<金曜は本の紹介>
「世界一プロ・ゲーマーの「仕事術」 勝ち続ける意志力(梅原大吾)」の購入はコチラ
この「世界一プロ・ゲーマーの「仕事術」 勝ち続ける意志力」という本は、1998年に17歳にして世界一となり、日本人で初めてプロになった格闘ゲーマーで、2010年には世界で最も長く賞金を稼いでいるプロ・ゲーマーとしてギネスブックにも認定されている梅原大吾さんが書いた本です。
この本の内容としては、世界一になるまでの家庭環境や学校生活、勝ち続ける方法や考え方、ゲームから身を引いて麻雀の道でもトップレベルになった秘訣や学んだこと、介護の仕事で学んだこと、ゲームの世界に戻った経緯、プロ契約の道のり等について書かれていて、ゲームだけでなく、他のビジネスやスポーツ、人生でも活かせるコツ・考え方等が満載です。
とにかく、この著者は勝ち続けることについてよく考え、そして自分がより良くなるよう常に自分を変化させていて、感心すると共にとても励みにもなります。
悩みに向き合い、道を極めること等のヒントが満載で、とてもオススメな本ですね!
以下はこの本のポイント等です。
・息子の好きなものには一切口に出さないという父のポリシーは、父自身の経験から導き出されたものあった。僕の祖父は将棋と踊りが好きな人だったらし。どちらも相当な腕前で才能もあったようだが、もちろんそれを仕事にすることは許されなかった。「ふざけるな!そんなことにうつつを抜かしている暇があったら真面目に働け!」と曾祖父に怒鳴られれて、仕方なく夢を諦めたという。そして父も、学生時代に空手、柔道、剣道に打ち込み、哲学の勉強にも励んだのだが、最終的に祖父に「バカ言っているんじゃない。まっとうな職に就いて働け」と言われて、その道に進むことを断念したという。親の言うことは絶対という時代だったので、自分の可能性を試したいという気持ちを閉じ込め、こrが現実だと思って好きなこととは関係のない仕事を選んだそうだ。だから、「大吾が好きなことには一切口を出さない」と決めたらしい。
・とにかく、あのときの姉の神技を見て、父の日頃の教えを信じて、僕は子どもながらに姉と同じやり方をしていたら到底敵わないという思いを心に刻み込んだ。突出した才能の前では、ちょっとやそっとの努力など簡単に吹き消されてしまうのだ、と。だから、とことん追求し、死ぬ気で戦い抜くというやり方を身につけた。ゲームでも、勉強でも、ケンカでも、自分がどんなに痛かろうが苦しかろうが、音を上げなければ負けではない。不格好かもしれないが、そういうやり方ならばいつか姉のような人間も参ったと言うだろう。そう思った。自分が勝つためには、とにかく必死に頑張るしかない。才能すらもなぎ倒していく圧倒的なまでの努力。それこそが父の教えの神髄だと悟った。
・僕にとってなにが自信につながったかと言えば、それはゲームの上手さや強さではなく、苦手なものを克服しようとしたり、あえて厳しい道を選んだりする自分の取り組み方、高みを目指す姿勢を貫けたという事実があったからだ。手を抜かず徹底的に追及することが、自信を持つ何よりの糧となったのだ。
・ほとんどの人は、実力がつけばつくほどに自分なりのスタイルというものを確立してしまう。例えば、攻めるのが好きな人はKOで勝ちたがるとか、守るのが得意な人はとことん引いてタイムオーバーになってでも勝とうとするとか、自分の得意な技ばかりを使う人が多い。するとその形に縛られてプレイの幅が狭まり、結局は壁にぶつかってしまう。さらに危険なのが、自己分析して自分のスタイルを決めるのではなく、他人の評価を鵜呑みにしてしまうことだ。自分の持ち味はこれなのだと勘違いして、それを生かして勝とうとする。当然、結果は出ないし長続きもしない。その点、僕の勝ち方にはスタイルがない。スタイルに陥らないようにしていると言ってもいい。他人から「ウメハラの良さはここ」と言われると、それをことごとく否定し、指摘されたプレイは極力捨てるようにしてきた。そもそも勝負の本質は、その人の好みやスタイルとは関係のないところにある。勝つために最善の行動を探ること。それこそが重要なのであって、趣味嗜好は瑣末で個人的な願望に過ぎない。
・特に海外では年齢による反射神経の衰えに敏感で、「その歳でよく続けているな」と驚かれることが多い。28歳で世界チャンピオンになったときは、対戦相手のひとりに「年齢的にそろそろ諦めようと思っていたが、君が10年も世界一でいることに勇気をもらった」と握手を求められた。そこまでの歳ではないと思うが、海外では22、23歳が反射神経のピークと思われているようだ。しかし、僕から言わせれば、彼らは年齢を言い訳にしているだけで努力の仕方が足りないのだと思う。努力が老いに負けているわけだ。スピードや反射神経に頼るのではなく、戦術や戦略を重視し、応用力を身につければ年齢は少しも怖くない。自分の得意なものを捨てて、いかに勝つか。そこを追求する。「この技ができるから細かいことはいらない」と考えるのではなく、自分の得意な技があったとしてもそれに頼らず、どんな状況でも勝てる方法を探るべきである。
・勝ち続けるためには、勝って天狗にならず、負けてなお卑屈にならないという絶妙な精神状態を保つことで、バランスを崩さず真摯にゲームと向き合い続ける必要がある。バランスを保つ方法は人それぞれだと思うが、僕は、自分も人間だし相手も人間であるという事実を忘れないようにすることが、バランスを崩さないことだと考えている。つまり、自分にも相手にも特別なことは何もないということだ。自分が勝てたのは知識、技術の正確さ、経験、練習量といった当たり前の積み重ねがあったからで、得体の知れない自分という存在が相手を圧倒して手にした勝利などでは決してないということ。ひとりの人間がやるべきことをyり、もうひとりの人間に勝った。ただそれだけの、当たり前のことをやり続けた人間が、今回に限って勝てたということを忘れてはいけない。
・センスや運、一夜漬けで勝利を手にしてきた人間は勝負弱い。僕はこれまで頭の回転が速く、要領が良く、勢いに乗っていると思われる人間と何度も戦ってきたが、ただの一度も負ける気はしなかった。それはなぜか。彼らと僕とでは迷ってきた量が圧倒的に違うからだ。僕はこれまでの人生で何度もミスを犯し、失敗し、そのたびに深く考え抜いてきた。だから、流れに乗って勝利を重ねてきただけの人間とは姿勢や覚悟が違う。何も考えずに、自分のセンスと運だけを頼りに歩いてきた人間と対峙すると、相手の動きがチャラチャラと軽く見える。性根が定まっていないこと、さらには綿密な分析に基づいた動きでないことに、すぐに気がつくのだ。勢い任せで分析を怠ってきた人間は、究極の勝負の場面でススススッと引かざるを得なくなる。覚悟を持って戦いに挑んでいる相手を前にすると、自信を持って前に出て行くことができなくなるのだろう。そのような後退の仕方は、一夜漬けの人間にも当てはまる。
