いつごろころからか、筆で、日記をつけるようになった。
12,3年前からか。それまでは、万年筆か、鉛筆か、ボールペンだった。
きっと、先生の仕事を辞めてからだ。
今は、目が覚め、起きると、その日の外の空気を吸ってから、
湯を沸かし、コーヒーをドリップで入れ、4つのコップに、
それぞれ、野菜ジュース、青汁、麦茶、水を、入れて、
書斎に持ち込む。
机に向かって座る。
窓を開ける。その日の風が、顔にあたる。
硯に、水をたらす。
墨をする。
50回ほど墨をすると、水が、トロリ、黒くなる。
黒光りする、といい。
筆をとる。
筆に墨をつけて、
日記帳に、その日の日付を書く。
今日であれば、
十月二十二日(水)。
その時の時刻を次に書く。
たとえば、8:37am
という風に。
次に、その日の天候を書く。
開けた窓わくの中の景色を描写する。
たとえば、
10月11日(土)の、描写は、
「さわやかな風と光。
冷涼たる、透明で、柔らかな空気。
秋に秋たる風だ。
なんと、秋風という湯に浸かっているように爽快。」
10月21日(火)の、描写は、
「昼過ぎなのに、街が薄暗い。
どんより暗い雨雲が、街を押しつぶしそうだ。
時折、ピューと音を立てて吹く風。
開けた窓の遠くに、隣家の屋根越しに、小森が見える。
マンションの3階が僕の住まい。
隣家の屋根と僕の書斎の窓と同じ高さだ。
ピューという音がすると、
小森の枝枝が、左右に大きく揺れて、
そのたびに、葉が、ザーザーッと鳴る。
ちょっと不気味だ。怖い感じがしないでもない。
正午過ぎの、晩秋の一瞬。」
という具合に、
その日の、空や、雲、風、など、その日の、その時、
僕の五感に触れたことを、言葉にする。
筆で書く。
目覚めて、すぐの頭は、すっきりしていて、
五感が、よく働く。
毎日、起きたてのひと時を、僕は、こんな風に過ごす。
コーヒーをすすって、煙草を一服吸う。
僕が、一番好きな、時間だ。
さて、なぜ、僕は、筆で、日記をつけるようになったのだろう。
先生の仕事をしていた時は、
朝は、起きて、ジョギング1,2キロ。
シャワーを浴びて、着替え、ネクタイを締めて、朝食。
そして、祈って、出勤。
という時間の過ごし方だった。
が、
先生の仕事を辞めてからは、
朝は、出勤しなくていい。
その代り、書斎に入る。
で、
日記を開く。
さて、今日は、・・・、と
筆で、その日の日付を書いてみた,のだった。
焦ることなく、ゆっくり、書ける。
その延長で、文章も、筆で書くようになった。
もう、12年あまりになる。
発見があった。
鉛筆やペン、万年筆がない時代の人々は、
つまり、江戸時代までの日本人は、「筆」で
文字を書いていた。
たかだか、この150年だ、日常生活で、「筆」を使わなくなったのは。
その前の、1850年は、みな、「筆」で文字を書いていた、のだ!
そう思うと、
硯で墨をすりながら、
ふと思う。
「芭蕉も、竜馬も、家康も、秀吉も、清少納言も、聖徳太子も、・・・・
こうして、硯で墨をすっていたんだなあ」 と。
筆で、文字を書いているときも、
竜馬の筆使い、は、こんな感じかもしれない、
武蔵の筆使いは・・・・。
「筆」使いを通して、
古の人々が、すごく身近に感じられた、のです、
書道は、小学生の時、授業で習っただけ、だ。
僕流に、僕は、書く。
2つだけ、心掛けていることは、
≪読みやすいこと。≫
≪文字に「こころ」を載せること。≫
これが、高じて、「色紙」や「模造紙」や、
とにかく、文字が書けるものなら何でもいい、
「筆」で、僕の「つぶやき」を書くようになった。
僕の「字」が、好きだ、と言ってくださる人びとに出会い、
ライブなどで、僕の「書」を披露させていただき、
販売もしている。、
僕は、毎日、恥をかき、文字をかいている。
数か月前に、
僕の、コンサート・ライブに聴きに来てくれた方が、
今月の、僕のライブに、また、聴きに来てくださいました。
僕は、
ギター弾き語り、だけでなく、
僕の、筆書き「書」、色紙に書いた僕の筆書き。
それを、ライブ会場で、展示して、販売しています。
聴きに来てくださった方が、
僕に、
「ないのね、あれ、が欲しい、のよ」と言いました。
「夢、破れて、人生
夢、破れてから、人生」
っていう、のよ・・・。
この言葉は、
あるタクシーの運転手が言った言葉、で、
僕は、感動して、色紙に筆で書いて、展示したのでした。
誰かに、きっと、差し上げたか、買って頂いたか・・。
だから、その言葉を書いた「色紙」は、ありませんでした。
で、
僕は、書いて、次のライブにお持ちいたします、
と約束いたしました。
夢、破れても、人生
夢、破れてから、人生
なんて、ステキな、・・・・。
脱帽!!
