本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

システムに取り込まれている我々。

2015-04-20 19:00:02 | 社会
 あめ🎊がほぼ上がったのでオアシスへ買い物に出掛けた。今緊急に欲しいものなどはないが、あと55Pは貯めないといけない。今日買ったのは:
 食パン、牛乳、リンゴジュース、サラダと薄揚げである。揚げは例によってアブラゲご飯用である。今日は予想外にポイントが沢山付いて計470Pになった。これでは週末には500Pを大きく超えてしまうから却って迷惑する。またズルズル続けることになるからである。

 この国では商業ベースのシステム(制度)が発達している。商売になることなら何でも制度化される。人々は大方そのシステムに絡め取られ、気がついた時には雁字搦めになった日々を過ごしている。
 
 一方社会保険制度、**基金等の公的機関はどうか。これも制度である。制度と言うからには予算を配分し人員を配置して初めて機能するわけだが、配属された人間らが皆例外なく「国民の皆様の為に粉骨砕身努力します♪」などということは単なる建前だけの話であって、現実にはまずあり得ない。人間である以上、まず配慮するのは自分と自分の家族のことであり、次に考えるのは自分の配属された部署=システムの現状と行く末である。国税から分配された『単年度予算』が余りそうだというなら、みんなで『お旅行』にでも出掛けて蕩尽し尽くさなければ来年度は予算を削減されてしまう。「お遊びではありませんよ♪」というエクスキューズを付けたかったら「お旅行」には《お》ではなく《研修》という冠を付ければどこでも通る。これがわが国《役人天国》の実情である。役所が無駄遣いしない日々はまず来ない。彼らは『集めて使う』のがお仕事なのだ。

 「敵は制度、味方は全ての人間」

 と埴谷雄高は言ったが、現実の我々は逆に「味方は全ての制度、敵は全ての人間」とでも主張しているかの如き日常に邁進している。廻りの人間など信頼し信用し切っていたのではいつ痛い目に合っても文句は言えないから、信用し頼りにするのは制度しかないのだ。

 システムが充分に構築されていない発展途上の国々にとっては羨ましい限りの国情ということになるのだろうが、世の中そんなに良いことずくめでやり過ごすことなどは到底不可能である。制度に頼れば制度から、人に頼ればその人から、思わぬしっぺ返しを食うのもまた世の常であり、歴史的必然である。当たり前の話だが人は制度に依拠し、制度は人次第なのである。


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