オババは、例の○○○により自宅待機を余儀なくされている。
今日は、昨日から雪になると言われていたが、
オババの済むT県F市にはまだ降っていない。雨である。
これから降ってくるという予想である。
そんな日に会社に行かなくて良いというのは、と言うより行くな、と言うことなのだが、
ここだけの話、ラッキーだったかもしれない。
なぜなら交通網が麻痺するのが必至だからである。
社員として働くオババは、もしかしたら会社に泊まる羽目になった可能性があるのである。
ま、恐らくそのときには施設長が残り、私らは帰りなさいと行ってくれるだろうが、
足がなかったらどうしようもない。
歩いたら10キロの道のりだ。足がどうにかなってしまうだろう。
泊まった方が賢明だ。でもそうしたら犬の散歩はどうなる?
亭主でさえ帰れない可能性がある、なぜならはやり電車が動かなくなるだろうから。
ああ、愛犬はどうなるのだ。可哀想な我が犬。
しかし、今私は自宅にいて、外の天気を見ながらこれを書いている。
そしてとても気になるのがオリンピックのライブ放送だ。
とある選手の金メダルがどうだ、連覇がどうだ、あの技にチャレンジするのか、
などなど、家にいるがためにその瞬間を目の当たりにしてしまうことが可能なのだ。
もちろん、それを見ない事も出来る。
結果を後から知っても良いのだ。
もう、その選手の存在は世界中のものだ。
誰もが注目している。
自分が出来ないことをその選手に託しているのだ。
自分の希望をその存在の中に見ているのだ。
他人事。他人事。自分とは縁の無い世界ではある。
が、
もはや、技と言うより『それに挑戦する』と言う気持ちに共感するのかもしれない。