一平のペンとギター

僕らしい小説を書き、僕らしい歌をうたう、ぞ♪、ペンとギターの一平です。ギター弾き語りと小説書きの二刀流。

一年を振り返って「人」

2007-01-25 00:00:56 | Weblog

 

 ○ 直木賞作家、三好京三さん。

 3年前、2004年、「北上夜曲歌唱コンクール全国大会」の審査委員長は、三好京三さんでした。北上夜曲の作曲者である安藤睦夫さんが、ずっと、委員長を務められていましたが、近年、身体をこわされ、三好さんが、その任を務めておられたのでした。三好さんと安藤さんの友情については、僕の去年のブログに書きましたので、ここでは、触れません。

 昨年は、三好さんは、委員長ではなく、1審査員でした。委員長は、松田晃という、岩手県合唱連盟名誉会長、をされている方。一昨年は、僕は、応募をし、エントリーナンバーを頂いていたのでしたが、事情があって、出場を、コンクール間近になって、取りやめました。主催者と三好さんにお詫びの手紙を書いたのでした。

 3年前、審査委員長が、三好京三さんであることを、会場で、当日、知りました。びっくり仰天しました。

 「子育てごっこ」で直木賞を受賞された作家です。僕が、教師をしていた頃、参加した「奈川私学教育研究集会」の壇上で講演されておられた姿をはっきり覚えていました。もう20年以上前のことです。会場は、神奈川学園という女学校でした。研究集会の最初に、講演があります。体育館で。次に、分科会、があります。教室で。僕は、英語分科会、ゃら、学級運営HR分科会、などに出ていたものです。僕が、勤めていた学校が、会場になったことも何度か、ありました。僕は、かなり、積極的に、参加していましたし、自分の学校が会場になったときは、率先して、責任者になりました。

 体育館の壇上で講演していた、直木賞作家、三好京三さんを、1000人余りの教職員や父母の聴衆者に混じって、僕は、憧れを抱いて、眺めていました。元小学校の先生で、今、直木賞作家・・・。話の内容は、全く覚えていないのですが、高い壇上の、元先生直木賞受賞の、三好京三、という作家を、憧れの眼差しで、見ていました。僕も、教師を辞めて、作家になりたいけれど、、、と思いながら、、、。

 コンクール会場のさくらホールに着いて、プログラムをもらい、ページを開いてみると、審査委員長の名前のところに、三好京三、とあったのです、から、僕は、びっくり仰天しました。歌なんか、どうでもよくなり、何とかして三好京三さんと、お話がしたい、と、その事ばかり考えていました。

 幸い、思いがけず、「そよ風賞」を受賞することになりました。出場者、審査員、主催者、ゲストの懇親会が、夜7時からありました。出場前に、会場の外で、練習していたら、岩手放送の女性記者が、僕にインタビューをしました。(1ヶ月後、テレビ岩手で放送された、ビデオを主催者が送ってくださり、見たら、僕のインタビューが、そのまま出ていました。僕が、舞台で弾き語りしている場面も。いやー、テレビに出るなんて・・・!)その記者らしき女性が、懇親会に出ませんか、とさそってくれました。妻は、疲れたので、先にホテルに帰るから、あなたは出たら、、と帰りました。立食バイキング形式の懇親会。三好京三さんの挨拶で始まりました。ゲストは庄野真代さん。僕とテーブルが一緒でした。飛んでイースタンブール♪を歌った人ぐらいしか知らない。けれど、お話をしました。何をしゃべったか、記憶がない。僕は、三好京三さんのところへ行って話しかける機会、をうかがっていました。が、庄野さんとの話に気を取られている間に、三好さんが、スーッと、出口から出て行かれました。あれ?僕は、主催者の方に、三好京三さんは、トイレでしょうか、と聞いたら、お帰りになりました。と。僕は、玄関まで走り、三好京三さんを探しましたが、遅かったのでした。ギターを抱え、ホテルに帰ったのは10時近くでした。懇親会が終わったとき、僕は、主催者の方に、三好京三さんの電話番号をお聞きしました。お会いしたいので、、と。教えてくださいました。

 翌朝、ホテルで、チェックアウトをする前に、部屋から、電話をしました。三好京三さんと、お会いしたい。出来れば、10分でも20分でも、お話できたらなあ、、、と思って。

「もしもし、僕は、昨日、北上夜曲歌唱コンクールに出場したものです。あのー、ギターで歌った山中と申しますが」

「あー、君かー。」

「お会いしたのですが、いいでしょうか」

「それなら、12時3分の電車に乗って、前沢駅で降りなさい。駅で私が待っているから」

「は!ありがとうございます」

 という訳で、20-30分どころか、その日、夜の10時近くまで、なんと、延々9時間、三好京三さんのお宅で、妻と二人で、奥さんの手料理をご馳走になり、お互いを紹介し、人生の、文学の、歌の、話に花が咲きました。ギターで弾き語りをしました。

 三好さんは、弾き「歌い」、と何故言わん、のかね。と言われました。そういえば、そうだ。弾き語り、じゃなく、弾き歌い、だ。明るいうちには、車に僕と妻を乗せて、「子育てごっこ」の舞台となった分校を案内してくださり、執筆される部屋、も見せてくださいました。加藤剛と栗原小巻が、ここで、、、、、などと、撮影の様子まで解説してくださる。

 お宅に戻って、庭の、大きな石を指して、これはね、私が直木賞もらった頃、水上勉が、うちに遊びに来て、これをくれたんだよ。僕が、ボーっとしていたら、水上氏が、君は、何故、メモをとらんのかね、と、言われたものだよ。明日、水上勉の告別式があるので、僕も、明日、東京へ行くんだ、と三好さんが言いました。

 客間に通され、ソファーに腰掛け、僕も、教師を辞めて、今、小説を書いています。作家になりたいのです、僕が三好先生に話しているのを聞いておられた奥さんが、「なにがなんでも作家になる」という本を、持ってきて、これ差し上げましょう、と、僕にくださった。(帰りの新幹線で読み始め、家に着いて、その日のうちに読み終えた。三好さんが、小説家を志して、直木賞を取るまでの足跡が書かれていた。勇気が湧いた。なにがなんでも作家になりたかった三好京三の、悪戦苦闘の足跡だった)。また、北上夜曲をギターで弾き歌って、、、と言われ、歌ったら、薄い冊子をくださった。「小説-北上夜曲」だった。直木賞をもらったすぐ後に書かれた、と。(北上夜曲が生まれる経緯が描かれていた-17才の菊池規が、書いた詩。それに18才の安藤睦夫が曲をつける。その若い青年の友情、、、。と、安藤睦夫と三好京三の出会い・・。)

 その夜、泊まってゆきなさい、と進められた。妻が、いや、どこか宿を探します、と言ったら、三好さんが、ある宿へ連れて行ってくださった。教え子がやっている宿でした。

 一介の、コンクール出場者、何処の馬の骨かわからない、僕達を、旧知の人のごとくもてなしてくださり、浦島太郎になったような気分でした。10年分のお正月が、一度に来たような、気分でした。

 が、昨年は、僕は、《優勝して、三好さんから表彰状を受け取る夢》を見て、舞台に立ちました。が、全くの敗戦。無惨な結果でした。もう帰ろう、途思いましたが、三次先生に会って、帰ろう、と、落ち込んだ心に鞭打って、客席の末席から、決勝大会、最終審査結果発表を見た。長ーい長ーい、時間でした。やっと、終わり、懇親会場前で、僕は、三好さんに挨拶をしよう、と思って待っていました。明日にでも、お会いしたいと、一言、言いたくて。

 ところが、何故か、三好さんは、懇親会場には来ず、玄関のほうへ向かって歩いてゆかれました。僕は、三好さんを追っかけました。

「三好先生、僕、です」

三好さんは、チラリと僕を見て、誰だ、と言うような顔をなさった。てっきり、「あー、君かー」と言う返答を予想していた僕は面食らってしまいました。

「明日、お会いしたいのですが・・」

「明日は、ちょっと用事があるので。じゃ。」

 と言って、玄関をスタスタ早足で出て行かれました。取り付く暇がない。まるで、全く見知らぬ人に声をかけられた時のような先生の応対でした。僕は、びっくり仰天、してしまいました。三好さんは、僕を、全く忘れてしまわれたのか・・。それとも、朝の10時から、夕方の6時までの審査員の激務に、くたくたにお疲れだったのだろうか。

 そういえば、昨年、懇親会の乾杯が終わって、すぐ帰られたのは、くたくたに疲れ、ビールが飲みたかったんだよ、車じゃ、飲めないからね。この齢で、一日中審査は、きついからね。と言われたのを思い出しました。

 

 それにしても、どの賞にも入らず、三好さんには振られ、谷底にまっさかさまに、落っことされた気分で、ホテルに、帰りました。道々、何で、ギターが、こんなに重いんだ!と呟いて。

 昨年は、北上で一番会いたかった人、に会えませんでした。「そよ風が吹いた」という小説を2年前から書いて、一時、休止しています。それが、出来たら、三好先生に会いに行こうかな。会ってくださるかな。

 さくらホールの玄関先での先生は、くたくたで、ビールが飲みたくて飲みたくて、ただただ、その一念だけだったのでしょう。きっと。

コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一年を振り返って「人」

2007-01-24 23:58:51 | Weblog

 

          ○ スナック「北上夜曲」。

 10月30日、10:30 am.

