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MATTのひとりごと

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*クイの死後に出版された曲集と「Where's My Love」の謎(2023年5月21日)

2023年05月21日 | ハワイ音楽の歴史

「I'll Remember You」や「Lahaina Luna(正しくはLahainaluna・・・リンク先をご覧くださいね)」等私達にもなじみのある名曲を作ったクイ・リーは1966年12月にわずか34歳でその生涯を閉じました。

彼の癌が発見されたのはその前年のことでしたが、若かったことも有り転移が早く、翌年にはほとんど歌えなくなったため、彼のアルバムの歌声は病室に録音機材を持ち込んで行われました。
残念ながら彼の生前には数枚のシングル盤のリリースがあったのみで、本格的なアルバム「The Extraordinary Kui Lee」と「The World Of Kui Lee」の2枚

はいずれも彼の死後にリリースされました。

一方、彼の曲集を出版する動きもあり、かれの書き残した譜面を集めた出版社がそれぞれの曲のピアノ譜やウクレレコード図をアレンジしたうえで彼の死の翌年に二つの出版社から出版しました。


それぞれの曲集と収録曲目次をご紹介します。
まず「Music Of New Hawaii」です。

「Lahaina Luna」と「One Paddle, Two Paddle」はしっかりとハワイアン音楽のタイトルですが、それ以外はハワイ産のポップスの雰囲気ですね。

次は「My Hawaii」です。


こちらの曲集では「My Hawaii」だけがハワイアン音楽的なタイトルで、残りはハワイのポップスといった感じですね。

ところでこの2冊のいずれにもあの名曲「I'll Remember You」が入っていません。
その背景と思われるヒントが双方の曲集に残されていました。それは「著作権登録年」の表記です。

作曲家の作品の曲集(シートミュージックを含む)やレコードの出版にはあらかじめ音楽著作権の登録が必須条件なのです。これらの曲集を出版するにあたり、調べたところほとんどの曲が著作権登録がなされていなかったようで、急遽1966年から1967年にかけて全曲の著作権登録を実施したのですが「I'll Remember You」だけは彼がメインランドに居るときに作り、メインランドの歌手たちが好んで歌っていたためいずれかの歌手がレコードを出版する際に著作権登録をしたようで、この曲だけは1965年に登録済みとなっていました。
2冊の曲集を出版する際にこの曲の著作権保持者と交渉して収録することも可能だったはずですが、交渉しなかったのか交渉が難航したかは不明ですが結果として収録されなかったようです。

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ここから「Where's My Loveのナゾ」へと話題を進めましょう。
上記「My Hawaii」曲集には「Where's My Love」という曲が収録されています。(譜面クリックでメロディーが出ます)譜面「サビ」の部分のコードDm/C7 Dm/C7はこの譜面をアレンジした人物かクイ自身かは不明ですが間違いで、Dm/A7 Dm/A7とするべきでしょう。


これは私たちが知っている「Where Is My Love Tonight」と酷似していますが細かいところで違っていますね。(譜面クリックでメロディーが出ます)

クイ・リー夫人のナニの歌もこのメロディーですし(画面クリックで歌が聴こえます)

オータサンの演奏もこのメロディーです。(画面クリックでメロディーが聴けます)


なぜ私達の知っている「Where Is My Love Tonight」ではなく「Where's My Love」が出版されたのだろうか?が大きな「ナゾ」なのです。

以下、資料が全く入手できない中での「推論」ですが、背景としてクイ・リーの入院中はおそらく出版社は表立った動きはできず、彼の没後にナニ夫人の協力のもとに彼の手書きの楽譜を集めたと思われます。(・・・・と見てきたようなハナシですが・・・)

その段階で「Where's・・・・」が見つかったわけですが、出版社はこれをそのまま「Where Is・・・」のオリジナルとして収録しようとしたのか、「Where Is・・・」の譜面が見つからなかったためやむなくこれを収録したのか、「I'll Remember You」と同じように他社が「Where Is・・・」として登録済みだったため止む無く「Where's・・・」を収録することにしたのか・・・いろいろな可能性が考えられますが、いずれにしても両者は「同一」ではありませんので、ここではたとえ「Where Is・・・」の方が彼自身も納得した作品だとしても、その過程で「Where's・・・」というものが存在していたことを示す貴重な資料として残っているのはありがたいことです。

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「あとがき」として「推定」交じりで恐縮ですがちょっとだけ著作権について触れたいと思います。

日本でも米国でも音楽関連の楽譜、曲集、レコード等を出版するにはそれぞれの曲が著作権登録されている必要があります。もちろん民謡のようにもともと著作権の無いものや、著作権保護期間が終了したものは「PD:Public Domain・・・自由に使用して構わないもの」という扱いを受けますが、もう一つ「著作権維持手数料」を払わず権利を放棄されたものもPD扱いとなります。
この「著作権維持手数料」は私の理解では(違っていたらご指摘ください)米国の場合は著作権管理団体が複数あるためか権利保有者が毎年(たぶん)払い込む必要があるようです。
このため継続して著作権使用料が得られる見込みがない曲は出版後すぐに権利放棄をすることになるようです。
一方わが国には管理団体は一つしかなく、「維持手数料」は放送局やレコード会社、出版社等から収められる「著作権使用料」の一部を充てるので特に毎年の「維持手数料」を払う必要はないようです。

今回分かったこととして「I'll Remember You」や「Where Is My Love Tonight」が日本の著作権管理団体(JASRAC)ではPDとなっており、その他のクイ・リー作品の大半がPDどころか「存在しない」扱いになっているのです。
これを読み解くと、米国での権利保有者がレコードや曲集の出版直後に権利放棄をしてしまったこと、一方日本でもレコードが出版された上記2曲はその時はJASRACに登録されたのですが、その後、米国側が権利放棄したので自動的にPDという扱いになったと思われます。
そしてそれ以外の曲がJASRACに「存在しない」のは日本でそれらの曲が出版されなかったためではないでしょうか?


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