本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

フルトヴェングラーの『運命』を聴いた。

2015-09-03 21:55:48 | 
 ダイソーのフルトヴェングラーを聴いた。CDで落語でも聞こうかと思ってプレイヤーはまだ壊れていないかどうか確かめようと開けてみたらフルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲第五番『運命』他が入っていたからそのまま聴いたのである。十年くらい前¥105で買ったものだと思う。音源は当然古かったが内実は重厚で素晴らしかった。

 フルトヴェングラーと言えばクラッシック界の大御所であるが「ナチスに利用された」として戦後一時排斥され、代わってのして来たのがカラヤンである。私がクラッシックを集中的に聴いたのは高校3年生の頃で当時はカラヤンの最盛期だったから私もカラヤンは随分聞かされた。
 そのカラヤンも「商業主義に走っている」とか「速過ぎる」とか「メゾフォルテとメゾピアノしかない」とか一部で酷評されて徐々に勢いを失していった。
 これは一般的に言えることだが「新しい世代は新しいヒーローを求める」ものなのである。第一新しい世代が何時までも古い偶像を崇拝していたのでは新しい文化は生まれないではありませんか。クラッシックでもポップスでもそれは同様だ。

 あのお騒がせデザイナーにしても次から次へと「あれが似てる」「これもそっくりだ」と指摘され続けるのだから、それだったらいっそこの際ありもしない《自分のオリジナリティ》を主張する事など一切放棄して『はい、何を隠そう私はリメイク専科の人間です♪』と正直に告白した方がいいのだ。が、あの虚栄心の塊のような、根が嘘っぽい性格では何処までも何時までもシラを切り通すに違いない。

 ところで最近私が屡々耳にするのは70年代のオールドポップスである。ビートルズの(⇦オリジナルではないが)ミスターポストマンとかビーチボーイズのDo you wanna dance?のリメイク・リバイバル版がふと有線で流されるのであるから、これは嬉しいと言うよりも寧ろ戸惑いの方が私は先に来る。邦楽では井上陽水もよく誰かが唄っている。
 「そんなに今の音源の守備範囲は貧困なのか?!」と言えばそんなことはまずない筈だから私は理解に苦しむ(?)。📺🐳👙🚀🐤🐾😄🐦。


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