僕は、岩手県北上市の、「さくらホール」の舞台の袖にいた。ギターを肩からぶら下げて、出番を待っていた。

「北上夜曲歌唱コンクール全国大会」予選会出場者エントリーナンバー29番。舞台では、僕の前の出場者28番、中年の男性が、バンド伴奏に合わせて歌っている。

 2年前、僕は、エントリーナンバー98番で出場した。生まれて、はじめてだった。コンクールなるものに出たのは。妻が、新聞の切り抜き-「北上夜曲歌唱コンクール全国大会出場者募集・・・」、を僕に見せたのがきっかけだった。「ないお金を払って、スナックで歌って、酔っ払って・・それより、これにでも出てみたら」。

「ギター、一本で、弾き語り」と、応募用紙に書いた。出場してみたら、99人の出場者のなかで、ギター、一本弾き語り、は僕1人だった。ほかは、用意されたバンド演奏で歌った。朝10時に始まった予選会が終わったのは、午後1時近くだった。99人が、北上夜曲の1番だけを、歌う。審査員は、同じ曲を99回聴くことになる。僕は、舞台の上で、聴衆を前にして、弾き語りが出来たことで、大満足だった。審査発表があった。10人のエントリーナンバーと名前が会場で呼ばれた。10人は、3時から、大ホール(2000人収容)での決勝大会に出場する。そこで、チャンピオンを争う。発表が終わった、と思ったら、5人の特別賞、の発表があった。やはり、エントリーナンバーと名前が呼ばれた。客席に坐っていた僕と妻は、荷物を手に持って、腰を上げ、帰ろうとしていた。5人目の特別賞の発表で、終わりだ。

「最後は、《そよ風賞》です。エントリーナンバーは、98番、山中一平さん、です」

と、アナウンスが聞こえた。

「ちょっと、あれ、あなた、じゃないの!」

「まさか」

耳元で、聞こえた、アナウンスは、確かに、「98番山中一平」だった。僕は、手に持った荷物とギターケースをおいて、客席を通り抜け、壇上に上がった。壇上で、15番目に、「そよ風賞」と書かれた熨斗紙が張ってある箱を頂いた。箱の中は、「百合」の形をしたかわいらしい電気スタンド、だった。びっくり仰天!した。

 あれから2年。

 今年は、決勝大会に出て、優勝するゾ、と決めていた。「・・・・・・・・きたかみがわらの、つきーのよる♪」前のエントリーナンバー28番が歌い終わって、僕の出番が来た。袖から、ギターを肩からぶら下げて、マイクの前に立つ。スポットライトが僕を照らす。会場は、薄暗い。が、顔顔顔顔、は見える。お辞儀をして、顔を上げ、会場を見て、ギターの弦を弾いた。♪ポロンポロン。シーンとなった会場に、糸のような音が響く。その音が、消えるまで、待つ。消えた刹那、僕は、イントロの伴奏をハミングで「アーアーアー」と歌いながら、ギターで伴奏した。が、声がうわずっている。高音がかすれる。透き通る声にならない。と思いながら「♪ においいやさしいしらーゆりの、、、」歌い始めた。歌ってる最中も、声がうわずっている。あれだけ練習したのに、と思いながら、歌い終わった。エンデイングを、また、ハミングとギター伴奏で、「アーアーアー」とやった。終えた。静かな拍手が、起きた。稲穂畑に吹いた風が稲穂を揺らすような拍手だった。

 3時間後。審査結果発表。

エントリーナンバー29番は、10人の中にも、特別賞の5人の中にも、なかった。少なくとも、特別賞の5人の中には、当然入るだろうと、思っていた。が、なかった。目の前が真っ白になった。2年前、びっくり仰天して、大喜びしたのと同じように、今度は、びっくり仰天して、谷底に突き落とされたようだった。今年は、妻は、来なかった。年金暮らしの僕達には、二人分の宿泊、旅費は、大金だ。今年は、賞金をもらってくるぞ、と意気込んで、新幹線に乗ったのだった、が・・・・。がっくり、落胆した。客席の皆が僕を見ているような気がした。その客席から、僕は、壇上の15人の表彰を見た。屈辱だった。決勝大会、どころか、もう終わってしまった・・・!

 しょんぼり、会場を出て、喫煙所に行った。タバコをふかして、いたら、涙が出てきた。前で、やはりタバコをふかしていた、茶髪の中年女性がいた。見覚えのある顔だった。確か、出場者のひとりで、琴を弾きながら歌った人だ。2年前は、ピアノで弾き語りをし、ジャズ風に歌った人だったから、はっきり覚えていた。僕は、くるりと身体を回して、その女性に背を向けた。そして、二本目のタバコに火をつけた。しばらくして、又、向きを変え、灰皿にタバコをもみ消した。するとその時、その女性が、

「確か、一度出られたでしょ、ギターの音は、いいですね・・」

 と、僕を見て,言った。きょとんとしている僕を見て、また、言った。

「私は、北上夜曲が好きで、毎年、出るのが楽しみなんですよ」

「あー、琴で歌った方ですね。前に、ピアノでも・・・」

「はい、あなたのギターを、聴いて、今年は、琴で挑戦してみましたのよ」

「アー、そうでしたか。嬉しいな」

「あのね、制限時間70秒でしょ。あっという間ね。あなたは、かなりオーバーしたんじゃない。ああいうの、審査員の方、厳しいんじゃないかしら・・」

「はっ?」

そういえば、今年は、工夫をした。イントロ、とエンデイングを入れた。歌は、60秒はかかる。イントロとエンデイングで、60秒。あわせて、120秒。大幅な、制限時間オーバー。ウーム・・。2年前は、イントロもエンデイングもなし。マイクの前に立って、すぐ歌いだした。途中、ギター伴奏は、2ー3箇所、ポロン、ポロン、弾いただけ。ほとんど、「あかべら」だった。会場に来て、もらった冊子のプログラムの中に歌詞と楽譜のページがあった。そこに、ギターコードが記されていた。が、弾けないコードが目だった。だから、弾けるコードのところだけしか弾かなかったのだった。が今年は、コードは全部弾ける。 Am.Em.B7.に決めた。イントロ、エンデイングは、楽譜どうりにやった。なのに・・?    制限時間、、、かな。  でも、なんと言ったって、審査員の耳に止まらなかったのだから、心に届かなかったのだから、制限時間もへったくれもない。いいものは、いいんだ、から。と僕は、思った。

 茶髪の、ちょっとお茶目な、一風変わった、その女性が、一枚のB5版の紙、を僕にくれた。

 左のページに、北上夜曲の譜面-あのプログラムにあったのと同じ譜面が、右のページには、縦書きの、歌詞が、6番まで印刷されていた。そして、そのページの一番上に」《スナック「北上夜曲」-北上市諏訪町・・Tel・・・・・》と印刷されている。

「どちらに、お泊りですか」

「駅前の、グリーンホテル北上、です」

「あら、あそこからなら、歩いて、15分くらい、です。私のお店は。よかったら、いらしてください」

「はー! 北上夜曲、っていうお店なんですか。へー。じゃー、気が向いたら、行きます。」

と僕は言って、僕の名刺、山中一平、をお返しにあげた。

 

 その夜、僕は、ホテルから歩いて、「北上夜曲」へ行った。茶髪の、ちょっとお茶目な、一風変わった女性は、そのスナックのママさんだった。ビールで、残念乾杯をして、飲んだ、飲んだ、飲んだ。自棄酒になった。店には、ギターが立てかけてあった。ママさんは、ギターを持ってきて、北上夜曲を,もう一度、歌ってください、お客さんに聞かせてあげてください、と言う。すっかり落ち込んでいた僕だったから、歌いたくなかった。でも、ギターを持たされ、て、ポロンと弾いたら、自然に、声が出てきた。声が通る。舞台で歌ったときが、嘘のように。そして、何かほかにも、歌って、と言われて、コードを見なくても歌える曲を歌った。「悲しい酒」「月の砂漠」「北の国から」♪

 ママさんは、大学を卒業して社会人になった息子を、女手ひとつで、店をやりながら育ててきた人だった。どうも、僕の妹ぐらいの齢らしい。50代半ばぐらい。本当に、北上夜曲が大好きな、ここ北上の人だった。もう、何十年も、ここで店をやってきたという。この、「北上夜曲歌唱コンクール全国大会」は、北上市上げての、秋の一大行事だ。市の教育委員会、商工会議所、観光協会、芸術文化協会の主催だ。この店は、主催者の方々も、よく出入りしている、と言う。

 恐れ入りました。「北上夜曲」というスナック。そこのママさんだったとは。琴を弾いて、歌ったり、ピアノでジャズ風に歌ったり。確か、舞台の上では、裸足だった。お茶目で、一風変わった、茶髪の、歌好きの、お母さんママさん・・・。

僕は、すっかり酔って、千鳥足で、北上の深夜の町を歩いて、ホテルに帰った。店を出た時、ドアの外まで、ママさんは出てきて、

「また、来年、お会いしましょうね」

と僕に手を振った。あんなに飲んだのに、これでいいのかと思うほど、の勘定だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一年を振り返って。「人」

2007-01-15 14:27:24 | Weblog

 

 」といえば、

僕は、「出会い」という言葉が浮かぶ。

 昨年(2006年)、出会った人で、僕にとって、大切な人が、いる。61年間、全く知らなくて、昨年、知り合った人、です。

 

○宮原昭夫さん。

 僕は、57才で、小説家を志して、小説の作法を、手探りで、模索してきました。素人ですから、全く、書き方が判りませんでした。書いては、応募しましたが、全く返事はなし。何処がいけないのか、がわからない。4年ほど、所属している読書サークル、社会人読書会「現代文学の窓」に、講師で来られた、ゆりはじめ氏、との出会いが、朝日カルチャー藤沢「作家に学ぶ小説作法」の講師をされている宮原さん、との出会い、のきっかけになったのでした。

