●70才の、歌が大好きな、スナックの老マスター
僕の住んでる町の駅から二つ目の駅に、焼き鳥屋、がある。そこの、レバー、が分厚くて、ボリュームがあり、美味い。思い出したように、年に2回ぐらい、食べたくなる。始めて、店に入ったのは、25年くらい前。
昨年の晩秋のある日の夕方だった。
書いている小説が一段落した。そんなとき、ふらっと、何処かへ、あてもなく行きたくなる。なぜか、ふと浮かんだのが、あの 「レバー」。
「あのレバー、食いたいなー」 仕事場の小さな書斎を出てリビングに行った僕は、ソファーで新聞を読んでいた妻に、呟いた。
「じゃ、行きましょうか」
という訳で、電車に乗って、その焼き鳥屋さんへ出かけた。
ボリュームがあり、分厚いレバー。甘いたれ。ちょっとしょっぱい塩。この2種類、に燗酒。レバーの串を5,6本も食べれば、腹いっぱいになる。風邪が冷たくなり、冬が、すぐそこまで来ていた。酒が、腸に沁みる。
店を出て、妻と、何処へ行くでもなく、ぶらりと、駅前のなだらかな坂道を降りていった。坂道が終わって、平坦な道になった。何度か、歩いたことがあった道だった。ふと右手を見ると、つたが絡まった小さな喫茶店のような建物が目に入った。窓はステンドガラス。前にも、見たことがあった。が、通りすぎるだけだった。
その日に限って、あの店は、どんな店かな、と思った。近寄って、看板を見た。「リバーサイド」と書かれている。耳元で、かすかに、サラサラ、音が聞こえる。水が流れる音。道路沿いに、ひっそりと、小川が流れていた。こんなところに川が・・。
「どんな店、かしら?」妻が言った。「のぞいてみたら」と付け加えた。僕は、ステンドガラスの向こうを、覗いて見た。長いカウンターがあった。ウィスキーのビンが、棚に並べてある。客はいない。
「入ってみよう」 僕たちは、ドアを開けた。
スナック、バーだった。外国映画に出てくるような感じの店。客は、僕と、妻だけ。ウィスキーを飲んだ。バーボン。3杯目だった。
カウンターの中で、僕達を接待する中年の女性が
「歌は。どうです?」と言って、カラオケの本を持ってきた。
「歌は、お好きですか?」
「はあ、大好きです。路上弾き語り、してます」
「あら、歌ってください、な」
僕は、立て続けに、《月の砂漠》、《君を忘れない》、《千の風になって》、《シェフ》、を妻が1人でそんな・・・!と途中で止めるのを振り払って歌った。歌い終わって、3杯目のバーボンをゴクリとやった。
「あなたの弾き語りが聞きたいですわ」と、その中年の女性店員が言った、その時、店に、蝶ネクタイをした黒のスーツを着た僕と同じくらいの年恰好の男が店のドアを開けて入ってきた。
「あら、マスター、お早いじゃない。お帰りなさい」女店員が言った。その男は、「やー、店周りもつらいねー」と言った。
自分の店では、一切飲まない、という。人の店に行って、飲んで歌ってくる、という。それが、習慣みたいになっちゃって・・と。店は、40年、やってきた、と。僕が61だから、僕が、21才のときからだ。なんと、僕と同じくらいか、と思ってたら、10才も上だった。肌もつやつやして、元気はつらつ。髪も黒い。若い。歌が大好きで、昔は、この店にプロの歌手を呼んだ、と。当時の金で、30万くらい払ったこともあった、とか。
「このお客さん、路上で弾き語りをなさってる、ンデスって。歌、味があって、よ・・・」と、中年女性店員が、マスターに言った。
それから、話が盛り上がっちゃった。中年女性店員が、あの、千の風・・・って言う歌、も一度、聞かせてください、と言った。僕は、歌った。
「この店で、早い時間なら、ギター持ってきて、歌ってもいいですよ。練習のつもりで、やってください」
と老マスターが、僕に言ってくれた。
あの、レバー。そして、ステンドガラス。リバーサイドという看板。小川。バーボンと歌。
その晩、二人は、すっかり、いい気持ちになって電車に乗って、帰ってきた。
それから一週間後のある夜、僕は、あるライブハウスでの出演の帰りに、ギターをもって、リバーサイドに立ち寄った。
