場末の雑文置き場

好きなことを、好きなときに、好き勝手に書いている自己満ブログ。

天皇制と王制の差別性

2018年04月16日 | 政治・社会

ちょっと前のことになるけど、いつも安倍に対しては批判的なLITERAが天皇のことを称賛している記事を見てしまって驚いたことがある。沖縄に対する態度が安倍と真逆だ、って言っていたようなんだが。

LITERAに限らず、日本のリベラルって大体こうなんだよな。自民党にははっきり反対表明しても、天皇にはそうなる。天皇制ってものに対してそもそも疑問を抱いていなかったりする。報道特集も天皇を陛下呼び、皇族は様付けで読んで持ち上げてるし。

私は天皇制なんて差別的でクソな制度だと思っている。できることなら廃止してほしい。天皇個人に恨みはないし憎みもしないけど、あの人を尊敬するなんて馬鹿みたいだなとも思う。

でもこんなことを言ったらこの国では過激派扱いされるだろうな。とても言える雰囲気じゃない。
天皇や天皇制に対する批判って、政権批判以上にタブーな感じだよな。芸人が天皇を笑いのネタになんかしようもんなら、不敬だ不敬だと一斉攻撃を受けて、それだけでその芸人はもう二度と表舞台に上がれなくなるだろう。

ついでに書くと、私は天皇制だけじゃなくて皇室も嫌いだし海外の王室も嫌いだ。
日本の皇太子の結婚式のときはまだ幼かったので特になんとも思わなかったけど、イギリス皇太子の結婚式が大々的にテレビ中継されて、職場の人たちも当然のようにそれを見ていて、翌日楽しそうにそのことを話題にしていたのをとても苦々しい思いで見ていた。
王制もあって貴族制もまだあって階級意識の強い国なんだよなイギリス。イギリスのそういうところは遅れていると思うし嫌いだ。でもコメディアンが堂々と女王をバカに出来たりするだけ日本よりはマシかな。

天皇制も王制も、生まれという、本人の努力ではどうにもならないものによって人間に序列を付ける邪悪きわまりない制度だ。
もちろん庶民の間でも、金持ちの子は高等教育を受けやすく、その後割のいい仕事に就くのにも有利だったりと、生まれによる不公平はある。でもそういうものを改善していくべき問題ととらえず全面的に肯定しているのが天皇制や王制なんだ。

王子様だの王女様だのに妙なロマンを抱いている人は多いけど、そういう空気が天皇制・王制維持に貢献してるよな、って感じはすごくする。
好感度の高い有名人に「〇〇王子」というニックネームを付けたり、憧れの対象を「王子様」と読んだりと、王子という呼称が肯定的に使われることが多いのも、そういうところから来てるよね。
「美少女戦士セーラームーン」は主人公が実はプリンセスで、未来世界では自分が王になって地球を統治している。特に漫画版は主人公の敷く絶対王政を全面的に肯定している感じで恐ろしいのだが、それでも根強い人気がある。フェミニズム的側面から評価する意見のほうが多くて、王制の肯定という面からこの漫画を批判する意見は少ない感じがする。
ディズニー映画はメインキャラのほとんが王族で、いまだにディズニープリンセスなんてものを持て囃している。わりと最近の「アナと雪の女王」も、王子様頼りから脱却したという面では新しいけど主人公は女王と王女なんだよね。
そしてイギリス王室へのチヤホヤ。
全部根っこは同じ。

女性天皇や女系天皇が認められないから日本の天皇制はクソ、って言ってる人は割と多くて、私はそういうのにも違和感がある。要するに性差別反対、でも身分差別はOKってことなんだよね。
日本の天皇家で女性が跡継ぎになれないとか、イギリス王室でアフリカ系の血が入った人を排除しようとしているとかいう観点からの批判は、わからなくはないんだけど、じゃあそれがなくなったら天皇制や王制があってもいいのか、って言いたくなってモヤモヤしてしまう。

そもそも天皇制や王制ってのは人間を差別し序列を付けることによって成り立っている制度だ。関わっている人間が差別的・排他的なのは当たり前。
どのようなあり方であっても天皇制・王制という制度そのものが悪なんだと私は思う。


→「美少女戦士セーラームーン」(漫画版)への違和感

→王族をチヤホヤする風潮に違和感


体操ワールドカップ2018の感想

2018年04月15日 | スポーツ

この大会の私的一番の目玉は鄒凱。と言っても、鄒凱が来ていることは大会前日に知ったんだけど。

鄒凱は北京オリンピック以来、ずっと一番応援していた体操選手。そして東京体育館は、2011年の世界体操東京で、鄒凱が鉄棒の金メダルをとるのを目の前で見た思い出の場所でもある。あれが私の初の体操生観戦でもあったっけ。

