今から40年以上前にアマチュア無線にのめりこんでいたことが有りました。電話級から始まり。モールスを覚えて電信級、そして14MHzが使える資格の2アマまで取得し、毎晩ローカル・ラグチュー(おしゃべり)を楽しんでいました。そしてあるときリグ(送受信機)からウクレレの音が聞こえてきたのでしばらく受信していましたが、どうやらその音には別なウクレレの音が重なっていることに気づいたのです。やがて分かったことは . . . 本文を読む
以前「歴史あるコナコーヒー収穫祭の最後を飾るコンサートがワイキキで開催されました」という記事をアップいたしました。このコンサートでスチール・ギターを担当していたのが現在のハワイにおけるトップ・プレイヤーのひとりであるボビー・インガノでした。彼は2011年のナー・ホークー賞(コンピレーション・アルバム賞)を受賞したアルバム「KONA」の中でもスチールを演奏しています。そして今回、彼自身のアルバム「S . . . 本文を読む
この写真左側の黄色い表紙の本「Nā Mele o Hawai`i Nei」は1970年に出版された101曲のトラディショナル・ハワイアン音楽の歌詞と詳しい解説を収めたハワイアン音楽のバイブル的存在の本で現在も入手可能です。この本の内容はその後に出版された「He Mele Aloha」などたくさんのハワイアン曲集やハワイアン歌詞サイトhuapalaなどでも数多く引用されています。この本の編 . . . 本文を読む
マカハ・サンズのベーシストであったジョン・ココが昨日(2012年6月25日)まだ51歳の若さで亡くなりました。かれは持病の心臓疾患で長いこと苦しんでいて、最近は移植を待つ日日を過ごしていました。以前にも九死に一生を得た手記なども発表されていましたが、遂に帰らぬ人となってしまったのです。奇しくも15年前の今日(1977年6月26日)が38歳で亡くなった昔の仲間IZの命日でしたので、今頃は天国で再会し . . . 本文を読む
トップの写真は発行前のハワイアン・ファン誌88号の表紙で人物はアブリーゴ・オハナの長女エミリーですが、発行済みの87号のほうに掲載された私の記事をご紹介いたしますね。アブリーゴ・オハナの紹介とワイメア・バレー・カニカピラの模様、(いずれも私のブログからの抜粋)そして片桐さんのワイキキ・ストリート・ライブの報告です。(リンクはありません)[12月20日追記]ハワイアン・ファンの次号(88号)にもアブ . . . 本文を読む
先日開催されました「第一回スチールギター・フェスティバル」でジェフ・アウ・ホイとインタビューの約束をしましたが、その記事にも書きましたようにハレクラニでは演奏をしていないとのことでしたので、久しぶりにカニカピラ・グリルのシリル・パヒヌイ・トリオに出掛けました。ちょうど一週間後にNUAの勇士たち(変換ミスですがこの方がピッタリする感じも、なにしろホノルル・ズーでオータサンとステージに上がったのちにリ . . . 本文を読む
ハワイにきてから今までもいろいろな「偶然」に出会ってきました。何かのちから(もしかしたら「mana:霊力」かもしれません)がコントロールしているようにも思えるのですが、今回もまさしくそれを感じさせる出来事でした。たまたまコスコ(日本では商標登録の関係で「コストコ」ですが)に買い物に行くことにして、そこから遠くない場所にあるコアロハの工場に「セイ・ハロー」だけするつもりで顔を出しました。今回のナー・ . . . 本文を読む
サンズ・オブ・ハワイのリーダー、オータサンの先生、そしてNUA創設をオータサンと一緒にサポートし、昨年NUAメンバーとの交流会においてメンバーから大歓迎を受けたエディー・カマエ氏が62年ぶりで5月22日に高校を卒業したという記事が掲載されていました。詳しくはその記事をご覧いただきたいのですが、ファリントン高校在学中に徴兵され、米陸軍で18カ月務めたのちふたたび高校で勉強を続けたのですが、卒業式の少 . . . 本文を読む
今回のハワイ出発時にNUA清水理事長から昨年開催された「NUAエディー・カマエを囲む会」の記録DVDを預かってきたのですが、生活が落ち着くまでに時間がかかり、やっと5月20日にNUAとエディーの間を取り持って頂いたYさんにお渡しできました。どうせお会いするなら、とシリル・パヒヌイの出演している「カニカピラ・グリル」で待ち合わせをいたしました。この写真にあるようにシリルのスラックキー・ギターを中心に . . . 本文を読む
日系移民の間で歌われていたホレホレ節を採譜し、スミソニアン博物館への永久保存に尽力したハリー・ミノル・ウラタ氏が逝去されましたのでハワイアン・ファン誌67号(2009年11月号)に紹介いたしました。 . . . 本文を読む