 一昨年の晩秋の読書会。「太宰治の生と死」が、読書会の、テキストでした。著者の、ゆりはじめ さん、を招いての会でした。この作品についての感想は、一昨年の暮れぐらいの僕のブログで書いてありますので、ここでは、触れません。2次会で、僕は、自分で書いた作品を、ゆりさんに読んでくださいと、お願いしました。読書会の代表者、高橋惣一さんが、後押ししてくださって、ゆりさんは、読ませていただきます、と受け取ってくださいました。

 それから、1ヶ月ほどして、ゆりさんから、お電話を頂ました。「お話したいことがあるので、お会いしましょう」。飛び上がるほど嬉しかったのですが、妻が、正月に、銭湯で倒れ、脳梗塞の疑い有りとのことで、入院検査をしなければならない状況でした、ので、事情をお話したら、電話で、お話しましょう、と言われました。

「あなたは、力もある。本を出したことがありますか?」

「ありません」

「がんばって、書いてもらいたい、と私は思う。私の友人で、筆力は間違いない人がいる。その人に紹介するから、そこで、磨きなさい。」

「はい。ありがとうございます。今は、ある女学校の講師をしてますので、時間が取れません。が、3月までですので、4月から、そういたします。」

 

 というわけで、僕は、昨年の四月、藤沢にある朝日カルチャーセンターの「作家に学ぶ小説教室」の門を叩いたのでした。

 9ヶ月、通いました。月2回、第1、第3土曜日の午後。今まで、ぼんやりしていたことが、はっきり,見えてきました。この4年間で書いた、僕の作品を、提出し、講評していただき、アドバイスも頂きました。

 宮原先生は、全くの初心者の作品であろうと、小説として、完成度の高い作品であろうと、作者に、同じように向き合い、読んでくださり、講評しアドバイスをしてくださいました。提出作品は、まず、受講生が合評します。全員、ひとりひとり、読後感やら、小説の出来ぐわい、など、自分の意見、評価を述べます。一作品について、一時間ほど。いろいろな意見や感想、質問が飛び交います。次に、次回の教室で、先生が、その作品についての講評、分析を、一時間間かけて、じっくり、過不足なくしてくださいました。僕は、今、やっと、小説の「山」の入り口に立てたんだ、と思うようになりました。今まで書いていたのは、小説の手前の作業、だったんだ、ときずかされました。

 今年は、小説の「山」を登ろう、と、入り口にたたずんで、上を仰いでいます。まず一合目まで、行こう。頂上は、雲の上の上で、いまだ、姿が見えませんが、じっと、目指して、歩けば、雲が晴れることが、きっと、あるはず。そのときを逃さぬよう、日々精進、しよう、と思っています。

 先生は、今、74才です。40才の頃、「文学界新人賞」、そして、「芥川賞」を受賞されておられます。僕より12才、ちょうど、一回り、先輩です。が、精神、心、がシャンとして、ユーモアとペイソス、にあふれ、お元気です。僕も、12年後は、先生のように、シャンとして、小説を書いていたい、と思います。

 

 つづく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一年を振りかえって「人」

2007-01-15 14:15:27 | Weblog

 

 教室の受講生の皆さん、との「出会い」も、ありました。

 宮原門下生、20人との交流で、さまざまなことを知り、学び、元気をもらいました。

 僕が出会った門下生の面々は、さまざま、でした。

年齢は、一番若い人は、20代の男子学生さん、最長老、は80代の素敵なおばさん。40代、50代、60代、70代、と各年代が、いる。50代と60代が一番多い。男女も、半々。

 生まれや、育ちは、日本中に散らばっている。九州から北海道まで。でも、関東が多いかな。

 学歴も、さまざま。高校卒の人。大学院まで行った人。大学も、国立の東大、北大・・、私学の6大学・・女子大・・と。

 職業は、これまた、いろいろな分野にまたがる。裁判所で働いていた人。IT分野の会社で。昔、放送局で。翻訳業に携わっている人。銀行で。学校で。福祉関係で。現役の警備員。職業経験を持つ主婦、と。

 老若男女の種々の職業の人、日本各地のそれぞれの風土で育った人、20人が、「宮原昭夫さんの小説作法」を学ぶ、教室に集まった。「小説を、書きたい」という願いを持った人々。その一点で、たまたま、集った人々。

 その人々が書いた作品を読み、感想や意見を交換し、いろいろな感じ方や見方、を知りました。又、作品の読み方、も変わってきました。自分ひとりでは、わからなかったことでした。

 今年は、僕は、しばらく、教室を休んで、1人になって、書こう、と思っています。学んだことを作品として、結実させたい。何処まで出来るか不安ですが。僕は、不器用な方なので、そういう歩き方しか、できないのです、きっと。

 又、教室で出会った、小説を書いている仲間達と、切磋琢磨できる日まで。   

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一年を振り返って「人」

2007-01-13 17:22:47 | Weblog

 

 1昨年の11月、知り合った人が、昨年の、11月亡くなりました。その方とは、5ヶ月間、一緒に仕事をしました。僕と、ほぼ同じ齢です。びっくりしました。

 

○深川和正さん

 僕が、彼の訃報を知ったいきさつは、こうでした。

 昨年の11月の第1土曜日。正午。僕は、「小説教室」へ向かう途、藤沢行きの電車の座席に坐って、移り行く車窓の景色をぼんやり眺めていました。ふと、僕の左斜め向かいの座席に坐っていた、女学生が、僕のほうを見て、お辞儀をしている。僕に対してだ、とは思わずに、僕の右手にいる誰かが、知り合いなのだろうと、思って、又、目を車窓に移しました。ふと、左手を見ると、又、あの女学生が、お辞儀をしている。あれっ?僕に向かってしているようなのです。僕は、その女学生、女子高校生をよく見ました。目が合いました。女学生の目が僕を見て、又お辞儀をしました。見覚えのある顔でした。あっ、あの女学校の1年A組の授業の、窓側の一番前の席に坐っていたあの子、だ、とわかりました。僕は、席を立って、彼女の席の前に立ちました。

「あー、先生」

「やー、ひさしぶり。みんな元気かい。S先生も元気かい」

「先生、あのー、校長先生が、1昨日、脳梗塞でなくなられ、今日、告別式だったんです」

「ええええーーー!」「ほんとうにーー?」

「私達も、みんな、びっくりしました。今、文化祭の最中なんです」

 

 彼女はそれを僕に伝えたかったのかもしれません。何度も、お辞儀をした彼女。授業中、指名すれば答えるといった程度の、先生と1生徒でした。

 というわけで、昨年の3月、僕が退任して、始めて電車の中で会った女生徒から、深川さんの訃報を聞いたのでした。

 

 1年前、その女学校に面接に行った時、僕は、初対面の深川さんと向き合って、ふと親近感を持ちました。何故だか判りません。きっと、僕の大学以来の親友の西村君-立教高校の英語教師をしている-に顔や雰囲気や口調が似ていたからかもしれません。随分あてにならない直感だ、けれど、本当なんです。

 1ヶ月の臨時契約が、結局、5ヶ月、働くことになりました。その間、深川さんと、週に1回は、顔を合わせ、話しあいをしました。仕事上何かがあって、精神的に疲れて、学校に来なくなってしまった若い女の先生の授業のピンチヒッターとして僕は臨時採用されたのでした。女先生の心の状況、健康状態、勤務状況、復帰の可能性、等等、を見ながら、やがては、女先生が授業に復帰するまで、女先生の授業を僕が担当する役割だったのです。女先生が学校に来るようになり、時々、僕に変わって授業をしましたが、続かず、結局、僕が、3月の学年末まで担当したのでした。女先生は、イギリス仕込の英語の力は、抜群で、授業も上手でした。事務能力もある。けれど、きっちり屋さんで、妥協を許さない所がある。生徒にも、仲間の教師にも。ひとりよがりで突っ走るところもあるかも。その辺で、つまずいてしまった、のではないだろうか、と僕は、感じました。そこを、彼女が、克服というか、ひとまわり成長すれば、いい先生になる、と思いました。深川さんも、そこは、見抜いておられました。そして、暖かい目で、まだ、可能性のある若い女先生を見守っていたのでした。3月、僕は、女学校を後にしました。

 校長室で、コーヒーをご馳走になり、

「本当に、無理ばかりお願いして、すみませんでした。本当に、助かりました。又、先生達が、失礼をしたかもしれませんが、そこはおゆるしください。」

「いいえ、よい勉強になりました。よい経験をさせていただきました。又、いつでも、声を掛けてください。いつでも、お手伝いします。」

「本当に、ありがとう」

と言って、深深と頭を下げました。頭のてっぺんの所が少し禿げていました。そして、僕が、校長室を出ると、深川さんもドアの外まで出て、玄関から僕が出るまで、僕を見送ってくださいました。玄関で、僕が振り向くと、軽く手を上げて、又深深とお辞儀をされました。

 それが、深川さんの、僕にとっての最後の姿でした。

知り合って、まだ一年目、なのに、又、深川さんのお手伝いが出来る日が、来るだろうと思っていたのに。

 

 1年余り前、面接の席で、校長先生は、僕の履歴書を見ながら、僕に、言いました。

「今は、小説を書いておられる。路上弾き語り、とありますが、、、路上で歌うんですかね・・?」

「はい、大体、駅前が多いんですが」

「あのー、すみませんが、本校で教壇に立っている間は、その、駅前とか、路上で、歌うのは控えてくださいませんか。今の生徒は、先生が、路上で、歌ってたとなると、ケイタイメールが飛び交って、大変なことになります。特に、女学校ですし、、。」

「はっ、わかりました」

 5ヵ月後の3月20日。離任式。体育館。1,000人の女生徒が一同に坐っている。壇上で、離任する先生が順に挨拶をする。10人目が僕。僕は、ギターを持って、壇上に立ち、

「短い間でしたが、皆さんと楽しい時間でした。お別れに、歌を歌います。」

 と言って、僕は、

♪Amazing grace,How sweet the sound,That saved a wretch like me,I once was lost,but now I'm found,Was blind but now I see.