・例えば、ある格闘ゲームのあキャラクターだけが使える便利な技があるとする。すごく性能が良くて、それを使えば強いのは誰の目にも明らかといった技だ。すると、みんなその技を使いたがる。そして、みんな同じプレイになる。あまりにも支配力が強いので、誰がプレイしてもその技に頼らざるを得なくなるのだ。僕なら、絶対にその技を使わない。当然、苦労は多い。だけど、本当にその技がないと勝てないかと言うと、それは違う。一生懸命探せば、代わりになるものは必ず見つかる。便利な技を使えばコンスタントに80点は出せるかもしれないが、100点には届かない。一方、便利な技に頼らずキャラクターのトータルの能力を上げたり、自分の判断力を磨いたりしていると、100点に近づくことができる。「なんで、あの技、使わないの?」「まぁ、いいじゃんいいじゃん(笑い)」そんなやり取りを続けて1年、便利な技に頼り続けた人間と、使わなかった僕とでは、力の差は大きく開いている。しかも、便利な技というのは応用が利かない。その技がすべて。つまり、自分自身は何も成長していない。システムに頼っているに過ぎず、自分は少しも工夫していない。だから、便利な技が通用しなくなったとき、技自体がなくなってしまったときにはどうすることもできない。一方で便利な技に頼らず、ゲームの本質を理解しようと努力してきた僕は、その技が使えなくても、キャラクターが変わっても、少しも動じることがない。いわば不変の強さを手にしたと言える状態だ。
・相手の癖や、行動を記憶して、それに対応した戦いをする「人読み」という技術がある。戦う相手の特徴や癖を分析して、弱点を突くような戦い方だ。しかし、「人読み」頼りに勝ち星を増やしていたとしても、そのプレイヤーが真に強いかと問われれば、その答えは否だ。本来的な強さとは、相手の動きが読めてもそこを突かず、己の実力で勝つことでこそ磨かれていくものだ。読めるからといって、それで勝てるからといって「人読み」に頼り、技術や知識を底上げすることを怠ると、別の強い相手との対戦で必ず苦戦を強いられることになる。
・弱点を突いて勝つ戦法は、勝負の質を落とすような気さえする。その対戦相手は自分を成長させてくれる存在なのに、その相手との対戦をムダにすると感じるのだ。だから、弱点を突かず、むしろ相手の長所となる部分に挑みたい。結局、自分自身の力で勝つことが一番。上達することを最優先に考えている。そこが僕のこだわりであり、長くトップでいらえる秘訣なのだと思う。
・筋力をつけたければ筋力トレーニングを、痩せたければそれなりの運動を、人よりも強くなりたかったら人一倍練習しなければいけない。どれだけつらくても、それ以外に道はないと思う。心だって、鍛えなければ強くならない。何かを成し遂げたいのであれば、壁を越えなくてはいけない。壁を越えるのは決して楽ではないが、一回越えたら楽になる。
・練習においてはすべての可能性を試していくような取り組みしかできん。必勝法はないと確信しているからこそ、次から次へと手を替え品を替える。この方法はダメだと思うけど、実際に試さないと本当にダメかどうかは分からない。ひとつのことを試してみる。ダメだと分かる。次のことを試してみる。これは使えると分かる。そうやって初めて、このやり方をとりあえず柱にしてみようと思える。とにかく、できることを片っ端から試していくのだ。隅から隅まで徹底的につぶしていくので、どれが良くてどれがダメなのか。自分の経験として身体が覚えていてくれる。普通、人はこっちの方向に何かあるはずだと当たりをつけて進むものだと思う。しかし、僕の場合は自分の足で全方向に歩くようにしている。正解がどちらの方向にあるのか、迷う必要すらない。すべての方向に探り尽くすから、どこかで必ず正解が見つかるのだ。もちろん、経験から正解がありそうな方向は分かるが、それでもすべてを試してみるやり方を変えたことはない。
・戦術や戦略も常に変化、進化させる必要がある。昨日よりも今日。どんどん新鮮なものを取り入れて、古いものを次々と刷新するべきだ。自分を高めるということは、何かを編み出したり、経験を積んだりすることで、自分の引き出しをいっぱいにすることではない。より新しく、かつ良いものを生み出し続ける姿勢こそが、遥かに大事なことではないだろうか。
・自分の実力を上げるためには、まずもって目の前の勝負に全力を注ぐ必要がある。子どもの頃の僕は地元のゲームセンターで一番になることからスタートし、次は隣町の強い兄ちゃんに勝ちたい、その兄ちゃんを倒したら秋葉原にいるらしい最強のオヤジに勝ちたいと少しずつ頑張ってきた。ゲームを始めてすぐ「絶対に世界一になってやる。なれないはずはない」と思ったが、それでも世界一になるために戦っていたわけではない。あくまで目の前の相手と全力で戦い続けた結果の世界チャンピオンだと思う。
・相手を弱くすることよりも、自分が強くんことの方が大事だと分かったのだ。人の邪魔をすることで優位に立とうとする人はいるだろうが、そういう人はいずれ消えていく運命にあると悟った。
・変化を続けていれば、きっと正しいことが見つかる。また、正しくないことが見つかれば、その反対が正しいことだと分かる。だから、前へ進める。成長というのは、とにもかくにも同じ場所にいないことで促進される。そして、常に成長していれば歳を取っても、ゲームが新しくなっても、若くて有能なプレイヤーが出てきても、変わらず勝ち続けることができると考えている。
・ゲームセンターで対戦しているとき、あるいは、ひとりで練習しているとき、ほんの少しの気がかりが芽生える。経験上、その気がかりをそのまま放置してはいけない。「あれ?これはちょっとおかしいな・・・だけど、たいした問題じゃないだろう」そうやって無視していると、後になって必ず痛い目に遭う。そのときになって初めて、「そういえばこれ気になってたんだよなぁ・・・」と、後悔するハメになる。だから、気になったことは必ずメモするようにしている。そのときに時間があるわけではないので、後で絶対に解決しないといけないと心に決め、直感的に「問題になるかも」と感じたことはすべて分かりやすく箇条書きにしておく。僕の場合は、いつも携帯電話にメモをしている。
・本当に小さくて些細なことだけど、いつもと違う帰宅路を歩いてみるとか、定番から外れたメニューを食べるとか、普段使わない駅に降りてみるとか。小さくてもいいから変えてみる。そんな意識があれば、誰だって、いつだって自分を変えることができる。そうやって自分の体験を増やしておけば、ふとしたとき、前よりも視野の広くなった自分に気づくことができるはずだ。少なくとも僕は、そう信じて自分を意識的に変化させている。
・あえて嫌いな人に挑戦することで、その苦手意識を克服したいと思う。いつも自分に合った人たちに囲まれて過ごすのは快適だし、居心地もいいだろう。しかし、それでは好き嫌いを超えて強くなることはできない。苦手な人、苦手なことに積極的に取り組むことで初めて、自分の皮がむけ、ひと回りもふた回りも成長することができる。
・セオリーに頼り過ぎるのは良くない。セオリーは決して絶対の理論ではないからだ。確立された時点でハイ終わり、というわけにはいかない。仮にセオリーだけに頼って不調に陥った場合、そこから抜け出すのは容易ではない。だから、セオリーは進化させる必要がある。「ルールは破るためにある」ではないが「セオリーは疑うためにある」。「このやり方が正しいとされているけど、本当にそうなのか?」「こっちの角度から見ると間違いじゃないか?」「一般的には正しいかもしれないけど、この相手に対しては通用しないかもしれない」そうやって、ひとつのセオリーを柱にさらに一歩進んだ答えを見つけ出し続けなければいけない。セオリーに頼らず、セオリーを進化させる。人よりもたくさん勝ちたい、チャンピオンになりたい、勝ち続けたいと思うのであれば、セオリーを疑え!
