本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

今度は囲碁小話。

2005-06-16 23:07:54 | 囲碁・将棋
*囲碁を指す言葉として《爛・カ》(=らんか=「カ」は本当は木ヘンに許可の可と書くのだが幾らキーを叩いても出て来ない)というのがある。春秋時代の故事に由来する言葉で、ある樵夫(きこり)が山に入り、妖精たち(?)の囲碁観戦に夢中になって、ふと気付いたら斧の柄が朽ちていたという話である。樵夫が村に帰るともう何代も後の人々が暮らしていたそうである。

*人情落語の『文七元結(もっとい)』の文七も出入りのお屋敷で囲碁観戦に夢中になって、集金したばかりの大金を盤の下に忘れて来たのがそもそも事件の発端だったと思う。

*私は自慢ではないが碁は弱い。こんなことを言うと「じゃあ将棋は強いのか?」と聞かれそうだが両方とも弱い。碁は「棋力5級、能書き初段」くらいがいい見当ではないかと思っている。
 何故能書き垂れるのが初段かというと、以前関西棋院だったか、棋力認定テストに応募してみたところ、私の方は5級で充分だったのに「初段の免状は優に取れる」という御宣託だったからだ。
 ただ免状を貰うには何万円か手数料を払わないといけないので私は止めておいた。

*囲碁は自分に実力はなくても、ルールや考え方を知っていれば観戦するだけでも充分楽しめる。日本にいつ伝わって来たのか知らないが正倉院宝物殿にはきれいな碁石がある。ルールは日本と中国では細かい点で違いがあるから国際棋戦では国際ルールが採用される。国際棋戦は最近たくさん出来たが、みな持ち時間が少ないせいか(?)日本勢は苦戦している。決勝に残って来るのは韓国か中国の選手が多い。両国共プロの制度を敷いて久しい。ちなみに中国では囲碁は「体育」に属する。文字通り『頭の体操』の扱いである。

*東京では自称2段(定跡初段・喧嘩3段だから均して2段)の先生がいて、この人に五つ置いても勝てなかった。もし仮にそれで勝ったり負けたりで均衡が取れていれば『五子の手合い』と言い、どちらかに勝敗が傾けば『手合い違い』と言う。
 将棋のハンデの付け方は駒を落として行くが、碁は黒が事前に置石をしてバランスを取る。『セーモク・フーリン』と言ってあれは幾つだったろうか、滅茶苦茶置きまくるのもある。
 しかし幾らハンデをつけても棋力(読みの力・大局観)が違うので下手はなかなか勝てるものではない。
『下手ごなし』『下手殺し』と言って力の劣る相手には滅茶苦茶強い人もいる。故小池重明というアマ強豪は、自称アマ四段たちを『二枚落ち』(飛車と角を自分だけ最初から無しにするハンデ)で負かしていたから下手の相手をさせたらプロ以上だったかも知れない。

*将棋には「先手必ずしも有利ではない」という定跡が幾つかあるが、この点囲碁ははっきりしていて『先着の利』は動かし難い自明の理である。
 互角の者同士の闘いに於ける『先手必勝』を避けるため、囲碁界は『コミ』という制度を導入した。私が知っているのは『先番3目半』の時代からだが、今や『6目半』からそれ以上かという時代に入った。それだけ序盤その他の定跡研究が進捗している証拠である。

*ちなみに『先番6目半コミ出し』と言えば、先手(黒)は終局時盤面で7目上回っていて初めてその勝負『半目勝ち』を収めたということになる。『半目』というのは架空の数字だが、それを入れているのは『ジゴ=引き分け』(終了時陣地の目数が白黒同数の引き分け)を避けるためである。半目勝ち云々自体を避けるため、NHK等で『ジゴは白勝ち』というルールを導入したこともあった。

*囲碁は19x19の交差点一つ一つを「1目(いちもく)」として数え、その多寡を競うゲームで古代からあるが、黒が占有したAという地点を仮に白が占有しようと企んだときには、そのAに関わる黒の一団を抹殺するしかないというすぐれて近代的な思考も既に含まれている。一つの椅子に二人はすわれない椅子取りゲームと同じである。


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