まず大前提として、ホロコーストの否定や正当化は論外だ。痛ましい事件だったことも間違いない。だけど、ホロコーストの被害が語られるとき、その語られ方などにモヤモヤしてしまうことが多い。
まず一番気になるのは、ユダヤ人だけが被害に遭ったかのように語られることが多い点。ロマや、性的マイノリティ、傷害を持った方々などもナチスによって虐殺されている。被害者の半数近くはユダヤ人以外の人たちだった。それなのに。
「ホロコースト」はユダヤの用語であってユダヤ人の被害のことだけを指しているので、他の被害のことが語られないのは当然だという理屈もある。でもその理屈に従うなら、ナチスによる被害の中で「ホロコースト」のことばかりが語られるのはおかしいと言わざるを得ない。だったら「ホロコースト」ではなく、「ナチスによる虐殺」とか「ナチスによるジェノサイド」とか、もっと包括的な言葉の方がメインになるべきじゃないのか。
二つ目は、背後にあるイスラエルの存在。ホロコーストがこれだけ有名になっているのは、イスラエルという経済力のある国家及びシオニストたちの盛んな宣伝の効果でもある。そしてイスラエルやシオニストたちはロマなどの被害をユダヤ人の被害と同列に扱うことを拒否してきた。だからユダヤ人だけが被害に遭ったようなイメージが出来てしまった。
当初、シオニストたちはパレスチナに移住せず元の国にとどまって殺されたユダヤ人たちに対して冷淡だった。しかしかれらに対する同情が集まり、利用価値があると判断したため宣伝に用いるようになった。その被害の歴史は反イスラエルの声を封じるために使われてきた。心あるユダヤ人の被害者たちが、自分たちの被害がこうして利用されることに心を痛めて抗議声明を出したこともあった。
三つ目の気になる点は、イスラエルとは関係なく日本人のこの事件への向き合い方。南京大虐殺や所謂「従軍慰安婦」については関心が薄いのにホロコーストのことだけは関心を持つ日本人が少なくないこと。
高須克弥がネット上で「南京もアウシュビッツも捏造だと思う」という発言をしたとき、大きな批判を受けた。主に「アウシュビッツ」の方で。それに比べて「南京」否定発言への批判の声は日本ではずっと小さく、「南京」を無視して「アウシュビッツ」の方だけ記事に取り上げられることも少なくなかった。
アウシュビッツを否定するなんてもちろん言語道断だけど、日本人の立場からすると「南京」発言の方をより問題にしなければならないはず。自国が関わっていた戦争犯罪なんだから。そもそも高須はそれ以前からよく知られた歴史修正主義的者で、日帝を正当化する発言を度々している。それなのに「アウシュビッツ」否定発言のときだけ大きく燃え上がった。それはおかしい。
ちなみに、このとき高須はサイモン・ウィーゼンタール・センター(以下SWC)に批判され、「リベラル」も嬉々としてこの団体の言葉を取り上げていた。だけどSWCがシオニスト団体だということは知っておいてほしい。左派・リベラル派でSWCがまともな人権団体だと思っている人もいるようだが、その認識は大間違いだ。
ユダヤ人差別は許さないがムスリム差別は平気でする。ユダヤ人の被害には怒ってもパレスチナ人の虐殺・抑圧には積極的に荷担する。そんな反人権のクソダブスタ団体がSWC。高須もSWCもどっちも同じようにクソである。敵の敵は味方なんかじゃない。