一平のペンとギター

僕らしい小説を書き、僕らしい歌をうたう、ぞ♪、ペンとギターの一平です。ギター弾き語りと小説書きの二刀流。

一平の、この1ヶ月ー続き

2005-12-31 14:25:04 | Weblog
 太宰治の生涯は、39年でした。昨日、36年と打ってしまいました。訂正します。太宰は30歳から35歳ぐらいまでの5年間、「聖書の知識」という雑誌を講読している。無教会派の内村鑑三の流れを汲む牧師さんが太宰宅に雑誌を届けてくれ、その時、牧師さんが「聖書の知識」について、太宰に熱心に説かれたようだ。太宰の作品に、聖書の引用が、よく出てくる。十字架の上のイエス、の姿、を太宰は仰いだであろう。太宰が心中した相手の山崎富栄は、僕は、もしかしたらクリスチャンだったのではないか、と思われる付しが、彼女の日記から伺える。
太宰は、かなり若い頃に聖書と出逢っていた、ようだ。
太宰が見つめたのは、人間の「弱さ」と「優しさ」だ、と、ゆりはじめ氏は言う。
 僕は、自分の目で、太宰の作品を読みたくなった。できたら、全部。
昔、「走れメロス」と「人間失格」は読んだ記憶がある。が、まったく太宰の世界を僕は知らなかった。
 「富士には月見草がよくにあう。」富士と桜、富士と梅、富士と朝日、富士と夕日、なら誰でも思い浮かべる。富士に月見草、は、やはり太宰の目だ。
 「思い出」を読もう。

   「青いブランコ」吉屋えい子さん作
 
 もう一度、読みたい、そして、僕に直接、本を下さった吉屋さんに会いたい、話がしたい、と思った、のは10月の初め頃だった。
 読んでみた。
作品の分析研究を試みた。構成、登場人物、背景、筋・・・。
無駄なく、きっちりしまっていて、コンパクトで、エマ先生(たぶん新人の先生)と子供たち(小学校1年生から3年生までの三年間)の交流が見事に描かれている。
半分以上は、エマ先生が一晩で見た夢。現実ー夢ー現実、という展開。
 登場する子供の中で、わんぱく星(子供を吉屋さんは「星」と表現する)の存在が光る。「兎の眼」(灰谷健次郎)の、ハエ博士少年が浮かぶ。
教室の窓をたたく白鳥一家。
空を飛びたい、と夢見た少女の頃のエマ先生。水溜りに映ってる白い雲が好きだったエマ先生。
 とぎれることなく降っているもろい結晶のレース。雪。寒い日の窓ガラスに結ぶ氷の華。あの神秘的な六角形の幾何学模様の氷の繊維でつむいだようなレースが、絶え間なく降っている。
 少女の頃の夢ー空を飛ぶ夢ーが、夢の中で実現するが、悲しい結末。好きな子供たちが皆死んじゃった夢。先生を探しに雪の中を歩きつかれて・・。
「二十四の瞳」の、大石女先生に会いに、子供たちが岬の長い路をとぼとぼ泣きながら、歩いてゆく場面が、ダブる。
 エマ先生が子供たちを愛していることが、子供たちがエマ先生を愛していることが、夢の中で子供が皆死んじゃうことで、強く伝わってくる。
 エマ先生が、朝方、まだ暗い頃、目が覚めて、ライターを付けて、その炎をガスレンジに移す。
「カチッ」と火がつきました。
ー白鳥が夢の中でエマ先生を助けてくれたとき、「カチッ」と言う音がいつもし  た。が、このライターの「カチッ」と言う音は、夢から覚めた現実の「カチッ」 だ。
夢だったことに気ずいたエマ先生。机にうつぶせになって、原稿用紙を広げたまま寝ていたのだった。子供たちと約束した秘密の贈り物の話は、これだ!
 外が白けてきた。そろそろ出かけなきゃ。着替えて、ふと窓を開けると、
「うす暗がりに真っ白いものが、絶え間なく舞っていたのです。」
 で終わる。
 ステキだなあ。

 ●応募した「文学賞」の発表があった。

 ひとつはインターネット上で。僕の名はなかった!
 ひとつは、通知が来た。恐る恐る封を開けたらたら、「残念ながら落選しまし  た。次回も是非、再挑戦していただけますよう・・・・」  
  前者は、「日本ラブストーリー大賞」
  後者は、「坊ちゃん文学賞」
 まだまだ、だめかあ!!!!


