本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

YouTubeでもネトウヨが闊歩している。

2014-06-03 13:30:18 | 
 ここは例のiframeが有効ではないのでここにはYouTubeの動画をアップしていないが、iframeがOKなヤピログBIGLOBEなどの私のサイトには、ここ数週間『これでもか!これでもか!』というくらい大量に(?)私の好きな懐メロetc.をアップし続けている。それで気づいたことがあるので今日はそこいら辺の問題を少し考えてみたい。結論から言ってしまうと、それは懐メロの領域にまで『ネトウヨ』が大挙して進出して来ているということだ。
 懐メロそのものに彼らネトウヨを惹きつける『魅力』がないわけではない。鶴田浩二と言えば自称『神風特攻隊の生き残り』(←これは事実ではなかったが)だったし、あの美空ひばりでさえ軍歌をメドレーで歌っているのだ。鶴田との競演画像もYouTUbeにはある。だからと言って私は彼らの芸術性を貶める気などさらさらない。私はお二人とも好きだ。これは埴谷雄高も言っていることだが「ゲーテが官僚だったからと言って彼の文学を否定しますか?」ということなのだ。それはそれ、これはこれなのである。「あいつは右だから(or左だから)あいつの歌なんて認めない」なんて言っていた日にはアートもへったくれもあったものではない。

 それでYouTubeでは動画が終わった後画面分割されて『関連動画』が幾つも紹介されるのだが、その中に韓国(人)や中国(人)を口汚く罵り攻撃しまくるネトウヨ動画が堂々と紛れ込んでいるのである。最初見たときは『なんだこれは!』と私はグーグル=ユーチューブの見識を疑ったが、懐メロとネトウヨを故意にリンクさせている者もあれば、嬉々としてそのリンクに飛び乗って来る者も大勢いるのだということで了解することにした。そうするしかないからだ。

 自称『左翼』(←あくまで自称だ。今の日本には右翼はいるが左翼はいない。)の連中の中には、何か高いところに上って下々の民たちに有難い『ご高説』を垂れれば、それで自身が絶大なる支持を集め得るのだと傲慢にも錯覚して已まない人間がいて、それが彼らの大半を占めるのだが、そのような『屁理屈』を捏ねくり回していさえすれば「そのうち『政権』が我と我が手に転がり込んで来るサ♪」などと妄信すること自体愚かで見苦しい思い込み以外のものではない。
 一般に、人は相手ののたまう理屈や能書きに心服し結果彼に従うことなどはむしろ稀である。そんな暇があったら情に訴えた方が遥かに効率がいいと巧いアジテーターは考えるだろう。人は理論に平伏するよりは情にほだされる方を選ぶものである。演歌はその目的に充分合致する。
 安部ポンとそのブレーンは①『理論よりも情だ』ということに早くから気づき、②インターネットの重要性にも元より気づいていて、その戦略の一環として『ネトウヨのWeb進出』に力を注いだのである。『自称左翼』のアッパラパーな連中は今でもネットの重要性などどこ吹く風で、壇上から偉そうなことばかりのたまっているのだから、彼らに明るい未来は無いと我々は考えた方がいい。

 メディアはどうか。朝日・毎日が左寄りで産経読売が右よりだなどと、今でも信奉して朝日だの毎日だのを有難がって拝読している愚かな『朝日文化人』(?)的人間は多い。それは馬鹿だし自己欺瞞である。毎日は与党たる公明党・創価学会の『聖教新聞』を印刷して糊口を凌いでいるし、朝日に至ってはトヨタの会長に「パチンコのCMだけになってもいいのか?」と一喝されて震え上がっている始末だ。報道の業界には今や右も左もなく、彼らはこの国を多い尽くした「拝金主義」の主潮流の中で総崩れとなり、我先に我先にと、右へ右への大旋回をしている。

 ネトウヨたちは流石に気が引けるのか、或いは「人種が違う」とでも思っているのか、フォークやロックの世界にまではまだ進出していないようである。それが私の唯一の救いと言えば救いかも知れない。w
 私が仮に一応音楽好きでジャンルは問わない人間であったとしても、私がカバーしているのは日本とアメリカの音楽が殆どである。日米以外ではおフランスのシルビー/バルタンとビートルズ、ストーンズ(←一応英国だから。)くらいしか思い浮かばない。あとはランバダLambada-Kaomaくらいかな?

La plus belle pour aller danser」(邦題「アイドルを探せ」
 だがクラッシックはヨーロッパが私の趣味で日米はあまり趣味じゃないのだ。w


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