『報道特集』だったと思うが、リストカット(と言っても左肘から手首にかけて夥しい数の傷痕があった)の自傷癖がある女性の自作映像を流していた。取材協力に応じた彼女は或る日トイレにカメラを持ち込み、ゴムバンドで堅く二の腕を縛り上げてから(恐らくは)動脈を切り、結果三十数針縫う大怪我をした。映像は途中までで切られた。8割が女性というこの病だが、とにかく何でもいいから誰かに常に注視されていたい、見放されたくないという一心で、いよいよ不安が耐え難くなると手首を切り刻むという挙行に出るのである。いわゆる『自殺願望』ではない。むしろ生への強い執着があるからこそ逆に『孤立することへの恐怖・強迫観念』が、たとえ家族と共に生活していても不定期に彼女らへ襲来するのである。これを『単なる甘えだ』とか『対幻想だ』とか傍から決め付けるのは容易だが、『人生死ぬまでの暇潰し』(←先日やしきたかじんがバラエティでこの言葉を披露していたが、私は三十年前から使っている)とは言うものの救われない話には違いなく、このBPD症については本文の最後にまた触れる。*随分前のことだが、私が例によって何気に街で写真を撮っていたら若い男性の二人連れがすぐ横を通り過ぎながら当の私をそっちのけで「何してるの?」「看板撮っているんだ」との会話を交わしていた。「よくご存知で」と私は思った。大抵の人は自分にレンズが向けられていない限りは無視してくれるからいいのだが、仮に「そんなことして何になるの?」などと真正面から訊かれたとしても私にはうまく答える用意がない。いわば「牛はふと歩き始めた」(←これは宇宙開闢時の「対称性の破れ」を説明した言葉だが)のでアル。ちょっと違うってか。ぁそ。*「blogがタレントの芸能活動の場と化している」などと言われても私には別段これといった実害などないから「勝手にしたら?」と思うのだが、芸能記者の側からすればタレント(即ち彼らの飯の種)とファンとが直接キャッチボールを始めるような事態は無論歓迎出来ないだろう。タレントやプロダクションとそれを取材し報じる側とはこれまでも今も相互依存の関係にあるが、blogの普及によって従来のように生の記者会見で質疑をやりとりする方法とは別に、芸能人がネットに向かって直接声明を発表し自己PRを行う場を持ち得たことは、自己演出の手段が確実にひとつ増えたことにはなるのだが。 . . . 本文を読む