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いいね~おいしいね~

食べたり買って良かったもの等を実体験に基づき厳選紹介!ぜひご利用頂きより良い人生や日本経済等活性化につながれば幸いです♪

「食堂ぬーじボンボンZ(那覇市)」のカレーはとてもオススメ!

2017年05月31日 01時00分00秒 | 外食
 沖縄へ観光旅行した際に「食堂ぬーじボンボンZ」というお店が、2014年、2015年の那覇カレーグランプリで優勝したとのことなので、カレー部員としては行かねばならぬと思い、思い切って行ってみました♪

 場所は那覇市のゆいレールの壷川駅からまっすぐ坂を上って徒歩約10分のところにあります♪

普通の民家タイプの一軒家でしたね♪


↑店構え

ピンポンを押して入店します♪

ちなみに「ぬーじ」とは「虹」のことで、「ボンボン」とは「てんとうむし」とのことです。
つまり「虹のてんとうむし」とのことで、いつからか「ももいろクローバーZ」のネーミングにちなんで「Z」が付くようになったとのことです^_^;)
なお2008年に開店したようです。

一人で行ったのでカウンター席に案内されます♪
そしてメニューを見ます。
カレーグランプリで優勝なので、カレー専門店かと思いましたが、思いのほかメニューの先頭はハンバーグで、県産和牛入りで添加物無使用でこだわりがあるようです。


↑ハンバーグメニュー

 メニューの2枚目はカレーとなっていて、欧風黒カリーとのことで、これも県産和牛を使い、カレーグランプリと同様に煮込んだ黒カレーとのことです。


↑カレーメニュー

人気ナンバー1はチーズと温玉トッピングによるチーズ黒焼きカレーとのことで、それ以外にも和牛メンチカツカレーやロースカツカレーもオススメなようです。
しかしながら、メニューの1枚目のハンバーグがどうしても食べたくて「ぜいたく!ハンバーグカレー」1100円を注文しました♪
ランチはサラダ付きとのことです♪
辛さは10段階あり、辛いのが苦手なので1にしました。

しばらくして、まずサラダが運ばれます♪


↑サラダ

サラダが結構山盛りで、そして新鮮で美味しく嬉しいです♪
これはカレーの美味しさを期待させます♪

そして「ぜいたく!ハンバーグカレー」が運ばれますが、おぉぉ美しい♪
この欧風黒カリーは、見ただけで美味しさを感じてしまいますね♪


↑ぜいたく!ハンバーグカレー

ルーにコクがありまろやかで、これはライスと合います♪
これは旨ぁ~です♪
ハンバーグも良い焼き加減でジューシーで分厚く、これもカレーに合いますね♪
コクがあって美味しすぎて、バクバクライスと共に食べてしまいます♪
ただ、かなり甘く感じるので、辛さは3ぐらいでちょうど良かったかもしれません。
しかしながら、辛さ1でも十分な美味しさです。
感動しましたね♪
さすが那覇カレーグランプリ連覇の実力です♪

「食堂ぬーじボンボンZ」のカレーは、欧風黒カリーでとてもコクがあり、とてもオススメですね!

美味しかったものまとめ(2016年下半期)

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「那覇市第一牧志公設市場の「持ち上げ」の食事はとてもオススメ!

2017年05月30日 01時00分00秒 | 外食
 那覇市の国際通りから市場中央通りを歩いてすぐの所にある「那覇市第一牧志公設市場」へ行ってきました♪

 「那覇市第一牧志公設市場」とは、戦後60年以上も続く沖縄県内最大規模の市場で、昭和47年(1972年)に建設された2階建ての建物とその外周には鮮魚店や肉屋、漬け物屋、果物店など100軒以上もあり、沖縄独特の食文化を体験できることから、観光客も多く訪れる人気スポットのようです♪


↑国際通りから市場中央通りを少し歩くと那覇市第一牧志公設市場

少し分かりにくいですが、細い通路からビルの中に入ります♪
アジアらしい雑多な感じで圧倒されます♪


↑店内

なおビルがかなり老朽化していますし、昔ながらの商売なので、あまりこの市場は綺麗とは言えません。
ただ鮮魚等は光っていて鮮度が良さそうでしたね♪

 ビルの中の1階は鮮魚や肉屋、総菜や加工食品、漬け物屋などで、鮮魚には沖縄らしい魚がたくさんあります♪
青い大きな魚のイラブチャーや小魚のグルクン、大きな牛エビやカニ、大きな貝などが目立ちます♪


