一平のペンとギター

僕らしい小説を書き、僕らしい歌をうたう、ぞ♪、ペンとギターの一平です。ギター弾き語りと小説書きの二刀流。

メールの効用

2005-10-24 02:54:02 | Weblog
 昨年の秋だった。母校の早稲田大学の「ホームカミングデイ」に出かけた。
昨年は、僕が教育学部英語英文科を卒業して35年目にあたる。ホームカミングデイというのは、卒業後25年目の年に大学が卒業生を大学に招待し、旧交を暖めてもらおうとの企画だ。25年目の次は、10年後の35年目、その次からは5年ごとに続く。
10年前にも僕は参加していた。その時は、学部学科別に教室が割り振られて、英語英文科の連中と25年ぶりに会った。昔のように、教室の机に座って、ひとりひとり自分の25年の人生と近況報告をした。150名ほどの卒業生の3分の1の50名ほどが集まった。全国から集まった。その場の流れで、僕は、その場に集った50名のまとめ役になってしまった。後日、参加者の「一言と近況」集を、F1組だったK君とF2組だったS君とF3組だった僕、とで作って、皆に送った。
 あれから10年経って、昨年、また大学へ出かけた。
が、広い講堂に卒業後35年目の全学部卒業生が一同に会し、セレモニーだけだった。500人ぐらいいた。誰にも会えずじまいであった。講堂出口に、昭和45年卒業年次稲門会を設立するので、幹事ができそうな方は○印を、という案内があった。
僕は、○印を付けた。10年前のような形式をなぜやめたのか、腹が立ったからだ。
こんな形式だけの集まりなら、来なかった。そう、思った。
 ○を付けたことは、すっかり忘れた頃、一通の案内が来た。
「早稲田の大隈会館にて、第1回幹事会の顔合わせをします・・・」
後悔先に立たず、行ってみるか、と出かけたのが、今年の春、3月だった。
 それから、月1回、幹事会に早稲田に出かけた。
今、10月。来月6日、設立総会・親睦会を開くところまで来た。
 
 この7ヶ月、幹事を務めてよかったことがある。
それは、メールという通信手段の効用、を体験したからだ。
12名、幹事がいる。月1回、顔を合わせるだけだが、メールの交換ができるので、
いつでも、幹事同士の意見交換ができた。資料も、各自プリントアウトすればよい。現代社会におけるIT技術が、こんな風に利用できることが実体験できたことだ。ネットやメール、の通信手段は、利用の仕方によっては、人と人を結ぶ素晴らしい道具になるということを。(一歩間違えると、人と人を引き裂く道具にもなるけれども)
 筆、とペン、に加えて、パソコンの利用の仕方を知った。あり難い。

 おまけの恵みもあった。
それは、親睦会で、グリークラブの現役学生17名と僕のギター弾き歌いのコラボレーションが、思いがけず、やることになったこと。夢のようだ。本当にやりたいことは、心に秘めて、あきらめずにいれば、そのチャンスはめぐってくるんだな、と今思える。
 ♪「なごり雪」「見上げてごらん夜の星を」「遥かな友に」の3曲。
どんなハーモニーが作れるか、わくわくする。
師匠の慎太郎に聞いてもらいたいけれど、彼は、それどころではないだろうな。
いや、いつかまたある、そういうときが。まだまだ・・・♪

 
 
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光陰矢の如し?

2005-10-21 17:54:04 | Weblog
 毎日、刻々、その時は必死なのですが、過ぎてみると、あっという間に10日がたっていました。「光陰矢の如し」とは、過ぎ去った時間のことをいってるのかなあ、とこの頃思う。
 自作の作品を、読書仲間の方が読んで下さり、丁寧な批評を手紙にしたためてくださった。しっかり受け止めて、どこをどう変えたらいいのか、と机に向かえども、なかなかはかどらず、時間だけが過ぎ去る。途中で放り出したままになっている。もう一度、仕切りなおして、取り組もう。