老人、
80才か、90才か、・・・・・。
味わい深き、
やさしい歌声。
虹のような、バックコーラス。
TV画面に流れてきた、
老人の静かな、力強い、かすれた歌声。
霞のような、虹のような、細いささやきのコーラス。
僕は、聴いていました。
ああー、
涙が、こみあげてきました。
テレビBS、で、ふと見た映画
「アンコール」
の、ワンシーン ♪
です。
初めて、かな。
ジーンと、歌声聴いて
涙が、こみあげてきたのは。
チャップリンの「街の灯」という映画を見て、
涙がこみ上げてきたのと、
同じ、だ。
あああ、
これが、歌、だ。
♪
この頃、コンサートライブを終えるごとに、感ずることがある、のです。
それは、
ライブを終えるごとに、
新しい僕に、なっている、という感覚なんです。
いったいこれって、 僕の人生で、
初めての経験、です。
新しい自分、
違う自分、
に気づく、のです。
なんなんでしょうか、これは。
今年、初めて、
感じています。
新しい自分の発見。
一歩、
一歩、
を確かな一歩
にしよう、と毎回、思って、
ライブをしてきました。
でも、
思い、だけ、でした。
今まで。
あああ、
違う自分がいる、
と・・・・・・。
もう、ずっと、
12年、見ている同じ空が、
今日は、違う「空」だ!
えええ!!!
えええ♪♪♪
「リズム」、と 「メロデイー」、と 「詩」。
ギター弾き語り。
あの雲にのりたい
♪
ああー、負けた。負けちゃった。
北海道日本ハムFighters!
大谷と藤波の、対決が見たかった。
稲葉選手、と、Fighters の若い選手たちの感じ。
素晴らしい。
初戦、投げた大隣投手、が素晴らしい。
軌跡、は起こらなかった。
でも、予感させた、日本ハム。
栗山監督、素晴らしい。
秋山監督、王貞治さんの風格をふと、感じる人。
日本シリーズ。
僕は、阪神が、制する、と思う。
けど、わからない。
「動」の、下克上の阪神か。
「静」の、王者のソフトバンクか。
暴れん坊の、銃が、射止めるか。
静寂の剣が、切り払うか。
武蔵と小次郎の一騎打ち。
?
僕は、起きて、ジャージに着替え、外に出るのが週に数日。
起きるのは、朝とは限らない。昼もあれば、午後になる時もある。
日によって違う。その日の体調まかせ。
腕と脚を伸ばし、深呼吸して、マンションの周りを、歩く。
晴れた日だけ。
若い頃は、朝起きると、毎日、走っていた。2、3キロ。
汗を流して、シャワーを浴びて、着替えて、仕事に行っていた。
雨に日も、風の日も・・・・。
今は、走ることは、めったにない。
歩く。ゆっくり歩く。
早くても、遅くてもいい。とにかく、歩く。
僕の、起きて、すぐ外に出て、外の空気を吸い、
外気にわが身をさらす、という習慣は、いつから身についたのだろう。
大学を卒業して、高校の先生になったころから、
朝起きて、走り始めた、ような記憶がある。
体が、どちらかというと弱い僕は、先生として、強くなりたい、
という一心だったかもしれない。
サッカー部、スキー部、バスケットボール部、
の顧問を、30年の先生時代に、経験させられた。
素人の僕は、できることといえば、
部員達と、僕の体力の限界になるまで、一緒に練習に付き合うことだった。
僕が、限界まで、やることで、彼らに、限界までやってほしい、
と思ったから、だ。
サッカーは、まったく、ルールも知らないで、顧問にならされた。
スキーは、少年時代、北国で覚えていたから、心得はあったので、コーチ的な立場に立てた。