♪俺の心に響く声、俺の砕けた心、響く見えないあなたの声、俺の心が震えた。

 と、ギターを弾きながら、歌って、

 「皆さんは、この学校生活で、光、を見つけてください。光は、聖書の中にあると思います。お元気で。」と挨拶した。

 

 その6日前の3月14日、教科会儀、学年会に出て、これで、終わりだ,帰ろう、と思ったら、校長先生がお呼びです、と言われ、職員室の奥の会議室のドアをノックしたら、深川さんが

「あー、どうも、ありがとうございました。20日、終業式に離任式をするので、一言挨拶してくださいませんか」と言う。

「はあ。じゃー、先生、ギターでお別れの歌を歌ってもいいですかね」

「いやー、聞かなかったことにしとくよ・・・・」

 

 壇上で、僕が、ギターなんかもって、歌ったことを、深川さんは、どう思われたのだろう。今は知る由もない。あんなことしちゃったら、先生方ゃ生徒の手前、もう僕に声は掛けられないですよね。深川さん、ごめんなさい。ああーあ、又、やっちゃった。 

 「聞かなかったことにしとくよ・・・・・」。

 

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一年を振り返って「人」

2007-01-13 17:19:59 | Weblog

 

 ○僕の町の、校長先生

 秋-食欲の秋。文化の秋。スポーツの秋。読書の秋。秋は、気候が、そう呼ばせるのでしょう。

僕が住む町では、秋に、町民の文化祭が、自治会主催で行われています。10月最後の日曜日。場所は、近くの、「小学校の体育館」。

 町内の小学生の鼓笛隊、中学生の吹奏楽、老人会の歌や日本舞踊、などの公演、や、絵画、書道の作品、手作りのいろいろな作品展示、フリーマーケット・・など。

 その公演に、僕は出演しました。

 あと、20分で、僕の出番。そわそわ、ドキドキ、トイレに何回も行く。中学生吹奏楽部90人が「涙そうそう」を演奏している。体育館中に、重厚な音が響きわたる。体育館全部が震えている。聴衆がシーンと聞き入っている。あー、いい音だ。

 出番が、来てしまった。舞台に上がって、高いところから、見下ろす。人々の顔顔顔、頭頭頭・・・・。スーッと、心が落ち着いた。それまで、うまく歌おうとか、失敗せずにやろう、と思っていたのに、そんな思いが消えていた。顔顔顔・・を見たら、心が居直って、この聞いている人の心に飛び込もう、と言う気持ちになった。

 ギターの弦を指で弾いた。キーン、キーン、弦が糸のような音を、体育館に響かせた。僕は、その音が、消えるまで、聞く。間をおいて、ハーモニカを吹きはじめる。ハーモニカがメロデイを、ギターがポロンポロン、メロデイを支える。間をおいて、歌いだした。僕の、歌声が、ギターの響きと共鳴して、体育館の空気が虹色になる。僕を見つめる、瞳、鼻、顔、。

 

 ♪♪菓子パン一個の暮らしにどうにか終わりを告げたくて、目黒のイタリア料理屋で働くことにしたんだ。

 バイトの面接緊張していた僕の目の前で、「夢を捨てちゃいけねーぞ」と、ささやくシェフがそこにいた。

 一生懸命やることさえも、汗水たらして働くことも、馬鹿にされてしまう世の中だから、人は素直になれなくて。 

 慎太郎、いつもの、いつものやつ、歌ってくれ、お前を、皿洗いで雇ったわけじゃない・・・・・・・・・・・・・・・・・♪♪

 エプロンはずしたシェフの横顔は、親父の顔になる。二人の子供と奥さんの話するとき目がたれる。

 「生き方にレシピはねーんだよ」って言って方を叩いた後、ごまかし笑って、湿った夜空を、さびしく見つめてた。

 一生懸命やることさえも、汗水たらして働くことも、馬鹿にされてしまう世の中だから、人は素直になれなくて、

 慎太郎、いつもの、いつもの歌、歌ってくれ、お金を稼ぐって事は大変なことなんだ。

 一度や、二度くらいの失敗が、どうしたんだ、雨にも、風にも負けない心を持て、心を持て。♪♪

 「一平です。今歌った曲は、工藤慎太郎さん作詞作曲の歌で、《シェフ》でした。次は、大切な人が、死んでしまって、悲しみにくれている人に、聞いてほしい歌です。千の風になって

 ♪♪ 私のお墓の前で、泣かないでください。そこに、私はいません、眠ってなんかいません。

 千の風になって、千の風になって、あの大きな空を、吹き渡っています。

 秋には、光になって、畑に降り注ぐ。冬は、ダイヤのように、きらめく雪になる。

 朝は、鳥になって、あなたを目ざめさせる。夜は、星になって、あなたを見まもる・・・・・。

 死んででなんか、いません、あの大きな空を、吹き渡っています、あの大きな空を、吹き渡っています。♪♪

   ポロン、ポロポロ、ポロン、ポロン、

   ポロ、ポロ、ポロン、ポロロン♪ 

 

 畑の稲穂を、揺らす風のように、拍手が、起こり、体育館に、響いた。ありがとうございます、と本当に思い、言った。拍手の中を、ギターを担いで、壇を降りた。

 僕の父と母が、聞きに来てくれた。二人とも89才。親不孝息子は、ほんの少し親子孝行が出来た。

 それから、1時間後、父と母は、疲れたらしく、帰る、と言う。一緒に、来た妹が、お兄さん、二人とも、疲れたみたいだから、帰るわ、と言いに来た。僕は、父と母と妹の後について、体育館の出口に向かった。出口付近に差し掛かった時だった。

「あの、一平さん、でしたね。」

「はあ。」

「あの、歌、NHKで放送してましたのを、つい数日前に見ました。いい歌ですね。私、こういうものですが・・」

 と言って、僕の前に、一枚の名刺を差し出した。背広にネクタイ姿の、紳士風の男。スッキリした顔立ちで、ハンサム、瞳が涼しく、落ち着きのある人だった。僕は、好感を持った。

 名刺には、「○○中学校校長・・・・・・・・」と、書かれてあった。

「ハア、校長先生、ですか・・」 僕もGパンのポケットから、山中一平の名刺を、出して、

「これ、僕です。よろしく」と言った。

「今度、学校の、文化祭で、あの歌、歌ってください」

「えーーー、学校でですか?・・・」

「はい」

「えー、じゃ、是非」 

「今度、学校に、お茶でも飲みに、来てください。私もギター、昔、少しやったんですよ。懐かしい響きでしたよ」

 

 それから、一ヶ月ほどして、散歩の途中、中学校の校庭をのぞいたら、上下ジャージ姿のおじさんが、長靴はいて、生徒達と、植木畑になにやら植えていた。しばらく僕はその様子を見ていた。すると、そのおじさんが、腰を上げて、僕の方を見た。そして、首を僕の方に突き出して、

「ああーら、一平さん」と言った。

なんと、あの校長先生、でした。 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一年を振り返って「季節」-11月、12月

2007-01-10 13:43:17 | Weblog

 

*秋深し、書斎の窓に、黄金の枯葉舞う。 (Nov.7)

 

*朝日を浴びた枯葉が、赤く輝く。書斎の窓から見える、病院の桜の木。妻が札幌の定山渓病院へ出かけた。父親がもう3年、そこに入院生活している。母が、お父さんが妻に会いたがっている、と言ってきたからだ。バス停まで送った。バスの中から手を振って、妻は、旅立っていった。今頃は、バスが西口に着いた頃かな。(Nov.9)

 

*急に、日が射してきた。嵐が去った、のか・・。窓を開けると、黒い雲と青い空が、くっきり、はっきり、分かれている。ワイフは、今夜、帰浜の予定だが、天気予報では、札幌は大雪。飛行機が飛ぶだろうか。(Nov.12)

 

*めっきり寒くなった。晩秋から冬への代わり目の時期か。正月、年の瀬が、グイっと近づいてきた。今年も、あと1ヶ月半。     (Nov,14)

 

*出会った、いくつかの「朝の風景」をスケッチ風に書いてみたい、と、ふと思った。

 ○軽音楽部の夏合宿、北志賀高原の朝。20年間、毎年4泊5日。

 ○バスケット部の夏合宿、野沢温泉の朝。10年間、毎年一週間。

 ○六浦高台の朝。

 ○乙艫の海辺の安アパートの朝。

 ○先生生活30年の、出勤前の朝。出勤風景。

 ○イギリス、ロンドンでのNey宅の朝ー妻と英語研修で4週間滞在した家庭。

 ○シドニー、Lawson宅での朝ー生徒のホームステイ英語研修引率で、3週間滞在した家庭。

 ○文化祭で、学校に泊まって、迎えた朝。

 

*雨が降っている。晩秋の雨は、冷たい。今日は、明日の弾き語りのリハーサルをやり、録音して、聞いてみて、修正工夫しよう。「シェフ」「Amazing Grace」「賛美歌」「千の風になって」「あざみの歌」「赤い靴」・・♪  (Nov.19)

 

*あめ。どんより、重苦しく、空は灰色。霧もたちこめ、寒そう。

 さあ、一平のギターの時だ。このときを与えてくださり、ありがとう。深呼吸をして、体を伸ばして、祈って、歌おう。   (Nov.20)

 

*床に就いた。外は雨が降っている。晩秋の冷たい雨。1人ぽつんと、ガランとした家に暮らすことになったS君は淋しいだろうな、と雨の降る音を聞いて思った。神さま、彼をお守りください。(Nov.23)