↑魚


↑カニやエビ

鮮魚店のおばちゃんが、色々と説明してくれます♪
この鮮魚店で好きな魚を選んで、二階に持っていくと一人500円で調理してくれるとのこと。
新鮮な魚を安くすぐ食べられるので、お得だし美味しくて人気だよとのことです^_^)
このシステムを「持ち上げ」と呼ぶようです。
1階で魚を買って、2階へ持ち上げて料理して食べるからですね^_^)
面白いシステムだと思います♪
こういうシステムは全国では。ここだけではないでしょうか。

大体この鮮魚店で1000円~1500円を支払うのが普通なようです。
私の前の3人の客が一人1000円で話をまとめていたので、自分は一人だったので1500円で頼んでみます♪
適当に刺身を見繕ってもらい、味噌汁にはエビやカニ、そして魚をフライにてもらうことにしました♪

 ガイドブックには朝8時にオープンと書かれていたので8時過ぎに行ったのですが、2階のレストランは朝9時開始とのことで、その間に1階の刺身だけ食べる客用の席で待ちます♪
朝早いので誰もいませんえしたね♪
8:45くらいに名前を呼ばれて、そのおばちゃんと一緒に二階までエレベーターで上がります♪
おばちゃんの手には舟盛りの刺身が持たれていて、これは美味しそうです♪


↑舟盛りの刺身

 エレベーターの前のお店のおばちゃんからハブの粉を買わないかと言われますが、結構高そうです^_^;)
難色を示すと値引きの提示がありました。
この市場ではそういう交渉ができるんですね^_^;)
悪いですが、健康だし興味がないのでハブの粉は丁重に断ります・・・。

 話は戻って、刺身は鮮魚店が1階で作り、2階のレストランでは味噌汁やフライ、煮付けやバター焼きなどの調理をするようです。
すでに2階には味噌汁用とフライ用の具材は運ばれていましたね。

2階のお店はいくつかあるのですが、昭和30年創業の「道頓堀」になりました♪
大阪出身の方が店を開いているのでしょうか。
おそらく1階の魚屋と仲が良いのでしょう。


↑道頓堀

2階のおばちゃんが席に案内してくれて、皿や箸などを準備してくれます。
醤油の他に「島とうがらし」があるのには驚きました♪


↑島とうがらし

小皿に醤油とわさびを入れ、この「島とうがらし」を少し加えると良いとのことでした♪
一応もう一枚小皿をもらい、「島とうがらし」なしのものと比べてみることにしました♪


↑刺身の拡大

刺身は、牛エビ?がプルプルで甘みがあり、そして結構ボリュームもあり嬉しい♪
美味しいです♪
「島とうがらし」は確かに少し辛いですが、アクセントになって良いですね♪
刺身に合うと思います♪
瓶の中に唐辛子が浮かんでいて、中には沖縄らしく泡盛も入っているようです♪
小瓶で250円ほどで売っていたので、後でお土産に購入しました♪
そのほか、イラブチャーの刺身等も良かったですね♪
これは酒と合いそうです♪
かなり刺身を堪能しました♪

そして、カニやいくつかの魚が入った大きな味噌汁が運ばれました♪
なお調理人は外国人の方のようでしたね♪


↑カニやいくつかの魚が入った大きな味噌汁

写真では分かりにくいですが、実は魚の身がたくさん入っています♪
しっかりと出汁が効いていて、さすがカニが入ると美味しくなりますよね♪
たっぷりの量でこれはボリュームがあって、そしてアツアツでとても嬉しいです♪
魚はグルクンだったのでしょうか。

そして、最後にグルクンのフライが運ばれます♪


↑グルクンのフライ

一匹丸ごとで豪快です!
しっかり揚げられているので、頭から丸ごと食べられます♪
また、刺身、味噌汁と来て、この揚げはバランスも良かったと思います♪
美味しいですね♪
すっかりお腹いっぱいになり、ゴージャスな朝食をとても楽しめました♪

「那覇市第一牧志公設市場の「持ち上げ」の食事は、新鮮な刺身やカニや魚の出汁が効いた味噌汁、魚のフライなどをリーズナブルに楽しめ、とてもオススメですね!

