「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」の購入はコチラ
「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」という本は、本やCD・DVD・服・アンティークカメラ・よくわからないランプなどに埋もれた汚部屋に住んでいた著者が、不要な本や机・イス・テレビ・なども含めて約95%のモノを捨て幸せになったことから、そのモノを捨てるための心構えやテクニック、モノを最小限に減らしたことで変わった変化やポジティブな側面、どのような幸せになったかを冗長ながらも分かりやすく説明したものです。
自分も比較的部屋にモノはない方で、スッキリして快適で幸せな生活を送っているつもりでしたが、著者は徹底的に本やCDだけでなく、本棚やテーブル、ソファなど器も徹底的になくすというのはスゴいと思いましたね♪
実際にその写真もあり、クローゼットも余裕だし、食器棚も余裕♪
とにかく部屋が清潔で美しい!
ここまで目指そうと励みになりましたね♪
特に部屋のものを捨てるポイントは以下かと思いました。
・1年間使用しないものは捨てる(特にホコリをかぶっているものは捨てる)
・本は必要なものはAmazonのKindleで読む
・収納からなくす
・写真はデータで保管する
・捨てづらいモノは写真に撮って捨てる
・ストックは置かない
・代理オークションを使って売る(Quick Do)
・出張買い取りを利用して売る
それから、モノを捨て変わることは以下とのことです
・時間ができる(買い物・家事・だらだらする時間・探す時間・掃除の時間等がなくなる)
・狭い部屋で住めるようになるので家賃も安くなる
・他人と比較することがなくなり精神上良くなる
・時間ができるので行動的になれる
・痩せる
・家庭内のケンカが減る
・感謝できる
より良い人生にするためには、住んでいる部屋で不要なものはできるだけなくし、そうすることによりできる時間・お金を有効活用すると良いかと思います。
「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」という本は、とてもオススメですね!
以下はこの本のポイント等です。
・かつての僕のようにみじめで、自分を誰かと比べてばかりの人、つまり自分のことを不幸だと思っている人にはモノから一度離れてみることが、とにかくおすすめだ。最初からモノに執着がない人や、モノのカオスの中から宝物を見つけられる天才はいる。だけど、ぼくが考えたいのは、「普通」の人が、もっと「普通」の幸せを感じられるようなあり方だ。誰しもが幸せになりたいと願っている。だが、そう願って手にしたモノは、ほんのわずかの間しかぼくたちを幸せにしてくれない。ぼくたちは幸せについて、あまりに無知である。増えすぎたモノを減らすことは、幸せについてもう一度、考えてみること。これもおおげさに聞こえるだろうか。けれど、ぼくは本気でそう思っている。
・モノを手に入れるため、手に入れたモノを維持・管理するために、ぼくたちは時間もエネルギーも使い果たしている。その努力があまりに賢明なので、道具だったはずのモノたちは、いつしか僕たちの主人となってしまう。
・モノを最小限に減らしてぼくの生活はガラリと変わった。仕事から帰ってきてお風呂に入る。湯船はいつもピカピカだ。お風呂から出ると、お気に入りの部屋着に着替える。テレビは手放したから、本を読んだり、書き物をする。お酒はもう一人では飲まない。モノを捨てて空いたスペースで、ゆっくりストレッチをしてから寝る。朝は太陽の光で起きる。目覚ましは基本的にかけない。朝の光が、モノのない白い壁紙に反射して部屋はとても明るい。おっくうでしかなかった朝起きることすら楽しみになる。ゆっくりと朝食をとり、マキネッタでコポコポと淹れたコーヒーを味わう。朝食で使った食器はすうに洗う。座禅を組み瞑想をすると、よけいなことに煩わされず、心がひとつに留まる。掃除機を毎日かける。天気がよければ洗濯をする。布団を整える。きちんとたたまれた服に着替えて、出かける。四季の変化を感じ取りながら、毎日同じ通勤の道を楽しむ。・・・自分でも、同じ人間の一日とは思えない。とにかくモノを捨てて本当によかった。
・今から考えると、ジョブズは完璧なミニマリストだった。マザー・テレサもミニマリストだった。マザーが亡くなったとき、残されていたのは着古したサリーと、カーディガン、古びた手提げ袋と、擦り切れたサンダルだけだったと言われている。「無所有」を説いたマハトマ・ガンディーの部屋にも何もなかった。あるいは古代ギリシャの哲学者ディオゲネスのことを考えてみる。布1枚を身にまとい、水を飲む椀だけを持っていたと言われているディオゲネス。ある日、子どもが水を手ですくって飲むのを見て、たった1つ持っていた椀すら叩き割ったという。
・捨てること自体には、時間はかからない。1日目はまずゴミを捨てる。2日目は本やCDの買い取り。3日目は家電の買い取り。4日目は大きな家具を粗大ゴミに出す。どれだけモノが大量でも、1週間あれば捨て切ることが実は可能だ。捨てる実作業でなく、モノを踏ん切るための時間が膨大にかかるだけだ。話せば話すほど外国語が上達するように、捨てれば捨てるほど、捨てることは上手になっていく。捨てる習慣が身につき、捨てるまでの時間が短くなっていく。捨てるための公式を縦横無尽に使えるようになってくる。捨てることは、正しく「技術」である。
・僕は汚部屋時代からすると、持ちモノを5%ぐらいまで減らしたと思う。1000個モノがあったとしたら950個は捨てたのだ。その中で、捨てて後悔したモノは本当にひとつもない。あったとしても全然思い出せない。そんな程度の小さなものだ。心の底から「捨てなきゃよかった!」と布団の中でギリギリと歯ぎしりしながら後悔するモノは本当にひとつもない。捨てる気持ちを邪魔するのは、捨てた後にやっぱり必要だったらどうしようとか、いつか捨てなければよかったと思う日が来るのでは?という不安だ。その不安はよくわかる。誰にでも当然湧いてくる不安だ。そんな不安にhこう言い聞かせよう。「「捨てて」後悔するモノはひとつもない」。後悔しないばかりか、「捨ててよかった」とすべての捨てたモノに対してきっと言える。