 人様の前で、弾き歌う機会に恵まれた。10日後、と、16日後。
聞いてよかった、と感じていただくように、練習しておこう♪

 プライベート通信
10月18日は、新井清三郎叔父の命日。その日、鎌倉の円覚寺続灯庵で13回忌
の法要がありました。叔父より先に召された種子叔母の法要もかねて。
幹夫さん夫妻、娘さんの裕子さん、和夫さん夫妻、みのりさん夫妻、徳子さ ん、あきらさん、のりこさん(?)と僕と妻の12人。雨の中、叔父叔母のお墓  の前で、感謝のお礼を心で述べ、手を合わせました。
 僕は、中学二年のとき、(14歳)一年間、東京の雪谷のお宅で、居候させて  いただきました。息子さんの幹夫さんは東大生でした。彼はその後、NHKの  記者になり、海外特派員をされ、今は退職されている。一仕事を終えて、第2  の人生を歩んでいる者同士、話が弾みました。新しい出会いでした。
和夫さんは消防庁を退職後、水墨画を書いている。みのりさんは、朗読の会に  入っている。徳子さんは、大正琴を教えている。兄貴がいない僕には、兄貴が  できたような気がしました。叔父さん叔母さん、ありがとう。
  
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この1ヶ月

2005-10-11 06:19:09 | Weblog
 この前、ブログを開いて、書き込んでから、1ヶ月経ってしまいました。
蒸し暑い風の中に涼しさが感じられた頃でした。今は、涼しい風の中に冷たさが感じられ、夏は、遠い昔のことのようです。
 
 この1ヶ月を振り返ってみます。

●一平のペン

 ■ある出版社の文学「賞」に、応募しました。
400枚の小説です。タイトルは「失恋物語」3部作。
1話、初恋ー「黒い瞳」・2話、蹉跌ー「水面の月」・3話、愛ー「巾着袋」
結果発表は12月。まだ、小説としては未熟だけれども、挑戦しました。
3年前に書き始めたものを、ひとつの形にしてみました。

 ■講演会に行きました。
港の見える丘公園にある近代文学館。辻原登氏が、自作「枯葉の中の青い炎」という作品」について語る、という講座。
 面白かった。参考になった。創作の舞台裏を見せていただきました。
流石、これが、本年度「川端康成賞」作、なんだ、と唸ってしまいました。
 白系ロシア人スタルヒン投手が300勝を上げた試合の話。
1回から9回までの試合を実況描写しながら、そこに、スタルヒン投手の生い立ち、ススム・アイザワ投手の生い立ち、出会い、友情、魔法・・が描かれ、なんと、スチーブンソンの伝記小説「光と風と夢」や「山月記」を書いた、中島敦も登場する。場所は、西京極球場のマウンドから、ロシア、南洋の小島へ広がり、時は昭和30年から、明治時代までさかのぼる。45頁。

 その会場で、偶然、再会した人がいました。
藤沢周、という小説家です。びっくり仰天しました。
二年前、やはり、その会場で、藤沢周氏が、自作「箱崎ジャンクション」について語る、という講座に僕は出ました。講座が終わって、近代文学館長の中野孝次氏や
館員の方、藤沢周さんの、鎌倉の仲間の人たちで、中華街で飲み会がありました。僕も、飲み会に参加しました。2年前、その飲み会で、僕は周さんと知り合いになったのでした。辻原氏の講演が終わって僕が、出口へ歩いてゆくと、出口のところに立っている青年がいました。藤沢周さんでした。僕のことは、覚えていらっしゃらないだろうと思いましたが、僕は、声をかけました。周さんは、辻原氏の「枯葉の中の青い炎」について、ある雑誌で評を書いたそうです。辻原さんからお手紙を頂き、そのお礼もかねて会場に来て、講座を聞かれた、とのことでした。
辻原氏の控え室に周さんが行くとき、僕を誘ってくださいました。
周さんと辻原さんと出版社の方と館長さんの5人で30分ほど話しました。
周さんが、「私はこれで失礼します」と席を立ったので、僕も控え室を周さんと一緒に出ました。辻原さんにも挨拶をして。
 それから、周さんと中華街まで坂道を歩いてゆきました。
そして、ある中華料理店に入り、周さんとビールを飲み、語りあいました。
 周さんは、芥川賞作家で、若手作家のホープ、45歳。
 僕は、まったくの駆け出し無名作家志望の老人一歩手前、60歳。
でも、まったく、有名無名、年齢、を感じないで、巣で話せるのです。僕は。
周さんは、気配りのある、謙虚な人です。彼は、どうだったのでしょうか。
1時間余りがあっという間でした。
思いがけず、素晴らしい出会いに恵まれ、夜空の星に思わず感謝してしまいました。周さん、ご馳走様。
 腕を磨こう!と夜空を仰いで中華街を後にしました。