 ●♪ 一平のギター ♪

 ついこの間、12月26日に、ギターを人様の前で弾いた。
僕が住んでいる町の駅近くに、僕が越してくるずっと前からやっている「うどん屋」さんがある。よく女房と食べに行く店。そこの主人が70歳だが、元気な人で、多彩な人である。老人ホームや小学校に呼ばれて、手品やマジックシヨー をしている。TVK(神奈川テレビ)や神奈川新聞にも紹介された人。
その人が、駅前にできた、スーパー浴場の寄席でマジックショーをやった。
そのマジックショーのバックミュージックを僕がギターで弾いた。
 うどんを店で食ってたら、張り紙があった。
 《ミスター○×斎、マジックショー △△の湯 12月26日》
主人に聞いたら、「私が、○×斎、デス、」という。
「いやー、僕も、ギターの弾き歌いをやってます。」
「いや先生、わしも若い頃、ギターの音色が好きで、わしの【珍弦斎】の【弦】はギターのゲン、ですねん」
「あー、そうですか・・・・」
「そうだ、先生、私のショーのとき、ギター弾いてくれますか?」
「もちろん」
ということになり、ギターを一度持ってきて弾いてくれや、それで決めるわ。後日ギターを持って行って、弾き歌ったら、OK。
「先生、一平さん、先生のわしの一座の名前考えたわ。【一弦斎】いちげんさい
は、どうや」
「その名、頂きます」
キンキラキンの派手な背広に、蝶ネクタイ。髯を付けて、中国人が被る真っ赤な帽子を被って、ギターを背負って、しぇしぇ・・と言って登場しました。
 ショーでの一弦斎の曲は
♪「北の国から」のイントロ♪禁じられた遊び♪エデンの東♪グリンsリーブス
♪「空も飛べるはず」のイントロ♪母さんの歌♪月の砂漠♪ムーンリバー
でした。
 出演料を頂きました。
 出演が決まったとき、
「悪いけど、ノーギャラだよ先生、」
「いいです。よもちろん。ギャラ、だなんて」
 だったのですが、出演料を頂いちゃって恐縮。
 これで本が3冊は買える。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一平の、この一ヶ月。

2005-12-30 21:54:22 | Weblog
また、また1ヶ月ぶりになりました。

12月の20日まで、横浜にある女学院で、月曜から金曜まで、毎日3-4時間、英語の授業をしました。
 中学1年生と高校1年生の「会話の授業」は、背の高い黒人の女性の先生ーなんとカナダ人でしたーと小太りの瞳が緑で金髪の白人女性の先生ー彼女はアメリカ人(二人とも23-4歳)-の補助する役目で、時には通訳したり、生徒が困ってたり、先生が困ってたりした時、手を差し伸べる役目。二人の先生は、ほとんど日本は話せない。だから、全部、英語。僕の勉強にもなる。
 高校1年生の「特別クラス」の授業は、優秀者ばかり選りすぐったクラス。
テキストは、ProgressⅢ.生徒の発音は外人みたいに滑らかだし(僕も顔負!)皆、よく勉強するし、僕は、まるで、オーケストラの指揮者みたいな気分。
 高校2年生の「英語Ⅱのクラス」は、中ぐらいの成績の生徒のクラス。
UnicornⅡがテキスト。少し噛み砕いて、丁寧にゆっくり進む。このオーケストラの指揮は、一気には行かぬ。演奏を途中で止めては、ここは、こうするんだ、とか、説明解説し、練習し、また演奏を始める、と言った具合。
 ほかに、高校2年生の「英作文」クラスと「読む力を伸ばす」クラスを教えている。英作文は、たとえば、
 「横浜は日本で2番目に大きな都市です」
を英語でなんと言うか、といった練習。
Yokohama is the second largest city in Japan.
読む力・・は、結構、難しい。300語(20-30行)の文章の読解練習。
 たとえば、地球環境問題、とか、教育とは、とか、日本と欧米の文化の違い、とか、そういったテーマを扱った文章を読む。語彙が難しい。
 久しぶりに若者と英語の勉強ができて、楽しい。また、若者と「言葉を学ぶ」ことを通じて、彼女たちと交流ができる機会を与えられ、楽しみでもある。

 あくまでも、アルバイトだから、金を稼ぐことが目的。それ以上のなにものでもない。が、少女の教育の一部にかかわるのだから、神様に祈りながら、日々、勤めました。
 おかげで、早寝早起き、が身につき、夜型の生活リズムが昼型に自然に変わりました。
 このリズムで、ペンとギターの修行に励もう、と思うこの頃です。