・勝ちを続けるためには、ひとつの問題に対して深く考えなければならない。既成概念を捨てて、視点や角度を変えながら徹底的に原因を究明する。どれだけ考えても先に進めない・・・。そうやって壁にぶつかっっても、自分が抱えている問題を頭の隅に置いておき、24時間いつでも考えられるようにしておく。すぐに答えが出なくても、時間をかければ必ずいい答えに巡り合える。まったく関係ないと思われるところにヒントが落ちていたり、友達が発した何気ないひと言が最高のアドバイスになったりすることは珍しくない。生涯で約1300もの発明をしたアメリカの発明家、トーマス・エジソンも、成功しない人間は、考える努力をしない人間だという言葉を残しており、まさにその通りだと思う。
・僕自身は、子供の頃から考えることが好きだった。自分で考えて考えて、それでも答えが見つからないときは父に話を聞いたり、母に相談したりもした。両親ともゲームの知識はまったくないのだが、ヒントがないか探しながら話を聞いていると、意外な答えに巡り会えたりした。それから、たくさん本を読んでいた。スポーツ選手の自伝とか、将棋の名人の対戦時のエピソードとか、ジャンルは違うけど勝負の世界に生きている人たちの言葉は、ときに参考になった。
・自分を変えるとき、変化するためのコツは、「そうすることで良くなるかどうかまで考えない」ということだ。もし悪くなったとしたら、それに気づいたときにまた変えればいい。とにかく、大事なのは変わり続けることだ。良くなるか悪くなるか、そこまでは誰にも分からない。しかし経験から言うと、ただ変え続けるだけで、最終的にいまより必ず高みに登ることができる。もちろん、変えたことで初めて変える前の良さに気づくこともある。そんなときは、両方のいいところを合わせた形でさらに変化すればいい。
・失敗をせずに前進できることなんてほとんど稀だった。何かを恐れ、回避し、ごまかしながら前進したとしても、上に行こうとすれば、ほとんどの場合回避したはずの壁に結局ぶち当たらざるを得ない。ぶち当たるというか、その壁を越えなければ結局上に行けないような仕組みなっているのだと僕は感じている。だとしたら、自ら足を踏み出し、どんどん失敗していった方が、よっぽど効果的だし、より高い場所へと行ける道だと考えている。
・少しの変化を見逃さないで、毎日のように変わろうと意識していると、いずれ大きな変化-覚悟が必要になったときに躊躇せずに行動することができる。1年とか2年周期でそんな時期がやってきたとき、普段から変化や挑戦を意識している人は、迷わずチャレンジする道を選ぶことができる。普段は自分を変えず、守ってばかりいる人が、大きな岐路に立ったときに正しい決断力を発揮できるとは思えない。日々の小さな積み重ねこそが、いざというときに力を発揮するのだ。
・努力を続けていれば、いつか必ず人の目は気にならなくなる。僕もこの2、3年で、人の評価や結果は一過程のもので、それよりも自分がやっている努力の方が遥かに尊いと思えるようになった。自分の取り組みが正しいのか、正しくないのか。そこで煩悶してしまうのは、まだ自信がなかったからだ。それでもめげずに、強い意志を持って続けていくと、「正しくないかもしれないけど、俺はこれでいい」とう思える日がやってきた。いま、そのことを実感している。だから、毎日がすごく楽しい。おそらく、これまでで一番楽しく生きていると思う。好きなことに打ち込めているし、何より人の視線や評価を気にせず生きている。あるいは、そこが僕の一番成長した部分かもしれない。
・人の目を気にせず、自分と向き合う時間、深く考え、思い悩む時間を大切にしてこそ、集中力は高まっていくものだと考えている。
・本格的に打ち込むようになってから3年で麻雀のトップレベルに立てたのは、やはり強い人の打ち方を真似したからだと思う。彼が牌をつもり、牌を切る。その動作をずっと見続けるのは、言ってみれば答え合わせのようなものだった。僕の考えが彼の考えと一緒なのか、違うのか。一手一手、確認することができた。真剣に考えて見ていたので、捨牌の理由は分かった。自分が思った通りというときもあれば、そういう手もあったかと感心することもあった。たまに意図が見えないときは「あのとき、こういう理由であの牌を切ったんですか?」と聞いた。そして「そうだよ」という言葉を聞いて、自分の考えが正しかったことを確認した。自分よりも上手い人の真似をしているうちに、その技がなんとか自分のものになる。真似した人と同じレベルになって初めて、自分なリの色を出せばいい。何かを身につけたいと思うのであれば、丁寧に、慎重に、基本を学ぶべきだ。下手なうちから独自の取り組みをしたり、自由に伸び伸び練習したりすると、最終的に底の浅い仕上がりになってしまう。少なくとも2年、あるいは3年、基礎を学ぶ必要がある。自分の我を通すことなく、セオリックなことを学ぶべきだと考えている。そうしてベースが身についたところで初めて、異なるやり方を模索すればいい。「こんなやり方はどうだろう」と試してみればいい。ある程度のレベルに到達してからは、真似だけでは殻を破れない。真似をした相手に自分の考えや動きがすべて見切られてしまうからだ。
・知識を蓄え、技術を磨き、経験を積めばプレイヤーとしての完成度はアップする。だけど、結果ばかりを追い求める歪んだ精神に操られたゲームは見ていてつまらないし、対戦相手や見る者を圧倒することができない。人の心を動かすのは、やはり本能に従った純粋なファイトだと思う。いまの僕は、そんなプレイを追求している。
