やー、びっくりしたのは、国会議員票でした。
高市早苗さんが、114票も集めた・・・・!
また、河野太郎さんが、なんと、たったの86票どまり・・・!
野田聖子さんは、34票も集めた。
岸田文雄さんは、146票。
さらにびっくり!
一回目の投票結果です。
河野太郎さんを、1票差で、岸田文雄さんが、上回った!
決戦投票では、岸田文雄さんの大勝。
自民党芯総理に、岸田文雄さん、が選ばれました。
候補者のテレビ討論会や、
インターネットを通じての有権者との候補者との討論会
が、この結果を導いたのかもしれません。
街頭演説などできぬ、コロナ禍での状況下の戦い、でしたから。
それにしても、高市さんや、野田さんの、存在は、頼もしいですね。
僕が生きているうちに、女性総理誕生は、あるかも!
サッチャーさん、メルケルさん、、、、、、、、のように。
突破型の河野さん、ではなく、
安定型の岸田さんを、自民党員は選びました。
どんな人事をするのでしょう、新総理、岸田文雄さんは?
楽しみです。
そう、岸田さんは、東京大学に3度落ちたそうです。そして、
早稲田大学の法学部で学んだとか・・・・。
僕も、早稲田大学卒です。僕は政治経済学部、でした。
が、僕は、1部(昼間部)の法学部、商学部、政経学部の3つ、受けて、全部落ちました。
次に、2部(夜間部)の試験があったのです。唯一、受かったのが、
第2政治経済学部、経済学科でした。
2年生になるとき、1部(昼間部)への転部試験があり、受けましたが、落ちました。
3年生になるとき、また、1部への転部試験を受けました。昼間部へ移る最後の試験でした。
やっと、合格したのでした。
ですから、僕は、大学2年間は、夜間部で学びました。
昼は、アルバイトでした。
なので、すんなり、いったわけではありませんでした。
晴れて、3年生で、初めて、昼間部の授業に出ましたが、
3年生の秋から、学園闘争が始まりました。
全学を、僕達学生が封鎖して、校内に泊まり込んでの、
「授業料値上げ反対闘争」でした。授業は、全学、一切なし。
闘争が、半年以上続きました。
僕は、その闘争に一般学生として加わる中で、初めて知ったことがありました。
その一つが、自分たちで、社会を変えることができるんだ、ということでした。
話がそれました。閑話休題。
岸田文雄さんは、64才。
僕の一回り、12才、後輩にあたります。
僕、76才。
若き日に、「末は博士か、大臣か」と、
都の西北のキャンパスを、下駄を履いて、手ぬぐいぶら下げて、
歩いていた頃が、僕にもあったっけ。
いや!!それは、ちと大げさ、いや大げさすぎますかな!
そういう気概で!ということであります!!
なんと、「末は、ペンとギターの一平」とあいなりました。
初代総理大臣、伊藤博文さん、から数えて、
100代目の総理大臣が、岸田文雄さん。
今、NHK 大河ドラマ「青天を衝け」の渋沢栄一さんが、唱えたことを、
岸田さんが、この時代にやってくれそうな気がします。
《 資本主義+民主主義+社会主義 》
「論語と算盤」
さあ、100年に一度の、パンデミック、コロナ禍。
これから、with コロナウイルス、の生活を、どう作ってゆくか?
まずは、
どんな人事で、望むのか、・・・・・・・?
楽しみです。
この絵は、僕の亡き父が描いた「氷川丸から見たランドマークと月」です。
父が、76才の時の作。
享年93才。
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