バスケットボールは、高校時代、部員だったけど、一番へたくそだった。
顧問教師になったはいいが、生徒部員のほうが、はるかに上手かった。
英語教師が、門外漢の、スポーツの部活顧問の任を果たす、のは、大変。
「技」は、無い。残るは、「精神、心」、だ、勝負は。
そう、思ったのかもしれない。
オリンピックに出る、なんていう部員はいないけれど、
ド素人の僕が、顧問。
申し訳ない、の一心だけ。
でも、サッカーは、3年で、神奈川県で、best4 になった。
スキーは、ほんの、1年くらいだったから、そういう成績はない。
バスケットボールは、 顧問、20年やったけれど、1回戦負けの連続だった。
僕は、宮本武蔵が、剣を、教えるような、
そんなことは、まったくできない。
姿三四郎が、柔道を、教えるような、
そんなことは、まったくできない。
じゃ、何ができるか。
一緒に、汗を流して、つらい思いをする、
ことはできる。
それだけ。
今でも、部員たちに、すまぬ、こんな顧問で、
という思いが、ある。
起きて、外に出て、外気に身をさらし、
腕や脚を伸ばし、深呼吸をする。
そして、ゆっくり、歩く。
すると、
あの部員たちの、顔、顔、顔、が浮かぶのです。
きっと、僕は、
あの顔、顔、顔に、逢いたくて、
起きてすぐ、ジャージに着替えて、
外に出る、のかも。
一平の「ペンとギター」
一介の、無名一書生、
今日一日が花咲くのを、しぼませないように
と、深呼吸する。
やっぱり、ペンもギターも、ド素人だけど、
一緒に、汗を流して、つらい思いをする、
その心根で、・・・・・
僕の今日一日を、お守りください、
彼らの今日一日を、お守りください。
アーメン
+
松島みどり法務大臣が、
地元選挙区内の催しで、自身のイラスト入りの「うちわ」を配布した、として
公職選挙法の「寄付行為」違反だ、と、民主党議員が刑事告発した。
で、昨日今日の新聞テレビ報道で、大臣辞任が報じられている。
茶番だ。ばかばかしい。
うちわを配る、いいじゃないですか。
PRとして、どこがいけないのか。
ステキな、アイデア、だと僕は思うのですが・・・。
「金銭や物品など財産上の利益」にあたる、と考えた人の心根がわからない。
なんと、みみっちい、重箱の隅を突っつくような、根性なのか。
大いに、PRして、議論すればいい。
イギリスの、Speaker's Corner (公衆の面前で、自由に自分の意見を述べ、
問題の本質を浮き彫りにし、解決策を模索する「演説広場」)
の精神から、ほど遠い、「うちわ」議論。
読売新聞の時事川柳に、
「民主にも団扇程度の風が吹く」
と投稿した方がいた。
なんだか、木の根っこや幹についての議論を避けて、
枝や葉の議論、いや、枝や葉なら、まだいいけども、
葉についている小さな虫にばかり目を向けている、
としか思えない。
「うちわ」なんて、いいアイデアじゃないか。
もっと、前向きに、ポジテイブに、
熱い議論を、「うちわ」を仰ぎながら、戦わしたらいいのに。
あまりにも、規則だ、マニュアルだ、と、社会が、集団が、
組織が、汲々としている。
個人情報保護法、とかいう法律ができて、
あまりにも、法の趣旨を外れたことが、あちこちで起きている。
学校で、電話連絡網が作れない、とか、
町内会で、住所電話番号が名簿に載せられない、
とか、・・・・・・。
それじゃ、子供たちを、父兄を、町民を、守れないじゃないか!
