MATTのひとりごと

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「バリバリの浜辺で」は米本土製のハワイアン音楽でもありませんでした! (2012年1月14日)

2012年01月14日 | ハワイ音楽の歴史

私がFM番組「ハワイアン・パラダイス」を担当していた頃のブログに「バリバリの浜辺は架空の地名です」という記事を書きました。

少し長くなりますがその記事を画像でここに転載いたします。

そしてこの記事がこことかここに引用(と言うかほとんどコピー&ペースト)されています。前者の記事では「ハワイ音楽研究会」からの情報、とあるので他にも同様のコピペブログが存在するのでしょう。
内容はいずれも苦心して書いた私の文章のままで、いかにもそれぞれの作者が書いているような文体の文章になっています。

とりわけ私が書いた記事の歌詞の意訳は普通見ることのできる楽譜には含まれていない「ヴァース」部分の訳を苦心して(!)行った拙い文章、さらにインターネットが盛んではなかった時代にキャロラインという町を全米の地図帳から発見(笑)するまでの苦労は大変なものでしたが、それをそのまま苦労なしにコピペで「自分の言葉」のように載せられたことでコピペされた側の気持ちがやっと分かりました。

実は私自身もこれに似たことをいままでごく自然に行ってきたので、ここに改めてしっかりと反省した次第です。私が書いた「ウクレレ快読本」と「ハワイアン音楽快読本」には「引用文献」を載せていたのですが、ブログの記事で「引用」をする際にはそれをひとつひとつ丁寧には行ってこなかったので、このブログ記事を皮切りに今まで以上こまめにリンクを使って出典を明示することを実行したいと思っています。

もっとも、今回の私のブログ記事は私自身がときどき行った無断引用を懺悔をするのが目的ではなく、上記記事内容が間違っていたこと、従って私の記事をコピペされた皆様にもご迷惑をお掛けしました、と言う「お詫びと訂正の記事」なのです。上記の筆者の皆さんがもしこの記事を読まれていたらコピペでも構いませんので読者に対して「訂正」をしていただきたいのです。
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上記の最初のかたのブログは全般的に掲載しておられる写真に字幕やテロップが入っていることから推察してTV番組を次々に紹介しているようにお見受けしますが、どの番組から引用されたのかが全く記載されておらず、それでいて極めて広範囲のミュージシャンやハワイの行事をご自分の記事として紹介しておられます。そしていずれのページにも(もちろん私の記事を引用したページにも)「Copyright © Royal Hawaii All Rights Reserved」というクレジットが書かれているのには驚かされました。NHK-BSその他の著作者が持つ著作権を侵害しておきながら、それらの画像ををキャプチャーし転載しただけのご自分のサイトの著作権を主張しておられる真意を図りかねます。折角いろいろなミュージシャンやハワイの行事などを紹介しておられるので、できれば応援させていただきたかったのですが残念です。そしてブログにコメントを差し上げようにもスパムコメントばかりなので書き込みも躊躇してしまいます。せめてスパムコメントを削除してあればよかったのですが。
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私の別な記事にあるように1930年代ニューヨークの音楽出版社が軒を並べる「ティンパン・アレイ」では「小さな竹の橋」など数多くの「ハワイアン音楽」が誕生しました。そのこと自体は間違っていないのですが、問題は今回のタイトルにある「バリバリの浜辺で」にありました。

上記のブログを書いた時点ではこの曲も「小さな竹の橋」同様ハワイにあこがれて作られた数多くの「米本土製ハワイアン・ソング」と思い込んでいたのですが、これが完全な誤解であることが(私としては)最近判明したのです。 (おおげさ!)

ある日こちらハワイで毎日放映されているクラシック・ムービー・チャンネル「TCM (Turner Classic Movie Channnel)」を見ていたときに私たちにとってはお馴染みのこのメロディーが流れてきたのです。それも、なんとピアノ演奏で!
そこでこの映画を購入して確認することにいたしました。・・・というと大枚を叩いたようですが未開封のVHSパッケージが$2.29、送料が$2.98の合計$5.27すなわち送料込みで400円程度で買えたのです。

この作品をはじめ関連する4作品を4枚のDVDに収めたボックスが20ドルですのでVHSでこの価格はまぁ妥当なのかもしれません。

たまたま日本のサイトでこの映画パッケージを探したところなんと1万3000円もしていました。輸入品でレア物だからでしょうね。

映画は1930年代の舞台で、映画で活躍していたマルクス兄弟の出演する「A Day At The Races(邦題:マルクス一番乗り)」という映画です。映画の内容はこの記事をご参照いただくとして、私の耳に飛び込んできたメロディーは映画の中で兄弟の長兄(たぶん)チコ・マルクス扮する運転手トニーがピアノで演奏していたのです。