・1年の四季を通して使わなかったモノは、今後も必要がないモノだ。1年を使わずに過ごせたモノは、来年もそれなしで何の問題もなく過ごすことができる。1年に1回も出番がないモノを手元に置く必要はない。ただひとつ災害に備える非常用の装備だけは別だ。ホコリは何度払っても溜まっていく嫌なものでもあるが、捨てるべきモノを教えてくれるサインでもある。ホコリが溜まっているモノは、必ず使っていない。1年使っていないモノは、来年も、再来年も、ずっと必要がない。3年に1度使うモノなどレンタルしよう。使っていないモノの維持・管理にお金もエネルギーもムダにするのはやめよう。
・フィルムのプリントも、もらった手紙もScan Snapですべてスキャンしデジタル化した。こうするといつでも簡単に見返すようになった。日付と場所だけしっかりフォルダ名にすれば、思い出を見返しやすい。ただしバックアップはしっかり二重に。クラウドストレージを利用すれば、世界中どこからでも自分の大事なアルバムにアクセスできる。
・普通は収納の中のモノを少しずつ減らしていき、中身がゼロになったところで、ようやく収納が捨てられると考える。だけど、たとえば害虫を駆除する場合のことを考えてみよう。虫を1匹1匹駆除した後で、巣の撤去にとりかかるだろうか?一匹ずつ駆除してもきりがなく、いずれ巣で増えて、元通りになってしまう。「収納という巣」があれば、モノを減らしたつもりでも、いつの間にかモノはそこに住み始め増えていく。だからまずは、「巣」である収納を叩くのだ。収納を捨てれば、もちろんモノはあふれ出す。その場所に直置きになったり、散乱したりするだろう。人はそれを見て、そのままにしておくことができない。だからどうにかしようとする。あふれだしたモノを減らし始める。収納がないモノは、巣をなくした哀れな虫のようにいつしか姿を消してしまう。
・僕が使ったのは、「Quick Do(クイックドゥ)」という代理オークションサービス。紙に簡単な内容を記入し、まとめて送るだけでオークションに出品してくれる。落札代金から手数料はかかるが面倒な出品作業や、発送のやり取りなどはない。オークションの様子を見られるのも楽しい。すぐにまとめて手放せる代理オークションはとても便利だ。
・買い取りの価格は代理オークションよりも下がるが、出張買い取りサービスもとてお便利だ。何しろ梱包もせず、業者の方に家に取りに来てもらうだけで買い取ってくれる。僕がよく使っているのは、「高く売れるドットコム」。売れるモノのジャンルは幅広い。僕はテレビなどの大物を手放すときにお世話になった。テレビは梱包するだけでも一仕事になる。一緒にPS3やホームシアターも買い取ってもらった。本もゆうに1千冊以上あったと思うが神保町の古本屋さんに来てもらい、まとめて買い取ってもらった。1冊1冊を見積もりをお願いすることもできたが、まとめてしめて2万円・・・。丁寧に売っていくこともできる。が、手間を最小限にした方が、手放すことに成功しやすい。
・ゆるりまいさんの「わたしのウチには、なんにもない。」でぼくが衝撃を受けたのは、ゆるりさんが卒業アルバムを捨ててしまったというエピソードだった。思い出ピラミッドの中でも頂点にありそうなモノを捨ててしまうなんて、さすが「捨て変態」。だけど考えてみれば卒業アルバムは普通、大体の人が保存している。同学年の数百人の人が持っている、実は貴重でも何でもないモノだ。どうしても卒業アルバムがみたくなり、夜も眠れず、頭をかきむしるほどになれば、友達に連絡を取り見せてもらおう。迷惑な気もするけど、友達にそんな風に頼まれて、冷たくあしらう人は友達ではない。感謝を忘れなければ、迷惑は迷惑ではなくなる。
・「365日にシンプルライフ」というドキュメンタリー映画が面白い。主人公の青年は、ある日すべての荷物を貸し倉庫に預け、そこから1日1つのモノを取り出せるというルールを作る。初日は、本当に何も持っていないので、大事なところを新聞紙で隠しただけの姿で倉庫までの道を疾走する。初日はコート1着を倉庫から取り出し、硬い床に寝る。大事なモノを見極めるための実験。同じことはできなくても、想像の上で実験をまねしてみることはできる。「持ちモノゼロ」から始めて1日1つしか取り出せないとして、このモノは何番目に必要だろうかと問いかけてみる。このモノが盗まれたとして、もう一度同じ値段で買いたいだろうか?来週引っ越すとして、このモノを持っていくだろうか?特に理由もなく、漫然と持っているモノは多いと思う。モノに問いかけてみることは重要だ。モノに問いかけてみることは、自分に問いかけてみることに他ならないから。
・スティーブ・ジョブズはいつも同じ服だった。ISSEY MIYAKEの黒のタートルネック、リーバイス501、足元はニューバランスのスニーカーで、公的な場のプレゼンもこの格好でこなした。フェイスブックの創設者、マーク・ザツカーバーグはいつもグレーのTシャツ。アインシュタインもいつも同じ形のジャケットしか着なかったという。彼らは、毎日服を選んだり、流行を追いかける時間を使って、自分が大事だと思うことに集中した。快適に、清潔に過ごすために必要な服の量は多くない。一番似合い、自分にぴったりの定番の服、いつも決まっている「制服」のような「私服」で過ごす。服のバリエーションを残すというおしゃれでなく、本当に似合う服だけ着るというおしゃれもある。
・今のところ手放してもう一度だけ買ったモノが一つだけある。オムロンの「フットマッサージャ HM-231」。お気に入りで型番まで覚えてしまった。母にもプレゼントしたし、兄の家にも自分のをあげた。ところがどうしても足裏マッサージの気持ちよさが忘れられず、しかも廃番だったので買い直した。そしてまた手放せる気がして売った。3回目に買いなおすことになったら、さすがにずっと持っているかもしれない。
