本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

母親と祖母の殺害事件。がち消してやりてぇ。

2014-10-03 17:50:48 | 社会
  写真は日刊ゲンダイ(c)10/03.から。
 高2「しつけ厳しく」…虐待通報も 母と祖母殺害容疑
朝日新聞デジタル:2014年10月2日11時55分

 北海道南幌町(なんぽろちょう)の住宅で、高校2年の女子生徒(17)が母親(47)と祖母(71)を殺害したとして逮捕された事件で、この女子生徒が調べに対して「しつけが厳しく、今の状況から逃れたかった」と話していることが、捜査関係者への取材で分かった。道警は、しつけをめぐるトラブルが事件につながった可能性があるとみて調べている。

 道警によると、1日未明、母は1階、祖母は2階の寝室で寝間着姿で血を流して倒れているのを発見された。道警は2日、司法解剖の結果、2人とも死因は出血性ショックだったと発表。凶器は台所の包丁で、母は首や背中に傷があり、祖母は頭や胸などに多数の傷があったという。

 近くの住民らによると、女子生徒は子どものころから、主に自宅敷地内の離れで暮らし、よく庭の草むしりや雪かきをしていた。祖母は「厳しくしないと教育にならない」と言っていたという。

 道岩見沢児童相談所によると、女子生徒が幼稚園児だった2004年、母親から虐待を受けていると通報があり、必要な措置を講じたことがあったという。

生徒会長に就任予定だった17歳 母と祖母殺害容疑(10/2)
女子高校生を殺人容疑で逮捕 北海道の女性2人殺害(10/1)
住宅に女性2人の遺体、殺人容疑で捜査 北海道(10/1)

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 以上引用終わり。

 まだ事件はあくまで【容疑・容疑者】の段階だが、今度は北海道で母・祖母の殺害事件が起きた。容疑者は17歳の高校2年生であり、報道はこの女子高生は文武両道の優秀な生徒だったと報じている。例の友人殺しの女子生徒のときも同様だったが、何か報道の姿勢というものは「学業優秀なる女子生徒が一旦切れると怖い」とでも言いたげである。

 ところでこのニュースと前後して、私はNHKで参院の国会質疑を見ていた。安倍はこの国の政治も経済もまるで「健全」そのもので順風満帆であるかのように檀上から平然と言い放っていたのだが、私がこの報道に接してまず想起したのは故埴谷雄高の【自同律の不快】というテーゼだった。それは「この国は壊れている」と私にはかなり切実に思われたことから来る私なりの類推・連想・追想の類であるが、格別深い意味は含ませていない。

 では日頃私たちが深く考えることもなく使っている「自同律」といい、「アイデンティティ」という言葉の、その正確な定義付けはいったい奈辺にあるのだろうか?

 ☆検索トップにあったHATENAKEYWORDの【自同律の不快】にはこうあった。 ↓

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 埴谷雄高作「不合理ゆえに吾信ず」が初出であり、『死霊』にも出て来る、彼の代名詞的用語…ではある。

これは「私が私であるってことの不快」と定式化されうるが、この不快が全存在へも拡大・適用されうると前出の作品の上で言われることがある。

また、そもそも自同律という言葉が、論理学上の同一律(A=A)を意味するものであるのであるから、根本的に、論理的諸関係へも不快感は拡張せられる所に、立場(立脚点)の違い(相違)によっては、或いは取り方によっては侮蔑的ニュアンスの強く観ぜられてしまうところの単なるいわゆる「自分探し」の問題意識の系列からのそもそもの「逸脱」(この「逸脱」については同作品の第3章に於ける「黒川健吉」の諸議論が深く取り扱っている所である。)の傾向が看取せられうると言われるべき(つまり「自分探し」の問題系列上では、それがどの様な内実を持ちうるものであれ、兎も角私という存在形式自体は温存されるのである。)だろうし、このことはエマニュエル・レヴィナスが例えばその「逃走論」(1939)等で唱えた「存在からの遁走」との連関をさえ比較的容易に予覚せしめうる。

兎も角も、例えば『死霊』が典型的な「自分探し」的元凶としてのテキストと貶められがちでさえあるのに比較して、比較的レヴィナスについてもそれを言う人が少ない、と言うか、殆ど居ないように見える、というこの著しい対照は、それ自体或る考察の対象とされるべき命運を担っていると断言可能である[*1]様に、筆者は想う。

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 以上引用終わり。この文章はあまり解り易いものではない。却って議論を難解にし混乱させてしまっている。「自分探し」という安直な語句も埴谷にはそぐわない。私にはこの「自分探し」という言葉は元々安っぽくて気に入らないのである。「何を今更自分を探さなければならないのか!」というわけである。眼に見えている自分、現に現在進行形で体験するしかない自分が不服だという人間が敢てここで「自分を」探さなければならないということなのか。埴谷自身はこんな語句で自身を表現~表記したことは(多分だが)一度もない。
 