それを運用するのは、われわれ一人一人の人間だ。
趣旨を、生かす運用、どころか、
趣旨を殺す運用になってはいないか。
「うちわ」と「寄付行為」
そんな、重箱の隅を突っついている心根では、
日本のかじ取りなんか、できないんじゃないかな。
また、「雑音」といわれて、かっとなって、かみつくようじゃ。
「器」が違う。
本当に、「重箱の隅」のことだと、認識しながら、
いさめる心なら、「雑音」といわれても、もっと、
前向きな行動言動が取れるのではないか、
と思ってしまう。
吉田首相の「ばかやろう」発言を、ふと思い出した。
なんだか、「ばかやろう!」って、叫びたくなった。
僕は、今、
「自我の確立」と「個人主義、民主主義」というテーマ
を僕の問題として、考えている。
映画監督の黒沢明さんが、晩年書いている。
「日本人は、自我を悪徳として、自我を捨てることを良識として、
教えられ、それに慣れ、それを疑うことすらしなかった」と。
「自我を確立しない限り、自由主義も民主主義も無い」と。
その自我の問題を、テーマにした映画が、
≪わが青春に悔いなし≫、だそうだ。
まだ、僕は、この映画を見ていないので、見てみようと思っている。
―――藤原治氏著「人は60才で何をしたか」という本の中で、
「黒沢明」さんのことを書いておられる――それを僕は、昨日読みました。
僕は、区民、町民、市民、国民、の一人だ。
僕は、「自我」が確立できているか、
一市民として、「自由主義」、「民主主義」の実践者であるか、
を自問している。そして、地球市民の一人として、・・・・。
この「平成」の今の時代に。
僕は、ペンとギターという櫓で、「一平丸」を漕ぎ、大海原を渡り、
ペンとギターの杖をついて、大地の道なき道を歩き、
山を越え、谷を越え、人里に立ち寄り、町を歩きたい。
一市民として、また、一地球市民として。
この今いる場所で。
19歳のころ、僕は、
「末は、博士か大臣か」という映画を見た。
菊池寛の、やはり19才の頃の学生時代を描いた映画だ。
末は・・・・、と、「大志」を抱いて、悶々とする青春映画。
大志 と 友情 の映画だった。 その青春に、僕は憧れた。
何かわからないけど、漠然と、「大きな志」を空に仰いで、
悶々としていた日々だった。
H君と、映画を見た後、江の島海岸へ行って、
2人並んで、浜辺に座って、海を眺めた。
海に向かって、
「こんちくしょー、ばかやろう」
って、思い切り叫んだ,っけ。
≪俺の「大志」はなんなんだ!!≫って。
50年前の、今頃、
秋のある日だった。
誰もいない海、に向かって
叫んだ、あの日。
今も、
僕は、
心の海に向かって、
叫びたい。
遠くへ行きたい
永 六輔 作詞・中村八大 作曲・ジェリー藤尾 歌
知らない街を 歩いてみたい
どこか遠くへ 行きたい
知らない海を 眺めてみたい
どこか遠くへ 行きたい
遠い街 遠い海
夢はるか 一人旅
僕が、高校2年生の頃、昭和37年(1962年)
テレビの「夢で逢いましょう」という音楽番組で、
ジェリー藤尾という歌手が歌っているのを聴いたのが
初めて。
メロデイーと詩が、心に沁みこんできた。
もう、52年前のことだ。
あの頃聞いた感覚と、今も同じ感覚で聴ける。
一つ違うのは、
今は、ギターで弾き歌っていることだ。
聴き手、から、歌い手、になった。
まさか、あのころは、僕が、歌い手になるとは夢にも思わなかった。
この歌を、ギターで弾き歌うとは、夢にも・・・・・・!