・最近、家から「タオル」を手放してすべて「手ぬぐい」に変えてみた。手ぬぐいは素晴らしい。多用途に使えるし、何よりタオル界の常識を覆すほど乾くのが早い。使ったその場に吊しておくと次に使うときには乾いている。洗面所で手を洗ったら手ぬぐい、洗い物をしたら手ぬぐい、シャワーを浴びたら手ぬぐいで拭く。僕の場合だとバスタオルは洗濯物の3分の2ぐらいを占めていたようだ。かさばるタオルがないと洗濯物も極端に少なくて済む。手ぬぐいの肌触りはよくない、だが便利さに人が慣れていくように、不便さも人は慣れる。タオルを使う機会があると、その気持ちよさにいちいち感激してしまう。自分で幸せのハードルを下げるのは楽しい。タオルの代わりに、手ぬぐい、いってみますか!とやってみるのもとても楽しい。
・ぼくは最近、まな板や食器洗いスポンジも何でも「干す」というこんありさんに影響を受けて、スポンジを干し始めた。苦手だった吸盤つきのスポンジ置きを捨てられた。こんまりさんは、まな板やスポンジはベランダにはない、という常識にとらわれなかったのだ。このモノはこれだけに使う。何かするためにはこのモノが必要。便利さにとらわれえばモノは増える。モノの常識から離れられれば、モノはさらに減らせる。
・モノを減らすと家事にかかる時間は、本当に圧倒的に減る。部屋にモノを置かず、ミニマルにしていると、掃除にかかる時間は激減する。服を少なくすると洗濯の手間も減るし、今日何を着るか、迷う時間も減る。僕がかつて汚部屋に住んでいた頃、太陽の光が嫌いだった。明るい光で目立つホコリが嫌いだった。完全な夜型人間で、常に雨戸を閉め光をシャットアウトしていた。今は太陽の光で起きるようになった。目覚めると部屋はいつもキレイで、起きるのすら楽しい。自然と以前より早起きになる。早起きで生まれた朝の時間もぼくには大きい。
・この春、僕は引っ越しをした。事前にパッキングはなしで、普段生活しているままの状態から、荷物をすべて出すまで30分しかかからなかった。照明を外したり、洗濯機を外したり、そんな時間も入れて30分。着る服で迷う人は、普段出かける前に30分ぐらい使っているかもしれない。引っ越しに時間がかからないから、普段の外出と同じような気軽さで、これからは引っ越しができる。
・家の中が簡素でキレイだと、ダラダラしている時間も減る。以前は休日もよく夕方までベッドでダラダラしていた。「昨日の洗い物しなきゃ!あと掃除機もそろそろかけなきゃ、というかこのダラダラ寝てるシーツいつから洗濯してないのかな。よしやろう、どれからやるのが一番効率がいいかな、洗濯してる間に、掃除&洗い物をする。なるほど、これだ。・・・いや今この着てる服も洗いたいから、この服のまま掃除してから洗濯しようかな。・・・なんかめんどうになってきた。とりあえずテレビをつけて、スマホを開いて・・・」。以下、永遠ループ。モノが少ないと、毎日やらなければいけないことが少ない。目の前の雑用を次々片づけるので、溜まらない。すると何事に置いてもキビキビ動けるようになる。
・僕は持っているモノをすべて把握しているし、モノのあるところもいつも一緒なので、家で探しモノをする時間はゼロだ。持っているモノを把握していると、「どこにあるか」だけでなく「あるかどうか」もすぐにわかる。「えーと、ガムテープはどこかにあったけな?」などと考える時間もいらない。僕の家にはガムテープは置いてないので、すぐにわかる。何かの説明書も保証書も、一見重要そうに見える書類も、すべてすぐにスキャンするか、捨てる。「ない」ことがすぐにわかれば、実はいくらでも対応が利く。モノが少なければ、失くすモノ自体も少なくなる。ミニマリストは、外出するときに持ち歩くモノも少なくなるので、忘れなければいけないモノ自体も減っていく。忘れモノを取りに帰る時間も減る。
・次に引っ越すなら、さらに狭い部屋に引っ越したいと思う。今の部屋の20平米も僕には少々広すぎたようだ。ドミニック・ローホーさんのように12平米ぐらいの部屋が素敵に思える。狭い部屋の方がもはやぼくには嬉しいが、ありがたいことに部屋が狭くなれば家賃も下がる。あれを置くにはこれだけの収納スペースが必要、リビングには何畳必要、そんながんじがらめの検索条件から自由になえた。引っ越しにかかる時間もわずか。ぼくはモノを捨てて、思い立ったらいつでも気軽に引っ越せる自由を手に入れたのだ。
・僕は東京の不動前というところに住んでいて、家賃は6万7千円。iPhoneは手放せない。食事をすべて自炊にして、お弁当男子になれば、手取り10万円もあれば楽しく暮らしていける。図書館で本を読んだり、公園を散歩するだけで、もう充分楽しい。
・モノを捨てて、ぼくは自分を誰とも比べなくなった。以前は誰かと比べてみすぼらしい部屋に住んでいる自分が恥ずかしかった。欲しいモノを欲しいだけ買える人を見て、羨ましくもなったりした。今はもうそんな気持ちとさよならできた。永遠にインフレを起こしていく「持ってる天下一武道会」に参加するのをやめたからだ。
・もう時間はある。自分を人と比べず、人の目線も恐れない。日々の家事、雑事をこなせるようになることで、自分も好きになっている。すると自然と「行動」できるようになってくるはずだ。行動を阻むものは何もない。こうしてミニマリズムの好循環が始まる。小さな渦からスタートした好循環は、次第に大きな円を描き出すようになる。人目を気にしてばかりいて、何も挑戦できなかったぼくが行動したこと。
・初めてダイビングに挑戦した(勉強してから始めよう、と思い早数年経過していた)
・座禅を習慣にした(小池龍之介さんの座禅セッションに緊張しながら参加した)
・ジムのヨガプログラムに参加した(身体が硬いので、笑われるのでは?と恐れていた)
・会いたいと思った人に連絡して会えるようになった(有名人でも誰でも会ってくれる)
・全国で開催されているミニマリストオフ会に参加した(いつも本当に楽しい)
・ミニマリストオフ会を自分でも企画した(人見知りだったぼくが、よくもまぁ・・・)
・ネットを通して出会った人と、友人になれた(全国各地に会いにいける友人ができた)
・ウェブサイトを立ち上げた(以前は自己発信するような人間はクソだと思っていた)
・Twitterを始めた(以前は、Twitterなんてやる人間は・・・<以下略>)
・10年住んだ部屋からついに引っ越した(30分かかったが、次は20分かからないと思う)
・無理めの好きな女の子に思いを伝え、付き合えた(以前の自分なら絶対できなかった)
・何より、1冊の本を書いた(以前のぼくならこう言った。やめとけ、恥をかくぞ!)
