場末の雑文置き場

好きなことを、好きなときに、好き勝手に書いている自己満ブログ。

「Key Swap」のおかげでパソコンのキーボードが延命した

2020年02月24日 | その他

家のパソコンにジュースをこぼした。ちょうどCtrlキーのところに。すぐに拭いて、何事もなく動作することを確認してそのときはホッとしたのだが、翌日、打鍵感がおかしいことに気づいた。妙に軽くて押した感触がない。
それならそのキーだけ取り外して掃除すりゃいいんじゃないかと思って検索したところ、デスクトップならそれも可能だがノートパソコンなので難しそう。仕方ないので爪楊枝で端を持ち上げてエアダスターを吹きかけたり爪楊枝でホコリをほじくったりして掃除してみた。
そうして、多少マシな打鍵感にはなった。思えばあそこでやめておけばよかったんだ。少し使ってみてやっぱり打鍵感に満足できず、もう少し掃除しようとしたのがいけなかった。

そして悲劇は起こった。しばらく掃除を続けていたら突然バキッ! って嫌な音がして。完全に壊れたかな、と思ったが一応まだ使える様子。でも下側だけ沈んだ状態になり、多少は残っていた打鍵感がほぼ完全に失われた。とどめを刺した形になってしまった。
それでもまだギリギリ使えていたけど、いつか使えなくなってしまうかもしれない。押した感じがあまりしない上に、3回に一回くらいは動作していないかも。小指操作なのにちょっと力を込めて押さないと反応しないし、ショートカットキーの手軽さと早さがもう失われてしまった。いっそショートカット機能に頼らなければ……と思ったけど、無理だった。

このままだと使いにくくて仕方なくて、修理に出してみようか、とも考えたが、最低でも1万5000円はかかり、そのうえデータが消えてしまう危険性もあるようだ。キーひとつのためにそこまでのリスクと費用は負担できないのでこの案はボツ。
新しいパソコンを買うのももったいない。Ctrlキー以外はまだ問題なく動くし、買ってからまだ四年も経っていない。

そう言えばCtrlキーの右隣にあるFnキーは全く使ってないな、このキーにCtrlキーの機能を持たせることはできないのかな、とふと思いついていろいろ調べてみた。
パソコンに元々入っているソフトを使ってそれをやるのは難しそうだったけど(できないことはなさそうだがちょっと複雑なプログラムが必要)、フリーソフトを入れればなんとかなりそう。

検索してみて「Key Swap」という、キーの機能を入れ替えたり無効にしたりできるソフトが良さげだったので入れてみた。Vector(→こちら)や作者さんのサイト(→こちら)で入手できる。
対応OSはWindows 7/Vista/XP/2000/NTと書かれているけどWindows 10でもちゃんと動いた。注意点は普通にダブルクリックして開こうとしても「管理者としてのログインが必要です」と言われるので右クリックして「管理者として実行」を選ぶこと。あと、設定内容を有効にするには再起動が必要。



設定は上のような感じでやってみた。Ctrlキーの隣にFnキーがある私のパソコンのキー配列はやや特殊なようで「Key Swap」ではFnキーに関する設定はできなかったので、仕方なくそのさらに隣のWinキー(こちらも全く使っていない)をCtrlキーとして代用することに。

キー入れ替えのついでに、前から邪魔だと思っていたinsertキーとCaps Lockキーを無効にした。再起動してみたら、ちゃんと設定通りに動くようになった。指の使い方が変わるので最初は違和感があるけど、慣れれば大丈夫そう。
これでひとまず解決。とても助かった。こんな便利なものを無料で提供してくださった作者さんに感謝。


「差別者に対する差別」という論理

2020年02月03日 | 政治・社会

新型コロナウィルス問題に乗じて、日本では中国人に対する差別が顕在化している。職場でも平気で差別を垂れ流す連中がいてうんざりする。元々あまり良く思っていなかった人たちなのでああやっぱりな、って感じではあったけど。

この話を両親にしたら「なんでそんなに忌々しそうに言うの」と怒られた。差別に対して怒りをおぼえたとき冷静でいられないのなんか当たり前じゃないか。まあ両親も中国人ヘイトに疑問を感じていないようだし、職場の人たちと同類なんだろう。
更に、世の中には考え方の違いというものがある、それを認めず上手くやっていこうとしないお前もそういう人たちを差別していると言われた。最近右寄りの考えになってきているなとは感じていたけどまさかここまでアレな人たちだとは思わなかったから驚いたし、今までもいろいろあったけど改めて失望させられた。
まず差別なんて考え方の違いとして片づけていいもんじゃないし、「差別している人を差別」って、松本人志かよ。差別って言葉の意味も差別はいけない理由もものすごく曲解している。「中国人お断り」の張り紙をしたラーメン屋がTwitterで話題になってたけど、こういうのにも深い理解を示しそうだな私の両親。

で、差別する人の気持ちに理解を示し認めてあげるのも「多様性」なんだとか。で、私の狭量さは同性愛者をそれだけで排除する人らと一緒なんだとか。すごい。すごすぎる。差別を垂れ流すという明らかに悪いことと同性が恋愛や性愛の対象だという何も悪くないこととを同列に語っちゃうんだ。
あと、「そういう態度でいたらお前は周りの人から排除される。そうされて当然、されたとしてもお前が悪い」と。
そう言えば、両親特に母親は私が理不尽なことに対する怒りで感情的になることにものすごく否定的だった。「そうやって目を三角にするな、見苦しい」と何度も言われてきた。
まあ、こういうのが典型的な普通の日本人なのかもしれない。重い社会問題を扱った映画などに対する誉め言葉で「声高に主張することなく~」ってのを何回か見たけど、これつまり「声高に主張するのは駄目」ってことだもんね。こういう考えが蔓延してるから「冷笑系」ってのも生まれてくるんだろう。

もちろん、こんなことを書いている自分も差別と無縁の存在ではない。気づかないうちに何かを踏んでいることはあるだろう。多分これは普段差別に反対している人も含め誰にでも言えることだと思うけど。
そういう失敗をしてしまったときに大事になってくるのは自分の差別心と向き合う態度だと思う。「自分が差別なんてするはずがない」なんて思い上がらずに、差別の指摘には耳を傾けて間違いを反省し修正していくこと。もちろん「差別者に対する差別」なんて筋の通らない指摘は相手にせずに。

それから、差別は誰でもするものだとは言え、あからさまな差別には気づいて反対できる程度の感性はもっと多くの人に共有されていてもいいんじゃないかと思う。今回のコロナウィルスに乗じた中国人ヘイトはあからさまな差別の典型的なものの一つだと思うが、私の周りの人たちはそれにすら疑問を持たないどころか積極的に加担している。
これは私の周りの人たちだけじゃなく大半の日本人がそうかもしれない。公共の電波でも毎日のように差別扇動しているし過去の植民地支配の反省もない。本当に嫌な国だと思う。