一平のペンとギター

僕らしい小説を書き、僕らしい歌をうたう、ぞ♪、ペンとギターの一平です。ギター弾き語りと小説書きの二刀流。

「一平のペン」

2006-08-30 11:40:38 | Weblog

     3年かかって、やっと書けた小説。

 僕の「人生の分かれ道」になった、と今思える、あの出逢い。
あの出逢いを、僕は何故、あのように優柔不断に生きたのか。今だに、自分で説明がつかない。何故。それを、もう一度、真摯に、見つめたい。そう思って、書き出したのだった。
 とにかく、がむしゃらに、小説の書き方もわからず、吐き出した。
書いては、かけなくなり、時間を置いて、また続けた。
書き溜めたものを、くっつけて、やっと、出来上がった。
3年かかった。原稿用紙、445枚。
 昨年、400枚分を、とにかく、ある賞に応募した。
1等賞は1000万。
一次選考にも引っかからなかった。

 もう一度、書き足して、推敲して、
僕の師匠に読んで頂いた。昔、芥川賞を受賞した老作家だ。
僕の作は、「小説以前」だ、と言われた。
自分史だ、と。しかし、作者にとって、大切で貴重な人生の証だ。
それは、大切にして、しまっておけばいい。
その証の中から、その材料の中から、素材を絞り、それを料理して、一品作る。
それが、「小説」です、と。
 
 やっと、小説、がどんなものか、ということが、見えてきた。
本気で、志して、5年目。
今、僕は、一山、登った、という感じだ。そしたら、新しい山が現れた。

 小説、を書こう。習作だ。

しかし、書きなぐる作業は、続けよう、と思う。
あの出逢いに始まった、僕の蹉跌の歩みの続き、を吐き出したい。
 あと、500枚。さらに、500枚。
数年かかる。

 作者と読者の間には、深くて渡れぬ「深い河」がある。
 作者と主人公、登場人物の関係。
 ・・・・・・・・
 ・・・・・・・・

自分史を書きなぐり、一品料理、の小説作品を作る、新たな旅に出ようと思う。 
  
 
 
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二つの出逢い。

2006-08-27 17:33:53 | Weblog
     ○出逢いーその1

 同じ町に住む隣人と立ち話をしていたら、先生をやめられたそうで、、、と僕に言う。
その隣人、家庭の主婦。結婚するまで先生をしていたらしい。今は、塾の先生や国際交流の仕事をしているという。町内の草刈りや町内会の当番などで一緒になったことがあった人。娘さんは、高校生、いや、もう大学生か。
「あら、英語の先生でいらしたんですか」
「はあ」
「私、今、英語で話しましょう、という集いをやってるんです。一度、どうですか?来週の水曜日、夕方7時、西口の、**センターです。参加費500円」
「忘れなかったら、ぶらり、ゆきますか」

 40代50代60代の男女5人。
テーブルを囲んで、しどろもどろで、英語で話している。
一切、日本語禁物。
昔使った刀を抜いてみた。自転車と同じで、慣れてくると、自然と口がすべる。
でも、簡単な日常会話はOK だが、込み入ったこととなると、聞き取れない、しどろもどろになる。
 不思議だ。
英語でしゃべると、自分が別人になったみたいな感じになる。
日本語じゃ、言えないことも、言えちゃう、みたいな・・。
でも、少し、恥ずかしいような、冷や汗が出るような、感覚がする。
そして、言いたいことの要点だけはつたえられるが、どうしてもつたえられない部分が残る。それが続くと、腹いっぱい食べた、という感覚がないまま、日々が過ぎてゆく、ような感じになる。
相手が話したことも、要点だけは聞き返して、わかるが、やはり、半分くらいは、わからない部分が残る。
このコミニケーションは疲れる。

 久々に、60分、英米人を演じてみた。
アメリカかイギリスで5年から10年くらい暮らして、英語という言葉にどっぷりつかってみたい、という情熱の炎は、今の僕の中では、消えて、煙が立ち込めていた。
 一緒に、僕と英会話を生徒たちに教えた、アメリカの Michael君、ニュージーランドの Rourence君、スコットランドの Richard 君 は、一度、訪ねたい。

 昔は、英語を生徒に教えるために、英語を勉強した。
が、今は、日本語を書くために、英語を勉強したい。
 結論をまず最初に言う English と、結論を最後の最後に言う、日本語。
 二つの思考回路。
 同じ、人間を、社会を、自然を、理解する、表現する道具としての言葉。
ふしぎだなあ! 
 
 町内で、ふとしたことから、英語と出会いました。
 一回きりの参加で、すみません。

        



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再会その2「老い行く人と」

2006-08-27 16:29:38 | Weblog
 ある温泉町にある病院。
入院生活して、温泉治療やリハビリの訓練や、手術などもうけられる病院。
そこに、僕のワイフのお父さんが、もう3年入院している。
ベッドに寝たきりだ。食事も食べさせてもらう。排便排尿は、車椅子に乗せてもらい便所に行き用を足す。
昨年、訪ねたときは、自分で歩けた。車がついた、テーブルにたってつかまり、歩く。
今年、訪ねたら、歩けない。それ以前の動作である「立つ」ことができなくなっていた。
 今年、84歳。
僕が、初めてお会いしたとき、お父さんは、64歳だった。
僕が今、61歳だ。あの時、僕ぐらいの年齢だったのだ。
あと、20年たつと、僕も、お父さんのようになる。
そう思うと、人事ではない。
このごろ、老い行く人に出会うと、やがて、僕も、ああなるのだ、と思う。
怖い。不安だ。
しかし、確実に、来ることだ。やがて、僕も、寝たきりになるだろう。
僕が、青年の頃、60歳といえば、全く想像ができない、別の世界だ、僕とは関係のない世界だ、と思っていた。
が、今、「その想像ができない、別世界」の真っ只中に僕はいる。
青年の頃と違うのは、今、僕は、20年後が、「別世界」だとは思わないことだ。
 「老いる」とは、想像力が増すこと、かも。
朝、目が覚めて、ああ、また1日、命を頂いた、と思う日を重ねて、その結果が、10年だったり20年だったり、するようでありたいと、このごろ思う。
 お父さんに、ギターで僕の下手な弾き歌いを、聞かせてあげた。
一日一日、年令を重ねるごとに、一日の密度が濃い時間にしたい。

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お知らせ♪

一平のギター弾き語り。 日時・場所など。  2015年9月19日(土)2:00-4:00pm ふれあいコンサート・ギター弾き語りライブ・相鉄線星川駅下車徒歩3分。保土ヶ谷区役所前。「クレヨン」2:00-4:00pm ゲスト:アルトサックス奏者:おすぎ君 初秋の人生の歌など♪