 

*昨夜の雨の音が耳元に残っている。書斎の窓を開けたら、病院の桜の葉の鮮やかな茶と赤色が目に飛び込んできた。風が冷たい朝だ。朝日が当たって、キラキラ光っている。これからは散るばかり、という風情。寒い。窓を閉める。風がうなってる。(Nov.24)

 

*スカッと秋晴れ、枯葉舞う。昨夜の、刺すような冷たい風が吹く中での露天の湯。秋も終わりだ。冬来る。(Nov.25)

 

* ピッ、ピッ、ピッ、ポーン。

  ホテルのロビー。早朝6時。外はまだ暗い。海に反射する町の灯がユラユラ揺れている。こんな時報は、遠い昔に聞いて以来だ。ホテルの係員が、新聞を3,4紙、綴じたのを新聞棚に設置しに来た。

 「あの時報は、テレビじゃないですよね」

 「ラジオですよ」

そうか、ラジオの時報だ、あれは。少年の日に、まだテレビがなかった頃、聞いた音だ。北国での少年の日の朝が蘇ってきた。

 -妻と、一泊5500円の、海辺のホテル、の新聞広告を見て、行ってみようとやって来た、ホテルのロビーで、翌朝、早く-(Nov.27)

 

*雲が美しいなあ。絣模様の雲、だ。

 そういえば、神奈川新聞文芸コンクールで、最優秀賞の、83才の岩本清さんの小説、「聞き役家業」は面白かった。その中に、雲に詳しい老人が出てきたっけ。ああいう風に、徹底して書かなきゃ・・・なあ。「絣模様の雲」っていう表現は、教室の先輩である、原雅子さんの パートナー という作品の中で使われていた。まだまだ、修行が足りん。(Dec.11)

 

*枯葉が、ほとんど散って、裸になった桜の木の梢が冬空に、さらされている。  (Dec.13)

 

*筆で真横にひと書きしたような雲が、幾重にもなって、枯れ木の梢の上に浮かんでいる。10分ほどすると、その雲が集まって、太い帯になった。墨絵のような空。枯れ木の梢が矢のように天に突き刺さっている。地平線沿いだけが、細く、うっすら青くなった。刻々と変わる雲と空。 (Dec.19)

 

*晴。寒いけれど、陽射しがポカポカ暖かい。今年の我が「落書き、ガラクタ日記帳」を12月から9月まで読みかえしてみた。こりゃ,てえへんだ。一日二日じゃあ、おわらんぞー。   (Dec.28)

 

 季節」は、これで、おしまい、です。一年間、僕の五感が、感じた季節、です。

 僕の、季節や気候、の記述で、夏の季節の記述が、とても少ない、ことに気ずきました。何故だろう。春、秋、冬、に比べて・・・・・・・・。

 少年期に、北海道の、雪の深い山の中で育ったこと、も関係があるかもしれません。そういえば、4年前、藤沢周さんの講演-「自作、箱崎ジャンクション、を語る」-を横浜近代文学館へ聴きに行ったとき、講演の中で、藤沢周さんが、「僕の、根っこは、《海》《雪》《無》だ、と思います」といっておられた。新潟の海辺で育った藤沢周さん。僕は、そのとき、もしかしたら、僕の、根っこ、は、《山》《雪》《無》かもしれない、と思いました。2年前、同じ横浜近代文学館で、辻原登さんの講演-「自作、枯葉の中の青い炎、を語る」を聞きに行ったら、講演が終わって、会場でばったり藤沢周さんに会った。僕のことを覚えていてくださり、辻原さんの控え室へ連れて行ってくださった。僕は、かしこまって、お二人の横に坐っていた。30分ほどして、藤沢周さんが、「じゃ、私は、これで」と席を立った。僕も、「では、失礼いたします」と席を立った。周さんと僕は、中華街まで歩いた。で、中華料理店に入った。周さんにビールをご馳走なった。

 あれから2年。周さんに読んでいただけるに足る小説を、早く書けるようになりたい・・・。

 それと、空、風、光、雲、空、樹、花、の記述が、ほとんどで、星、月、がない・・・?。年齢、かな。

 地球上で、一年に、四つの季節を味わえる場所は、そんなにない。それに、日本は、島国。北は、北方領土から、南は沖縄諸島、に四つの島。その、ちょうど中央に位置している横浜に、僕はいる。横浜のこの町が、僕の居場所。ここから見た、春夏秋冬、でした。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一年を振り返って「季節」9月、10月

2007-01-09 15:37:27 | Weblog

 

*風が開けた窓から、筆を取る手や腕をなでる。襟が開いたパジャマの胸の肌に当たる。涼しい。秋の風だ。セミが鳴いている。涼しい風の中で聞く、このセミの声は、夏が一歩退いたことを告げているようだ。涼風が肌をなでる。秋が来たんだ。新しい風が吹いてきたんだ。秋が来た。秋が来た。遠のいてゆくセミの鳴く声。吹いてくる涼風。この秋を、しっかり捕まえよう。(Sept.2)

 

*虫が鳴いている。細い糸のような音の合奏。鈴虫だ。時折、涼しい風が肌をなでる。太古の昔から吹いてきた風のような気がした。この風に吹かれよう。(Sept.5)

 

*夕5時。天竜川沿いの、黄金色の稲穂畑と白いそばの花畑。

 中央アルプス、赤石山脈、南アルプス、木曽山脈にはさまれた地域の伊南盆地。そこを、北村君の車で走っている。連山の陵が、高い空を切っている。剣のように。雲が紺色のシルエットの山々にかかる。永井君の「山水亭」に着いた。すでに、大和、前川君は、到着していた。

 大学を卒業したての頃の、新年会での、抱負を録音したテープを北村君が持ってきた。39年前の。皆で聞いた。思えば、遠くへきたもんだ、と皆、息を飲んだ。授業料値上げ反対闘争で、生まれた絆が、もう39年続いている。皆、第2の人生。僕以外は皆、大企業のトップを走ってきた。永井君は、退職後は、奥さんと「茶道」を教えている。大和君は、退職後、植木職人。北村君は、大手企業を、就職して数年でやめ、父親の家業、カーネーション栽培を今も続けている。前川君は、会社から引き止められ、いまだ現役。今回、集合したのは、5人だが、全員で12名。大和君が言い出した。40周年になんかやろう、じゃー、永井の「山水亭」で、一泊で話し合うか・・・。

 皆寝た。永井君と二人だけ。僕1人だけ湯に入っていなかった。彼が湯を進めてくれた。湯船に浸かったら、すぐ耳元で鈴虫が鳴いている。冴え渡った空気を貫く音色。

 寝室の布団にもぐる。大和のいびきが、あい変わらず、でかい。北村、前川のいびきと競合して、部屋中、ぐーぐー、すーすー、ぐぐぐぐーーー、ぐぐぐぐー。

 翌日、駒ケ岳の千畳敷を歩く。チングルマ。トリカブト、カラスの頭、とも言うそうだ。皆でソースカツどん、食って、奥さんが玄関に並べておいてくれた、永井君の畑で取れた、ネギとなすを土産にもらって、皆、袋をぶら下げて、山水亭を後しにした。(Sept.10-11.駒ヶ根、赤穂)

 

*秋晴れの朝。カラッとして、涼しい大気。青く澄み渡る空。(Sept.16)

 

*白い雲間に、高い青い空が顔を出している。弱弱しくセミが鳴いている。

「永遠を見る眼差し」

=言語にとって美とは何か=吉本隆明。昨日見た、NHK、アーカイブス「あの人に会いたい」で耳に残った言葉が、なぜか、ふっと聞こえた。正午。(Sept.19)

 

*風が冷たい。ピュー、っという音がする。秋は深い。向こうに冬の気配がする。(Sept.26)

 

*台風が大雨を、作日一日中、夜どうし、降らせた。朝、目ざめたら、カーテン越しの窓ガラスが青い。久しぶりに見た、青さ、だ。嵐が通り過ぎたんだ。歯が、まだ痛い。昔の職場の仲間達と今日山荘に行くことになっていたが、ここ数日の歯痛のため参加を取りやめた。昨夜も、台風で、どうなるかな、と思っていたが、なんと、秋晴れ、だ。これは。

 僕以外は、皆、日ごろの行いがいいんだな・・。(Oct.7)

 

*「体育の日」。快晴。外気に触れたいと思った。窓ガラス越しの四角い空は、雲ひとつない青一色。ジャージに着替えて、外に出る。暑くもなく、寒くもない。涼しい、というわけでもない。乾いた透明な大気。陽射しが、空中ではじけている。空き地のススキの穂が風に揺れると金色に輝く。

 散歩から戻って、本棚の、一年前に買った「千の風になって」の詩集を手に取り、パラパラ開めくった。いつか歌いたいと、楽譜が出ているページが折り曲げてあった。ほとんど音符は読めないのだが、聞き覚えがあるメロデイーを思い出しながら、音符をたどったら、歌えた。ギターを手に取り、コードを弾いてみた。弾き歌えた。!♪!!!ええー、歌えるぞ!あるとき、ふっと、弾ける、経験をいくつかしてきた。あきらめないでよかった。(Oct.9)

 

*のどかな朝。柔らかな空気。のんびりした陽射し。ふんわり綿のような雲の間に、うっすら青い空。

 夜。鈴虫が鳴いている。しきりに鳴いている。ヒヤッとする風。    (Oct.11)

 

*くもり。風涼し。が、冷たさを内包する風だ。晩秋の風。  (Oct.13)

 

*くもり。肌寒い。涼しい、という感じは、もう何処にもない。   (Oct.15)

 

