○アメイジング・グレイス。シェフ。
僕は、講壇の真ん中で、2本のマイクの前の椅子に坐っている。肩から吊るしたギターを、左腕と右腕の間に挟んで、太腿で支えている。首からは、ハーモニカを吊るしている。 「母さんの歌」を歌い終わって、会場一杯に拍手が鳴り響いている。3列目の、おばあちゃんは眼を潤ませて、ハンカチを持ったまま、拍手している。
「次の曲は、アメイジング・グレイス。英語と、日本語いっぺいバージョンで」
あかべら、で、歌い始める。 「アーメー ヅィン グレェース ハウ スウィートゥ♪・・・・・・・・・
途中から、ギターの弦を弾く。ポロロロロン ポロロロオン・・
一番だけ、歌い終わって、一平日本語バージョン、を歌う。「ぼくの こころに ひびく こえ、ぼくの くだけた こころ♪・・・・・
歌いながら、つい先ほど、礼拝堂に戻ってきた時、腹の底に響いた、宮田さんの吹いたホルンの響きが、頭の中で、聞こえた。低音の太い、ゆったりとした響き。宮田さんは、左側、最前列に坐って、僕の歌声を聞いている。時折、宮田さんと眼が合う。そのたびに、宮田さんは、うなずいて、首を、軽く立てに振る。
歌い終わって、すぐ、ぼくは、拍手が鳴るか鳴らぬ間に、語り始める。
「僕は、28才の頃、悩みのどん底にいました。ふと、教会の礼拝堂から聞こえてきた歌声が、僕の傷つき折れてヒリヒリ痛む心に、染みてきました。一年ほど、教会に通うようになりました。日曜日、賛美歌を歌い、祈りました。すると、眼が潤み、涙がこぼれ、不思議にも、僕の心の、痛み、がスーッと消えました。でも、一日もすると、また、心が、ヒリヒリ痛みました。また日曜日、賛美歌を歌い、祈りました。また、涙が溢れ、痛みがスーッと、消えました。2年後、牧師さんが、洗礼を受けませんか、と薦めてくれた。
歌って、祈る。聖書の言葉を、聞く、読む。僕の心の中に、スーッとはいってきました。そして、心が、元気を取り戻しました。
ある時、教会の末席にいつも坐っている、片足がなく、片目が潰れた白髪の老人が、僕に、聞きました。君は、これからの人生の海を、神あり、として泳ぐか、神なし、として泳ぐか、そのどちらかね? と。僕は、それまで、神あり、なし、を考えたことがありませんでした。老人は、続けました。 君、神あり、にかけて、これからの人生を泳いでみなさい。神なし、に賭けるか、神あり、に賭けるか・・・。どちらかだ。・・・。
祈り、歌うと、心の痛みが、スーっと消えて、心が元気になること。牧師さんが薦めてくれたこと。老人の、神あり、に賭けなさい、の言葉で、2年後、30才のとき、神あり、に賭けて、海に飛び込みました。あれから、31年。今、僕は、アメイジング・グレイス、を歌えて、嬉しく思います」
僕は、喫茶店で考えた、台本にはない《語り》を、長々していた。次の歌は、「夢見る人」だ。礼拝堂の壁にかかっている時計が見える。
3:06pm を差している。始めたのは、2:50pm。後、14分。
「次は、僕が、学生時代、うたごえ、をやっていた頃の歌で、イムジン河」
ハーモニカで、前奏、 同時に、ギターでポロロロン伴奏。
歌いだす。
♪「イムジン河 水清く 静かに 流れ行く・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・とうとう流る」
僕は、「夢見る人」をやめた。母さんの歌、を3番まで歌っちゃった。アメイズングの語りが、長かった。よし、次は、「千の風になって」だ。語りは短く。
「自分の大切な人を失ってしまった人に、この歌を贈ります。
♪わたしの おはかのまえで なかないでください そこに わたしは いません ねむってなんか いません、せんのかぜになって せんのかぜになって あの おおきなそらを ふきわたっています・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪」
「最後の歌になりました。61歳の僕が、弾き語りを、本格的に始めたのは、26才の青年と、2年前、路上で知り合ったのがきっかけでした。その青年を、僕は、僕の師匠だ、と思って、精進しています。その青年、工藤慎太郎さんの歌、シェフ、お聞きください」
僕は、深呼吸をして、師匠の歌を、歌った。
《前奏》-ハーモニカとギターの共奏。
《ギターでの弾き歌い》-慎太郎がイタリヤ料理店でアルバイトしてるシーン。シェフから励まされる。夢を捨てちゃいけねーぞ、と。
《中奏》-ハーモニカとギターの共奏。
《ギター弾き歌い》-二人の子供と奥さんを、優しく見つめながら、シェフが、さびしそうに慎太郎に言う。生き方に、レシピは、ねえんだよ。雨にも、風邪にも、負けない心を持て!と。慎太郎、あれ、歌ってくれ・・・。
《後奏》-ハーモニカとギターの共奏。前奏と、若干、音を変える。
ハーモニカの、糸のような音色。ギターの弦の、流れ星のように消える音。イタリヤ料理店で働く、若き、歌手志望の、無名の青年、と、人生半ばまで来た、シェフ。頭の中は、慎太郎とシェフが浮かんで、二人の、シーンが浮かんできて、観客は、見えなかった。また、歌うことで、必死だった。
歌い終え、後奏を終えた時、トンネルから出た時みたいに、突然、目の前に、観客が、パッと現れた。そして、拍手の音が聞こえた。僕は、立ち上がって、お辞儀をした。拍手の音が大きくなって、怒涛のようになった。僕は、ギターを肩からはずし、ハーモニカも首からはずして、手に持ったまま、また、お辞儀をした。
最前列に坐っていた宮田さんが、席を立ち、講壇に昇ってきて、僕のところに来て、
「音 一平さん、ありがとうございました」
と言って、握手を求めてきた。僕は、ギターとハーモニカを椅子の上に置いて、右手を出して、宮田さんの手を握った。
夢のようだった。礼拝堂で、弾き語り、歌えた!大役を、果たせた!
控え室の部屋に戻って、ギターケースに、ハーモニカや譜面をしまいこみながら、夢のまた夢が、実現しちゃったことに、僕は驚いていた。ドアが開いて、中年の女の人が、お疲れ様、ありがとうございました。素敵でしたよ。お茶をどうぞ、と言って、冷たい麦茶を持ってきてくれた。