場末の雑文置き場

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戦後ドイツの姿勢とパレスチナ

2022年07月02日 | 政治・社会

戦後のドイツの戦争責任に対する向き合い方は日本の左派・リベラル派から高く評価されている。私も少し前までそのことに異論は無かったけど、最近疑問を持ち始めた。主にイスラエルに対する姿勢で。

念のため言っておくと日本の戦後の姿勢を正当化する意図は全くないし、過去の植民地支配を反省しないばかりか被害者面すらする日本に比べればドイツは遥かにマシである。そのことは大前提として、ドイツの嫌なところはイスラエルの横暴に味方することでユダヤ人になんらかの罪滅ぼしをした気になっているところだ。自分たちのしたことのツケをなんの関係もない、ユダヤ人を迫害したこともないパレスチナ人に払わせて、それでいい気になっている。

イスラエルという植民地国家が無茶な理屈で不当な占領を70年も続け、その地に元々いた人たちを抑圧・虐殺している問題でアメリカ、イギリスと並んでドイツの責任は大きい。ナチスによる迫害がイスラエルによる非人道行為を正当化する口実として使われてしまっているからだ。直接の迫害を受けた人々(忘れられがちだがユダヤ人に限らず障がい者やロマやセクシャルマイノリティなどもいる)だけでなくパレスチナ人たちもある意味ナチスの被害者と言える。

そしてドイツ政府はナチスの間接的な被害者であるパレスチナ人たちを現在進行系で抑圧し続けている。ナクバに関する公的集会を禁止、イスラエル軍に殺された記者を偲ぶ集会も禁止。そしてそれに背けば警察権力による暴力的な弾圧が待っている。逮捕だって簡単にされる。

メルケル元首相も日本の左派からの評価が高かったような気がするが、シオニストの言いなりでひどいもんだった。欧米が自由だとか人権を重視しているとかいった話は、イスラエルに対する姿勢や、時には政府まで加担する根強いイスラモフォビアなどを見るに相当怪しいと言わざるをえない。少なくともアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスを見る限りは。日本の「リベラル」は欧米を過大評価する傾向にあるが、そこから脱却する必要があると思う。

もちろん日本もイスラエルの横暴と決して無関係ではないし、加担している国の一つだ。メディアの報道の仕方や言葉選び(イスラエル側による一方的な攻撃を「衝突」と呼んだり)にもそれが現れている。
ナクバに関する集会は日本では制限されていないと思うが、それはわざわざ抑え込む必要もないくらい小さい勢力だからというだけの話かもしれない。左派でもパレスチナのことには無関心な人が多いし、シオニスト団体サイモン・ヴィーゼンタール・センターの言葉を左派が平気で好意的に引用してしまうし。

だから考え方によっては、ドイツでは無理やり抑え込まなければならないほどパレスチナ支持が大きな動きになっているということかもしれない。もしそうだとするならばそれが今後抑え込めないほど大きな勢力に育っていったら、と思うと希望が持てないこともないのかな。