4年前の正月、妻と、近くのスーパー銭湯ヘ出かけた。
入浴中に、放送があった。
「**様、すぐ、受付までおいでください。お連れの方が、具合が悪いので・・。」
「**様、」って僕、でした。
妻が、湯船に入ろうとして、倒れたのだった。
女湯の入口で待っていてください、と。
着替え所で、横になっていますので、ご本人様は、大丈夫だと申しております、と。
2時間後、妻が、よろよろしながら、入口から現れた。
翌日、脳神経外科に行った。
CT検査の結果、「脳梗塞」を起こした、と。
手術が必要かもしれません。塊を切除する手術が。
微妙な箇所なので、万が一の場合、車椅子生活になる可能性やしゃべれなくなる可能性があります、とのことだった
詳しい検査をしましょう、と。
僕は、頭の中が、真っ白になった。
数日、ぼーっとしていた。
お先真っ暗。
最悪の場合を想像した。
車椅子を押す僕。筆談で話す僕。出来るだろうか・・・。
ペンもギターも、今までどうりはできない僕。
腹を決めた。
最悪の場合に、僕は向き合う腹を。
一泊入院して、妻は検査を受けた。
その結果は、
写真に写っていた脳梗塞の塊が、消えていました、と医者が言った。
ええ?!
また、僕の頭の中が、真っ白に。
しかし、新しい疾患が見つかりました。
首筋に太い血管が3本ありますが、その1本が、狭窄状態です。脳に血液が流れにくくなっています。バイパス手術の必要があります。
検査で、見つかってよかったと思います。かなり危険ですから・・・。
えええ!!!
手術をしよう、と時期を決める段階になった。
大学時代の友と、毎年新年会をしていて、その席で、皆近況を話した。
妻のことを、僕が話した所、
ある友人が、セカンドオピニオンを受けたほうがいい、と言う。
セカンドオピニオン、・・・。
医者に相談した。
東京の聖ロカ病院の脳神経外科の、ある先生を紹介してくださった。
フィルムをもって、聖ロカヘ行った。
その結果、
毛細血管が、うまい具合に発達していて、それで、バランスをとっています。
症状が出たら、手術が必要ですが、今のところは、そのバランスを大切にしたほうがいい、ですね。
担当医の先生は、セカンドオピニオンの手紙を見ながら、
どうしましょうか、手術しますか、。。。それとも・・・。
僕も妻も、様子を見よう、と言う結論に達した。
しかし、あまりの突然の事の連続で、妻は落ち込み、鬱状態になってしまった。
突然、泣いたり、突然、怒り出したり、はたまた、黙ってしまう。
そして、無気力状態になった。
毎日、新聞をすみからすみまで読んでいた人が、全く読まなくなった。
家事は一切やろうとしない。というより、やらねばいけないと思うのだが、できない・・・。
テレビも見ようとしない。喜怒哀楽が、乏しい。
僕は、妻に、毎日、思うことを、なんでも正直に書いてごらんよ、とノートを一冊、渡した。
1週間。
その日記帳をもって、担当医に相談した。
すると、精神科医を紹介してくれた。
精神科医は、妻の日記を読み、いくつか問答を繰り返した末、
軽い統合失調症、かもしれません、と。
薬を飲みながら、なおしましょう。
無理はしないこと。頑張らないこと。したい時にしたいことをする。
あと、睡眠をとること、食べること、が大事です。
3ヶ月から、半年したら、変わってきますから・・・。と。
毎週一回、脳神経外科医、と精神科医に通った。
妻は、2ヶ月ぐらいは、ただ、眠って、食べて、ぼーっとしていた。
新聞にも、一向に振り向かない。テレビも、見ない。
あるとき、
僕が、ある町内会の老人会で、歌う約束をしていたのを、キャンセルできなかったので、妻同伴で、コンサートをした。
コンサートの後、食事会を用意してくださった。その席で、僕の隣に座った妻を、お客さんに紹介した。
そして、妻の病状を正直に話した。すると、ご老人の方々が、いろいろな体験談をしてくださった。
