We shall overcome その4
僕は、30才の夏、
アメリカ合衆国を1ヶ月余り、
教会めぐり、の旅をしました。
1週間ごとに、
教会員の1家庭に滞在しながら、
アメリカ大陸の北部を、
東から西まで旅しました。
サンフランシスコー(飛行機)ータコマ
ー(飛行機)ーボストンー(電車)
ーニューヨークー(電車)
ーフラデルフィアー(電車)
ーワシントンー(大陸横断鉄道)
ーデンバーーサンフランシスコ
アメリカ人牧師宅、
白人家庭、ドイツ系白人家庭、
黒人家庭、と5つの家族に
お世話になりました。
ほとんど、ボランテイアで、
僕を滞在させてくれました。
毎週日曜日には、
教会に行きました。
そこで、僕は、10分間の
スピーチをしました。
「Why I became a Christian」
という題の。
僕は、日本の僕の教会から、
青年会として
研修派遣されたのでした。
1975年、昭和50年です。
当時、カーター大統領が、
次の大統領候補として、
全米を演説で回っていました。
僕は、ニューヨークでは、
ジャージーシテイーの
黒人家庭に滞在しました。
医者の家庭でした。
そこで、びっくりした事が
あります。
それは、リビングルームの、
壁一面に、
2人の男の大きな写真が
飾られていました。
畳2畳の大きさの写真。
ドア2枚分の大きさの写真。
床から天上までの高さ。
1枚は、キング牧師。
1枚は、ケネデイ大統領。
2人、並んでいました。
日曜日、教会の礼拝の後、
黒人家庭に招かれました。
どこの家庭にも、
2人の写真が、
それも等身大の写真が、
飾られていました。
黒人の人々にとって、
キング牧師と
ケネデイ大統領が、
どれだけ大切な大切な人、
であるかが、
その時、わかりました。
ケネデイ大統領が、
暗殺されたニュース!が
テレビ画面に
流れたのは、僕が18才、
高校3年でした。
朝早く、臨時ニュースが
流れたのを覚えています。
"Ask not what the country
can do for you,
but ask what you can do
for the country"
「国が、あなたに、何をしてくれるか、
を問うのでなく、あなたが、
国のために、何が出来るかを問おう」
のケネデイ大統領の就任演説
を、僕は覚えたものでした。
ケネデイ、42才。僕、16才。
ケネデイは、黒人差別撤廃を
訴える声に
本当に耳を傾けました。
ケネデイが暗殺された翌年、
人種差別撤廃法案=
「公民権法」が現実のもの
となりました。
黒人の人権が認められました。
「黒い肌の子と白い肌の子が
同じ机を並べて勉強が出来る
のです」
1964年。
We shall overcome someday
の、someday が、today と
なった年でした。
なんと、ケネデイは、44才でした。
キング牧師も、その4年後、暗殺
されてしまいました。
あの黒人家庭のリィビングに
並んでいた、大きな2枚の写真。
キング牧師とケネデイ大統領。
2人とも、若くして、暗殺された。
悔しく悲しい。が、
僕らの心の中で、
永遠に生きるだろう、
と、思う。
We shall overcome !