付き合えた女の子には、その後こっぱみじんに振られたが、まだまだミニマリズムが徹底できてなかったせいだ、と自分を慰めている。相手がどう思うかばかり考えていたのだ。これからは、何もない部屋で英語を集中して勉強する。自分にとってまさかのサーフィン、登山などのアウトドア、バイクの免許も取ることも計画している。超クソインドアだったぼくは、どうかしてしまったのだろうか?知らない間に宇宙人に誘拐されてチップでも埋め込まれでもしたのか?違う、モノを捨てたのだ。
・アップルを追い出されたジョブズがカムバックしたとき、まず手始めにしたことは蜘蛛の巣が張ったような書類や古いマシンをすべて博物館に寄贈したことだという。ジョブズは最初の仕事としてモノを減らしたのだ。ジョブズは「世の中を変える商品を出す」ことに集中したかったので、それ以外の大事でにものは、すべて減らした。「何をやるか」ではなく「何をやらんか」を重要視した。ジョブズは本当に、完璧なミニマリストだった。とにかく「減らした」人だった。
・ミニマリストには、瞑想や座禅、ヨガを習慣にしている人が多い。考えてみるとこれはごく自然なことでもある。モノを減らすと、自分の意識は「外側」にあるモノで煩わされることが少なくなる。すると意識は自分の「内側」に自然と向かう。かつてぼくも「瞑想」なんて、スピリチュアルで、怪しすぎ!と偏見を抱いていた。そんなぼくも、僧侶の小池龍之介さんの座禅セッションに参加したことがきっかけで座禅を組み、瞑想することを習慣にした。なにせ効果がてきめんだったからだ。瞑想中にもついいろいろなことを考えて、勝手に飛んでいく自分の意識を、集中してただ呼吸することに連れ戻す。すると普段から集中力は高まる。普段の自分の意識の流れもはっきり掴み取れるようになる。ぼくにとって座禅や瞑想は、「自分OS」の再インストールぐらいの破壊力があった。グーグルもフェイスブックも、禅と瞑想に夢中だ。グーグルなどは瞑想の講座を開き、ついに歩行瞑想用の迷路まで社内に作ってしまったという。もはや瞑想、座禅、ヨガといった内省の時間なくしては、情報過多のノイズに「自分」が溺れてしまうのだ。
・何人ものミニマリストに会ってきたが、太っている人はいなかった。これはなぜだろうか?今までの片づけ本や、モノを捨てるための本にも、モノを減らした副次的な効果として「痩せる」ということが言われてきた。ぼく自身も汚部屋時代と比べて、体重は10キロほど減った。停滞していたモノが流れ出すと、気の流れがよくなり、体も痩せる、こんな風に言われてきた。モノを捨てると痩せる。これにはいくつか理由があると思う。太ってしまうのは単純に体が必要な以上に食べているからだ。そして必要以上に食べてしまうのは、食べることがストレス解消になるから。人は食べている間は、ストレスを忘れることができる。お酒を飲むこともそうだろう。モノを最小限にまで減らせば、モノに煩わされたり、ムダなエネルギーを吸い取られることもないからストレスは減る。人と比べることもなければ、自分を恥じることもないのでさらにストレスは減る。食べ過ぎる原因のストレス自体が減っているので、食で解消する必要はない。
・ミニマリストは何度もモノに問いかけてきた結果、自分の「欲望」をはっきり認識し、コントロールできるようになっていると思う。モノを最小限にまで減らすには、本当に「必要」なモノだけを残すことが肝になる。単に「欲しい」だけのモノは持たない。モノを最小限にすると、自分の「欲望」の認識力が高まる。どこまでが「必要」なモノで、どこからが「欲しい」モノなのかはっきり判別できるようになる。これはモノだけでなく「食欲」も同様で、必要な食事の量がはっきり意識できるから、必要以上に食べないのだ。必要なだけのモノを持つことで「自分にはこれで充分満足だ」という感覚もつかんでいる。だからたくさん食べなくても満足ができる。ミニマリストはモノがあることんほストレスもないし、自分に必要で、充分満足できる、必要な食べ物の量がわかっている、だから痩せるのだ。また「ちょこまかダイエット」という日常生活でちょこまか動いてカロリーを消費するというダイエット方法もあるが、部屋が広くなり、家事も楽しんでやっているので、確かに小さな積み重ねがダイエットにつながっているのかもしれない。僕も何もない広い部屋でよく野球のピッチャーの真似をしている・・・。さらには普段の荷物も軽く、行動的になれるので、ぼくはよく歩くようになった。モノを最小限にすると痩せる。嘘みたいだが、本当に痩せるのだ。ぼくは太っていたが、もうメタボになることはないだろう。
・禅には食事の前にするお祈り、「五観のげ」がある。簡単に現代語にまとめると
1 目の前の食事の来歴に思いを馳せる(どんな風に育ってきた食べ物か、誰のどんな手がかかってここまで運ばれてきた食べ物なのか、各行程を考えてみる)。
2 この食事に値する徳と行いを、今日の自分は積んだのだろうか?と自問する。
3 貪り急ぐことなく、他のことは考えず、目の前の食事だけに集中していただく。
4 おいしいか、まずいかというグルメのためでなく、この命を支えるために食べる。
5 自分が成し遂げたい目的のために、この食事をいただく。
このお祈りは強力だ。5万円のレストランに1千回行くより、このお祈りを1千回の食事ごとに問いかけてみた方が、はるかに豊かで満足した気持ちになれる。食事にだけ集中し、食事があることに感謝し、食事だけに集中する。それだけでなく食事ごとに自分の行いをチェックできるのだ。スティーブ・ジョブズは毎朝鏡を見ながら「今日が人生最後の日だとして、今日の予定を自分は行いたいだろうか?」と自問した。そしてこれを33年間も続けたという。毎日自分がぶれていないか、ジョブズはチェックした。この五観のげのお祈りも毎日それ以上の回数、自分の行動をチェックすることができる。
・今ぼくは通勤している、毎日飽き飽きしている通勤だ。前の乗客がSuicaの残高不足で改札でもたつく・・・しかしこのSuicaというやつは本当に便利ですばらしい、なんという発明だ。エスカレーターの両側を埋めている2人組みがいる・・・この片側を空けるという、日本の文化はなんと徳高いのか。電車に乗ればギュウギュウ詰めだ・・・いやたくさん人がいてありがたい、映画のように自分以外が絶滅した世界に住んでなくてよかった。今日はかなり暑い・・・けど会社に行けば扇風機もエアコンも効いているだろう。人に自慢できる給料ではない・・・でも毎月充分なお給料をもらっている。今日もいつもと同じ仕事だ・・・しかし集中すれば楽しく充実感もある。苦手な仕事相手がいつものように電話で小言を言ってくるだろう・・・それを自分の糧にすればいいだけだ、相手も疲れている。後輩にはもっとしっかりしてほしい・・・だがぼくの仕事を文句も言わずいつも手伝ってくれる。連日遅くまで働いているので疲れが溜まっている・・・だが病気でもないし、まだまだ元気で仕事ができる。ぼくはヤバイくらいの幸せを感じてしまった。あなたはどうだろうか?こんな風に「今」に「感謝」し続ける。すべての「今」を「肯定的に見続ける」人がどうなるかは明らかである。ポジティブで、寛容で、諦めない。親切で、優しく、何よりいつも幸せそうだ。いつしか「現実」を変えていくだろう。
・何よりぼくが変われたのは、モノを減らして気づけた「感謝」である。すべての「今」に感謝し続けたい。すべての「今」を肯定的に見続けたい。ミニマリズムは「目的」ではなく「手段」である。ミニマリズムを通して気づけた大事なことが僕にはたくさんある。だが、僕が気づいたことや、さらに多くのことにすでに気づけている人はミニマリストになる必要は、全然ないと思っている。ミニマリストになって気づけた大事なことを、その後も大事にし続けられるなら、モノをもう一度増やしたっていいのだから。
・僕が発見した大事なこと。それは「人」だ。家族や友人だけでなく。美しい人だけでなく、才能ある人だけでもなく。意見が合う人も、合わない人も。今日会うすべての人がぼくの目的だ。ぼくの目の前に、「今」いる人こそが、ぼくの「目的」である。
良かった本まとめ(2016年上半期)
<今日の独り言>
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「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」という本は、本やCD・DVD・服・アンティークカメラ・よくわからないランプなどに埋もれた汚部屋に住んでいた著者が、不要な本や机・イス・テレビ・なども含めて約95%のモノを捨て幸せになったことから、そのモノを捨てるための心構えやテクニック、モノを最小限に減らしたことで変わった変化やポジティブな側面、どのような幸せになったかを冗長ながらも分かりやすく説明したものです。
自分も比較的部屋にモノはない方で、スッキリして快適で幸せな生活を送っているつもりでしたが、著者は徹底的に本やCDだけでなく、本棚やテーブル、ソファなど器も徹底的になくすというのはスゴいと思いましたね♪
実際にその写真もあり、クローゼットも余裕だし、食器棚も余裕♪
とにかく部屋が清潔で美しい!