美味しかったものまとめ(2016年下半期)

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「超音波洗浄機 ソニックトゥースホワイト」は簡単にステインが取れてとてもオススメ!

2017年05月29日 01時00分00秒 | 良い物・サービス
「超音波洗浄機 ソニックトゥースホワイト」の購入はコチラ

 最近コーヒーを飲むようになり、気づくと特に下の前歯が黒ずんでいてビックリ!
しかも歯ブラシでゴシゴシ擦っても全然白くならない!
これには参ってしまいましたね。
どうやらコーヒーを一気に飲まず、口の中でゆっくりと楽しんでいたのが良くなかったようです。

 そして歯の検査に行って驚いたのは、歯の裏も真っ黒になっていたということ!
歯の裏はあまり見ないので歯磨きがおろそかになっていたようです^_^;)
コーヒーの影響って凄いんですね。

 仕方がないので、歯医者で歯石取りをしてもらう時に使用されている「スケーラー」を買おうかと思ったのですが、Amazonを見ていると「超音波洗浄機 ソニックトゥースホワイト」が関連で出てきたので、どういうものか確認してみました♪

 なんと超音波+イオン&ソニックバイブ振動で、コーヒーのステインやタバコのヤニ、歯垢などの頑固な汚れを除去するというもので、これはラクそうです♪
しかも、毎分279万回もの超音波振動とのことでこれは凄いと思います♪
超音波なので、音は聞こえないようです。
またステインやヤニを取り除くだけでなく、イオン洗浄も行うようです。

Amazonで購入して4~5日ほどで届いたのでさっそく試してみました♪
 
↑超音波洗浄機 ソニックトゥースホワイト

 箱から取り出して、単4電池を4本入れて、スイッチを1回押すだけと、とても簡単です♪
金属の先を90度の角度で歯に垂直に軽く当てて上下や左右に動かすだけです。
先が尖って痛いわけではなく、また細かく振動するわけでもありません。
スイッチを押すと、スイッチのところにあるランプが点灯するだけで、音も何もしません。

半信半疑ながら下の前歯のコーヒーの黒ずみであるステインをなぞってみると、何と簡単に黒ずみが取れるではありませんか!
歯ブラシで擦っても全然白くならないステインが、このソニックトゥースホワイトを軽く当てるだけで音もなくきれいに取れるとは、さすが超音波です!
これにはとても感動しましたね♪
ただまったく音がしないわけではなく、かすかに「キキッ」金属音が聞こえるときがあります。

次々と隣の歯なども綺麗にして行きます!
以下の写真の通り、すっかり綺麗にステインが取れました♪
これはとても嬉しいですね♪
大満足です♪


↑使用前の歯の状態


↑ソニックトゥースホワイトを使用後の歯

 ただ歯と歯の間の隙間のステインはなかなか完璧には取れませんでしたね♪
少し黒ずんでいます。
それは非常に残念ですが、しかしながら全体的にこれだけ綺麗にステインが取れれば大満足です。
こんなに簡単にステインが取れるとは感動しましたね♪

 なおボタンを2回押すと「音波ブラシ洗浄」ということで、付属の歯ブラシを付けると、高速にブラッシングされて驚きました♪
これはかなり汚れが取れそうです。
しかしながらこれだけではステインは取れないかなと思います。
ステインを取るにはやはり超音波ですね♪

「超音波洗浄機 ソニックトゥースホワイト」は簡単にステインが取れて、とてもオススメです!

お勧めなお話(2016年下半期)

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「ぱいかじ 上之屋店(那覇市)」の沖縄料理はとてもオススメ!