・誰にも負けないくらいやり込んできたという自負があれば、どんな相手にも気持ちで負けることはない。しかし、賞金目当てで頑張ってきた人間の気持ちは驚くほど弱い。そのことに気づいたので、目的を見誤ってはいけないと実感した。大会というのは、日々の練習を楽しんでいる人間、自分の成長を追求している人間が、遊びというか、お披露目の感覚で出るものではないだろうか。大会における勝利は目標のひとつとしてはいいかもしれないが、目的であってはいけない。そのことに気づいてからようやく、勝つことより成長し続けることを目的と考えるようになった。ゲームを通して自分が成長し、ひいては人生を充実させる。いまは、そのために頑張っているんだ、と。もちろん、大会で優勝するとか結果を残すという目標はあってもいい。人間は目標があるから頑張れるし、だからこそ力を発揮できることがある。だけど、その目標にとらわれ過ぎて、それが目的になってしまうと、なぜだか結果はついてこず、続けられるものも続けられなくなる。
・絶対に負けられないと思っているプレイヤーは、だいたい土壇場で萎縮してしまう。一方で、日々の練習に60の喜びを見出していると、負けても毎日が楽しいから大丈夫だと、気を楽にして自然体で勝負に挑むことができる。その結果、リスキーな局面でも大胆な行動に出ることができる。とにかく、いまの僕は大会に重きを置いていない。あの大会で勝ちたいと思うこともほとんどない。大会を重視する行為は、自分の成長のリズムを崩すと知っているからだ。目標に過ぎない大会に固執せず、目的である自身の成長に目を向けている。それが「勝ち続ける」ことにつながってくる。
・自分にとっての適量を考えるなら、「その努力は10年続けられるものなのか?」自問自答してみるのがいい。甘すぎることもなく、厳し過ぎるわけでもない。10年続けられる努力であればちょうどいいと言える。10年続けられる努力かどうか考えれば、おのずと自分にとっての努力の適量、正しい努力の度合いが見えてくるのではないだろうか。
・僕の場合、毎日のサイクルはほとんど決まっている。ここ最近は、ゲームで対戦する時間は6時間くらいがベストだと考えている。練習や分析の時間もあるので、ゲームに向き合っている時間はもう少し長くなるが、対戦に限ると6時間くらいがちょうどいい。物事を突き詰めて考える性格なので、昔はもっと多くの時間を割いていた。時間が空くと「お前、サボっってるんじゃねぇか」と自分を追い詰めていた。しかし、長い時間やればいいということではないことに気がついた。休憩するのは大事なことだ。頭を休ませてあげると、いいアイデアが浮かんだりもする。ゲームと向き合っている時間がすべてではなく、美味しい食事をしたり、身体を動かしたりすることが、結局はゲームにも生きてくる。格闘ゲームは神経戦でもあるので、心身のバランスが崩れると勝てない。
・子どもの頃から自分自身を疑い、迷い、どう生きればいいのか悩み続けてきた僕だが、ゲームを再開して初めて「俺にはゲームしかない。これでいいんだ」と納得することができた。だから、素直にゲームに感謝した。ゲームがなければ僕は本当に何者でもない。僕に注目する人などいないだろう。だけど、ゲームをしているときは特別でいられる。アメリカに行けばサインや写真を頼まれるし、握手をしてくれと言われることもある。雑誌やテレビのインタビューはあるし、今回、こうやって本を書くこともできた。人生は本当に不思議だ。20代前半、サインや写真は面倒臭くて嫌いだった。応援してくれ人を前にして本気で隠れようと思ったほどだ。それがいま、注目してもらえることが嬉しくて仕方がない。「俺なんかのことを認めてくれるんだ」いまは、素直に、そう思える。
<目次>
プロローグ
第1章 そして、世界一になった
消せなかった疎外感
姉の影響
ガキ大将
父の教え
「日本国憲法前文」丸暗記事件
惨めな気持ちを吹っ切る
ゲームセンター
受験のときに感じた違和感
世界一への階段を登り始める
そして世界一に
なぜ世界一になるほど没頭できたか
第2章 99.9%の人は勝ち続けられない
勝ち続ける人、負ける人
勝ち続けるには
迷う力
安易な道、裏技は使わない
「人読み」に頼らず、弱点も突かない
楽な道はない
王道も必勝法もない
戦術に特許はない
目前の敵に集中する
間違った努力
変化なくして成長なし
「気になること」をメモする
日々、小さな変化をする
変化のサイクル
苦手なことに取り組む
セオリーすらも進化させる
考えることをやめない
考える力
まずは変化すること
失敗していることこそが指標になる
人の目を気にするということ
集中力
もっとも競争が熾烈なゲームを選ぶ
未踏の地を目指す
真似できない強さ
幸せを感じられる瞬間
第3章 ゲームと絶望と麻雀と介護
ゲームから身を引く
麻雀の道を選ぶ
雀荘での修行
麻雀を極める
麻雀で認めてもらえた
麻雀で学んだこと
型を超えたときの強さ
人生初の後悔
介護の仕事を始める
勝負がなくても生きていける
ゲームを再開してみると・・・
新宿での10人抜き
ウメハラ再始動!
第4章 目的と目標は違う
夢と希望が見つからない
夢がなくても
好きなことがある幸せ
無理し続けて
4連覇を懸けた大会で
自分を痛めつけるだけの努力はしてはいけない
量ではなく質
目標と目的の違い
目的は成長し続けること
その努力を10年続けられるか?
