本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

百円ローソン・YouTube・国会中継など♪

2011-01-18 15:53:45 | 社会
今日は最近思うこと、よくわからないことなどしょうもないことをつらつらと書いてみようかという趣向であるが、最近たかじんの番組に顕著な、まず中央演台にはゲストを置いて基調演説をさせ、コメンテーターらはと言うとずらりと雛壇に並べて勝手なことをしゃべらせ、それをフロアの辛坊・たかじんらが制御するという「報道バラエティ?」を見てふと想起したのは、M・フーコーの『監獄の誕生』にあった或る挿絵のことである。そこは中世(近世)のアル中患者の教化・矯正所で、講演者は自分を半ば包囲する半円形の雛壇に向かって、アルコールの過度な摂取が如何に人の健康を害するかについて熱弁を揮っているのであるが、雛壇の聴衆は皆個々に狭い独居房に幽閉されており、虚ろな目で演者を見つめているだけなのである。これが『近代』即ち『管理社会』というものの本質・実態であるというのがあの著作の本旨だったと思うが、M・フーコーの著作の挿絵というと何と言っても『言葉と物』のベラスケスの『侍女たち』が有名である。あの本が書かれた1965年当時は中世の名画を『判じ物』として捉えてああだこうだと分析・解題することが彼のおフランスの知識人たちの間で流行っていたそうで、フーコーも洒落っけを起こしてその輪に加わってみせたのだということである。話を元に戻して考えると、今『雛壇』にすわって口々にご高説を垂れ流しているのは、報道・バラエティを問わず凡そ全てのテレビ出演者・テレビ局関係者たち悉くなのであって、それをまるで強制されてでもいるかのように、何の自律的判断もなしに日夜呆けてポカンと見させられ続けているのが、何を隠そう我々『テレビの囚人』たちなのである。w . . . 本文を読む