2017年05月24日 01時00分00秒 | 外食
 沖縄在住の友人が勧める「ぱいかじ 上之屋店」へ行ってきました♪
るるぶ沖縄という旅行ガイドブックにも掲載されていましたね♪

 場所は、那覇市のゆいレール線のおもろまち駅から徒歩約15分のところにあります♪


↑店の門

 店の門が沖縄風屋根瓦で、うまくライトアップされ雨の中ということもあり、かなり綺麗で上質さを感じます♪
店の入口は別にあり、かなり回って玄関から入ります♪


↑玄関に回る

かなり大型店で、広い駐車場もあるようです。
通路も美しいですが庭も綺麗そうです。


↑店の入口

当日は強い雨が降り、徒歩で濡れて大変だったのですが、店の方が優しくタオルを持たせてくれて感激です♪
濡れた服を拭きます。

 しかも沖縄の着物を着た若い女性店員が、写真撮影サービスがありますとのことで、一緒にニッコリと写真を自分のスマホで撮影します♪
これは嬉しいサービスですね♪

 一人で23:30頃に店に到着したので、誰もいないカウンター席に案内されます♪
 しかし、ラストオーダーは0:30とのことで、まだまだ余裕です♪
しかも、私の後に8名ほどの団体客が入店していました♪
さすが沖縄時間ですね♪

 さっそくメニューを見て、まず飲み物から注文します♪
せっかくなので、沖縄名物の泡盛の古酒を頼みます。
「玉友(ぎょくゆう)」が沖縄で唯一の「かめ発酵」・「かめ貯蔵」で、5年モノでお手頃なお値段なので、これをロックで550円で頂きます♪


↑古酒メニュー

 また、沖縄泡盛銘柄マップや、甘さ→辛さ、強い→弱いのチャート表があるのも素晴らしいと思いましたね♪
それにしてもいろんな銘柄があるんですね♪


↑沖縄泡盛銘柄マップ


↑泡盛チャート表

 そして食べ物は、おすすめから「島野菜とイラブチャーのカルパッチョ」980円と、一般メニューから、泡盛と合うとガイドブックに書かれていた「豆腐よう」500円と、せっかく沖縄に来たのなら頼みたいと思っていた豚肉の「ラフティー」680円を注文します♪


↑おすすめメニュー


↑一般メニュー


↑一般メニュー

 すぐにお通しが運ばれ、そして「泡盛古酒」と「豆腐よう」が運ばれます♪


↑お通し


↑泡盛古酒「玉友」と「豆腐よう」

 お通しは、きれいな器に3つ入っていて、ノンアルコールの酢?鶏肉?豆腐?で上質さを感じます♪
料理をメモするのを忘れていました^_^;)
料理が美しいです♪

そして、「玉友」を飲んでみますが、おぉぉ上質な感じがします♪
自分はあまりお酒が飲めなくて、味もよく分からないのですが、これは上質さを感じましたね♪

「豆腐よう」は豆腐を2~3日干した後に米麹・琉球泡盛・紅麹に6ヶ月近く漬け込んで発酵させたものとは驚きました♪
柔らかい豆腐とは思えない代物で、結構固く、楊枝で少しずつ切りながら食べます♪
これがかなり発酵されていて、確かに泡盛と合います♪
少しずつ泡盛とこの「豆腐よう」を食べながら楽しみます♪
これは合いますね♪
また「豆腐よう」の上に真っ黄色の小さな花びらを散らしているのは、美しくてさすがですね♪

そして「島野菜とイラブチャーのカルパッチョ」が運ばれますが、これがかなりボリュームがあって。彩り鮮やかで美しい♪
イラブチャーという沖縄ならではの全体的に青い魚で、皮が黒くて鯛のような刺身が少し肉厚もあり美味しいです♪
そして島野菜がたっぷりで、特に中央部分には新鮮でおそらく塩抜きされたゴーヤがかなり上質で、これが美味しい♪
こんな上質なゴーヤを食べたのは初めてですね♪
この「ぱいかじ」というお店の料理人の腕の良さを感じます♪
どの料理も美しいのがさすがです♪


↑「島野菜とイラブチャーのカルパッチョ」

 そして、最後にアツアツのラフティーが運ばれますが、これが中までトロトロで柔らかく、十分味が染み込んでいて絶品♪
これも美しく光ってますよね♪
今回の沖縄の旅では、別のお店で何度かラフティーを食べたのですが、こんなにトロトロ柔らかで絶品のラフティーはありませんでしたね♪
「ぱいかじ」は素晴らしいです♪


↑ラフティー

なお、早い時間に行くと、三線の演奏を楽しめるようです♪
次回は三線の演奏をぜひ楽しみたいですね♪

「ぱいかじ 上之屋店」の沖縄料理は、とてもとてもオススメです!