バンドマンの未来
機が熟すのを待つ
継続のためのサイクルを作る
ウメハラのサイクル
サイクルの縛りはほどほどに
階段を5段ずつ上がればいい
世界大会優勝以上にうれしいこと
団子屋のおばあちゃんから学ぶこと
休日のない生活
第5章 ゲームに感謝
プロ契約の道のり(前編)
プロ契約の道のり(中編)
プロ契約の道のり(後編)
誰だって迷い、悩んでる
ゲームに感謝
エピローグ
全盛期はいま、そして未来
若い強さから学ぶこと
勝った翌日ほど対戦する
一番の人間は絶対に逃げてはいけない
生きることは
這ってでも階段を登り続ける
運・不運について
三国志のように
面白かった本まとめ(2012年上半期)
<今日の独り言>
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とにかく、この著者は勝ち続けることについてよく考え、そして自分がより良くなるよう常に自分を変化させていて、感心すると共にとても励みにもなります。
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・息子の好きなものには一切口に出さないという父のポリシーは、父自身の経験から導き出されたものあった。僕の祖父は将棋と踊りが好きな人だったらし。どちらも相当な腕前で才能もあったようだが、もちろんそれを仕事にすることは許されなかった。「ふざけるな!そんなことにうつつを抜かしている暇があったら真面目に働け!」と曾祖父に怒鳴られれて、仕方なく夢を諦めたという。そして父も、学生時代に空手、柔道、剣道に打ち込み、哲学の勉強にも励んだのだが、最終的に祖父に「バカ言っているんじゃない。まっとうな職に就いて働け」と言われて、その道に進むことを断念したという。親の言うことは絶対という時代だったので、自分の可能性を試したいという気持ちを閉じ込め、こrが現実だと思って好きなこととは関係のない仕事を選んだそうだ。だから、「大吾が好きなことには一切口を出さない」と決めたらしい。
・とにかく、あのときの姉の神技を見て、父の日頃の教えを信じて、僕は子どもながらに姉と同じやり方をしていたら到底敵わないという思いを心に刻み込んだ。突出した才能の前では、ちょっとやそっとの努力など簡単に吹き消されてしまうのだ、と。だから、とことん追求し、死ぬ気で戦い抜くというやり方を身につけた。ゲームでも、勉強でも、ケンカでも、自分がどんなに痛かろうが苦しかろうが、音を上げなければ負けではない。不格好かもしれないが、そういうやり方ならばいつか姉のような人間も参ったと言うだろう。そう思った。自分が勝つためには、とにかく必死に頑張るしかない。才能すらもなぎ倒していく圧倒的なまでの努力。それこそが父の教えの神髄だと悟った。
・僕にとってなにが自信につながったかと言えば、それはゲームの上手さや強さではなく、苦手なものを克服しようとしたり、あえて厳しい道を選んだりする自分の取り組み方、高みを目指す姿勢を貫けたという事実があったからだ。手を抜かず徹底的に追及することが、自信を持つ何よりの糧となったのだ。
・ほとんどの人は、実力がつけばつくほどに自分なりのスタイルというものを確立してしまう。例えば、攻めるのが好きな人はKOで勝ちたがるとか、守るのが得意な人はとことん引いてタイムオーバーになってでも勝とうとするとか、自分の得意な技ばかりを使う人が多い。するとその形に縛られてプレイの幅が狭まり、結局は壁にぶつかってしまう。さらに危険なのが、自己分析して自分のスタイルを決めるのではなく、他人の評価を鵜呑みにしてしまうことだ。自分の持ち味はこれなのだと勘違いして、それを生かして勝とうとする。当然、結果は出ないし長続きもしない。その点、僕の勝ち方にはスタイルがない。スタイルに陥らないようにしていると言ってもいい。他人から「ウメハラの良さはここ」と言われると、それをことごとく否定し、指摘されたプレイは極力捨てるようにしてきた。そもそも勝負の本質は、その人の好みやスタイルとは関係のないところにある。勝つために最善の行動を探ること。それこそが重要なのであって、趣味嗜好は瑣末で個人的な願望に過ぎない。
・特に海外では年齢による反射神経の衰えに敏感で、「その歳でよく続けているな」と驚かれることが多い。28歳で世界チャンピオンになったときは、対戦相手のひとりに「年齢的にそろそろ諦めようと思っていたが、君が10年も世界一でいることに勇気をもらった」と握手を求められた。そこまでの歳ではないと思うが、海外では22、23歳が反射神経のピークと思われているようだ。しかし、僕から言わせれば、彼らは年齢を言い訳にしているだけで努力の仕方が足りないのだと思う。努力が老いに負けているわけだ。スピードや反射神経に頼るのではなく、戦術や戦略を重視し、応用力を身につければ年齢は少しも怖くない。自分の得意なものを捨てて、いかに勝つか。そこを追求する。「この技ができるから細かいことはいらない」と考えるのではなく、自分の得意な技があったとしてもそれに頼らず、どんな状況でも勝てる方法を探るべきである。
・勝ち続けるためには、勝って天狗にならず、負けてなお卑屈にならないという絶妙な精神状態を保つことで、バランスを崩さず真摯にゲームと向き合い続ける必要がある。バランスを保つ方法は人それぞれだと思うが、僕は、自分も人間だし相手も人間であるという事実を忘れないようにすることが、バランスを崩さないことだと考えている。つまり、自分にも相手にも特別なことは何もないということだ。自分が勝てたのは知識、技術の正確さ、経験、練習量といった当たり前の積み重ねがあったからで、得体の知れない自分という存在が相手を圧倒して手にした勝利などでは決してないということ。ひとりの人間がやるべきことをyり、もうひとりの人間に勝った。ただそれだけの、当たり前のことをやり続けた人間が、今回に限って勝てたということを忘れてはいけない。
・センスや運、一夜漬けで勝利を手にしてきた人間は勝負弱い。僕はこれまで頭の回転が速く、要領が良く、勢いに乗っていると思われる人間と何度も戦ってきたが、ただの一度も負ける気はしなかった。それはなぜか。彼らと僕とでは迷ってきた量が圧倒的に違うからだ。僕はこれまでの人生で何度もミスを犯し、失敗し、そのたびに深く考え抜いてきた。だから、流れに乗って勝利を重ねてきただけの人間とは姿勢や覚悟が違う。何も考えずに、自分のセンスと運だけを頼りに歩いてきた人間と対峙すると、相手の動きがチャラチャラと軽く見える。性根が定まっていないこと、さらには綿密な分析に基づいた動きでないことに、すぐに気がつくのだ。勢い任せで分析を怠ってきた人間は、究極の勝負の場面でススススッと引かざるを得なくなる。覚悟を持って戦いに挑んでいる相手を前にすると、自信を持って前に出て行くことができなくなるのだろう。そのような後退の仕方は、一夜漬けの人間にも当てはまる。