9時過ぎで、客も、結構いた。若い客が多かった。マスターが、一平さん、ちょっと、弾き語りを聞かしてくれよ、という。そのつもりで、来たのだった。若い人が多かったので、僕は、僕の師匠の曲、「シェフ」を歌った。そして、わが師匠、工藤慎太郎のことを客に話した。「シェフ」は、若い人たちに好評だった。嬉しかった。
店を出る時、
「この、《シェフ》、と、《千の風になって》、を、隣の駅のコンコースで月に一回、ある人がやっている駅構内コンサートで、来週の日曜日、午後一時から、僕が出て歌います。是非、聞きに来てください」
と、マスターや、お客に、僕は言ったのだった。
その駅は、僕が「ギター弾き語り」を始めるきっかけになった場所だった。2年前の冬の夜、駅近くの歩道橋で、ひとり、弾き語りをしている青年、の前を僕は通りかかった。塾の講師のバイトの帰りだった。誰も聞いていなかった。僕が、彼の前を通りかかった時、僕の耳に飛び込んできた「やわらかく透き通った歌声とギターの切ない響き」、が一瞬、僕の心にしみこんできて、僕は、足を止めていた。じっと、僕は、その青年の弾き歌い、に酔いしれた。そして、思った。
《この、弾き歌い、が僕が、求めていたもの、だ》と。
僕ひとりの客に向かって、一生懸命に弾き歌い、終わった青年が、こう言った。
「この先の、ライブハウスの店で、僕のライブをこれからやるんです。聞きにきませんか?」
僕は、躊躇することなく、うなずいて、彼の後に従った。そのライブの後で、マスターが一平さんも、何か歌ってください、と言った。そこで、歌ったのが《神田川》とか《なごり雪》だった。僕は、その青年と、友達になった。その後、何度か、そのライブハウスの店での彼の弾き語りを聞き、また、歩道橋での路上ライブでは、僕も、ギターを持ってゆき、一緒に歌ったりもした。時には、一平さん、どこかいい歌う場所この辺にないですかね、の彼の質問に、ここなら、改札から出てくる人が必ず足を止める、と僕は思い、彼と改札口を出たところのコンコース(駅構内)で、二人並んで、弾き語りを始めたことがあった。一曲、歌い始めたら、駅員さんが、飛び出してきて、ここではやめてください、といわれて、早々に退いたことがあった。
始めて、青年に会ってから、半年後、僕は、そのライブハウス店で、僕の初ライブ、をした。
青年が、前日から、僕の家に泊まってくれて、10曲ほどのリハーサルをした。僕のギターの腕では、お金は取れないから、ギター伴奏は彼がしてくれることになった。僕が考えた、プログラムを、修正もしてくれた。彼との、コラボレーションの《なごり雪》。彼の、独演《声をなくして》。日曜の午後1:00から3:00までの、生まれて始めての、弾き語りライブ、が出来た。僕は、あの、歩道橋で出会って以来、僕のギター弾き語り、の師匠は、この青年しかいない、と思って、やってきた。
その青年は、2年後、《シェフ》でプロデビューした、工藤慎太郎さん、です。彼は、26才。僕は61才。
さて、リバーサイドで、マスターやお客に、僕が出演すると伝えた隣の駅のコンコースは、2年前、慎太郎師匠と歌って駅員に退去を言われた場所だ。師匠が連れて行ってくれ、僕も初ライブをやった店、のオーナーが、駅と交渉して、今年から、月一回第3日曜日の午後、3時間、コンコースライブを始めたのだった。
昔、まだ無名の慎太郎師匠と、二人並んで、歌い始めたら、駅員に、やめてくださいといわれた、その場所!
そこで、歌える。師匠と一緒に歌いたいが、師匠は、忙しい。その日、ラジオ出演がある。でも、夢のよう・・・・。
しかし、店のオーナーから、出番の時間など、連絡が全くないので、電話をしたのが、ライブ4日前だった。
「一平さん、申し訳ないけど、出演者が多くて、次回にしてもらいたいんだけど・・」
という答え。
目の前が真っ白。奈落の底に突き落とされた気分。がっくり。涙が出てきた。悔しい。コンコースで、僕の出番ありますか、と僕がオーナーに聞いたとき、一平さん、に歌ってもらうよ、と、確かに言ったじゃあないか!エーイ、くそ!