ここまで目指そうと励みになりましたね♪
特に部屋のものを捨てるポイントは以下かと思いました。
・1年間使用しないものは捨てる(特にホコリをかぶっているものは捨てる)
・本は必要なものはAmazonのKindleで読む
・収納からなくす
・写真はデータで保管する
・捨てづらいモノは写真に撮って捨てる
・ストックは置かない
・代理オークションを使って売る(Quick Do)
・出張買い取りを利用して売る
それから、モノを捨て変わることは以下とのことです
・時間ができる(買い物・家事・だらだらする時間・探す時間・掃除の時間等がなくなる)
・狭い部屋で住めるようになるので家賃も安くなる
・他人と比較することがなくなり精神上良くなる
・時間ができるので行動的になれる
・痩せる
・家庭内のケンカが減る
・感謝できる
より良い人生にするためには、住んでいる部屋で不要なものはできるだけなくし、そうすることによりできる時間・お金を有効活用すると良いかと思います。
「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」という本は、とてもオススメですね!
以下はこの本のポイント等です。
・かつての僕のようにみじめで、自分を誰かと比べてばかりの人、つまり自分のことを不幸だと思っている人にはモノから一度離れてみることが、とにかくおすすめだ。最初からモノに執着がない人や、モノのカオスの中から宝物を見つけられる天才はいる。だけど、ぼくが考えたいのは、「普通」の人が、もっと「普通」の幸せを感じられるようなあり方だ。誰しもが幸せになりたいと願っている。だが、そう願って手にしたモノは、ほんのわずかの間しかぼくたちを幸せにしてくれない。ぼくたちは幸せについて、あまりに無知である。増えすぎたモノを減らすことは、幸せについてもう一度、考えてみること。これもおおげさに聞こえるだろうか。けれど、ぼくは本気でそう思っている。
・モノを手に入れるため、手に入れたモノを維持・管理するために、ぼくたちは時間もエネルギーも使い果たしている。その努力があまりに賢明なので、道具だったはずのモノたちは、いつしか僕たちの主人となってしまう。
・モノを最小限に減らしてぼくの生活はガラリと変わった。仕事から帰ってきてお風呂に入る。湯船はいつもピカピカだ。お風呂から出ると、お気に入りの部屋着に着替える。テレビは手放したから、本を読んだり、書き物をする。お酒はもう一人では飲まない。モノを捨てて空いたスペースで、ゆっくりストレッチをしてから寝る。朝は太陽の光で起きる。目覚ましは基本的にかけない。朝の光が、モノのない白い壁紙に反射して部屋はとても明るい。おっくうでしかなかった朝起きることすら楽しみになる。ゆっくりと朝食をとり、マキネッタでコポコポと淹れたコーヒーを味わう。朝食で使った食器はすうに洗う。座禅を組み瞑想をすると、よけいなことに煩わされず、心がひとつに留まる。掃除機を毎日かける。天気がよければ洗濯をする。布団を整える。きちんとたたまれた服に着替えて、出かける。四季の変化を感じ取りながら、毎日同じ通勤の道を楽しむ。・・・自分でも、同じ人間の一日とは思えない。とにかくモノを捨てて本当によかった。
・今から考えると、ジョブズは完璧なミニマリストだった。マザー・テレサもミニマリストだった。マザーが亡くなったとき、残されていたのは着古したサリーと、カーディガン、古びた手提げ袋と、擦り切れたサンダルだけだったと言われている。「無所有」を説いたマハトマ・ガンディーの部屋にも何もなかった。あるいは古代ギリシャの哲学者ディオゲネスのことを考えてみる。布1枚を身にまとい、水を飲む椀だけを持っていたと言われているディオゲネス。ある日、子どもが水を手ですくって飲むのを見て、たった1つ持っていた椀すら叩き割ったという。
・捨てること自体には、時間はかからない。1日目はまずゴミを捨てる。2日目は本やCDの買い取り。3日目は家電の買い取り。4日目は大きな家具を粗大ゴミに出す。どれだけモノが大量でも、1週間あれば捨て切ることが実は可能だ。捨てる実作業でなく、モノを踏ん切るための時間が膨大にかかるだけだ。話せば話すほど外国語が上達するように、捨てれば捨てるほど、捨てることは上手になっていく。捨てる習慣が身につき、捨てるまでの時間が短くなっていく。捨てるための公式を縦横無尽に使えるようになってくる。捨てることは、正しく「技術」である。
・僕は汚部屋時代からすると、持ちモノを5%ぐらいまで減らしたと思う。1000個モノがあったとしたら950個は捨てたのだ。その中で、捨てて後悔したモノは本当にひとつもない。あったとしても全然思い出せない。そんな程度の小さなものだ。心の底から「捨てなきゃよかった!」と布団の中でギリギリと歯ぎしりしながら後悔するモノは本当にひとつもない。捨てる気持ちを邪魔するのは、捨てた後にやっぱり必要だったらどうしようとか、いつか捨てなければよかったと思う日が来るのでは?という不安だ。その不安はよくわかる。誰にでも当然湧いてくる不安だ。そんな不安にhこう言い聞かせよう。「「捨てて」後悔するモノはひとつもない」。後悔しないばかりか、「捨ててよかった」とすべての捨てたモノに対してきっと言える。
・1年の四季を通して使わなかったモノは、今後も必要がないモノだ。1年を使わずに過ごせたモノは、来年もそれなしで何の問題もなく過ごすことができる。1年に1回も出番がないモノを手元に置く必要はない。ただひとつ災害に備える非常用の装備だけは別だ。ホコリは何度払っても溜まっていく嫌なものでもあるが、捨てるべきモノを教えてくれるサインでもある。ホコリが溜まっているモノは、必ず使っていない。1年使っていないモノは、来年も、再来年も、ずっと必要がない。3年に1度使うモノなどレンタルしよう。使っていないモノの維持・管理にお金もエネルギーもムダにするのはやめよう。