・例えば、ある格闘ゲームのあキャラクターだけが使える便利な技があるとする。すごく性能が良くて、それを使えば強いのは誰の目にも明らかといった技だ。すると、みんなその技を使いたがる。そして、みんな同じプレイになる。あまりにも支配力が強いので、誰がプレイしてもその技に頼らざるを得なくなるのだ。僕なら、絶対にその技を使わない。当然、苦労は多い。だけど、本当にその技がないと勝てないかと言うと、それは違う。一生懸命探せば、代わりになるものは必ず見つかる。便利な技を使えばコンスタントに80点は出せるかもしれないが、100点には届かない。一方、便利な技に頼らずキャラクターのトータルの能力を上げたり、自分の判断力を磨いたりしていると、100点に近づくことができる。「なんで、あの技、使わないの?」「まぁ、いいじゃんいいじゃん(笑い)」そんなやり取りを続けて1年、便利な技に頼り続けた人間と、使わなかった僕とでは、力の差は大きく開いている。しかも、便利な技というのは応用が利かない。その技がすべて。つまり、自分自身は何も成長していない。システムに頼っているに過ぎず、自分は少しも工夫していない。だから、便利な技が通用しなくなったとき、技自体がなくなってしまったときにはどうすることもできない。一方で便利な技に頼らず、ゲームの本質を理解しようと努力してきた僕は、その技が使えなくても、キャラクターが変わっても、少しも動じることがない。いわば不変の強さを手にしたと言える状態だ。
・相手の癖や、行動を記憶して、それに対応した戦いをする「人読み」という技術がある。戦う相手の特徴や癖を分析して、弱点を突くような戦い方だ。しかし、「人読み」頼りに勝ち星を増やしていたとしても、そのプレイヤーが真に強いかと問われれば、その答えは否だ。本来的な強さとは、相手の動きが読めてもそこを突かず、己の実力で勝つことでこそ磨かれていくものだ。読めるからといって、それで勝てるからといって「人読み」に頼り、技術や知識を底上げすることを怠ると、別の強い相手との対戦で必ず苦戦を強いられることになる。
・弱点を突いて勝つ戦法は、勝負の質を落とすような気さえする。その対戦相手は自分を成長させてくれる存在なのに、その相手との対戦をムダにすると感じるのだ。だから、弱点を突かず、むしろ相手の長所となる部分に挑みたい。結局、自分自身の力で勝つことが一番。上達することを最優先に考えている。そこが僕のこだわりであり、長くトップでいらえる秘訣なのだと思う。
・筋力をつけたければ筋力トレーニングを、痩せたければそれなりの運動を、人よりも強くなりたかったら人一倍練習しなければいけない。どれだけつらくても、それ以外に道はないと思う。心だって、鍛えなければ強くならない。何かを成し遂げたいのであれば、壁を越えなくてはいけない。壁を越えるのは決して楽ではないが、一回越えたら楽になる。
・練習においてはすべての可能性を試していくような取り組みしかできん。必勝法はないと確信しているからこそ、次から次へと手を替え品を替える。この方法はダメだと思うけど、実際に試さないと本当にダメかどうかは分からない。ひとつのことを試してみる。ダメだと分かる。次のことを試してみる。これは使えると分かる。そうやって初めて、このやり方をとりあえず柱にしてみようと思える。とにかく、できることを片っ端から試していくのだ。隅から隅まで徹底的につぶしていくので、どれが良くてどれがダメなのか。自分の経験として身体が覚えていてくれる。普通、人はこっちの方向に何かあるはずだと当たりをつけて進むものだと思う。しかし、僕の場合は自分の足で全方向に歩くようにしている。正解がどちらの方向にあるのか、迷う必要すらない。すべての方向に探り尽くすから、どこかで必ず正解が見つかるのだ。もちろん、経験から正解がありそうな方向は分かるが、それでもすべてを試してみるやり方を変えたことはない。
・戦術や戦略も常に変化、進化させる必要がある。昨日よりも今日。どんどん新鮮なものを取り入れて、古いものを次々と刷新するべきだ。自分を高めるということは、何かを編み出したり、経験を積んだりすることで、自分の引き出しをいっぱいにすることではない。より新しく、かつ良いものを生み出し続ける姿勢こそが、遥かに大事なことではないだろうか。
・自分の実力を上げるためには、まずもって目の前の勝負に全力を注ぐ必要がある。子どもの頃の僕は地元のゲームセンターで一番になることからスタートし、次は隣町の強い兄ちゃんに勝ちたい、その兄ちゃんを倒したら秋葉原にいるらしい最強のオヤジに勝ちたいと少しずつ頑張ってきた。ゲームを始めてすぐ「絶対に世界一になってやる。なれないはずはない」と思ったが、それでも世界一になるために戦っていたわけではない。あくまで目の前の相手と全力で戦い続けた結果の世界チャンピオンだと思う。
・相手を弱くすることよりも、自分が強くんことの方が大事だと分かったのだ。人の邪魔をすることで優位に立とうとする人はいるだろうが、そういう人はいずれ消えていく運命にあると悟った。
・変化を続けていれば、きっと正しいことが見つかる。また、正しくないことが見つかれば、その反対が正しいことだと分かる。だから、前へ進める。成長というのは、とにもかくにも同じ場所にいないことで促進される。そして、常に成長していれば歳を取っても、ゲームが新しくなっても、若くて有能なプレイヤーが出てきても、変わらず勝ち続けることができると考えている。
・ゲームセンターで対戦しているとき、あるいは、ひとりで練習しているとき、ほんの少しの気がかりが芽生える。経験上、その気がかりをそのまま放置してはいけない。「あれ?これはちょっとおかしいな・・・だけど、たいした問題じゃないだろう」そうやって無視していると、後になって必ず痛い目に遭う。そのときになって初めて、「そういえばこれ気になってたんだよなぁ・・・」と、後悔するハメになる。だから、気になったことは必ずメモするようにしている。そのときに時間があるわけではないので、後で絶対に解決しないといけないと心に決め、直感的に「問題になるかも」と感じたことはすべて分かりやすく箇条書きにしておく。僕の場合は、いつも携帯電話にメモをしている。
・本当に小さくて些細なことだけど、いつもと違う帰宅路を歩いてみるとか、定番から外れたメニューを食べるとか、普段使わない駅に降りてみるとか。小さくてもいいから変えてみる。そんな意識があれば、誰だって、いつだって自分を変えることができる。そうやって自分の体験を増やしておけば、ふとしたとき、前よりも視野の広くなった自分に気づくことができるはずだ。少なくとも僕は、そう信じて自分を意識的に変化させている。
・あえて嫌いな人に挑戦することで、その苦手意識を克服したいと思う。いつも自分に合った人たちに囲まれて過ごすのは快適だし、居心地もいいだろう。しかし、それでは好き嫌いを超えて強くなることはできない。苦手な人、苦手なことに積極的に取り組むことで初めて、自分の皮がむけ、ひと回りもふた回りも成長することができる。
・セオリーに頼り過ぎるのは良くない。セオリーは決して絶対の理論ではないからだ。確立された時点でハイ終わり、というわけにはいかない。仮にセオリーだけに頼って不調に陥った場合、そこから抜け出すのは容易ではない。だから、セオリーは進化させる必要がある。「ルールは破るためにある」ではないが「セオリーは疑うためにある」。「このやり方が正しいとされているけど、本当にそうなのか?」「こっちの角度から見ると間違いじゃないか?」「一般的には正しいかもしれないけど、この相手に対しては通用しないかもしれない」そうやって、ひとつのセオリーを柱にさらに一歩進んだ答えを見つけ出し続けなければいけない。セオリーに頼らず、セオリーを進化させる。人よりもたくさん勝ちたい、チャンピオンになりたい、勝ち続けたいと思うのであれば、セオリーを疑え!