美味しかったものまとめ(2016年下半期)

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「TAMAGUSUKU COFFEE ROASTERS(那覇市)」のコーヒーはとてもオススメ!

2017年05月23日 01時00分00秒 | 外食
沖縄の那覇市のゆいレール牧志駅から徒歩約11分で浮島通り近くにある「TAMAGUSUKU COFFEE ROASTERS」へ行って来ました♪


↑店構え

 最近沖縄でも本格的なコーヒーがブームとのことで、るるぶ沖縄にTAMAGUSUKU COFFEE ROASTERSが、店主の手作り焙煎機でローストした豆を使用するスペシャルティコーヒーの専門店と掲載されていたためです♪
しかも焙煎時の温度を変えたり細やかなテストを繰り返し、豆の味や風味を際立たせたベストな状態を追求しているとのことです。

店内はかなり綺麗で、メニューの説明が黒板に書かれています♪


↑店内


↑黒板

カウンターの上に豆が7種類ほど置かれていて、その中から好きなものを選べます♪


↑7種類ほどの豆

昨日入荷し焙煎したばかりのニカラグアの豆が、深煎りだけど軽めで、見るからに美味しそうだったと嬉しそうに話をする店主に勧められてそれを選びます♪


↑ニカラグアの豆

フレンチ式でコーヒーを一杯ずつ作ってくれます♪
さすが!
コーヒーカップにもこだわりがあるようでした。


↑コーヒー

淹れたてのコーヒーは、さすがコクがあって美味しいです♪
これはとてもオススメですね♪

店主は他のお客さんとも楽しそうにコーヒー談義などをしていました♪
もちろんコーヒー豆を買うこともできます♪

那覇市を訪れた際には、TAMAGUSUKU COFFEE ROASTERSのコーヒーはとてもオススメです!


美味しかったものまとめ(2016年下半期)

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埼玉県川越市の街歩きを楽しみました!

2017年05月22日 01時00分00秒 | イベント・外出
数年前にクレジットカード会社から送られてきた会報誌に、埼玉県川越市の散策について地図付きで紹介があり、その切り抜きを保存していたので、それを見ながら川越を街歩きしてみました♪


↑切り抜きの地図

まず本川越駅から店蔵の多い町並みの方へ歩いていきます♪
土曜の10時頃到着したのですが、ちょうど歩行者天国が始まったところでした♪

仲街交差点の近くに亀屋本店があるので、入ってみます♪


↑亀屋本店

この亀屋は天明3年(1783年)にここで創業の老舗で、川越藩御用達で名字帯刀の栄に浴し、京都嵯峨御所から位階も賜っているとは素晴らしいです♪
店内には歴史ギャラリーがあり、それらについて書かれていました♪


↑歴史ギャラリーの説明

昔の写真もあり興味深かったですね♪


↑昔の写真


↑川越藩御用達

代表銘菓の「亀の最中」と季節限定の「桜大福」を買いました♪
最中は後で食べたのですがさすがの甘さとおいしさで、そして季節限定の「桜大福」は塩が少し効いて甘さを引き出し、また柔らかく、さすがのお味でしたね♪
これは美味しいです♪
さすが川越藩御用達ですね♪


↑亀の最中


↑季節限定の「桜大福」

そしてその歩行者天国を歩いていると、左側に江戸時代のちょんまげや着物を着た町人や町娘たちが何やら打ち合わせをしていましたね^_^;)
どうやら今日は祭りのようです♪
何かイベントを行うようでした。


↑町人や町娘

通りは昔ながらの家が建ち並んでいて、さすが小江戸川越ですね♪


↑川越の通り

号外が配られていましたが、この日は江戸の日?のようで、二升五合(ますますはんじょう)市が開催されるようでした♪
二升でますが二つなので「ますます」、五合は1升の半分なので「はんじょう」とは洒落ています♪
この二升五合市では、時代劇や琴の演奏、居合演武があるようで、さすが小江戸川越です^_^)


↑号外

通りを歩いていると、お洒落な?「銀パリ」というヘアーサロンもありましたね♪
一応昔の町並みに溶け込もうとしているようです^_^;)