この映画ができたのが1937年ですが、ウィキペディアによると作曲された1935年にはトランペットと歌のヘンリー「レッド」アレン楽団が録音し

続いて上記の映画の中で演奏されたとのことでした。ヘンリーのリンク先の解説ではなにやらスリランカ音楽が元のようにも受け取れますが、単語が分からない(汗!)ので真相は不明ということにしておきます(涙)。

そしてここが重要なのですがそのウィキペディアによるとこの曲のオリジナル・タイトルは「On a Street in Baden Baden(バーデン・バーデンのとある通りで)」というものだったのだが、バーデン・バーデンはドイツに実在する市の名前であり、おりしも独裁者ヒットラーの台頭により世界平和が脅かされつつあったので作者たち( Al Sherman, Abner Silver and Jack Maskill)は急遽「Street」を「Beach」に変更し、「Barden Barden」を熱帯の島のようなイメージをもつ架空の「Bali Bali」 と変更しました。出版社からは実在する島「Bali」への変更を指示されたのですが変更せずに出版したとのことです。

・・・・といういきさつから「バリバリの浜辺で」という曲はもともとハワイアン音楽として作られたものではないことがお分かりいただけたと思います・・・・すなわち以前「この曲はティンパン・アレイ製のハワイアン音楽である」と書いた私の記事は間違いだったのです。

たくさんのブロクのなかには「ハワイアン音楽なのにハワイでは聴いたことが無い」といった記事もみうけますが、上に書きましたようにこの曲はハワイアン音楽ではないです。それでは何故わが国ではハワイアン音楽として扱われているのでしょうか。

そのヒントは「日本のジャズ・ソング戦前篇」の中にありました。第二次世界大戦前後の日本のポピュラー音楽界では「外来の音楽」はなべて「ジャズ」と呼ばれていたようで、本来のジャズ、ポップスはもちろんのこと、ハワイアン、カントリー、タンゴ、さらには「熱風」のような和製ポピュラーソングまでがジャズとして扱われていたようです。
その中でこのセット・アルバムの下のほう(6枚目のBRIDGE-083)9曲めに「浜辺の恋/宮川はるみ」という曲が収録されていますがこれこそが当時作られたばかりの「On The Beach At Balibali」そのものだったのです。
日本語の歌詞は現在知られているものとはことなりますがオリジナルの歌詞に沿った歌詞がつけられています。

作詞は岡見如雪で歌詞の前半は
波の寄せ来る浜辺に、物思う若き君、ひと目の恋はたちまち、何故か心を結ぶ。
楽し夕べの砂浜、愛囁く漣、甘き口づけ月影、輝きわたる星空。
(月も星も出てる夜ですね!)
幸多き恋の夢、君と共に見し、麗しの浜辺よ、共に歌え愛の調べ・・・

ところでこの宮川はるみという歌手についてはこのブログに1934年にハワイから来日した、と言う情報が載っていました。その情報自体は貴重なのですが、渋谷のバッキーがバッキー白片の経営していた店で、彼の死後に経営が代わったとあるのが気になりました。大塚龍男の「パーム」、山口軍一の「ルアナ」三橋渡の「コニー・アイランド」衛藤かをりの「ハナレイ」等々ミュージシャン自身が経営していた店が数多くありましたが、清水峰生の「布哇庵」を除いてほとんどが閉店している中、バッキーさんのファンの小柳さん(と中山さん)が開いたこの店は現在でも立派に存続しているのです。

一方、第二次大戦終了後の日本ではこれらのジャズ、ポップス、ハワイアン、カントリー、タンゴ等をハワイアン・バンドが演奏することがよく行われていたので、その中で「浜辺の恋」に誰かが親しみやすい口語体の歌詞を付けて歌っていたものと思われます。そしてあのエセル中田がその歌詞でうたったことですっかり「ハワイアン音楽の定番」となり、その後も日野てる子をはじめ沢山の女性ハワイアン歌手が歌って現在に至っているのでしょう。


有名な作詞家漣健児(シンコーミュージックの元会長草野昌一氏のペンネーム)の膨大な作品集にこの曲の作詞も載っています。ただ、歌手がエセル中田ではなく田代みどりとなっているので皆に親しまれた歌詞のほうではないのかも知れませんね。JASRAC(日本音楽著作権協会)の作品検索サイトでも漣健児が作詞者として登録され、エセル中田を含むたくさんのアーティストが演奏者として載っています。ただ、エセル中田がこの曲を歌ったのは彼が作詞家として活動する1960年以前だったような気もするのでなんとも分かりません。

[1/16/2012 追記]ハワイアン・ファン誌の東海林編集長から漣健児の作った「訳詩」を送っていただきました。下記のとおりお馴染みの歌詞とは全く別なものなので上記の??が解決いたしました。

バリバリの浜辺で逢った とってもいかした人 背が高くてハンサム グッと魅力的なの
彼は私に云ったの ボートでデイトしない 彼はにっこり微笑み 私に投げキッス
それはきのうのこと 今日はもういない 素敵な彼氏はどこへ行ってしまったのよ
初恋のあのバリバリ 想い出のあの海辺 寄せくる白い波が 私の夢を運ぶ