・勝ちを続けるためには、ひとつの問題に対して深く考えなければならない。既成概念を捨てて、視点や角度を変えながら徹底的に原因を究明する。どれだけ考えても先に進めない・・・。そうやって壁にぶつかっっても、自分が抱えている問題を頭の隅に置いておき、24時間いつでも考えられるようにしておく。すぐに答えが出なくても、時間をかければ必ずいい答えに巡り合える。まったく関係ないと思われるところにヒントが落ちていたり、友達が発した何気ないひと言が最高のアドバイスになったりすることは珍しくない。生涯で約1300もの発明をしたアメリカの発明家、トーマス・エジソンも、成功しない人間は、考える努力をしない人間だという言葉を残しており、まさにその通りだと思う。
・僕自身は、子供の頃から考えることが好きだった。自分で考えて考えて、それでも答えが見つからないときは父に話を聞いたり、母に相談したりもした。両親ともゲームの知識はまったくないのだが、ヒントがないか探しながら話を聞いていると、意外な答えに巡り会えたりした。それから、たくさん本を読んでいた。スポーツ選手の自伝とか、将棋の名人の対戦時のエピソードとか、ジャンルは違うけど勝負の世界に生きている人たちの言葉は、ときに参考になった。
・自分を変えるとき、変化するためのコツは、「そうすることで良くなるかどうかまで考えない」ということだ。もし悪くなったとしたら、それに気づいたときにまた変えればいい。とにかく、大事なのは変わり続けることだ。良くなるか悪くなるか、そこまでは誰にも分からない。しかし経験から言うと、ただ変え続けるだけで、最終的にいまより必ず高みに登ることができる。もちろん、変えたことで初めて変える前の良さに気づくこともある。そんなときは、両方のいいところを合わせた形でさらに変化すればいい。
・失敗をせずに前進できることなんてほとんど稀だった。何かを恐れ、回避し、ごまかしながら前進したとしても、上に行こうとすれば、ほとんどの場合回避したはずの壁に結局ぶち当たらざるを得ない。ぶち当たるというか、その壁を越えなければ結局上に行けないような仕組みなっているのだと僕は感じている。だとしたら、自ら足を踏み出し、どんどん失敗していった方が、よっぽど効果的だし、より高い場所へと行ける道だと考えている。
・少しの変化を見逃さないで、毎日のように変わろうと意識していると、いずれ大きな変化-覚悟が必要になったときに躊躇せずに行動することができる。1年とか2年周期でそんな時期がやってきたとき、普段から変化や挑戦を意識している人は、迷わずチャレンジする道を選ぶことができる。普段は自分を変えず、守ってばかりいる人が、大きな岐路に立ったときに正しい決断力を発揮できるとは思えない。日々の小さな積み重ねこそが、いざというときに力を発揮するのだ。
・努力を続けていれば、いつか必ず人の目は気にならなくなる。僕もこの2、3年で、人の評価や結果は一過程のもので、それよりも自分がやっている努力の方が遥かに尊いと思えるようになった。自分の取り組みが正しいのか、正しくないのか。そこで煩悶してしまうのは、まだ自信がなかったからだ。それでもめげずに、強い意志を持って続けていくと、「正しくないかもしれないけど、俺はこれでいい」とう思える日がやってきた。いま、そのことを実感している。だから、毎日がすごく楽しい。おそらく、これまでで一番楽しく生きていると思う。好きなことに打ち込めているし、何より人の視線や評価を気にせず生きている。あるいは、そこが僕の一番成長した部分かもしれない。
・人の目を気にせず、自分と向き合う時間、深く考え、思い悩む時間を大切にしてこそ、集中力は高まっていくものだと考えている。
・本格的に打ち込むようになってから3年で麻雀のトップレベルに立てたのは、やはり強い人の打ち方を真似したからだと思う。彼が牌をつもり、牌を切る。その動作をずっと見続けるのは、言ってみれば答え合わせのようなものだった。僕の考えが彼の考えと一緒なのか、違うのか。一手一手、確認することができた。真剣に考えて見ていたので、捨牌の理由は分かった。自分が思った通りというときもあれば、そういう手もあったかと感心することもあった。たまに意図が見えないときは「あのとき、こういう理由であの牌を切ったんですか?」と聞いた。そして「そうだよ」という言葉を聞いて、自分の考えが正しかったことを確認した。自分よりも上手い人の真似をしているうちに、その技がなんとか自分のものになる。真似した人と同じレベルになって初めて、自分なリの色を出せばいい。何かを身につけたいと思うのであれば、丁寧に、慎重に、基本を学ぶべきだ。下手なうちから独自の取り組みをしたり、自由に伸び伸び練習したりすると、最終的に底の浅い仕上がりになってしまう。少なくとも2年、あるいは3年、基礎を学ぶ必要がある。自分の我を通すことなく、セオリックなことを学ぶべきだと考えている。そうしてベースが身についたところで初めて、異なるやり方を模索すればいい。「こんなやり方はどうだろう」と試してみればいい。ある程度のレベルに到達してからは、真似だけでは殻を破れない。真似をした相手に自分の考えや動きがすべて見切られてしまうからだ。
・知識を蓄え、技術を磨き、経験を積めばプレイヤーとしての完成度はアップする。だけど、結果ばかりを追い求める歪んだ精神に操られたゲームは見ていてつまらないし、対戦相手や見る者を圧倒することができない。人の心を動かすのは、やはり本能に従った純粋なファイトだと思う。いまの僕は、そんなプレイを追求している。