↑銀パリ

そして、「菓子屋横町」へ行きました♪
そんな横町が川越にあるとは知りませんでしたね♪


↑菓子屋横町の案内

この菓子屋横町は、江戸時代の末期から菓子製造が始まり、大正12年の関東大震災では東京が被害を受けたことから全国へのお菓子の供給が滞り、その代わりにこの川越からお菓子の製造・供給を行うようになったとのことで、昭和初期には約70軒も軒を連ねていたとはすごいですね♪
平成13年には環境省の「かおり風景百選」にも選ばれたようです♪


↑菓子屋横町味マップ


↑菓子屋横町


↑菓子屋横町

この横町はお菓子好きにとっては堪りませんね♪

それから市役所の前を通って、市立博物館の方へ歩いていると右側に川越城の中ノ門堀跡がありました♪
かなり綺麗に整備されていましたね♪


↑中の門堀跡

この堀で敵の侵入を防ぐように工夫されていたようです♪
敵はここでは直進できないので、ここで弓矢や鉄砲を撃って守るようにできていたようです。


↑中ノ門堀のしくみ

堀はかなり深く、これではよじ登ることはできませんね♪
明治時代以降、川越城の多くは取り壊されましたが、この中ノ門堀跡は旧城内に残る唯一の堀跡とのことです。


↑中の門堀

それから、川越城本丸御殿へ行きました♪
立派な建物です♪


↑川越城本丸御殿

川越城は、扇谷上杉持朝が長禄元年(1457年)に太田道真・道灌父子ら家臣たちに命じて築城させたのが始まりのようです。
寛永16年(1639年)に川越城主となった松平信綱が川越城の拡張整備をし巨大な城郭となったようです。
この本丸御殿は二の丸にあった御殿が火災で焼失したことから、嘉永元年(1848年)に本丸に建てられたもののようです。

 入館料100円を支払って、靴を脱いでビニール袋に入れて、入館しました♪


↑本丸御殿の廊下


↑本丸御殿の間取り図


↑本丸御殿の部屋


↑本丸御殿の庭


↑城の地形図

それから近くを歩いていると、富士見櫓跡がありました♪
小高い山となっていて、当時はここに三層の櫓があったとのことです。
実は川越城には天守閣がなく、この富士見櫓が一番高いところにあったので、見張りの天守閣代わりに使用されていたようです。
ナルホド♪


↑富士見櫓跡


↑富士見櫓跡の説明

それから川越大師 喜多院へ行きます♪
成田山川越別院もあるようです。


↑成田山川越別院


↑川越大師 喜多院


↑喜多院の案内

それから仙波東照宮もありました♪
徳川家康を祀る三大東照宮の1つとのことです。
日光だけでなくここにもあるんですね♪
家康の没後、その遺骨を久能山から日光に移転する際に、この喜多院に4日間逗留して供養したのでここに創建したようです。


↑仙波東照宮


↑仙波東照宮の説明

それから近くには「どろぼう橋」がありました!
そのネーミングがすごいですね。
江戸時代の頃、どろぼうがこの橋の辺りで捕まったのですが、厄除元三大師に心から罪を許してもらえるよう祈り、真人間に立ち直ることができたようで、それで「どろぼう橋」と呼ばれるようになったようです♪


↑どろぼう橋


↑どろぼう橋の説明

それから大正ロマン夢通りを通ったのですが、3月なのに頭上に鯉のぼりがたくさん泳いでいるのには驚きました♪


↑大正ロマン夢通り

それから、川越はうなぎ屋が多いようでしたね♪
川に近いので、昔からお店があったのでしょう。
かなり行列ができていました。


↑うなぎ屋

昼食は、その会報誌にも紹介されていた「えぷろん亭」へ行ってみました♪


↑えぷろん亭

せっかくなのでその名の通り「川越散歩膳」^_^;)を注文し、和食を美味しくいただきました♪
揚げ物は春らしく竹の子や菜の花入り薩摩揚があり、アツアツの百合根まんじゅうも絶品♪
どれも上質でしたね♪
店内は薄暗くゆっくり落ち着けました♪
このお店はとてもオススメです♪