わが国のハワイアン音楽は「カイマナ・ヒラ」などのような原語で歌われる一部の曲を除けば日本語の訳詩、作詞の曲がヒットしてきました。その昔のモアナ・グリー・クラブ、そしてカルア・カマアイナスさらにはバッキー白片、大橋節夫等のグループそしてエセル中田や南かおるほか歌手の皆さんも日本語、もしくは日本語と原語とのミックスでのハワイアン音楽を歌ってきましたがそれらがいずれもヒットしてきたのです。

そして発祥はともかくとしてこの「バリバリの浜辺で」も日本語歌詞のおかげでわが国に限ってではありますが立派な?ハワイアン音楽として定着したのは喜ばしいことではないでしょうか。

フラの伴奏のためにハワイから呼ばれたミュージシャンたちがこれら日本語歌詞の「ハワイアン」を否応無く覚えて帰っているのでハワイでも「バリバリの浜辺で」がポピュラーになる日も近いのでしょうか。まぁ期待せずに待つことにしましょう。

もしかして読者の皆様が「MATTは架空の場所探し第二弾としてバリバリの浜辺探しに出るのでは」と期待しておられるようでしたらあきらめてください。The Busで行くことができる範囲に「B」の付く地名はありませんので・・・・・

「バリバリの浜辺で」という曲は2003年(平成15年)10月26日に実施された第2回FamousウクレレコンテストにNUA有志のユニット「Ukulele Kid's Ensemble (頭文字がUKEとなります)」指揮:うくれれキッド(中川さん)で出演したときのアンサンブル曲(アレンジ:小林潔)でも有りました。ユニット名から子供グループと判断された出演順でしたが・・・(上記コンテストのサイトにshu-sanの特徴のある演奏スタイルが写っています。となりはshinfujiさんです。)私が一人でマルチ録音をしたオーディション用の演奏も残っていました(あとで削除します。)

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24 コメント

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うんちくのある・・・・ (あたごウクレレ)
2012-01-20 17:14:45
なるほど見事な解説ですね。参考になりました。確かに架空の場所探しかと期待していた一人です。渋谷のお店はきい×さんが良く行かれるようですが、経営は代わっているんですね。與さんはおられるようですが。
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渋谷の店は (MATT)
2012-01-20 17:51:57
最初から小柳さんが経営していたような気がしますが、たまにしか行かなかったのではっきりは分かりません。
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申し訳ありませんが、 (モリパパ)
2012-01-20 19:31:48
日本で言うハワイアンは、本当の意味でのハワイミュージックではないと思っています。
別にハワイアンを否定する気はありません。
一部はハワイホテルミュージックであり、一部は和製ハワイアンです。
もしハワイミュージックの源泉はと問われれば、賛美歌と簡単に答えたいと思います。
こういう風に言い切れるのもMATTさんの教えのおかげです?
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バッキー (たぬき)
2012-01-20 23:37:06
きぃばつさんが常連です。
与さんのギターをバックに演奏しているようですが、私はここ数年行ってません。
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定義はともかくとして (MATT)
2012-01-21 04:40:38
「ハワイアン音楽」のメロディーが広まるのは良いことですね。
日本語の歌詞によって普及が進むのであればそれも良いでしょう。
ただ、個人的には英語の歌詞が付いている曲にわざわざハワイ語の歌詞をつけるのは好きではありません。(作詞:トニーC、歌:エイミーのように)
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友人のmasayaに連れられて (MATT)
2012-01-21 04:42:05
行ったことはあるのですが、数年前に彼が亡くなってからは行っていません。
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フェイマスウクレレコンテスト (kyoko)
2012-01-21 11:33:24
9年前でしたか?
私がNUAに入会する前の年でしょうか。
楽譜を拝見したことがありました。
とても難しくて、手も足も出ないワと思ったことだけ覚えております。
ウクレレもスチールも素敵ですね。
あと1年早くNUAに入会していたら、本物をお聴きすることが出来たのに・・・
皆さんオワカイ!(かった?)
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へぇぇぇぇ~。そうだったの~ (ヒメリン)
2012-01-21 15:28:42
本当にありがとうございます。
てっきりバリバリの浜辺はアメリカ本土で作られたハワイアンだと思っていました。
オリジナルが、On a Street in Baden Badenとは驚きです。
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フェイマス・コンテストは (MATT)
2012-01-21 16:52:11
結構マジメに練習したにもかかわらず惜しくも優勝を逃しました。どのグループもそう言っていると思いますが・・・・
30名の8年前ですから今より240歳も若かったことになります。・・・そんな計算はないですね!
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私だって (MATT)
2012-01-21 16:55:07
そう思っていただけでなく記事までかいていたのですから罪は重いですね。
今回の記事をコピペしたかたも読んでくださるといいんですが・・・・・
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