本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

『ショーボート』そして昭和。

2006-04-02 23:03:21 | 
*←今日のイラストは私のお友達からの戴きものです。
 私が借りている『お絵描き掲示板』が描き難いと文句を言っています。w
 私のところは上手い下手関係ありませんので、このblogの読者の皆さんも宜しかったら是非一度描きに来て下さい。

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*先週の結果:

    週・・・・・・・・閲覧数 ・・・アクセスIP数
03/26~04/01 ・・・2191 pv ・・・1018 ip



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*DVDの『世界の名画』ワンコイン・シリーズはコスミック出版のと水野晴郎監修のと二つ出ていて本屋に置いてあるけど、ブツが貯まるのも何だし、何回も見るわけでなかったら『Yahoo!動画』でかなりの種類が無料配信されているからそっちで見れば充分じゃないかということに最近になって気付いた。迂闊な話だけど、私は元々あちこちクリックするのが嫌いな人間なのかも知れないから、TBなども余程気が向かないとこちらからわざわざすることもないのだ。(はぁ?

*で、最近『Yahoo!-世界の名画』も合わせて渥美清の『泣いてたまるか6』(←これはディアゴスティーニで¥500では買えない。w)『オズの魔法使い(1939年)』『ショーボート(1951年)』『第三の男(1949年)』『哀愁(1940年)』etc.を見たという話をします。w

 私は上記の映画やTVドラマはみんな以前見たことがある筈だが、大方は忘れてしまっていて「この後どうなるんだろう?」とはらはらしたりして結構楽しんで見ていたのです。

*全部について語るのは無理なので(←あったりまえやん!)今日はその中から『ショーボート(1951年)』に関連する話題だけを少し記述してみます。

*この映画はミシシッピ河を航行しながら芝居する一座の話で、劇中歌として『オールマン・リバー』の唄が何回か、それも重要な場面で大らかに歌い上げられるわけだが、私はそれを笠置シヅ子の唄で聴いていた。で、こちらの方は大らかというよりは野卑で泥臭くて威勢のいい唄いっぷりだったから、そのギャップにまず驚いた。
 彼女のウィキペディアはここです。→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%A0%E7%BD%AE%E3%82%B7%E3%82%BA% E5%AD%90

*笠置シヅ子は『東京ブギウギ』等で有名なジャズ歌手(?)である。
 松竹楽劇団の出身で、美空ひばりが出現する前の扇情的で過激な(?)スターだった。この人の半生をモデルにしたNHKの朝の連続ドラマもかつて放映されていた。
 ちなみに少女・美空ひばりはこの人の持ち歌の一つを唄ってデヴューしたということである。

 彼女は歌手を辞めてからはTVタレント・役者として活躍しており、現に私が最近見たという上記渥美清の『泣いてたまるか6』《ああ、誕生》(1966/07/17放送)では助産婦の役で登場している。

 ついでに補足しておくと、この《ああ、誕生》の脚本は後に一世を風靡する早坂暁の手になるもので、随所に当時では珍しいサイケで斬新な手法が用いられていたというのだが、私は見終わった後解説を読むまでは全く気付かなかった。w

 『泣いてたまるか6』のもう一本は《子はかすがい》でこっちはなんと山田洋次の脚本で、私はこっちの話の方が好きだった。w
 《ああ、誕生》の奥さん役は春川ますみ、《子はかすがい》の奥さん役は市原悦子である。

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 あと『ショーボート(1951年)』に関連する話題をもう一つ。それは先日紹介した斉藤晴彦の所属する劇団『黒テント』の話である。今から20年前くらいだろうか、彼らは『喜劇・昭和の歴史三部作』という出し物を引提げて全国公演を展開していた。
 当時の彼らの正式名称は『黒色テント68/71』というもので、「小屋(←箱物の劇場のこと)に拘っていたのでは自分たちのやりたい芝居は出来ない」というコンセプトから、唐さんの『状況劇場』(←所謂『紅テント』)らと共に、街へ、広場へ、校庭へと飛び出して自分達のオリジナル演劇を敢行していたわけだ。

 で、『自由劇場』に所属していた彼らが「こんなとこちっとも自由じゃないよ!」とばかりに分派した、そのエポック・メイキングな年が68年であり71年だったのだろうという話である。

 彼らのやり方というのは、その辺の広場~空き地にテントを張ってそこを即席の芝居小屋にするという手法であって、『アングラ劇団』などと当初呼ばれていたが、最盛期にはむしろ彼らの方が若者たちのカウンター・カルチャーになっていたと言ってもあながち言い過ぎとも思われない。

 『黒テント』のテントの張り方そのものについては『河童の覗いたニッポン』のイラストが詳しい。こちらは運送用の大型トラックを舞台~楽屋~テントの補強等に目一杯活用しているらしく、それは見事なものだった。
 一方『紅(あか)テント』の方はというと、こちらは『黒』より遥かに不細工で無骨で泥臭い仕立てだったが、これがまた『紅』のおどろおどろしい芝居にはぴったりのシチュエーションを提供するものだった。

 話を『喜劇・昭和の歴史三部作』に戻すと:

 第一部『キネマと怪人』
 第二部『阿部定の犬』
(だったと思う。あるいは一部と二部が逆だったかも?)

 そして第三部が『ショーボート昭和』だったのである。w

 いずれも上演には休憩も挟んで2~3時間は優にかかろうかという大作で、勿論見に行っても全部はやってくれない。一回に一つだけだ。(←あったりまえ!)

 『キネマ』と『阿部定』なら私はそれぞれ何回も見ているが、第三部の『ショーボート昭和』は一回しか見なかった。てか、あまり上演されなかったのだろうか?

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