↑川越散歩膳


↑デザート

それから店を出ると、時代劇をやっていましたね♪
おもしろそうです♪
居合演武は練習をしていました♪


↑時代劇

歩行者天国の通りは大賑わいで、歩くのも大変でしたね♪
中国人の集団の観光客も来られていました♪


↑歩くのも大変

また太鼓に合わせてたくさんの人が踊りもしていました♪
川越は祭りのようでしたね♪


↑祭り

 小江戸「川越」の街歩きは、昔ながらの町並みや老舗のお店もたくさんあり、また菓子屋横町や川越城跡関連、喜多院、仙波東照宮、大正ロマン通りなどもあって、そして賑わっていて楽しめ、とてもオススメですね♪

お勧めなお話(2016年下半期)

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「どんなに体がかたい人でもベターッと開脚できるようになるすごい方法(開脚の女王Eiko)」という本はとてもオススメ!

2017年05月19日 01時00分00秒 | 
「どんなに体がかたい人でもベターッと開脚できるようになるすごい方法」の購入はコチラ

「どんなに体がかたい人でもベターッと開脚できるようになるすごい方法」という本は、そのままズバリ4週間かけて開脚できるように各週のストレッチ方法について分かりやすく説明したものです。

 具体的には基本の「タオルストレッチ」と「シコストレッチ」は毎日行って、週替わりストレッチとしては以下を行うというものです。
1週目:内ももストレッチ
2週目:壁ストレッチ
3週目:椅子ストレッチ
4週目:ドアストレッチ

1日10分もあればできる簡単な内容です。
これで70歳から通い始めてすぐに開脚できるようになった人もいるようで、本書では72歳の方が開脚する写真もあり驚きます♪

この「開脚4週間プログラム」を実践すれば、小さな頃から体が固い人でも、年齢とともに体がどんどんカチコチになった人でも開脚ができるようになるはずとのことです。

また開脚のやり方を紹介した動画は、250万回以上も再生されているようです。

自分も体が固いので開脚できるように頑張ってみたいと思いますね♪

なお本書の後半は開脚に関する小説となっています。

「どんなに体がかたい人でもベターッと開脚できるようになるすごい方法」という本は、異例の開脚4週間プログラム本ですが、とてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です。

・本書の開脚の定義は、脚を大きく開いてひざをピンと伸ばし、前に上半身を倒していき、「両ひじ」が床につけば、開脚達成とします。

・開脚4週間プログラムは基本のストレッチ2+週替わりストレッチ1。これから4週間、毎日3種類のストレッチを行います。はじめの
つは開脚成功まで毎日取り組む「基本のストレッチ」。そしてもう一つは1週間ごとにステップアップしていく「週替わりストレッチ」です。

<基本のストレッチ>
①タオルストレッチ
②シコストレッチ

<週替わりストレッチ>
1週目:内ももストレッチ
2週目:壁ストレッチ
3週目:椅子ストレッチ
4週目:ドアストレッチ

・基本のストレッチはタオルストレッチとシコストレッチの2つ。「痛気持ちいい」と感じるくらい伸ばすのが基本。はじめのうちは、無理しすぎないよう気をつけて。

(1)タオルストレッチ
仰向けに寝て、片足の裏側にハンドタオルをかけ、ひざをピンとのばしたまま両手でタオルを頭の方向に引っ張り、脚を揺すりながら30秒間キープ。反対側の脚は曲げて良い。反対側も同様に。
きつければ、はじめの頃は脚を引き寄せられなくてもOK。ただしひざはピント伸ばすこと。きつければバスタオルやひも、ベルトなどの長いものを使って。

(2)シコストレッチ
①ひざを外側に向け、脚を肩幅の倍程度開いてお尻を落とし、両手をひざ近くの太股の内側に置く
②上下に小刻みに20回ほど揺する
③次に肩を片方ずつ内側に入れ、同時により強く腕で太股を押し、脚の付け根と背中を酢tれっち。きつければはじめの頃は腰を落としきれなくてもOK。