愛する人と めぐり逢いたい
どこか遠くへ 行きたい
愛し合い 信じあい
いつの日か 幸せを
愛する人と めぐり逢いたい
どこか遠くへ 行きたい
「一人旅、の彼方で、愛する人と、めぐり逢いたい
愛し合い 信じあい、幸せになりたい」
と、詞は続く。
シンプルで、本質を歌っているなあ、と思う。
人生を「旅」にたとえ、
それも、「一人」旅に。
どこか遠くへ、今いるところではなく、どこか遠くへ
今の自分ではない自分を探しに、憧れの自分のところへ、
どこか今はわからないけど、とにかく、どこか、遠くへ、
行きたい。
若き日の、悶々とした僕が、懐かしい。
僕は、あれから、52年も、遠くへ来てしまった。
知らない街へ行き、知らない海を眺め、
夢をもとめて、悶々として、一人旅をしてきた。
たどりついた、というよりも、流れ流され着いたところが、
ここだ、った。
いろいろな人に出逢った。
愛する人、とめぐり逢えたか、といえば、・・・・。
人として愛する人に,友に、憧れる人に、友に出逢えた。
その人と、友と、愛し合い、信じあい、幸せを、つかめたか、・・・
出逢えて、幸せだと、思える、、。
敬い、畏れる人、と出逢えた。
バイブルに書かれ、教会の牧師さんの説教で出逢えた人だ。
イエス・キリスト。
こんなダメな僕を、じっと十字架の上から見てくれている人。
祈ることで、出会える人。
が、
異性として、愛する人とめぐり会えたか、といえば、
ちと、微妙な複雑な気がする。
何度か、女性を愛し、傷つき、何度か、女性を信じ、疑い、やっと
曲がりなりにも女性と愛し合い、信じ合う、ことができるようになったのは、
つい最近、かもしれない。
27年、連れ添ってきた女性、僕のかみさん、と。
今、この「遠くへ行きたい」の詞を読んでも、
やっぱり、52年前と、同じく、
遠くへ行きたい、と僕は思う。
が、17歳の僕と、違うことが、あることに気づいた。
17歳の僕は、漠然と、どこか遠く、だった。
今、59才の僕は 「ペンとギター」の遠くへ、
行きたい、と思のだ。
僕にとって、
≪どこか遠く≫は、もう、
この世ではなく、
僕には、計り知れない、
あの世、だ。
でも、 この「遠くへ行きたい」♪
を聴くと、
僕の心の琴線が、揺れ動き、泣きそうになるのは、
なぜだろう。
そして、歌いたくなるのは、
なぜだろ
♪ ♪ ♪ ♪
毎月、第3土曜日、にインストアコンサートライブをやっています。
星川駅徒歩3分のところにある、ふれあいショップ「クレヨン」で。
今回で、80回目、くらいかな。
気が付いたら、80回目。。。。。。。!
7年×12か月=84回
「クレヨン」というお店で、コンサートライブを初めて7年目。
でも、途中、数か月、中断している。
だから、80回目くらいかな。
「ちりも積もれば、山となる。」
「亀も一歩一歩、歩いて、目標目指せば、ウサギに勝てる。」
そんな言葉の、「ちり」の一つに、「亀」に一歩、になれたかもしれないなあ。
何事にも、飽きっぽくて、中途半端な、日和見な僕の中に、こんな僕がいたなんて!!
この年になって、発見。
なんだか、嬉しいな。
きっと、何度も何度も、あきらめて、何度も何度も、放り投げてきたから、
これだけは、あきらめたくない、放り投げたくない、ことだった、のかも。
それが、「ペンとギター」だったんだ、きっと。
土曜日の午後、
10月18日(土)
2:00pm-4:00
ふれあいショップ「クレヨン」での、
僕の、コンサートライブ
音一平のギター弾き語り
聴きにいらしてください。
詳しくは、
このブログ記事の前の記事、
「遠くを眺めたい」
をご覧ください。
聴きに来て!
この写真は、7年前くらいの僕、デス。
上菅田地域ケアプラザのデイケアでの出演。
秋深き 隣は 何をする人ぞ。
秋深し、僕のブログ読まれているあなた 何していますか?この深き秋の風を、どう感じていますか?
僕は、相変わらず、ペンとギターに、亀の歩調で、いそしんでおります。
夏が、遠い昔のように感ずるのは、僕だけでしょうか。
ギラギラ、直射日光、蒸し暑い空気、汗が額から・・・・・・。
ジージー、ジジイ、ミーンミーン・・・・セミの合唱・・・
あの夏の気配は、まったく消えて、遠い遠い昔のことのよう。
今年は、特に、そう感じます。
68年の僕の人生で、こんな風に、しみじみと、感じたのは、初めてです。
もう、2度と来ない、2014年の、69才の夏。
なんだか、遠いところを眺めたい気分になりました。
遠い昔を。
少年時代の僕。高校生・大学生時代の僕。先生になったばかりのころの僕、、、、。
不思議です。
記憶の中では、数秒で、
