本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

パリーグ開幕、そして言葉。

2005-03-26 01:42:50 | 
*明けて今日26日は早くもパリーグ開幕です。サッカーは負けましたね。
ここ→

*昨日は自分としては「やった!」と思ったんだけど、リンクの羅列は意外と不評で、やっぱり私自身の意見を表明しないといけないのかなと考え直したのですよっと。(あれれ、今見ると数字が倍増してるぞ。別に不評じゃないじゃん?どうなってるんだろう?ま、いいか)

*「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として。二度目は喜劇として」という言葉がある一方、
「歴史の歯車は後へは戻らない」という言葉もある。

*『引用符で語るな』・・・・・・!

*何か他人の言葉を引用するときって、大抵の人は、その言葉を自分の都合の良いようにしか使わないのですよ、多分ね。

*かと言って、自分でオリジナリティを主張出来るほどの言論を、一体どれだけの人が持っているかと言うと、これも甚だ心許ないのではありませんか?
 大方の人はどこかで仕入れて来た他人の見解や感覚を、意識的にか無意識にか、あたかもそれが自分独自の発明・発見であるかのように公表するのですよ。きっと。

*『解釈を解釈するのに忙しい』・・・!

*最初に誰かが言葉を発し、それを聞いた人がその言葉の意味を解釈し、次の世代の人がその解釈をさらに解釈し・・・というようなことを延々と続けているうちに、言葉の山は無限大にまで膨張して行くのでしょうか?

 すると必ず「原点に(原典に)帰れ」という人が現れます。w

*しかし個人個人の『原点』というものは決して一点一箇所に止まっているものではありません。人間は成長するか退縮するかは別として、いつまでも変化しないわけには行きませんから、その人間の『原点』なるものも、実は日々変遷を遂げていると言っていいのです。

*これをカッコつけて言うと「原点は再形成され続ける」と言うのです。

*『自分自身の言葉で語れ』と言ったところで、その人がそのように主張するに至った理由、原因、歴史、因果、成り行き・・・云々というものがあるわけですよね。

 しかしながらですね、我々の出自は『何も言葉が無かった場所』ではないのですから、少なくとも自分自身の中では『自分の原点』をいつも意識している必要はあります。

*アホ議員たちがまたお手盛りを勝手に決めた。批判が出たら再検討するなどと言っているらしい。役人のトップより低くなったら格好がつかないそうだ。だったら役人の給料下げるのが筋ちゃうんか? まったく駄目な人たちだ。
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