本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

ホリエモン・アラカルト。

2006-02-04 17:39:48 | web・メディア
*04年2月、ライブドアに乗り移ったばかりのホリエモンが
   6月、近鉄買収に名乗り。
 一時は『球界の救世主』とまでもてはやされ、それに「待った!」を掛けた読売・なべつねはまさに悪玉そのものだった。
 ホリエモンとライブドアの知名度はこのとき急上昇した。

*ホリエモンの自叙伝(?):
 15歳=「人間いつ死ぬかわからないから貯金は勧めない」
 引き篭もりの大学生だった。~~アルバイトでITと出会い、これからはインターネットの時代と確信する。~~青年実業家の道を歩むも、資本金2~3億円でちまちまやって行くことになるのかと思っていた。~~『株オタク』の宮内と出会い、株の魅力を知る。~~2000年4月、故野口氏の力もあり東証マザーズ上場なる。

*広島6区からのホリエモン出馬に関して公明幹部談:
 単に新人候補の素性を見抜けなかったという話ではない。(→お前だよ、お前!みのもんた!!自民擁護にばかり走りやがって!)

*「ホリエモンは行儀が悪い」くらいのことはみんな思っていた。
 私も「胡散臭い」とは思っていたがフジの頃までは彼を支持していた。
 だが今にして思えば、近鉄騒動の頃には彼は既に経済犯罪への道を歩んでいたことになる。

*「利用し利用された自民党が大勝し、利用せず利用されなかった民主党は大敗した」と言うが、実質は並の公認候補どころの扱いではなかった。

*金融庁直下の証券取引等監視委員会は無為無策のただ飯食いだった。

*「官から民へ」も時によりけり。

*東京地検が捜査を開始したのは本当に05年2月フジの頃だったのか?
 選挙期間中は捜査を中断し、9月(秋口)に本格捜査に入ったということになってはいるのだが、「政変」でも起きない限り真相は「藪の中」である。

*よりによってスローライフの典型のような『おおきな古時計』の替え歌を全員で歌ったあの忘年会は、確かにスーパーフリーと和田を連想させる。
 「(今東拘の独房にいる)和田の隣に奴をぶち込め!」が特捜の合言葉だったというのだが、これは笑えるが如何にも作り話っぽい。w

*呑み屋から貰った(?)という《YUME》という歌もいい歌だが・・。

*ホリエモンはなまじ権力の中枢になど色目を使わず、ただひたすらヒール役に徹すれば良かったのだろうが、それでは《時価総額世界一》という《夢》は望むべくも無かったのである。

*《蛸が足を食う》式の虚飾・粉飾:
 リスクが思いの他少ないことがわかった。ファンドを幾つも噛ませているのでバレル危険は少ない。1社では危なくても5社なら大丈夫・・。

*「聞いていない」「指示していない」「いちいち覚えていない」・・というホリエモンの言い訳は、今あちこちで疑惑が噴出している人達の言い訳、即ち「秘書が、秘書が」「部下が勝手にやったことだ」「記憶にない」・・云々の決まり文句と何ら違うところはない。

*《堕ちた偶像》?
 しかし偶像は本当に「堕ちた」のか?

 麻原を信奉していた人達は今も尚生き延びている。
 ホリエモン的思考や手法がそう易々と死滅するとは到底思われない。
 現に橋元某というお調子者の自称人気弁護士などは、ホリエモンの残した功罪に言及して、「功の方が断然多い!」と断言して憚らなかったのである。



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