その時、たとえば、北海道の山の中で過ごした少年時代の僕、のところへ行けるのです。
その時「、たとえば、教室で授業を受けていた高校生の僕、大好きだった英語の城野先生・・・・・のところへ。
その時、たとえば、生徒たちとホームルームをしている先生時代の僕のところへ。
A君、や B君、C子、や、D子、次々といっぱい顔が浮かんでくる。
今、僕は、学校とは、まったく違う世界で、物を考え、物を書き、ギターの弾き語りだけをしている。
過去の遠い昔を、半世紀にわたって、振り返ることができることは、すごい幸せ、だ。
ここまで生きて来れて、本当に良かった、としっみじみ思う。
さて、
未来の遠いところを眺めよう、と これから先の時間を考えてみた。
すると、
69年先のことが、まったく浮かんでこない。
半世紀先のことも。
いや、5年先、10年先、のことは浮かぶ。
きっと、僕は、物を書き、ギター弾き語りをしているだろう、、、と。
しかし、20年、30年先、となると、生きているかどうかわからない。
生きていれば、90才、100才・・・・。
生きていたい。書いて、歌っていたい。
つまり、
遠い先、遠い未来へは、すぐは、行けない。
1秒、1分、1時間、1日、365日、1年、3年、5年、10年、と
コツコツ時間を刻んで、一歩一歩、歩いてゆかねば、未来の、その時には、行けない、のだ。
ということに、気づいたのです。
僕の過去の時間が、僕の未来の時間より、はるかに長い。
それが、年を重ねること、らしい。
先人の人は、みな、とおってきたんだ。
坂本竜馬さんは、33才で亡くなったから、それも惨殺されたのだから、まったく、感覚は違うだろうな。
先人でも、70才以上生きた人、つまり、老境、に達した人は、みな・・・・。
さてと、
僕の親父は93才、でぽっくり死んだ。
1か月前まで、トコトコ、歩いていた人だった。
僕も、そうありたい。
僕は、親父と違って、勝手気ままに生きてきた。
僕は、来年の年、70才。
親父が70才の時、僕は、やっと再婚して、家庭を持った。
42才だった。
あれから、27年たった。
親父は、遠い先を、遠い未来を、どのように眺めていたかは、わからない。
親父が、80才を過ぎた頃だったか、僕は、親父に頼んだことがあった。
「親父が生まれてから、今日までの足跡を、メモでいいから書いてくださいな」と。
親父は、レポート用紙100枚ほどに、履歴を、書いて、僕にくれたのが、90才近くだった。
僕は、今、親父の履歴を読み、親父が生きた大正・昭和の、世界と日本の歴史を読んでいる。
読み終えたら、島崎藤村が、藤村の父のことを書いた「夜明け前」を、じっくり読んでみたい。
そして、
僕も、親jのことを、小説として、書きたい、と思っている。
日本が、世界の門戸を開いて、「夜明け前」、のころ生きた藤村の父。
日本が、近代国家として、軌道に乗って、登り詰め、大きく挫折した時期を生きた親父。
10年先、僕は、80才。
「大正6年から、平成22年までの親父の93年の一生」。
を、他人が読める形―「小説」―にしたい。
過去―現在―未来。
いつも、生きているのは、「今」だ、と思う。
「今」の連続が、過去であり、未来でもある。
今でしょ!
"Now, or Never"
69年先を、眺められる人になりたい。
けど、自分のことしか考えられない自分が、情けない!
せめて、書いて、ギター弾き語りて、命を燃焼させたい。
さて、
お知らせです。
来週の土曜日、僕の「クレヨン」コンサートライブです。
第80回目くらい、になります。
毎月1回、7年目の10月の♪
ぜひ聴き日いらしてください。
「遠くへゆきたい」♪
を歌います。
音一平、10月のギター弾き語り120分コンサートライブ♪
2014年10月18日(土)
2:00pm-4:00
ふれあいショップ「クレヨン」
(相鉄線・星川駅下車徒歩3分、保土ヶ谷区役所、消防署前)
入場無料
ギター弾き語り曲
「誰もいない海」「秋桜」「船頭小唄」「時代」「糸」「時代おくれ」「シェフ」など・・・20曲
秋の風・人生の秋、をギター弾き語りたいと、準備してます。
ゲスト出演
「おすぎ」こと、杉浦君―アルトサックス奏者
演奏曲目
「M」「なごり雪」「時の流れに身をまかせ」「虹の彼方へ」「三日月」
一平と杉浦君のコラボ、もします
曲目
「エデンの東」「グリーンスリーブス」「エーデルワイス」
「Love me tender 」「船頭小唄」
秋深き、土曜の午後、
僕の歌を、若者のアルトサックス演奏を、聴きに来てください
♪
これから配布するチラシです。
やっとできました。出来立てほやほや、です。
拡大版が、これ、です。
♪♪
遠くを眺めたい