・フィルムのプリントも、もらった手紙もScan Snapですべてスキャンしデジタル化した。こうするといつでも簡単に見返すようになった。日付と場所だけしっかりフォルダ名にすれば、思い出を見返しやすい。ただしバックアップはしっかり二重に。クラウドストレージを利用すれば、世界中どこからでも自分の大事なアルバムにアクセスできる。
・普通は収納の中のモノを少しずつ減らしていき、中身がゼロになったところで、ようやく収納が捨てられると考える。だけど、たとえば害虫を駆除する場合のことを考えてみよう。虫を1匹1匹駆除した後で、巣の撤去にとりかかるだろうか?一匹ずつ駆除してもきりがなく、いずれ巣で増えて、元通りになってしまう。「収納という巣」があれば、モノを減らしたつもりでも、いつの間にかモノはそこに住み始め増えていく。だからまずは、「巣」である収納を叩くのだ。収納を捨てれば、もちろんモノはあふれ出す。その場所に直置きになったり、散乱したりするだろう。人はそれを見て、そのままにしておくことができない。だからどうにかしようとする。あふれだしたモノを減らし始める。収納がないモノは、巣をなくした哀れな虫のようにいつしか姿を消してしまう。
・僕が使ったのは、「Quick Do(クイックドゥ)」という代理オークションサービス。紙に簡単な内容を記入し、まとめて送るだけでオークションに出品してくれる。落札代金から手数料はかかるが面倒な出品作業や、発送のやり取りなどはない。オークションの様子を見られるのも楽しい。すぐにまとめて手放せる代理オークションはとても便利だ。
・買い取りの価格は代理オークションよりも下がるが、出張買い取りサービスもとてお便利だ。何しろ梱包もせず、業者の方に家に取りに来てもらうだけで買い取ってくれる。僕がよく使っているのは、「高く売れるドットコム」。売れるモノのジャンルは幅広い。僕はテレビなどの大物を手放すときにお世話になった。テレビは梱包するだけでも一仕事になる。一緒にPS3やホームシアターも買い取ってもらった。本もゆうに1千冊以上あったと思うが神保町の古本屋さんに来てもらい、まとめて買い取ってもらった。1冊1冊を見積もりをお願いすることもできたが、まとめてしめて2万円・・・。丁寧に売っていくこともできる。が、手間を最小限にした方が、手放すことに成功しやすい。
・ゆるりまいさんの「わたしのウチには、なんにもない。」でぼくが衝撃を受けたのは、ゆるりさんが卒業アルバムを捨ててしまったというエピソードだった。思い出ピラミッドの中でも頂点にありそうなモノを捨ててしまうなんて、さすが「捨て変態」。だけど考えてみれば卒業アルバムは普通、大体の人が保存している。同学年の数百人の人が持っている、実は貴重でも何でもないモノだ。どうしても卒業アルバムがみたくなり、夜も眠れず、頭をかきむしるほどになれば、友達に連絡を取り見せてもらおう。迷惑な気もするけど、友達にそんな風に頼まれて、冷たくあしらう人は友達ではない。感謝を忘れなければ、迷惑は迷惑ではなくなる。
・「365日にシンプルライフ」というドキュメンタリー映画が面白い。主人公の青年は、ある日すべての荷物を貸し倉庫に預け、そこから1日1つのモノを取り出せるというルールを作る。初日は、本当に何も持っていないので、大事なところを新聞紙で隠しただけの姿で倉庫までの道を疾走する。初日はコート1着を倉庫から取り出し、硬い床に寝る。大事なモノを見極めるための実験。同じことはできなくても、想像の上で実験をまねしてみることはできる。「持ちモノゼロ」から始めて1日1つしか取り出せないとして、このモノは何番目に必要だろうかと問いかけてみる。このモノが盗まれたとして、もう一度同じ値段で買いたいだろうか?来週引っ越すとして、このモノを持っていくだろうか?特に理由もなく、漫然と持っているモノは多いと思う。モノに問いかけてみることは重要だ。モノに問いかけてみることは、自分に問いかけてみることに他ならないから。
・スティーブ・ジョブズはいつも同じ服だった。ISSEY MIYAKEの黒のタートルネック、リーバイス501、足元はニューバランスのスニーカーで、公的な場のプレゼンもこの格好でこなした。フェイスブックの創設者、マーク・ザツカーバーグはいつもグレーのTシャツ。アインシュタインもいつも同じ形のジャケットしか着なかったという。彼らは、毎日服を選んだり、流行を追いかける時間を使って、自分が大事だと思うことに集中した。快適に、清潔に過ごすために必要な服の量は多くない。一番似合い、自分にぴったりの定番の服、いつも決まっている「制服」のような「私服」で過ごす。服のバリエーションを残すというおしゃれでなく、本当に似合う服だけ着るというおしゃれもある。
・今のところ手放してもう一度だけ買ったモノが一つだけある。オムロンの「フットマッサージャ HM-231」。お気に入りで型番まで覚えてしまった。母にもプレゼントしたし、兄の家にも自分のをあげた。ところがどうしても足裏マッサージの気持ちよさが忘れられず、しかも廃番だったので買い直した。そしてまた手放せる気がして売った。3回目に買いなおすことになったら、さすがにずっと持っているかもしれない。
・最近、家から「タオル」を手放してすべて「手ぬぐい」に変えてみた。手ぬぐいは素晴らしい。多用途に使えるし、何よりタオル界の常識を覆すほど乾くのが早い。使ったその場に吊しておくと次に使うときには乾いている。洗面所で手を洗ったら手ぬぐい、洗い物をしたら手ぬぐい、シャワーを浴びたら手ぬぐいで拭く。僕の場合だとバスタオルは洗濯物の3分の2ぐらいを占めていたようだ。かさばるタオルがないと洗濯物も極端に少なくて済む。手ぬぐいの肌触りはよくない、だが便利さに人が慣れていくように、不便さも人は慣れる。タオルを使う機会があると、その気持ちよさにいちいち感激してしまう。自分で幸せのハードルを下げるのは楽しい。タオルの代わりに、手ぬぐい、いってみますか!とやってみるのもとても楽しい。