*晴。小春日和。薄青い空。ぽっかり浮かぶ雲。日差しが透明な空気にはじけている。のどか。風がない。

 今夕、慎太郎師匠のコンサートだ。  (Oct.17)

 

*スモッグにうっすら覆われた灰色がかった、どんより青い空の下、陽射しが、前の家の白壁に反射している。(Oct.19)

 

 

*風が冷たーい。あー、冬がくるな。北国じゃ、初雪を見る頃だ。(Oct.24)

 

*晴れ。二日酔い。歯をかみ合わせると、左の下奥歯が、キンと痛む。ほほ、こめかみ、の辺りは、ポッ、ポッ、ほてる。(ct.26)

 

*晴。秋の風、肌に当たり、冷たくもなく、涼しくもなし、心地よし。風の中に、冬到来の予感。

 ありがたし。一平にギター、人様の前で、弾き歌う。ひとつ♪、藤沢市民会館ホール。200人の前で、「北上夜曲」をギター、一本で、歌唱指導。宮原先生、ありがとう。

 もうひとつ♪、常盤台小学校体育館。100人の町民の前で、「シェフ」「千の風になって」を弾き語る。

 夢のようだ。舞台に上がるまでは、汗が出るほど緊張する。何度もトイレに行く。が、舞台に立つと、スーッと、気が落ち着き、よーし、この人たちに、ギターで、僕の声で、この詩を伝えよう、と思うと、指が動き出す。信じられなーい。  (Oct.30)

 

*NHK テレビ「俳壇」から短歌4首。

 大雨のあと かぐわしや 秋高し

 秋晴れの 今校舎は レストラン

 秋晴れの 海峡 十分間の帆

 ナナカマド 今年は今年の赤     

 

・・・つづく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一年を振り返って「季節」-6月、7月、8月

2007-01-09 12:03:58 | Weblog

 

*くもり。涼しい。チュンチュン、すずめが鳴いている。(May.5)

 

*外は雨。梅雨入りか。

 この季節に、こんな出会いが待っていたとは・・!奇蹟が起きた。「信じて待つ」それが実った。S君が、始めてクラス会幹事の名乗りを上げ、あの苦しい状況の中で、クラス会を立ち上げ、明日、そのクラス会が開かれる。

 信。望。愛。忍。(May.9)

 

*雲多し。晴れ。散歩体操をした。シャワーを浴び、野菜ジュース一杯、コーヒー一杯にタバコ。ペンを取る。起きたら、「散歩体操」を励行しよう。先生時代は、毎朝、「走って体操」してたのに、このごろは、たまに、だ。あかん!健康第一。小説を書き、弾き語りがしたいなら、まず、健康だ。もう61、なんだぞ。でもまだ、61才。90才、100才の、先輩から見たらヒヨッコだ。そういう先輩に見習いたい。年齢に関係なく、「脳」は再生される、と、90歳現役の、聖路加病院長の医師、日野原、さんが言っていた、ような気がする。テレビで。(May.24)

 

*雨上がり、涼しい風が窓から顔にあたる。よく眠れたが、胃が少し重い。タバコが、いがらっぽくまずい。まずいのに、吸ってる。(Jun.15)

 

*鶯が鳴いた。ホーホケキョ、ホーホケキョ。家の書斎で、聞いたのは始めてだ。一瞬、山里か、高原にいるみたいな錯覚がした。早朝の空気は涼しいから、余計だ。(Jun.28)

 

*空のいたるところに、もくもく、雲が立ち昇っている。もくもく、沸き昇っている。いろいろな形をしている。丸い空の氷山、大きな入道、馬鹿でかい岩、誰かに似ている大きな顔。(Aug.14)

 

・・・つづく。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一年を振り返って「季節」ー5月

2007-01-08 02:37:13 | Weblog

 

*書斎の窓から、隣家の屋根越しに、桜の木の梢が見える。ついこの間まで、裸の梢が空に向かって、何本もの矢が放たれたように、伸びていた。緑の葉がついたな、と思ったら、いまや、深い緑のうっそうたる森になった。新緑だ。(Mar.1)

 

*明け方。チュチュチュ、チチ、チチ、チュチュチュすずめ、のさえずり。黒かった窓ガラスが、灰色になっている。遠くで、アー、アー、カラスだ。クアー、クアー、グアー、グアー、近くを飛んでいった。窓ガラスの灰色が、少しずつ白くなってゆく。チュチュチュ。アー、アー。そして、一気に、明るくなった。日の出だった。時計を見たら、4時46分。

 昨夜、机に向かって、一度書いた小説の推敲を始めた。シーンと静まり返った夜中、街も、人々も、眠って、音のない音がする。宇宙の果ての音がする。無限の世界に、いる。僕は、自分が書いた小説の主人公になりきって、呼吸している。

 チュチュチュ、チチ、チチ、チュ、チュ、チュ。アー、アー、アー。ふと手を休めた。黒かった窓ガラスが、うっすら灰色になっていた。     (Mar.4)

 

*書斎の窓から、隣家の屋根越しに見える、桜の木の梢。葉がうっそうと茂ってきて、深い緑が日に日に濃くなる。「風かおる」「新緑の風」「緑深き」、、という言葉が口からこぼれた。

 志して5回目の新緑の風を迎えている「ペンとギター」。今、すべきこと、したいこと、しなければならないこと、出来ること、を全身全霊をこめて、すること。宮原師匠と出会えた。存分に学びたい。中途半端は駄目。厳しくトコトン。

一日一生。一日一筆。一日一歌。        (Mar.5)

 

●突然、時間を今に戻します。今日、2007年1月6日に届いた年賀状の中に、僕が先生になったばかりの頃、そう25歳だった頃、やはり、僕と同じく、たまたま同じ学校に新人の先生になった、甫守さんからの賀状があった。

 「一筆入魂。一歌入魂。1球入魂」

と書いてあった。甫守さん、ありがとう。

 彼は、僕の、心の恩人です。僕にキリストを教えてくれた人です。 

 

*ここ数日で、緑がめっきり深くなった。人家の庭に、街路樹に、近くの林に、丘の上の畑に、遠くの森に。庭の小さな木も、公園の大きな木も、道端の低い木も、小学校の校庭の高い木も葉をふさふさと付けて。土があるところ、草花が生え広がり。人家の石垣の隙間から緑の草が顔を出して。世界が緑一色。(Mar.5)

 

*霧っぽい白い朝。涼しい風。よく学び、よく食べ、よく飲み、よく遊んだ週末。聖日(日曜日)は、一日、ボーッとして過ぎた。アーメン。

 「人の小説を読んで、いろいろ分析する。登場人物、構成、時間の流れ、モチーフ、テーマ・・と。で、それが、自分の書く力に、どうしたらなるんですか。分析する方法は、やっとわかりかけてきましたが、・・・・?」

 「それは、ね、《俺なら、こう書く》だよ。」

と宮原先生が僕の質問に答えた。

 そうか!ぱっと、前が開けた。

 「つばを、ね、天に向かって吐くと、上に上がって、やがて、自分の顔に降ってくる、んだ。よね。」

 先生は、付け加えて言った。

 うーむ、なるほど、僕はうなってしまった。

                   (Mar.8)

 

*霧雨が今にも降りそうな大気。ヒヤッとした、涼しい湿った風が、ペンを握っている指先に、開け放った書斎の窓から流れ込んでくる。鼻水が出、つばを飲むと喉につっかえる。咳が出る。身体のだるさが続いている。昨日は、通院後、薬を飲んで、休養した。今日も、休養したほうがいいかな。「一平さん、こりゃ、品のいいカゼ、ですな」行きつけの町医者が言った。(Mar.9)

 

*晴れ。暖かい。雲の間に間に、うっすら青い空が見える。鼻水、喉のつっかえ、咳はしずまったが、その気配をとどめ、だるさは消えぬ。気力が萎えている。というか、出てこぬ。作家修行を2日、休んだ。(Mar.10)

 

*霧雨が今にも降り出しそうな、灰色の雲一色の空。暖かい。ぐっすり眠った。スッキリした気分だ。かすかに気力が蘇ってきたが、いまいち。(Mar.11)

 

*雨がシトシト降っている。教え子のS君から電話があって「先生、今日、教会に行く?」と僕に聞く。不信心なこのごろの僕は、日曜日になる前は、必ず行こう、と思っていても、土曜の夜になると、夜更かしをしてしまい、朝寝坊。10時30分に始まる礼拝の時間を過ぎてしまう。しばらく、行っていない。今朝は、8時に起きた。教会に行ける時間だ、と思っていた矢先だった。S君は41歳。職場でのストレスなどで36歳ぐらいから鬱になり、身体を壊し、退職。今は、心身障害者手帳をもらって、療養中。もう一度、人生をやり直そうとしている。祈ること、を彼が知ったら、生きてゆくうえで力にきっとなる、と僕は思った。一度、教会に誘ったら、来た。このごろは、彼のほうから、行くようになった。神様、彼をお守りください。今日は、賛美歌を歌って祈ろう。(Sunday,Mar.14)

 

*晴れ。にょきにょき、綿のような雲が青空に昇っている。

 妻と近隣を散歩。ある人家の庭の前で立ち止まる。白と紫のアヤメがみずみずしい。庭一面に、100本ほど咲いている。庭の中に人の気配がした。大きな梅の木の陰から、白髪の老人が、顔を出した。くりっとした目が僕達をチラリ、チラリ見ている。優しい眼だった。

「見事ですねー」僕は、老人の眼を見て言った。老人が梅の木陰から、身を乗り出して、「どうぞ、入ってらっしゃい」。門までやってきて、鉄の扉を開けてくれた。庭の中は、植木屋さんみたいに、鉢植えがずらりと並び、池には、赤と白色が混じった鯉が10匹ほど泳いでいる。

