本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

彼らの限界。

2007-11-12 00:16:25 | 政治
どうでもいいようなことだが若い人たちのために一応申し述べておくと、いわゆる「岩波文化人」がなぜ駄目かというと、彼らは要するに今は懐かしき『社共共闘』推進論者だからである。表では対決法案で乱闘国会を演出し、裏へ回っては国対賭けマージャンで自民党から解決料を巻き上げるといった旧社会党であったから、落ち目の自民党からちょっと甘い言葉を掛けられるとすぐにひょいひょい自社さ連立政権に走ったのも頷けようと言うものなのである。今民主の管さんなども村山政権当時は魁から参加していたわけだ。w*ところで詳しくは知らないが、釜ヶ崎で政治的なことを口走っている連中は概ねこの、今は破産して久しい『社共共闘』への捨て難いノスタルジアに浸っていると言えるだろう。最近会っていないが野宿詩人T氏なども、これはどういう運動体か「自民・公明・民主は駄目」だからこれら以外を勝手に応援する(?)という運動に傾斜している様子で、そうなると(まさか国民新党応援でもなかろうから)消去法で残るところは社民と共産しかない。笑。尤も運動の有効性は皆無に近いとしても、その程度の運動で自己満足出来るものなら結構なことである。自己満足というのは自己欺瞞の異名かも知れないが実は大切なことなのである。それは今小沢騒動で一段と「確かな野党」論の主張を強めている共産党を見ても明らかであって、彼らはそうやって火事場泥棒のように他の野党の支持層に食い込むことばかり狙い、結果自公政権を相対的に支援することになるからみんなから毛嫌いされるわけであるが、「政権獲得は我々のロマンです♪」(志位さん)と胸張って言い切り文字通り「自己満足」の沼にどっぷり浸かり込んでいるのだから、これこそ公明と同じ「信じる者こそ救われる」の世界であってこれ以上他者が横から何を言い得るだろうか?要は「自分(たち)が楽しけりゃいいじゃないか」というのが我々の人生の基本であって、他人のことは二の次~後回しになるのが普通だ。他人のことを優先するなど絶対にしてはいけないことなのだ。笑。そうなんだよ。自己犠牲などという「高尚な倒錯」は宗教者たちに任せておきなさい。自己満足出来るならふぐ料理結構ゴルフ漬け結構。運が良ければ法の網の目を無事潜り抜けることだって不可能と決まったわけじゃない。しかし人間てどこまで卑しいんだろうか?呑ませる、抱かせる、掴ませると、古今東西こればっかりだ。 . . . 本文を読む