オリンピック、あと2日で、開会式。
僕は、感慨深い想いで、この時の中にいます。
世界中がコロナ禍の今。
この状況の中で、開催する、世界のスポーツの祭典。
人類が直面したことがない、未曽有の世界的規模の病ウイルスの流行。
病ウイルスへの対応だけでも、大変な状況だ。
其の状況で、開催に踏み切った我が国。
不安で、いっぱいだ。途中で、「中止」もあるかもしれない。
しかし、やり遂げられる、気もする。
やりきった時、世界は、日本を称賛するだろう。
歴史的快挙だ。人類の英知の勝利だ。
まだ、わからないが、僕たちは、歴史の証人になれるだろう。
「中止」か「やり切れるか」。
前回の ≪東京オリンピック≫ は、57年前だった。
僕は、19才。大学1年の10月だった。
夜間部に通っていたので、
翌年の春に、昼間部への転部試験を控えていた時だった。
昼間部へ変われる、最後のチャンスの転部試験だった。
浪人のような立場の僕にとって、
これからの人生が、どうなるか、まったくわからない世界にいた。
そう、オリンピック、どころではなかった。
テレビで、競技を見た記憶は、まったくない。
僕は、かや、の外、にいて、遠くから、世界を見ていた。
オリンピック、という世界のスポーツの祭典とは、余りにもかけ離れた世界にいた。
今、僕は、
2日後に、始まる ≪東京オリンピック≫ を、
すべて、自分の眼で見届けたい、と思う。
僕は、今、76才。
大学を卒業して、高校教師を30年勤めた。
社会人として、存分に仕事をした。世の中を、見聞した。
それから、20年は、
小説家を目指して文章修行を続け、ギター弾語りを、人様に届けている。
今の僕は、19才の時の僕とは、まったく違う。
この ≪東京オリンピック≫ は、僕の、すぐ目の前にある。
すぐ目の前にある、世界のスポーツの祭典、だ。
世界的流行の病、コロナ禍で、人類が初めて直面している、スポーツの祭典
に立ち会えることに、深く感謝して、テレビで、人間の極限の技を見たい。
そうだ!
57年前、の ≪オリンピック≫ で、たった一つ、覚えていることがあった。
それは、
金メダルを取った、女子バレーボールの、東洋の魔女、と、大松監督だ。
転部試験が、確か、2月の下旬だった。
試験の3か月前の、12月の末、に病で伏せていた父親が僕に、一冊の本をくれた。
『俺についてこい!』大松監督。
パラパラめくっていたら、涙が出てきた。
仕事を終えてから、夜遅くまで、練習に打ち込む女子選手たち。
僕と同じ世代の選手たち。血のにじむような、日々の仕事と練習。
回転レシーブで、脚は、あざだらけ・・・・。
大松監督の、必死さ。情熱。それにこたえる選手たちの涙。
僕は、この本を読んで、励まされて、
試験委向けての最後の追い込みができたのでした。
翌年の春、
合格発表の掲示板に、僕の受験番号が、
あ っ た の です!!
57年前の、僕が、いとおしい。
自分が、世の中で、ちゃんと生きてゆけるのか?
不安の真っただ中に、いた僕。
今、19才の君は、
この未曽有の ≪スポーツの祭典:東京オリンピック≫
を、どんな心境で、眺めていますか?
あのころの僕。
18才。
19才。