 ■読書会に出ました。
 桜井邦明著「夏が来なかった時代」という本の読書会。
地球物理学者の桜井氏。太陽光線の話。浅間山が噴火した後、火山灰が、成層圏 に5年も漂い、それが原因で地球の気温が下がり、小氷河期となった・・・というような話が盛りだくさん。暖かさ、涼しさ、冷たさ、寒さ、をこんな風な視点から考えたことはなかったなー。

 ■吉屋えい子作「青いブランコ」(童話)を読みました
「二十四の瞳」「兎の眼」とは、一味違った、でも共通する心があった。
 いい話だな。
 社会人読書会現代文学の窓、代表の高橋さんから借りた本。
 桜井邦明氏の講演会で、高橋さんが、吉屋さんを僕に紹介して下さった。
 その時、吉屋さんが本を一冊下さった。もう一度読もう。

 ▼書き始めた作品を、そろそろ書着始めよう。タイトルは決まっている。
  「そよ風が吹いた」


 
●一平のギター引き歌い

 ♪ street、ストリート、路上で一人ライブが何とかできるようになった。
   4回やった。10曲ほど。
 僕が色紙(しきし)に筆で書いた「書」を路上に並べて、歌う。
 僕の書いた「書」を3人の人が買ってくれた。
 「歌」も「字」も、「心」からこぼれ出るようでありたい。
 
  慎太郎師匠のように弾き歌えるようになろう。なるべく、外出するときは
 ギターを担いで出ることにしている。どこでもいつでも弾き歌えるように。


 ♪ 社会人読書会現代文学の窓の一泊読書会(湯河原)にギターを持っていっ    た。
 そこで弾き歌ったら、ある50周年記念講演会のパーテイーで、弾き歌いを頼ま れた。
 先日、弾き歌った。
 「庭の千草」「エデンの東」「見上げてごらん夜の星を」「なごり雪」
 「船頭小唄」「竹田の子守唄」「遥かな友に」「ともしび」「故郷」
 「蛍の光」
 最後の4曲は会場全員の合唱だった。

 
 ♪ ひょんなことから、早稲田大学のグリークラブの現役学生17人と
   僕のギター弾き歌いがコラボレーションすることになった。11月6日。
 早稲田大学大隈ガーデンの小ホールで。
 夢のような話だ。楽しみだ。早稲田のグリクラブは1902年創部。
 伝統ある合唱団として、格も高い。ふさわしく弾き歌えるよう、しっかり練習す るべし。3曲。

 
 ♪ 北上夜曲歌唱コンクールは出場申し込みしましたが、事情ができて辞退。
   来年、に賭けることにしました。

 
 ♪ 町内会の文化祭のステージで、弾き歌い、をすることにしました。
   5曲ぐらい。10月30日。常盤台小学校で。町の人たちに、歌声を届けよ   う。


この1ヶ月の僕の「ペンとギター」の旅でした。

 
 プライベート通信
 ○10月18日、鎌倉の叔父叔母の法要があります。
  こじんまりやる、とのことで 息子さんの幹夫さんから連絡があり、
  僕が代表で出席してきます。円覚寺で。
  
  
 

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お知らせ♪

一平のギター弾き語り。 日時・場所など。  2015年9月19日(土)2:00-4:00pm ふれあいコンサート・ギター弾き語りライブ・相鉄線星川駅下車徒歩3分。保土ヶ谷区役所前。「クレヨン」2:00-4:00pm ゲスト:アルトサックス奏者:おすぎ君 初秋の人生の歌など♪