 これは、ね、ほうずき、これは、すずらん、こりゃ、トマト、に、きゅうり、に、なす。これは水仙、と僕と妻の顔を交互に見て説明してくれる。それも、嬉しそうに。丁寧に。妻も僕も、そろそろ、おいとましたいと思ったが、ご老人の、嬉しそうに、丁寧に話してくれるのをむげに断れずに、老人のなすがままに一時間ぐらい過ぎた。

 「アヤメ、を持って行きなさい、よかったら」

ご老人はハサミを手に持ち、林立するアヤメ畑に脚を踏み入れ、腰を曲げて、チョキン、チョキン、チュキン、と、アヤメを切り取った。

 今、書斎の机上に三輪のアヤメが、咲いている。

 紫。白。黄色。      (Mar.16)

 

*糸のような雨が降っている。アヤメを見に、行った。雨にしっとり濡れたアヤメは艶っぽい。つやつやした花びらの表面を雨粒がスーっと流れて、ポトリと落ちる。スー、ポトリ。スー、ポトリ。時折、雨粒が光る。真珠みたいだ。すずらんみたいだ。

 アヤメを見ると、和服姿の女が浮かぶ。何故だろう。僕が、少年の頃、母は、よく和服を着ていた。台所から木戸の出口があった。裏庭に出る。その裏庭にアヤメが咲いていた。母が、アヤメの前にたたずんでいる風景が僕の脳裏に浮かぶ。何故だろう。どこかで、浮世絵でも見たのかもしれない。時代劇の映画の中で、、かな。?       (Mar.18)

 

*7時間、眠ったのに何だか身体が重い。台風が近ずいているというのに、綿のような雲の間に、青い透き通った空がポッカリ。緑が深くなったなあ。(Mar.20)

 

*晴れ、というのか、曇りというのか、こういう天気は。空は白い。あごを上げて首を一回転して、ぐるりと見回すと、白い空のてっぺんに、ほんの小さな穴があって、そこだけ、うっすら青い。新緑の木の葉が風にのんびりそよぐ。           (Mar.29)

 

・・・つづく。         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一年を振り返って「季節」-4月

2007-01-05 14:24:35 | Weblog

 

*桜の花が満開。灰色の空の下で咲き乱れている。(Apr.2)

*靄(もや)が空の青さを薄めている。絵の具の青を白で薄めて、かすかに青さが残っている白い空。散り始めた桜の花びらが日の光を浴びて、薄いピンクが、白い空に浮き出ている。(Apr.4)

*ポ、タ、、タ、タ、ポタ、、。雨粒がトタンを打つ音が途切れ途切れに耳に飛び込んでくる。窓を開けた。糸のような雨が道に降り注いでいる。街全体が、シトシトシト、と、雨に共鳴している。ジャージに着替え、タバコを買いに出た。(Apr.5)

*くもり。やわらかい雲と弾むような大気と六分散りの桜の樹。久々、二日酔い。顔が、ぽっ、ぽっ、ほてる。

 この町に馴染んで、すっかり町の人になっている。黄金の湯に浸かり、行きつけの飲み屋で、文学好きの竹ちゃんとつば飛ばして太宰論を交わし、歌好きの三ちゃんとハモリ、声がかれるほど歌い、揚句の果てに3人ではしごして、やっと家に辿り着き、妻に怒られ、眼が覚めて、朝。

 歌3つ。

柔らかな風が桜の花びらに乗って空を舞う。

柔らかな風がふきのとうとつくしんぼうを揺らして土の  中に沁みてゆく。          

柔らかな風が枯れ木の梢についた新芽を吹きぬける。                                        (Apr.7)

*青空が、霞に薄められて、うっすら青白い。柔らかな光が花が散った桜の葉に注ぐ。新緑の予感。       

                   (Apr.8)

*タバコを買いに散歩。春だ。木々に新芽がついている。木という木、どんな木にも、小さな葉がついている。人家の庭先に花が咲いて、チューリップ。赤、白。水仙。白、黄。すずらん。緑、白。 (Apr.14)

*晴れ。といっても、青空は、天のてっぺんのほうに、ちょっと顔をのぞかせているだけ。曇りみたいな晴れ。まだ、風が冷たい。(Apr.18)

*くもり。しっとり、暖かい。木々についた葉が少しずつ増えてきた。街路につつじが咲いている。(Apr.20)

*青空に雲が、もくもく、チューリップが、赤、白、黄。校庭の枯れ木が、柔らかな緑の葉をつけて、ごま塩頭みたい。あー、若葉、青葉。散歩の途に、小学校の校庭に立ち寄る。教室の窓越しに、女の先生とちっちゃな子供達が勉強しているにが見える。先生の口が、動いている。子供達が、その口をじっと見ている。無声映画を見てるみたい。   

 僕の小学校は、今はない。北海道の山の中。鉱山。小さな木造の小学校。閉山になって、村も学校もなくなり、人も去り、山河だけになって、40数年。

 あの、女の先生、「二十四の瞳」の、大石先生みたいな、すがわらけいこ先生、と、僕。お姉さんのような先生。7-8歳の坊主頭の僕。あの教室、あの校庭。

 あの時も、高い山々のてっぺんに、雲が、もくもく。校庭の土からは、にょきにょき、つこしんぼう。(Apr.21)

 

*晴れ。なんだか、秋の日差しみたいだ。春、だよな。 

                                  (Apr.30 3:00pm)

*ヒンヤリ、大気が肌に当たる。ふと、先生をやってた頃の、ある風景が浮かんだ。新入生オリエンテーション宿泊研修の朝6時半。広い湖畔で、体操。そして散歩。すぐ目の前にそびえる富士山。あのヒヤっとする大気。朝の光線。学校は、新学年スタートの時期か・・。(Apr.26)

*アジサイが咲き始めている。アジサイの白い花は、ほんとうに白い。雪のように白い。雪原に、ぽたぽた、落ちた血の跡みたいに、ところどころ、赤いアジサイの花。あやめが、林立してぴんと立つ。紫に白。(Apr.30)

・・・つづく。        

 

*

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一年を振り返って「季節」-3月

2007-01-05 10:58:22 | Weblog

*曇り。肌寒い。窓から流れてくる空気が手に触れると、まだ、冷たい。ありゃ、3月1日だ。そういえば、昔、先生時代は、毎年、卒業式だった。紅白の垂れ幕に囲まれた、体育館式場の壇上で、「君が代」と「校歌」、「蛍の光」の指揮棒を振っていたっけ♪

「若草光る、丘陵に、明日の富士を遠く見て、青春の花咲くところ、開花の風は今も吹く・・・♪♪」

 いい詩だ、いいメロデイーだ。僕のライブで歌う一曲に入れよう。僕は、この詩とメロデイーが好きだ。母校早稲田の校歌、慶応の校歌、北大の校歌、が僕は好きだ。それと同じように、YTCの校歌が好きだ。校舎の屋上から、富士山、が鎌倉切り通しの上に、くっきり見えた。 

「蛍の光、窓の雪、文読む月日、重ねつつ、いつしか年も過ぎのとお、明けてぞ今朝は、別れ行く♪」

 卒業式だ。僕の、卒業式は、いつになるか、、。尾崎豊が歌ってた、「この支配からの卒業」・・・。尾崎君は死んじゃったけど、僕は生きるぞ。きっと卒業は、死ぬときだろう。

 そう、尾崎君の「卒業」のLPを、卒業してから2年後に僕に送ってくれた、ヤギオ君、ありがとう。尾崎君の歌を、僕はライブで歌いたい。今頃、式の真っ最中だろう、あの体育館では。(Mar.1)

*雲がもくもく。昨日の朝も雲がきれいだった。(Mar.4)

「鈴虫や、体育際の秋の夜。

  新築の祝い酒、教育談義に花が咲く。

  新築や、10歳の味は、この味噌の味。」

 日記帳に綴じた古い原稿用紙に又、短歌らしき文が記述してある。そして、1975年9月27日、とも記してある。そうだ。思い出した。体育祭の夜、伊東先生のお宅に皆集まったっけ。31年前。31年ぶりに読んだ自作短歌、、。(Mar.5)

*大気が、吹く風が、甘酸っぱく、冷たさと暖かさの境目。冷たくもあり、暖かくもある。暖かくもなく、冷たくもない。前の家の庭に咲いた梅の花が、満開。ピューと風が通り過ぎていった。甘酸っぱい風。4ヶ月前、葉が全部散って、木の梢だけが空に突き刺さっていた頃、吹いていた風は、どこか寂しさがあった。今、その梢に新芽がつき花が咲いている。なんだか、うきうきした気分になる。

 初秋と初春。枯れ衰えてゆく時と生まれ栄えてゆく時の刹那。下りと上り。栄枯盛衰。死と生。

 61回目の春を迎えている僕は、このありようを文にする修行の途にある。冷たくもなく暖かくもなく、甘酸っぱい期待感が宿る透明な空気の中で。感謝。(Mar.9)

* 春光や 砂に貼りつき 潮が引く (NHK 短歌講座で耳に残った歌)うまい、なんといい歌だ!

