自席のままでフラを付けてくださいました。

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  ここから第二部に移りました。


7曲め:Christmas Medley(もろびとこぞりて/by Isaac Watts, Pomaika`i Wale Ko Ke Ao!/ by Hiram Bingham~ オー・ホーリー・ナイト/ by Adolphe Adam,  Po Hemolele/ by Louise Tolles) 

  メドレー曲の2曲め「オー・ホーリー・ナイト」はイエス誕生の夜を歌った曲で、オリジナルの歌詞はプラシド・カポー(でいいのかな?)の作ったフランス語で、これにアドルファ・アダムがメロディーをつけ、英語歌詞をジョン・ドワイトがつけていますが、ハワイ語と日本語の作詞者が分かりません(涙)

8曲め:Numbah One Day Of Christmas (Twelve Days Of Christmas Hawaiian Style) 

  私の別のブログで二度わたって紹介した曲で、1959年に大歌手エド・ケニーが友人たちと作った「替え歌」です。

  今回はイラストを描いていただいたEllieさんと

この歌のフラを踊っていただくYukiさんも参加され、にぎやかに進行いたしました。
  さらにイラストだけをカードにしたものを使って「カードあげ」遊びもいたしました。

 まずは皆さんで歌のお稽古です。

 続いてイラストのカードをつかった「カード上げ

  最後はYukiさんによるこの曲のフラです。


9曲め:The Song Of Christmas 

   この曲は私のイチオシの作曲家で毎回Shihoさんに一曲は歌って頂いているクイ・リーの作品で、メル・トーメの「ザ・クリスマス・ソング」に匹敵する名曲だと思っています。


10曲め:Ho`onanea

  レナ・マシャードの作品、もう1曲です。「ホオナネア」は「平穏な時を過ごす」という意味。

11曲め:E Maliu Mai

  「プアマナ」という名曲をつくり、同じ「プアマナ」という名のグループのリーダーとしても活躍したアームガード・アルリが作った曲で、結婚式でよく演奏されます。



12曲め Hana Hou:Pō La`i Ē (Silent Night)

   普段気にせず歌っていたこの曲のハワイ語作詞者のファミリー・ネームを見て、ちょっと引っ掛かりました。

  実は、フラダンサーでファルセット歌手のマヒ・ビーマー、プープー・ヒヌヒヌなどの作曲家ウィノナ(ノナ)ビーマー、ノナの息子たちでオリジナル曲「ホノルル・シティー・ライツ」でデュオ・デビューしたケオラ・ビーマーとカポノ・ビーマー、クウ・ホアヘネヘネ・コウ・アカを作ったポノ・ビーマー達数多くの音楽家を輩出したビーマー・ファミリーの宗家で、キモ・フラケ・アリイ・フル・マモカボヒクーカプラニなどの名曲を作ったヘレン・デシェイ・ビーマーのミドルネーム「Desha」(わが国ではローマ字読みの「デシャ」で通っていますが・・・)がここにあったのです。



  上記の「家系図」にあるようにヘレンの父親がジョージ・デシェイということがわかりますのでジョージの情報を調べますと


  そしてジョージの2歳上の兄が牧師のスチーブンで譜面のクレジットにあるメアリーとは夫婦であることが分かりました。

  思わぬところでつながりが分かりハッピーな気分です。

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  参加された皆様との記念撮影です。
 
  最初から最後までカメラマンをお願いしたTAONさんと。


  「Numbah One・・・・」のステキなイラストで会を盛り上げていただいたEllieさんと。


  ずうっと「キャンセル待ち」が続き、ついにこの日に参加できることになったEriさんと。

   かおりさんとお友達と。


  ミツさんとお友達と。

  久しぶりにお会いしたミカさんとお友達と。 


  Shihoさんの学生時代のお友達お二人が参加されました!


  皆さんであつまって。

  参加者全員の記念撮影。

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2 コメント

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Unknown (原 兼輔)
2023-12-06 18:38:13
マットさん
初めまして
ブログを拝見して感銘致しました。
私もHawaii'anが好きで聴いています。
ライブが平日なので、行けず残念です。
機会がありましたら是非お邪魔したいです。
返信する
ありがとうございます (MATT)
2023-12-06 19:27:31
休日にライブを行うことも有りますのでそのアナウンスがありましたら是非お出かけくださいね!
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