僕は、2,3日、落ち込んだ。日曜日になった。コンコースには行くもんか、と思った。ライブ開演時間の1:00pm。家で、ソファーに横になって、うとうとしてた。
2:00。2:30.3:00pm。
ふと、思った。こっそり覗いてみよう。師匠と並んで、4,5分だけライブをやった、あのコンコースを。そおっと、わからないように、覗いてみよう・・・。と。
僕は、何も持たずに、ジャンバーを引っ掛け、野球帽をかぶって、電車に乗った。確か、4:00までだ。
僕が、その駅に下り立ち、改札口へ近づいたとき、バンド演奏する大きな音が、構内に響いていた。マイクが3本立って、三人の男が、エレキギターを持って、歌ってる最中だった。3人とも、僕と同じくらい、いや少し若い年恰好だった。
僕は、両手をポケットに突っ込んで、野球帽を深深とかぶり、改札口を出た。エレキの爆音が顔にあたった。僕は、そおっと、バンドを取り囲んでいた群集の中に立った。なんと、7,80人はいる。
ここで、歌えるはずだったのに・・。歌いたかった!
演奏が止んだ。今歌っている男達の紹介を、メンバーがしている。
昔、「・・・・-ズ」のメンバーだった、・・・さんですー。と。テンプターズ、だか、なんだか、「・・・-ズ」だけ聞こえた。若い頃、売れっ子だったシンガーらしかった、が僕は知らなかった。次のメンバーは、松田勇作の曲を作った、・・・さん。
ヘー!すごい人がでてらー。僕は、びっくりした。
僕の出番は、まだないんだな。昔鳴らした人を一杯知ってるオーナーだから、僕は、末席の末席なんだ、な。昔、鳴らして今、僕ぐらいの年齢のミュージシャン達が、多い。僕は、今始めたばかり。昔の栄光か・・・。
僕は、かぶってた帽子を脱いだ。素の僕になって、見回した。オーナーがいた。店の、僕を知っている店員の顔が、いくつかあった。僕にきずいてもいいや。黙って、帰ろう、と思った。
と、その時、僕の背後で、声がした。そして、僕の肩を、ポンと軽く叩いた人の気配がした。
「一平さん、やっと会えた。いつ出るか、いつ出るか。と一時から待ってたんだけど、出ないし、あの係りの人にも聞いてみたんだけど、わからないし・・・いや、会えてよかった。そろそろ帰ろうと思ってたんだよ。一平さん」
なんと、リバーサイドのマスターだった。隣には、小柄な美しい老婦人がいた。
「あーー、すみません。急きょ、出場できなくなってしまったんです」僕は、平謝りに謝って、でも、嬉しかった。僕の、弾き語りを、聞きに来てくれたんだから。
「来て下さって、本当にありがとうございました。今度、やるときは、必ずお知らせします。こういう事がないようにします。ありがとうございました」
「あの、それから、これ、店にこの間、忘れたでしょ」
マスターの手に、僕のマフラーが乗っかっていた。忘れたことにも、きずかないほど、あの晩は、よったのか。
「この《シェフ》と《千の風になって》、駅のコンコースで、僕歌いますから・・・」と言って、店を出たのだった。
これから行かなきゃ行けないところがあるので、わたしはこれで、一平さん、と言って、老マスターは美しい御婦人と腕を組んで改札に消えた。
やがて、演奏が終わった。店のオーナー、駅長が挨拶して、終わった。僕は、三々五々散ってゆく人々の中にいた。人の群れの中に、僕への若い女性の視線を感じた気がした。僕が、そっちを見ると、もう、視線を送っていた女性の歩く背中しか見えなかった。確か、リバーサイド店のカウンターの中にいた、僕がシェフの弾き歌いをした後、唯一、その歌知ってます、と言った、ハタチくらいの女の店員に、似ていた。あの女の子も着てくれたのかも・・・・・・・・。
数日後、リバーサイドに行った。マスターには、その日、あえなかった。最初に、妻と店に入ったとき、カウンターにいた中年の女性店員がいた。駅コンコース・コンサートの話を僕はした。マスターが、美しい奥さんと、来てくださったンですよ・・。と。
「あら、一平さん、マスターの奥さんは、もう、なくなって、20年くらいになるのよ。あれから、1人で、この店やって、子供の面倒を見て、来たのよ。その方、きっと、お客さんよ」