*起床7時。水をコップ一杯飲んで、パンツ一丁に、ジャージ、長袖のシャツ一枚に着替え、裸足に運動靴を履き、散歩に出た。先生時代の朝の儀式だった、そのままを久々にした。このジャージをはくと、不思議と、しゃんとする。力が湧く。魔法のジャージだ。

 23年前、卒業式の朝だった。僕が3年間担任したクラスの生徒が自腹のお金を出し合って買ったジャージを、3年間の最後の朝のホームルームで僕にくれた。1人100円。48人で、4800円。だったと、その後のクラス会で、誰かが僕に教えてくれた。この100円は僕にとって一億円だ。4800億円のジャージをはいて走ると、自然と力が出る。昔は、走ったが、今朝は、歩いた。

 生暖かい大気。かすかにヒンヤリする感覚が快い。(Mar.15)

*「黄金の湯」が疲れ取れますよ、妻が言った。我が家に注文を取りに来る中年の元気のいい洗濯屋さんから聞いた、のよ、と。7-8年前から、その湯に行くようになった。我が家から歩いて30分。褐色の湯。天然温泉。僕が少年の頃、行った銭湯、そのまま。番台に女将さんが坐っている。脱衣場と湯船とサウナだけ。飲み物は、牛乳類と缶だけ。ひなびた温泉場にぽつんとある銭湯みたい。僕は、ぞっこん気にいちゃった。湯舟に入ると、褐色の湯が、毛穴から沁みこんで、全身に広がる。手足の先まで、身体の芯にまで。この染み渡る感覚、と そのとき押し寄せる開放感が格別だ。やがて、湯のサラサラ、すべるような、まろやかさに気ずく。久々に湯に浸かった。

 バイトで講師を5ヶ月勤めた、女学校の終業式で、離任の挨拶をしてくださいと校長さんから言われた。臨時のピンチヒッターだったから着任式はなかったが。1000人余りの女生徒が体育館に坐っていた。10人ほどいた。離任の先生が。僕の番は最後だった。僕は、挨拶する代わりに、ギターで Amazing Grace ♪の弾き歌いをした。久々の教室での生徒達との楽しかった時間へのお礼のつもりで。その帰途、黄金の湯に浸かった。湯は、黄金の湯、だ。(和田町から仏向原へ行くなだらかな坂道の途中、左側にあります。風呂好きなあなた、一度湯に浸かってみてください。)(Mar.20)

*本当に春が来た、と感ずる。大気に、風に、光に、香りに。(Mar.25)

 ・・・つづく。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一年を振り返って 「季節」ー1月2月

2007-01-04 05:39:56 | Weblog

 昨年一年を振り返って。

 僕は、毎日、日記をつけています。「一平の徒然、落書き、ガラクタ日記」帳に。大体は、筆で、墨を磨って。時には、ペンで、インクをつけて。あるいは、万年筆で。

 書くのは、目ざめてすぐ、です。朝もあれば、昼もあれば、夜もあります。朝が、多いですね。週日は、黒色で、土曜は青で、日曜は赤で、つけています。

 昨年の、日記帳のページを数えたら、542ページ、ありました。これは、誰にも見せません。僕以外、読む人はいません。いるととしたら、神様だけです。

 その日記を、年末年始に、読み直しました。今年の僕の歩み方を探るために。僕の日記の中から、いくつか記述を紹介いたします。

「季節」「人」「世界」

「ペンと小説」「ギターと弾き語り」

「生活」

という風に分けて。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ○「季節」

*くもり空。雨が降りそうな湿った冷たい大気の朝だ。昨日の朝、真っ白い雪に埋もれた里山にいたことが夢のようだ。(Janu.6)

*どんより曇った、寒そうな日。今日は一日、女生徒達と授業。(Janu.13

*両肩から肘にかけて、ジンガジンガ、脈を打つように痛む。痛みで、夜中と明け方、眼が覚めた。やっと、朝方眠れた。眼が覚めたら、昼過ぎだった。

 外はボタン雪が降っていた。屋根に、木々に雪が積もって街は白一色。初雪だ。二年前の暮れ以来。半月前に大学時代の友人とスキーに尾瀬戸倉に出掛けた。豪雪の里山風景の中にすっぽり浸かった。その残像が強烈なためだろう、白一色になった街を見ても、二年前の暮れほど感動しない。妻の病で、トンボ帰りせねばならなくなり、一泊して僕だけ先に帰ってきた。朝一番のバスに乗って、戸倉から沼田まで揺られた。一晩中降り続いた雪が里山をすっぽり覆って、村が、屋根が、丘が、森が、木々が、真っ白な大地からちょっと顔をのぞかせていた。真っ青な空。車窓から眼に飛び込んでくる雪景色に釘ずけになった。あの雪景色を文章に書こうと思ったが、妻のアクシデントで、すっかり忘れていた。あれは、5日だった。書斎の窓越しに、今、ボタン雪が舞っている。両肩の痛みが,引いていた。(Janu.21)

*青い空。白い残雪。(Janu.23)

*外は雨がしとしと降っている。入試で授業はない。今週はバイトなし。(Feb.1)

*寒い。でも、なんだか春の気配がする。風に大気に。(Feb.4)

*日が沈む。地平線上の空が、うっすらオレンジ色に染まっている。この無力感と脱力感は、なんだ・・。(Feb.10)

*朝日が、窓越しに、まんまるく、赤い。楠井君と眺めた。彼は、会議があると一番電車で、朝飯も食わずに帰った。「湯船から、見えるぞ」そう言い残して。タオルをもって、風呂に行く。湯船に浸かりながら、さっき見た、まんまるい真っ赤な朝日が、ゆっくり昇ってゆく。湯煙の中を。大和君、と永井君が、入ってきた。三人で眺めた。(奥湯河原の宿で、大学時代の同窓新年会で。(Feb.8-9)

*まだ、寒い。でも、春一番の風が吹きそう・・。(Feb12)

*甘酸っぱい空気。ヒヤッとするが、快い。(Feb.19)

*飛行機が、大空を行く。真っ白い糸を描いて。(Feb.18)

*くもり。チュチュッ、すずめが鳴いている。この日記帳は、長年本箱の棚に眠っていた、黄色くなって埃をかぶった原稿用紙を閉じたもの。日記を書こうと、昨日の記述の次のページを開いたら、文章が書いてある。インクのしみが、相当古いことを物語っている。読んでみた。原稿用紙一枚半の掌編。どうも、30歳の頃書いた文章だ。

「空に雲ひとつない夜は、冷え冷えとしているものだ。西の山の端に日が沈む。沈むにつれて、大気の熱が、私達の町から、広大な宇宙空間に消えてゆく。夜が更ける。更けるにつれて冷える。そして大気は冴えて透明になる。暗い冷えた地球。人々を街を眠らせる。時が流れる。死。やがて、静かに日が昇る。夜明け。新しい光線が、冴えた大気を流れる。山の端に、木の葉に、この丘の町に。新鮮な光が満ち溢れ、明るさが増すにつれ、冷え切った大気も暖かくなる。その生まれ変わった空気にすがすがしさを感ずる。昨日来のくもり空で、新陳代謝のない大気が、この丘の町を覆っている。もう、随分と、青空を見ないこのごろだ。今日も、どんよりとした一日だった。」

「丘の上のアパートから外に出た。暗い大気の中に、薄いもやがかかっていた。下方に広がる家々の灯が暗闇の中にぼんやり光っていた。身体に当たる空気に、生暖かな感触がある。その感触は、生ぬるい湯に長いこと浸かった後の緊張感の抜けた感じに似ていた。夏の夜の空気を思い出させるような春の夜であった。もうすっかり、冬は遠くへ行ってしまった、と思った。」

ちょっと、くすぐったい感じがする文章で、恥ずかしい。30歳の頃書いた、きっと日記に違いない。(Feb.20)

*昨夜の酒が、少し残っている。教壇に立つ以上は、二日酔いはまかりならん。。。今朝は暖かい。春が来た。(Feb.22)

*窓を開けたら、ひゅーひゅー、風が吹いている。閉めたら、時折、カタカタ、鳴る。春一番か。また、カタカタ鳴っている。(Feb.27)

・・・つづく。

 

     

    

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

A Happy New Year!

2007-01-03 23:40:18 | Weblog

 

謹賀新年

 昨年は、僕のブログを読んでくださり、ありがとうございました。コメントを何人かの方がくださいました。お礼申し上げます。この一年、健康で、実りある年でありますようお祈りいたします。

 今年は、僕の昨年来の小説の師匠である、芥川賞作家の宮原昭夫さんの小説集が8月に出版されます。宮原作品の読者が、自分達の手で小説集を作ろう、というものです。僕も、そのサポーターの末席の一人です。

インターネットで、「宮原昭夫小説集制作委員会」のホームページ(http://book.geocities.jp/yokocyounogoinkyo/)

を開くと、サポーターとしての僕の一文が写真付で載っています。「サポーター広場」をクリックすると。

 今僕が通っている、小説教室の先生が、宮原昭夫さんです。

 又、僕のギター弾き語りの師匠、工藤慎太郎さんが、昨年デビューして、有線新人賞に選ばれました。今一歩のところで、紅白出場、でした。残念無念でした。慎太郎師匠の歌は、老若男女と、幅広く人の心に伝わる詩とメロデイと声です。きっと、ブレイクする機会にめぐり合えると信じています。

 今年も、一平は、「歌うこと」 と 「小説を書くこと」 の修行に、62歳の一平調で、励む所存です。

 昨年にもまして、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。

 ブログを開いて3年目になりました。61年間の僕の人生で出会った人々、このブログ上で、僕と出会った人々・・・。

 今年も、ブログを打ちます。

「一平のペンとギター」をよろしく。コメントもください。すぐ、コメントをお返ししますよ。

            山中一平。音一平♪ 

           2007年 正月3日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お知らせ♪

一平のギター弾き語り。 日時・場所など。  2015年9月19日(土)2:00-4:00pm ふれあいコンサート・ギター弾き語りライブ・相鉄線星川駅下車徒歩3分。保土ヶ谷区役所前。「クレヨン」2:00-4:00pm ゲスト:アルトサックス奏者:おすぎ君 初秋の人生の歌など♪