その鄒凱が今、審判として来ている。私と同じ会場にいるんだと思うだけで興奮した。こんなときに限っていつも持って行ってる双眼鏡が行方不明で、審判席にいる鄒凱をちゃんと見られなかったのがとても残念だった。目も良くないし三階席で遠かったから、鄒凱のことはなんとなくあそこかな、って見当をつけることしかできなかったな。顔じゃなくて体型で判別する感じ。

大会のサイトに鄒凱のインタビューが載っていたのも嬉しかった。少年っぽくて可愛いところが好きだったんで、写真を見てああ、大人になったなあ……ってちょっとだけ寂しさも感じたけど。いや、もちろん演技も好きだよ。

……と、鄒凱の話はこれくらいにしておいて。
この大会では海外の選手が見られるということで、それを楽しみにしていた。日本選手なら結構見られるけど、海外選手は日本では滅多に見られないから。だから中国選手が不参加になったのは残念だったな。鄒敬園、一番見たかったのに。

点数とかは関係なく面白いと思った演技は、ザイツの床。音楽にもピッタリ合ってたし、珍しくコミカルな動きも取り入れていて。
あと谷川の鉄棒も珍しい技を入れていて、引き込まれた。あの技がチェコ式車輪と呼ばれていることを、帰ってから見たテレビの解説で聞いて初めて知った。この技をやっている選手は、他にベルヤフスキーくらいしか私は知らない(追記:後から知ったことだが、チェコ式車輪は最近流行っているらしい)。実施する選手があまりいない技が入ってる演技って好き。ヴィンクラーやリューキンなんかも見ると興奮する。ヴィンクラーは最近増えてきたけど。

正統派に素晴らしかった演技は、村上の床とミクラックの迫力ある鉄棒。村上は世界選手権で金メダルをとって自信も付いたのかな? あれ以来安定感が増した感じがする。
あとブレットシュナイダーのブレットシュナイダーとか、序盤に怪我をしたけどできる範囲で最後まで通したペインとか、いろいろ印象深い演技があった。全体的にミスが多いようには感じたけど(特に男子)、時期的に仕方ないんだろうな。
新体操のエキシビションも良かった。新鮮さもあって、今回印象に残った演技のトップ5には入ったかもしれない。

表彰式も新鮮だった。選手だけじゃなくコーチも一緒に表彰されたり、賞金がスイスフランだったり。最後まで見ていて良かった。 

帰ってから日テレの放送を確認したら、海外選手の演技はカットの嵐でショボーン。放送してくれるだけありがたい、と思わないといけないのかな。BSも録画してるから、そっちに期待。


公文書改竄問題について

2018年04月03日 | 政治・社会

森友文書の話題は世間一般で案外盛り上がっておらず、安倍内閣はいまだに三割を超える支持率を保っている。下手したらこのまま逃げ切られてしまうかもしれないという恐れもある。
支持している人たちは公文書改竄なんて些細な問題だと思っていたり、財務省が勝手にやったことで政府は一切ノータッチだと信じていたりするんだろうか。するんだろうな。

考えてみれば、私だって黙って見ている人間の一人だ。怒りは感じているけど、東京に住んでいて時間もあるのにデモにも参加していない。コミュ障でそういう場に出るのが怖いからなんだけど。
で、せめてブログでだけでも、文章が上手くまとまらなくてもとりあえずなにか書いておこうと思った。ここは泡沫ブログだけど、それでも何も書かないよりは多少マシだ。
思うところがいろいろあって、まだ頭の整理が追いついていないけど、この問題を軽く考えてはならないし、安倍は即刻辞めるべきだと思っていることは表明しておきたい。

それにしても国士様たちはめげないな。これだけいろいろボロが出てきている状況でも、ネット上では、というかTwitter上では安倍擁護派が多数派のように見える。

今回のことにしては本来擁護の余地なんてないはずだけど、財務省だけが悪かったり、とにかく朝日新聞が悪かったり、どうでもいいことを追求し続ける野党が悪かったり、安倍昭恵は名前を勝手に使われた被害者ということになっていたり、いずれにせよ安倍夫妻は何も悪くないんだと言い張っている。言い分がかなり無茶なのに、なぜか自信満々なのが怖い。

「書き換え前の文書を見ても、私や私の妻が関わっていないことは明らか」なんて耳を疑うようなアホな発言を安倍がしたときも、さすがの国士様たちにもフォロー不可能だからスルーするしかないかと思いきや、堂々と引用して自信満々に追求側を非難していた国士様もいたっけ。あれには驚いた。

あの人たちはどうしてあそこまで必死になって安倍政権を守ろうとするんだろうって考えたけど、自分に似ているからなんだろうな。
ネット国士様レベルの歴史修正主義者で差別主義者で、権力を私物化して、追求してもしらを切り通して下に責任を擦り付けようとするような人間がこの国のトップにいる。そのことを疑問に思わない人間が三割以上もいる。日本すごいよ。底が抜けてる。