一平のペン

 小説を書くことはできなかった。アルバイトに専念したので。
 ●講演会を聞きに出かけた。
 新宿の住友生命ホール。都庁ビルがすぐそこに見え た。
 演題は《「千の風になって」という詩と曲が生まれた裏話》
 原詩は、I am the thousand winds. 私は、千の風です。
 新井満さんの友人の死の追悼文集を作ったのがきっかけ、だそうです。
 その友とは、新潟で弁護士をしていた川上耕さん。奥さんの佳子さんとの間に3 人の子供さんがいました。ご夫妻は、「命を大切にする」社会福祉の活動もされ ていたそうです。
 奥さんが、36歳で乳がんに。そして、ご夫妻は48歳で亡くなりました。
 新井満さん夫妻は、川上ご夫妻と、仲良しだった、そうです。
 新井さんは、川上さんを追悼する詩を考えていたとき、「風」"winds"という声 が、聞こえてきたそうです。堀辰雄の「風たちぬ、生まれやむ」
 風。息。大地の呼吸。そんなとき、I am the thousand winds.の詩に出逢った、 そうです。(この辺、少しうる覚えで、ちょっと違ってるかも知れません。間違 ってたら、新井さん、ごめんなさい。また、教えてください)
 で、翻訳した、とのこと。作者は、すでに亡き人。
 詩の作者の思いは
 ①自分は死んだ、が本当は死んでいない。
 ②他の存在に再生した。
 である。この詩の内容は、「死と再生」の歌、だ。
 日本語に直し、曲を付けた。
  とのことでした。
弾き歌う僕。小説や詩を書きたい僕。英語は、多少勉強した僕。
すごく、身近に感じました。ドキドキ、わくわく。
よーし、僕も、原詩を僕なりに日本語に直してみよう。山中一平訳で。
そして、どんなメロデイーが、僕の頭に浮かんでくるか、作曲してみたいと思いました。ふとそう思いました。
公演が終わって、新井満さんの芥川作品(昔、古本屋で買ったやつ。で、最近読んだ)「尋ね人に時間」にサインして頂いた。その日、CD付きの詩集・千の風にのって が机の上に積んであって、皆それを買って、その詩集にサインしてもらってましたが、僕だけでした。昔の本を開いたのは。CD付き詩集がほしかった、けど、金が電車賃しかなくて・・・・。
いつか、僕の歌のCD付き、詩集や小説、を出そうっと!
 新宿まで来てよかった!新井さん、と出逢えてよかった、と思いました。
でもひとつ、悔しいことがありました。サインをしていただいた後、新井満さんに、「一度お話がしたいのですが、・・」と僕が名刺を出したら、横にいた出版社の若い社員が僕を遮って、「ダメデス!」と突然言いました。
 確かに、ジーンズでTシャツ、髪はぼさぼさで、髯そるの忘れてた僕の風貌は、そんなに危険に映ったのだろうか? 僕が、サインをしてもらう人の最後に並んでたので、そこで、サイン会上は店じまい。僕は、一人、とぼとぼ、新宿の街に出ました。惨めー。

 
 ●読んだ本
        「インストール」綿矢りさ、さん作。
  シンプル。登場人物は主に二人。女高生と小学生の男の子。ほか、二人のごく  身近にいる人たち、だけ。僕の小説、は登場人物が多すぎるな。
  文章が、うまい、というか、うーん、存在感がある、というか、生きている。
  サラリ、と書いてるけど、なんだか、絶妙な張りがある。
  テーマは、17歳の気分。だろうな。僕の17歳の頃、とダブル部分は、なく  はない。扱う材料には、ちょっと、気後れするかな。
  僕が17歳の頃、清水の同じ年の女子高生と文通してた。会ったこともなく、  ただ手紙のやり取りだけ。あれが、・・サイトになった、ということか。
   次は、「蹴りたい背中」を読もう。

       「太宰治の生と死」ゆりはじめ氏作。
  太宰治が、自殺、心中を繰り返し、5度目で、心中死した。
  その死と、生を、作品や手紙などから、浮き彫りにした作品。
  太宰が高校大学野頃は、日本が、戦争に向かう時代。青年は、マルキシズムに
  希望を見た。革命に。大地主の6男の太宰。自分の生まれそのものを否定。
  共産主義運動にのめりこむが、ついてゆけない。生まれを否定。挫折転向。
  自分の存在の抹殺こそ使命、と考える。
   僕が大学の頃、授業料値上げ反対闘争、ベトナム反戦運動、に僕も参加し   た。が、太宰の時代に太宰がした活動は、僕が参加した活動の百倍位、厳しく  危機感があっただろう。雲泥の違いがある。が、共通項はある。
  〔アイデンテテイーの模索、現状世界の否定、夢と理想、未熟さ、劣等感とプ   ライド〕
  太宰は、文学の創作、を志し、政治に挫折し、女に裏切られ、戦争の時代のま  っただ中、創作を続け、売れっ子になり、半狂乱になって、自己を抹殺した。
        臼井吉見氏の「太宰治の生涯と作品」も読んでみた。
  太宰の36年の足跡を知った。
  作品を、読もう。
           「葉」を読んだ。
   俳句や短歌の混じった、散文・・。
  葉のように、一枚一枚、別々のシーン(場面)が、並べられている。
  なんだか、大切なリズムとか呼吸が潜んでいるような気がする、が、それがな  んだか、はっきりいえない。
        次は、「思い出」を読もう。

     一時中断 休憩デス。
 
  
   
  

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お知らせ♪

一平のギター弾き語り。 日時・場所など。  2015年9月19日(土)2:00-4:00pm ふれあいコンサート・ギター弾き語りライブ・相鉄線星川駅下車徒歩3分。保土ヶ谷区役所前。「クレヨン」2:00-4:00pm ゲスト:アルトサックス奏者:おすぎ君 初秋の人生の歌など♪