動物園の哺乳類の母親が『拘禁性ノイローゼ』に罹って(?)育児放棄するというニュースなら我々は時折眼にする。動物園の中でのことなら担当の飼育係が即時に対応して事無きを得るが、我々人間の方はというと、母親の育児放棄や虐待が起きても、一般社会の『自由』度がこれに対応することを許さず、時により動物園とは比較にならない惨状を現出せしめるのである。逮捕された母親は今年1月に二人の子供を連れて大阪西区に越して来た。街中の1Rマンションの一室で、6畳のスペースに家具調度が揃っている部屋だから普通に暮らす分には不自由はない筈である。このマンション全体が某ソープランドの社員寮として借り上げられているということであるが、託児所等の育児設備はなさそうだから、元々母親が仕事に出掛ければあとは室内に幼児二人が置去りにされるしかない体制だったのである。子供たちにはジャンクフードを与え、室内もベランダもゴミの山と化していった母親は徐々に育児に飽いて『育児放棄』へと向かい、最後には帰宅する気すらなくしてしまったのである。昼の番組では帰宅しなくなった母親はホスト遊びに狂っていたと報じていた。職場では毎日性をひさいで収入を得ているソープ嬢が、オフになると今度は逆に金で男を買って(或いは男に貢いで?)溜飲を下げるという話はよく聞く話である。二ヶ月に一度の水道の検針では半年の使用量がゼロだったということであるが、その間「一滴も水を使わなかった」(なかにし礼)というのは誤りで、使用量が基準値以下の場合「針」はぶれないのである。病める母親が育児を放棄するケースは充分あり得る話であるが、その際周囲の周到な気遣いや市の生活相談窓口の適切な対応があれば、彼ら二人の姉弟はエアコンも効かない猛暑の密室で餓死することはなかった。市の担当は住民の通報でこの部屋を5回訪問しているが5回とも「会えませんでした」と何もせず引き返している。子は親を選べない。母親が出て行ったあと、食事も得られぬ彼らは最後どういう日夜を過ごしていたのだろうか。水道の蛇口を捻る力はなかったのだろうか。ドアは自力では到底開けられなかったのだろうか。ベランダに出るだけの力も残されていなかったのだろうか。町中であれば夜漆黒の闇に閉ざされることもなかっただろう。泣き疲れ涙も枯れ果てて彼らは長きに長い一日を送り、短か過ぎる生涯を閉じた。合掌。 . . . 本文を読む