・ぼくは最近、まな板や食器洗いスポンジも何でも「干す」というこんありさんに影響を受けて、スポンジを干し始めた。苦手だった吸盤つきのスポンジ置きを捨てられた。こんまりさんは、まな板やスポンジはベランダにはない、という常識にとらわれなかったのだ。このモノはこれだけに使う。何かするためにはこのモノが必要。便利さにとらわれえばモノは増える。モノの常識から離れられれば、モノはさらに減らせる。
・モノを減らすと家事にかかる時間は、本当に圧倒的に減る。部屋にモノを置かず、ミニマルにしていると、掃除にかかる時間は激減する。服を少なくすると洗濯の手間も減るし、今日何を着るか、迷う時間も減る。僕がかつて汚部屋に住んでいた頃、太陽の光が嫌いだった。明るい光で目立つホコリが嫌いだった。完全な夜型人間で、常に雨戸を閉め光をシャットアウトしていた。今は太陽の光で起きるようになった。目覚めると部屋はいつもキレイで、起きるのすら楽しい。自然と以前より早起きになる。早起きで生まれた朝の時間もぼくには大きい。
・この春、僕は引っ越しをした。事前にパッキングはなしで、普段生活しているままの状態から、荷物をすべて出すまで30分しかかからなかった。照明を外したり、洗濯機を外したり、そんな時間も入れて30分。着る服で迷う人は、普段出かける前に30分ぐらい使っているかもしれない。引っ越しに時間がかからないから、普段の外出と同じような気軽さで、これからは引っ越しができる。
・家の中が簡素でキレイだと、ダラダラしている時間も減る。以前は休日もよく夕方までベッドでダラダラしていた。「昨日の洗い物しなきゃ!あと掃除機もそろそろかけなきゃ、というかこのダラダラ寝てるシーツいつから洗濯してないのかな。よしやろう、どれからやるのが一番効率がいいかな、洗濯してる間に、掃除&洗い物をする。なるほど、これだ。・・・いや今この着てる服も洗いたいから、この服のまま掃除してから洗濯しようかな。・・・なんかめんどうになってきた。とりあえずテレビをつけて、スマホを開いて・・・」。以下、永遠ループ。モノが少ないと、毎日やらなければいけないことが少ない。目の前の雑用を次々片づけるので、溜まらない。すると何事に置いてもキビキビ動けるようになる。
・僕は持っているモノをすべて把握しているし、モノのあるところもいつも一緒なので、家で探しモノをする時間はゼロだ。持っているモノを把握していると、「どこにあるか」だけでなく「あるかどうか」もすぐにわかる。「えーと、ガムテープはどこかにあったけな?」などと考える時間もいらない。僕の家にはガムテープは置いてないので、すぐにわかる。何かの説明書も保証書も、一見重要そうに見える書類も、すべてすぐにスキャンするか、捨てる。「ない」ことがすぐにわかれば、実はいくらでも対応が利く。モノが少なければ、失くすモノ自体も少なくなる。ミニマリストは、外出するときに持ち歩くモノも少なくなるので、忘れなければいけないモノ自体も減っていく。忘れモノを取りに帰る時間も減る。
・次に引っ越すなら、さらに狭い部屋に引っ越したいと思う。今の部屋の20平米も僕には少々広すぎたようだ。ドミニック・ローホーさんのように12平米ぐらいの部屋が素敵に思える。狭い部屋の方がもはやぼくには嬉しいが、ありがたいことに部屋が狭くなれば家賃も下がる。あれを置くにはこれだけの収納スペースが必要、リビングには何畳必要、そんながんじがらめの検索条件から自由になえた。引っ越しにかかる時間もわずか。ぼくはモノを捨てて、思い立ったらいつでも気軽に引っ越せる自由を手に入れたのだ。
・僕は東京の不動前というところに住んでいて、家賃は6万7千円。iPhoneは手放せない。食事をすべて自炊にして、お弁当男子になれば、手取り10万円もあれば楽しく暮らしていける。図書館で本を読んだり、公園を散歩するだけで、もう充分楽しい。
・モノを捨てて、ぼくは自分を誰とも比べなくなった。以前は誰かと比べてみすぼらしい部屋に住んでいる自分が恥ずかしかった。欲しいモノを欲しいだけ買える人を見て、羨ましくもなったりした。今はもうそんな気持ちとさよならできた。永遠にインフレを起こしていく「持ってる天下一武道会」に参加するのをやめたからだ。
・もう時間はある。自分を人と比べず、人の目線も恐れない。日々の家事、雑事をこなせるようになることで、自分も好きになっている。すると自然と「行動」できるようになってくるはずだ。行動を阻むものは何もない。こうしてミニマリズムの好循環が始まる。小さな渦からスタートした好循環は、次第に大きな円を描き出すようになる。人目を気にしてばかりいて、何も挑戦できなかったぼくが行動したこと。
・初めてダイビングに挑戦した(勉強してから始めよう、と思い早数年経過していた)
・座禅を習慣にした(小池龍之介さんの座禅セッションに緊張しながら参加した)
・ジムのヨガプログラムに参加した(身体が硬いので、笑われるのでは?と恐れていた)
・会いたいと思った人に連絡して会えるようになった(有名人でも誰でも会ってくれる)
・全国で開催されているミニマリストオフ会に参加した(いつも本当に楽しい)
・ミニマリストオフ会を自分でも企画した(人見知りだったぼくが、よくもまぁ・・・)
・ネットを通して出会った人と、友人になれた(全国各地に会いにいける友人ができた)
・ウェブサイトを立ち上げた(以前は自己発信するような人間はクソだと思っていた)
・Twitterを始めた(以前は、Twitterなんてやる人間は・・・<以下略>)
・10年住んだ部屋からついに引っ越した(30分かかったが、次は20分かからないと思う)
・無理めの好きな女の子に思いを伝え、付き合えた(以前の自分なら絶対できなかった)
・何より、1冊の本を書いた(以前のぼくならこう言った。やめとけ、恥をかくぞ!)
