ドイツ大使館の1月のTwitterの投稿を見た。「ホロコーストの記憶を呼び起こすことは、ドイツにとって本質的な課題であり道徳的な義務」だそうで、ご立派なことだ。
日本「リベラル」の間では、ドイツは日本と違って自国の負の歴史に向き合い、反省してきた国ということになっていた。果たしてそうだろうか、と私は少し前から疑問を感じるようになった。
ドイツが反省の弁を述べるのはホロコースト、それもユダヤ人に対するものについてだけで、例えばロマなどのユダヤ人以外の被害者についてはほとんど無視されている。植民地支配のこともほとんど反省していない。
最近のドイツ政府やホロコースト記念館、日本のドイツ大使館の言動を見るに、ドイツのホロコーストに対する責任の取り方とは、シオニスト(≠ユダヤ人)が何をやっても全面的に擁護することらしい。そしてイスラエルを批判するものには「反ユダヤ」のレッテルを貼り、徹底的に弾圧する。それは直接的な暴力であったり、平和的なデモ参加者を逮捕したり職を失わせたり。ドイツでのこうした弾圧の激しさについては、複数のドイツ在住者からの証言がある。
ドイツは人の命の価値に優劣を付け、また新たな虐殺の強力な加担者となっている。その原動力には過去への捻れた「反省」の他に(かれらは決して認めないだろうが)イスラモフォビアもあるのだろう。かれらにとって反ユダヤ(彼らの定義では反イスラエルもこれに含まれる)は絶対悪だがイスラム教徒への偏見や差別は取るに足らないか存在しないことになっているのだ。
ドイツの首相が今もメルケルならこんなことにはなっていなかった、といっている人も時々見るが、メルケルでも大して変わらなかっただろう。メルケルもちょくちょくイスラエルに甘い発言をしていて、クソだなと前から思っていたから。メルケルは日本のリベラル、左派に人気が高いようだけど過大評価だと思う。
それはともかく、こうしたドイツの欺瞞に多くの人が気付き始めたことだけは良い変化だったと思う。
一方日本では、平和教育と言えば原爆被害など日本が被害に遭ったこと中心で、自国の加害性にはほとんど向き合ってこなかった。テレビでは日本の「植民地支配」という言葉は頑なに使わず、「統治」という言葉に言い換えている。
そして歴史修正主義者が政権の中枢に入り込み、「南京大虐殺はなかった」「日本は植民地支配などしていない」「日本の『統治』は相手国にとって良いことばかりだった」などと言い張っている。そして被害国(特に韓国)の異議申し立てに対しては、メディアと多くの国民が一体となり、不当な言いがかりを付けられている被害者のように振る舞っている。そしてつい最近では、群馬の森後援の碑の撤去という暴挙に出た。しかも撤去費用3000万を碑を建てた人々に請求するとか。本当に最悪だ。
ドイツの話に戻る。ドイツではパレスチナのことに関しては言論の自由はない。しかも、普段「リベラル」風な発言をしている人たちまで多くがイスラエル支持にまわっているようだ。その点で行くと、日本はイスラエル批判は比較的自由にできるし、リベラル・左派はほとんどがイスラエルに批判的(以前はイスラエルに甘い「リベラル」が日本でも多かったが少なくとも10/7以降は)なのでまだマシだとも言えなくはない。
そしてドイツ、日本に共通しているのはイスラエルの言いがかりを受けて、ろくに検証もせずに、ほぼ即座にUNRWAへの拠出金を停止したこと。過去に虐殺を行い、非難された国がその本質的な反省をろくにせず、虐殺への積極的な加担を繰り返している。情けない限りだ。