本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

飛田東映上映中。

2010-09-05 08:42:26 | 
現在世界を覆い尽くした貨幣経済(資本制社会)にあっては、要は貨幣が十全に循環し、モノとモノとが遍く交換されれば、人々が飢えに苦しむことも極度の貧困に悩まされることもないだろうが、現実の世界では近経のいわゆる「傾斜」が著しく、富もモノもその大半を「一部のシステム」が排他的・独占的に占有しているのが実情である。世界の富には明らかに濃淡があり、モノが有り余った国では食物を含むモノが日夜恒常的に捨てられ廃棄され、他方モノが隅々まで充分に行き渡っていない国にあっては、食べ物も医薬も衣料品他生活必需品も慢性的に不足しており、スラムに住む貧民層では子供たちがゴミの山からまだ使えるモノを拾い出して日々の生活をかろうじて成り立たせていたりするわけである。人々の日々の生活資材を生産することが重要なのは言うまでもないことだが、今世界を支配しその趨勢を決定づけているのは生産者各位ではない。しょせんこの世は「金が全ての世の中」に過ぎず、財貨をどれだけ保有しているか、(適正であろうとなかろうと)俸給をどれだけとっているかで、その人間個人の社会的ステータスは確定するのである。汗に塗れてどれだけコーヒー豆を生産しようと、石高・漁獲高・鉱工業指数をどれだけ上げようと、いったい誰がそれら生産者たちを賞賛するだろうか!?彼らの生産物はどこかの金持ち・投資家たちが二束三文で一挙に買い叩いて、「良品」はまるごとどこか彼ら生産者らの手の届かない遥けき場所へと運び去ってしまうのではないか。我々が今生きている世界が「普通の人の普通の生活など糞喰らえだ!」という本音に根ざしていないという保証など、実はどこにもないのであるが、メディアの日々の報道は(意図的にかどうか)ひたすらその事実から我々の眼を逸らそうと勤めているようにしか私には見えないのである。・・というわけで、私の方は飛田のサービスデーである。w . . . 本文を読む