付き合えた女の子には、その後こっぱみじんに振られたが、まだまだミニマリズムが徹底できてなかったせいだ、と自分を慰めている。相手がどう思うかばかり考えていたのだ。これからは、何もない部屋で英語を集中して勉強する。自分にとってまさかのサーフィン、登山などのアウトドア、バイクの免許も取ることも計画している。超クソインドアだったぼくは、どうかしてしまったのだろうか?知らない間に宇宙人に誘拐されてチップでも埋め込まれでもしたのか?違う、モノを捨てたのだ。
・アップルを追い出されたジョブズがカムバックしたとき、まず手始めにしたことは蜘蛛の巣が張ったような書類や古いマシンをすべて博物館に寄贈したことだという。ジョブズは最初の仕事としてモノを減らしたのだ。ジョブズは「世の中を変える商品を出す」ことに集中したかったので、それ以外の大事でにものは、すべて減らした。「何をやるか」ではなく「何をやらんか」を重要視した。ジョブズは本当に、完璧なミニマリストだった。とにかく「減らした」人だった。
・ミニマリストには、瞑想や座禅、ヨガを習慣にしている人が多い。考えてみるとこれはごく自然なことでもある。モノを減らすと、自分の意識は「外側」にあるモノで煩わされることが少なくなる。すると意識は自分の「内側」に自然と向かう。かつてぼくも「瞑想」なんて、スピリチュアルで、怪しすぎ!と偏見を抱いていた。そんなぼくも、僧侶の小池龍之介さんの座禅セッションに参加したことがきっかけで座禅を組み、瞑想することを習慣にした。なにせ効果がてきめんだったからだ。瞑想中にもついいろいろなことを考えて、勝手に飛んでいく自分の意識を、集中してただ呼吸することに連れ戻す。すると普段から集中力は高まる。普段の自分の意識の流れもはっきり掴み取れるようになる。ぼくにとって座禅や瞑想は、「自分OS」の再インストールぐらいの破壊力があった。グーグルもフェイスブックも、禅と瞑想に夢中だ。グーグルなどは瞑想の講座を開き、ついに歩行瞑想用の迷路まで社内に作ってしまったという。もはや瞑想、座禅、ヨガといった内省の時間なくしては、情報過多のノイズに「自分」が溺れてしまうのだ。
・何人ものミニマリストに会ってきたが、太っている人はいなかった。これはなぜだろうか?今までの片づけ本や、モノを捨てるための本にも、モノを減らした副次的な効果として「痩せる」ということが言われてきた。ぼく自身も汚部屋時代と比べて、体重は10キロほど減った。停滞していたモノが流れ出すと、気の流れがよくなり、体も痩せる、こんな風に言われてきた。モノを捨てると痩せる。これにはいくつか理由があると思う。太ってしまうのは単純に体が必要な以上に食べているからだ。そして必要以上に食べてしまうのは、食べることがストレス解消になるから。人は食べている間は、ストレスを忘れることができる。お酒を飲むこともそうだろう。モノを最小限にまで減らせば、モノに煩わされたり、ムダなエネルギーを吸い取られることもないからストレスは減る。人と比べることもなければ、自分を恥じることもないのでさらにストレスは減る。食べ過ぎる原因のストレス自体が減っているので、食で解消する必要はない。
・ミニマリストは何度もモノに問いかけてきた結果、自分の「欲望」をはっきり認識し、コントロールできるようになっていると思う。モノを最小限にまで減らすには、本当に「必要」なモノだけを残すことが肝になる。単に「欲しい」だけのモノは持たない。モノを最小限にすると、自分の「欲望」の認識力が高まる。どこまでが「必要」なモノで、どこからが「欲しい」モノなのかはっきり判別できるようになる。これはモノだけでなく「食欲」も同様で、必要な食事の量がはっきり意識できるから、必要以上に食べないのだ。必要なだけのモノを持つことで「自分にはこれで充分満足だ」という感覚もつかんでいる。だからたくさん食べなくても満足ができる。ミニマリストはモノがあることんほストレスもないし、自分に必要で、充分満足できる、必要な食べ物の量がわかっている、だから痩せるのだ。また「ちょこまかダイエット」という日常生活でちょこまか動いてカロリーを消費するというダイエット方法もあるが、部屋が広くなり、家事も楽しんでやっているので、確かに小さな積み重ねがダイエットにつながっているのかもしれない。僕も何もない広い部屋でよく野球のピッチャーの真似をしている・・・。さらには普段の荷物も軽く、行動的になれるので、ぼくはよく歩くようになった。モノを最小限にすると痩せる。嘘みたいだが、本当に痩せるのだ。ぼくは太っていたが、もうメタボになることはないだろう。
・禅には食事の前にするお祈り、「五観のげ」がある。簡単に現代語にまとめると
1 目の前の食事の来歴に思いを馳せる(どんな風に育ってきた食べ物か、誰のどんな手がかかってここまで運ばれてきた食べ物なのか、各行程を考えてみる)。
2 この食事に値する徳と行いを、今日の自分は積んだのだろうか?と自問する。
3 貪り急ぐことなく、他のことは考えず、目の前の食事だけに集中していただく。
4 おいしいか、まずいかというグルメのためでなく、この命を支えるために食べる。
5 自分が成し遂げたい目的のために、この食事をいただく。
このお祈りは強力だ。5万円のレストランに1千回行くより、このお祈りを1千回の食事ごとに問いかけてみた方が、はるかに豊かで満足した気持ちになれる。食事にだけ集中し、食事があることに感謝し、食事だけに集中する。それだけでなく食事ごとに自分の行いをチェックできるのだ。スティーブ・ジョブズは毎朝鏡を見ながら「今日が人生最後の日だとして、今日の予定を自分は行いたいだろうか?」と自問した。そしてこれを33年間も続けたという。毎日自分がぶれていないか、ジョブズはチェックした。この五観のげのお祈りも毎日それ以上の回数、自分の行動をチェックすることができる。
・今ぼくは通勤している、毎日飽き飽きしている通勤だ。前の乗客がSuicaの残高不足で改札でもたつく・・・しかしこのSuicaというやつは本当に便利ですばらしい、なんという発明だ。エスカレーターの両側を埋めている2人組みがいる・・・この片側を空けるという、日本の文化はなんと徳高いのか。電車に乗ればギュウギュウ詰めだ・・・いやたくさん人がいてありがたい、映画のように自分以外が絶滅した世界に住んでなくてよかった。今日はかなり暑い・・・けど会社に行けば扇風機もエアコンも効いているだろう。人に自慢できる給料ではない・・・でも毎月充分なお給料をもらっている。今日もいつもと同じ仕事だ・・・しかし集中すれば楽しく充実感もある。苦手な仕事相手がいつものように電話で小言を言ってくるだろう・・・それを自分の糧にすればいいだけだ、相手も疲れている。後輩にはもっとしっかりしてほしい・・・だがぼくの仕事を文句も言わずいつも手伝ってくれる。連日遅くまで働いているので疲れが溜まっている・・・だが病気でもないし、まだまだ元気で仕事ができる。ぼくはヤバイくらいの幸せを感じてしまった。あなたはどうだろうか?こんな風に「今」に「感謝」し続ける。すべての「今」を「肯定的に見続ける」人がどうなるかは明らかである。ポジティブで、寛容で、諦めない。親切で、優しく、何よりいつも幸せそうだ。いつしか「現実」を変えていくだろう。
・何よりぼくが変われたのは、モノを減らして気づけた「感謝」である。すべての「今」に感謝し続けたい。すべての「今」を肯定的に見続けたい。ミニマリズムは「目的」ではなく「手段」である。ミニマリズムを通して気づけた大事なことが僕にはたくさんある。だが、僕が気づいたことや、さらに多くのことにすでに気づけている人はミニマリストになる必要は、全然ないと思っている。ミニマリストになって気づけた大事なことを、その後も大事にし続けられるなら、モノをもう一度増やしたっていいのだから。
・僕が発見した大事なこと。それは「人」だ。家族や友人だけでなく。美しい人だけでなく、才能ある人だけでもなく。意見が合う人も、合わない人も。今日会うすべての人がぼくの目的だ。ぼくの目の前に、「今」いる人こそが、ぼくの「目的」である。
良かった本まとめ(2016年上半期)
<今日の独り言>
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