 ↓ 下に引いた松岡正剛には流石にこのような蒙昧な記述はない。

☆cf.松岡正剛の千夜千冊

 AはAである。自分は自分である。これが嫌だ、不快だ、不愉快だと、そういうとんでもないことを埴谷は生涯言い続けていたのである。ソシュール風の「能記」「所記」じゃあるまいし、一体全体そんなことを言い出したら何も始まらないし終わらない。そんなことを言われたこちらは、いいも悪いもないではないかと言い返したくなるが、彼は「私は・・・」と言いかけて、その後に続く言葉が述べられないのだと、「A=A」の「=」による接続が嫌だと言うのである。

「この星の生命の存在様式そのものが不快だ」と彼は言っていた。何か他の星の、別の生存形式が良かったのだということである。それで彼は所謂「第一次戦後派」の文学者仲間たちからは「埴谷は宇宙人だ」と揶揄されたのであった。

「現にある自分という存在が嫌だ」ということなら多くの人たちにとって有り勝ちなことで、人はそういう人間を称して「(瞬間的な)自己嫌悪に陥っているのだ」と或いは簡単に括り付けてしまうだろう。自己に倦み、自己嫌悪に陥った人間が他者なりこの社会なりを「愛せる」「普通に尊重し敬愛出来る」、そういう状態に回帰回復出来るものなのかどうか、私には甚だ疑問である。「自愛」がなければ「他愛」もあり得ないものだと、私は考えるものだ。

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 もう1本。今度は時事通信社から。

 殺人未遂容疑で中2逮捕=同学年生徒切り付ける—兵庫県警
時事通信10月2日(木)19時16分
 
 2日午後1時15分ごろ、兵庫県川西市内の中学校の教室前廊下で、2年生の男子生徒(14)が同学年の男子生徒(14)の首と左腕をカッターナイフで切り付けた。切られた生徒は全治2週間の軽傷を負った。兵庫県警川西署は、殺人未遂容疑で切り付けた生徒を現行犯逮捕した。
 生徒は「切ったことは間違いない」と供述しており、同署が動機などを調べている。首の後部を切り付けているため、殺意があったと判断した。学校は当時、昼休み中だった。

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 ☆日刊ゲンダイ10/03から追加の引用。 ↓

北海道祖母・母殺害 高2少女が被っていた「優等生の仮面」
 2014年10月3日

 北海道南幌町内の高校に通う17歳の少女が起こした祖母(71)と母親(47)殺人事件。2日、札幌地検に送検された高2の少女は殺害の5日前、こんなことをツイッターでつぶやいていた。

「絶対あれだな、あれしちゃうかな。がち消してやりてぇ 存在も記憶からも」

 他にも「頭割れるんじゃねってぐらい痛い そんな事おかまいなしで喧嘩するあの人達は何なんでしょ」「笑い声も出せない、家族に感づかれる」といった家庭への不満が多数書き込まれていた。

 少女は道警の調べに「しつけが厳しかった。今の状況から逃れたかった」と殺害を認めている。

■児童相談所に一時保護

「少女は30日深夜から1日未明にかけて、寝静まった祖母と母親を台所の包丁で殺害。祖母は顔などに数十カ所の刺し傷、母親はのどに深い傷があったそうです。殺害後、タンスなどを荒らし、強盗にみせかけるなど計画的で、捜査員が来たときは、<離れで寝てて気付かなかった>と話していました」(捜査事情通)

そんな少女も高校では人気者だったというから驚く。成績も優秀で、スポーツもでき、次期生徒会長にも内定していたというのだ。周りからは「活発で、明るい子」とみられていたが、家庭内は別だった。

「小さいころから厳しく育てられていたようで、犬の散歩や除雪作業といった雑用ばかりをやらされ、友達とも遊ばせてもらえなかったといいます。04年には母親から身体的暴力を受け、児童相談所に一時保護されたこともあった。現在は物置のような場所で寝かされるなど虐待とも思える状況が続いていたそうです」(前出の捜査事情通)

 事件当日は、通常どおり中間テストを受けていたという。これもゾッとする話である。

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 以上引用終わり。
 「捜査事情通」というのが曲者だがそれは問わないとして(笑)、遠慮だとか配慮だとか、自己保身の塊たる自称「一流新聞」らが正面切って切り込めない事情へと、ここは対象が木端微塵になるくらい遠慮会釈なく飛び込み切り込んで行っている。そこが「三流夕刊紙」の「三流夕刊紙」たる所以であり「本紙の値打ち」というものだろう。

 ゲンダイ紙によれば彼女は祖母のみならず母親をも「抜き難い憎悪の対象」としていたとのことで、そこは私には意外と言えば意外だった。
 以前何の事件だったか、母親を今生に残して置いたのでは「殺人者の肉親」として生涯名指しされてしまうから、それでは不憫だと、最愛の母親をも殺害してしまった事件があった。だから、私はその類かなと勝手に推測していたからである。


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