場末の雑文置き場

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イスラエルとパレスチナと自称中立

2021年05月13日 | 政治・社会

子供の頃からイスラエルとパレスチナのことを授業やニュースで聞くたびに違和感があった。
なぜイスラエルがどれだけパレスチナ人を殺しても「テロ」とは言われず、パレスチナ人側の抵抗(被害はイスラエル側の攻撃よりもはるかに小規模)ばかりが「テロ」と呼ばれるのか。イスラエルがパレスチナ人の土地を奪ったことがそもそもの原因なのに、なぜイスラエル側の武力行使だけが「報復」と表現されるのか。先に攻撃を仕掛けているのはいつもパレスチナ側なのだ、という印象操作じゃないのか。
「テロ」という言葉は強い方に都合のいいように使われるんだな、と昔から感じていた。そして今も日々その実感を強めている。非白人のイスラム教徒がアメリカで銃を乱射したら即「テロリスト」認定されるけど、白人が同じことをしてもテロリスト扱いはされない。

パレスチナがユダヤ人にとって神様から約束された地だから、という理屈もおかしい。そこに長い間住んでいる人のところに知らん奴が後からズカズカ乗り込んできて「ここは2千年前は自分の先祖の土地だったから自分のものだ」と言われたって「ハア?」って感じだろう。

イスラエルはやりたい放題で、その割に外国(特に西側諸国)からの非難の声は小さい。アメリカなんかはイスラエルが何をやってもいつも全面的に擁護するしな。
世界を見渡すと悲惨な事件は他にもたくさんあるのに、その中で特にこの問題が気になってしまうのはきっとそのせい。

それでも、イスラエルに対する世間の目は昔よりは厳しくなってきたようには思う。そうしてようやく高まってきたイスラエルに対する批判の声に対して、「パレスチナ側だけに肩入れするのは公平でない、冷静でない」と言う自称中立も現れている。

「イスラエルが一方的に非難されすぎ」って、どこが? 丸腰の人間に対して発砲した事件すら両者が「衝突」した結果のように報道されているのに。イスラエルは決して「テロリスト」とは呼ばれないのに。見えている世界が違うんだな、としか思えない。

自称中立の人って、自分は俯瞰的に物を見られる、冷静であると思ってるよな。両者のパワーバランスや占領・被占領の関係などを考えずに「どっちもどっち」みたいな方向に持っていくことなんて、悪しき平等でしかないのに。大前提として、イスラエルはパレスチナに元々住んでいた人たちを追い出してユダヤ人のためだけの国を作り、現在も植民地支配とパレスチナ人の虐待・殺害を続けているということを忘れちゃいけない。
ナチスドイツと迫害されたユダヤ人などのマイノリティがどっちもどっち、なんてことは絶対にないだろう。南アフリカのアパルトヘイトだってそう。日帝と植民地にされた国々だってそう。言うまでもないことだけど、悪いのは日帝側。

もし南アフリカのアパルトヘイトが現在進行系の問題だったとしたら、自称中立の人たちはやはりこれを同じようにどっちもどっち論に持っていっただろう。南アフリカ国内で反アパルトヘイト運動をしていた人間の中には暴力的な手段を用いる人たちもいたが、そういった例を殊更に取り上げて「かれらはテロリストだから、ああいった扱いを受けるのも仕方ない」と擁護したかもしれない。安全な国に暮らしている人間には南アフリカの白人の気持ちなんかわからない、なんて言いそう。
あの当時だって、南アフリカで「名誉白人」扱いされて無邪気に喜んでいた日本人がたくさんいたんだもんな。本当にしょうもない。 

何があってもイスラエルを擁護するアメリカも、占領の原因を作ったイギリスも、イスラエルに何も言わないどころか共同で武器開発協力までしているらしい日本もクソだ。
日本がイスラエル好きなのはなんか納得できる感じはするけどね。朝鮮を植民地支配し、散々搾取しておいて自分たちこそが被害者だと思っているようなメンタリティがイスラエルとそっくりだから。


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