・誰にも負けないくらいやり込んできたという自負があれば、どんな相手にも気持ちで負けることはない。しかし、賞金目当てで頑張ってきた人間の気持ちは驚くほど弱い。そのことに気づいたので、目的を見誤ってはいけないと実感した。大会というのは、日々の練習を楽しんでいる人間、自分の成長を追求している人間が、遊びというか、お披露目の感覚で出るものではないだろうか。大会における勝利は目標のひとつとしてはいいかもしれないが、目的であってはいけない。そのことに気づいてからようやく、勝つことより成長し続けることを目的と考えるようになった。ゲームを通して自分が成長し、ひいては人生を充実させる。いまは、そのために頑張っているんだ、と。もちろん、大会で優勝するとか結果を残すという目標はあってもいい。人間は目標があるから頑張れるし、だからこそ力を発揮できることがある。だけど、その目標にとらわれ過ぎて、それが目的になってしまうと、なぜだか結果はついてこず、続けられるものも続けられなくなる。
・絶対に負けられないと思っているプレイヤーは、だいたい土壇場で萎縮してしまう。一方で、日々の練習に60の喜びを見出していると、負けても毎日が楽しいから大丈夫だと、気を楽にして自然体で勝負に挑むことができる。その結果、リスキーな局面でも大胆な行動に出ることができる。とにかく、いまの僕は大会に重きを置いていない。あの大会で勝ちたいと思うこともほとんどない。大会を重視する行為は、自分の成長のリズムを崩すと知っているからだ。目標に過ぎない大会に固執せず、目的である自身の成長に目を向けている。それが「勝ち続ける」ことにつながってくる。
・自分にとっての適量を考えるなら、「その努力は10年続けられるものなのか?」自問自答してみるのがいい。甘すぎることもなく、厳し過ぎるわけでもない。10年続けられる努力であればちょうどいいと言える。10年続けられる努力かどうか考えれば、おのずと自分にとっての努力の適量、正しい努力の度合いが見えてくるのではないだろうか。
・僕の場合、毎日のサイクルはほとんど決まっている。ここ最近は、ゲームで対戦する時間は6時間くらいがベストだと考えている。練習や分析の時間もあるので、ゲームに向き合っている時間はもう少し長くなるが、対戦に限ると6時間くらいがちょうどいい。物事を突き詰めて考える性格なので、昔はもっと多くの時間を割いていた。時間が空くと「お前、サボっってるんじゃねぇか」と自分を追い詰めていた。しかし、長い時間やればいいということではないことに気がついた。休憩するのは大事なことだ。頭を休ませてあげると、いいアイデアが浮かんだりもする。ゲームと向き合っている時間がすべてではなく、美味しい食事をしたり、身体を動かしたりすることが、結局はゲームにも生きてくる。格闘ゲームは神経戦でもあるので、心身のバランスが崩れると勝てない。
・子どもの頃から自分自身を疑い、迷い、どう生きればいいのか悩み続けてきた僕だが、ゲームを再開して初めて「俺にはゲームしかない。これでいいんだ」と納得することができた。だから、素直にゲームに感謝した。ゲームがなければ僕は本当に何者でもない。僕に注目する人などいないだろう。だけど、ゲームをしているときは特別でいられる。アメリカに行けばサインや写真を頼まれるし、握手をしてくれと言われることもある。雑誌やテレビのインタビューはあるし、今回、こうやって本を書くこともできた。人生は本当に不思議だ。20代前半、サインや写真は面倒臭くて嫌いだった。応援してくれ人を前にして本気で隠れようと思ったほどだ。それがいま、注目してもらえることが嬉しくて仕方がない。「俺なんかのことを認めてくれるんだ」いまは、素直に、そう思える。
<目次>
プロローグ
第1章 そして、世界一になった
消せなかった疎外感
姉の影響
ガキ大将
父の教え
「日本国憲法前文」丸暗記事件
惨めな気持ちを吹っ切る
ゲームセンター
受験のときに感じた違和感
世界一への階段を登り始める
そして世界一に
なぜ世界一になるほど没頭できたか
第2章 99.9%の人は勝ち続けられない
勝ち続ける人、負ける人
勝ち続けるには
迷う力
安易な道、裏技は使わない
「人読み」に頼らず、弱点も突かない
楽な道はない
王道も必勝法もない
戦術に特許はない
目前の敵に集中する
間違った努力
変化なくして成長なし
「気になること」をメモする
日々、小さな変化をする
変化のサイクル
苦手なことに取り組む
セオリーすらも進化させる
考えることをやめない
考える力
まずは変化すること
失敗していることこそが指標になる
人の目を気にするということ
集中力
もっとも競争が熾烈なゲームを選ぶ
未踏の地を目指す
真似できない強さ
幸せを感じられる瞬間
第3章 ゲームと絶望と麻雀と介護
ゲームから身を引く
麻雀の道を選ぶ
雀荘での修行
麻雀を極める
麻雀で認めてもらえた
麻雀で学んだこと
型を超えたときの強さ
人生初の後悔
介護の仕事を始める
勝負がなくても生きていける
ゲームを再開してみると・・・
新宿での10人抜き
ウメハラ再始動!
第4章 目的と目標は違う
夢と希望が見つからない
夢がなくても
好きなことがある幸せ
無理し続けて
4連覇を懸けた大会で
自分を痛めつけるだけの努力はしてはいけない
量ではなく質
目標と目的の違い
目的は成長し続けること
その努力を10年続けられるか?
バンドマンの未来
機が熟すのを待つ
継続のためのサイクルを作る
ウメハラのサイクル
サイクルの縛りはほどほどに
階段を5段ずつ上がればいい
世界大会優勝以上にうれしいこと
団子屋のおばあちゃんから学ぶこと
休日のない生活
第5章 ゲームに感謝
プロ契約の道のり(前編)
プロ契約の道のり(中編)
プロ契約の道のり(後編)
誰だって迷い、悩んでる
ゲームに感謝
エピローグ
全盛期はいま、そして未来
若い強さから学ぶこと
勝った翌日ほど対戦する
一番の人間は絶対に逃げてはいけない
生きることは
這ってでも階段を登り続ける
運・不運について
三国志のように
面白かった本まとめ(2012年上半期)
<今日の独り言>
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