思いがけず、勇気を頂いた。いつも黙っている妻が、応答していた。
僕は、主夫になった。
妻の、寝る時間、起きる時間は日によって違う。
妻の時間帯に、僕の生活時間を合わせた。
はじめのうちは、辛かった。家事は素人、もちろん、炊事も素人。
あるとき、ふと思った。
そういえば、僕は、40人、50人の生徒を担任していたんだ。40人50人の人を面倒を見たんだ。
妻は、1人じゃないか。
そう思ったとたん、フーっと気持ちが軽くなった。
こんな場面で、先生経験が、生きるとは・・・・。
物を書く生活。物書きの生活。
ペンと紙、と時間があればいい。
主夫をしながらも、時間はある。その時間が、ありがたい、と思った。
人様の前で、弾き語りはできないが、
ギターの練習、歌うことは、家でできる。
このことが、どれだけ僕を励ましてくれたか・・・・。
そのうち、なんだか、子ずれ狼、のあの侍を思いだした。
僕は、妻ずれ狼、か、と。
あんなにかっこよくない。強くない。
けれど、かっこ悪くて、弱々しくて、いい。
狼、じゃあない。
犬だ。
それも、弱い、老いた、意気地なしの、・・犬だ。
3ヶ月たった。
妻に、少しずつだが、変化が見られた。
茶碗を洗うことが、ある。 新聞を手に取る姿がある。
時折、テレビ番組を見ている。ほんの短時間だったが。
4ヶ月目、から、
茶碗を洗ったり、新聞を読んだり、テレビを観たりする時間が、少しづつ増えた。
半年後、
一人で、買い物に行った。食事を、作るようになった。2、3日に1回ぐらい、だが。
病院にも、一人で行く、という。
時間を見計らって、病院に電話してみると、ちゃんと着いていた。
だんだん、自分で決めて、自分で行動する場面が増えてきた。
4年後の今。
家事の半分を、妻ができるようになった。
買い物にも、一人でゆく。新聞も、すみから読む。テレビも、好きな番組、映画を選んで見るようになった。
昔の妻の50パーセントに戻った。
僕も、人様の前で、ギター弾き語りを、月に、3-4回はコンスタントに出演できるようになった。
半年から、1年、ピッタリ、妻の生活に寄り添って暮らした。
今の生活を、車椅子や筆談を覚悟したときには、全く考えられないことだ。
妻は、おかげで・・、ぷくぷく太った。出会ったときの人、かと思うほど。デブちゃんになった。
冗談まじりに、ベルト、は「まわし」という表現になり、妻を呼ぶとき、この頃、つい「関取」と呼んでしまう。
妻の担当医が、病院を変わった。
変わるごとに、追っかけみたいに、妻も病院を変えた。同じ先生がいい、と僕も妻も思うから。
一昨年は、東戸塚の病院ヘ、脳神経科長として赴任。
昨年から、茅ヶ崎の病院へ、脳神経外科医院長として赴任している。
月に2度、妻は診察に、茅ヶ崎ヘ出かける。
先生とは、僕もすっかりなじみになり、友達みたいな風になっている。
たまに、僕も、妻に付き添って、先生に合いにゆく。
先日、付き添いで病院ヘ行った帰途、茅ヶ崎に1拍した。翌日、茅ヶ崎めぐりをした。
「関取」になった妻とは、久しぶりの旅行気分だった。
コミュニテイーバスという、小さな可愛らしバスに乗った。
運転手はボランテイア、だそうだ。ゆっくり、のんびり、走る生活密着のバス。
開高健記念館。
菱沼海岸。
快湯悠湯。
一日、茅ヶ崎遊覧をして、夕方、東海道線に乗って帰ってきた。
写真で、紹介します。
開高健宅の表札
門 の前で、門番のおじさんにシャッターを押していただく
入口
開校健庭の哲学の道
邸内 書斎
芥川賞作「裸の王様」 受賞時の開高健 賞の時計
ベトナム従軍時に米兵からもらったライター 従軍前の開高健と娘 出版人の心得
詳しく、丁寧に 案内してくださった館長(?)さん
門の外から見た、邸内の木
菱沼海岸
コムニテイーバス停
茅ヶ崎駅
1日の、短くて長い旅
おわり