・基本の2種類に加え、週替わりで1種類のストレッチを行います。1週目は屈伸運動に似た内もものストレッチ。毎回すべて終わったら開脚を試してみてください。

(3)内ももストレッチ
片膝を立て、屈伸運動の要領で、片足ずつ揺すりながら膝をピンと30秒間伸ばす。反対側も同様に。固い人はかかとがあがってしまってもOK。

・2週目は「壁」を使うことで開脚にぐっと近づきます。脚の体重を壁が支えてくれるので、ひざを曲げずに無理なく負荷をかけられます。

①仰向けになり、お尻を壁に近づけ、両足を天井に向かって伸ばし、開く
②壁に脚を預け、ひざを曲げずに無理のない範囲で脚を開き、揺すりながら1~2分程度ストレッチ。
負荷は脚を開く角度、お尻と壁との距離で調整。きつい場合は開くところまででOK。
最後に開脚をしてどこまで伸びるかチェック!

・3週目は椅子に座って股関節に負荷をかけていく椅子ストレッチ。背もたれによって、一人でも負荷を自在に調整できるのがポイント。
①背もたれに向かって椅子にまたがり、背もたれを両手で持ち、お腹を突き出す感覚で前に出す。
②背もたれを引っ張るように上半身を後ろに倒し、両ひざを開き、股関節を30秒間揺すりながら伸ばす。

最後に開脚をしてどこまで伸びるかチェック!

・いよいよラストウィーク。ドアストレッチはドアを使うことで、脚を壁に任せられるので、一気に栄光の開脚が見えてくるはず。ドアがない場合は「カエルストレッチ」を試して。
①左右の壁が平行でドアが奥側に開く場所を探し、その前に脚を開いて座る。
②開いた両脚を壁で支持し、上半身を前に倒して腕を床につき、体を揺すりながら30秒間伸ばす。

ドアがないときはカエルストレッチで、脚を大きく開いて足首を外側に向け、床に手をついて倒れそうになる上半身を支えながら30秒間伸ばす。床に手がつかに場合は、ひじのあたりを太股に乗せて上半身を支えると良い。

最後に開脚をしてどこまで伸びるかチェック!

・驚くほど前屈できるようになる1分間ストレッチ
 壁の前に立ち、両腕を前に伸ばして壁を押しながら、後ろ側の脚をピンと伸ばし、ふくらはぎ、アキレス腱を30秒ストレッチ。反対側の脚も同様に。
①伸ばした方のひざは絶対に曲げないように
②両足のつま先はまっすぐ壁に、向ける。横向きにならないよう注意
③両足のかかとは床にピッタリつける
④壁を力いっぱい押す必要はなく、体を支えることを意識する

・驚くほど脚が開くようになる1分間ペアストレッチ
①開脚する人と補助する人の2人1組で向かい合う。ストレッチする側は、できる範囲で開脚し、腕を前に伸ばす。補助する側はその腕を手前にゆっくり引っ張る。
②ストレッチする側は、引っ張ってもらっているのとは反対側(背中側)に倒れるように力をかける。これを1分間行う。
☆膝が曲がらないように注意する

・ちなみに開脚ができるようになると、個人的なコンプレックスの克服や前向きな気分になれること以外にもたくさんいいいことがあるぞ。
①ダイエット効果、アンチエイジング効果
②ケガの予防
③脚のむくみ改善、脚の引き締め
④全身のバランスが整い、お腹が引き締まる
⑤股関節が正常の位置に戻り、いためにくくなる
⑥O脚やX脚の改善にも効果あり

・ストレッチで大切なことは、最大限伸ばすことを100%だとしたら、つねに70%程度の感覚にとどめておくことです。具体的には「ちょっと痛気持ちいい」くらいの感覚です。それ以上はやりすぎ。思わず息が止まってしまうような状態は避けたほうがいいです。「息の吐き方といえば「フー」じゃなくて「ハー」で吐くとおっしゃっていたんですけど、どうしてなんですか?」「そうしたほうが放熱できるからです。息を吐くとき「フー」とか「シュー」って言いながら吐くと冷たいけれど、「ハー」って吐くとあたたかいでしょう?

・「ストレッチをする際に体を「揺する」というのも先生がよくおっしゃっていた基本的なテクニックですよね?」「そうです。少し揺すったほうがいいですね。筋肉全体に刺激が行き渡りますし、気持ちよく伸びるので筋肉がゆるみます。おまけに揺すりながらだと伸ばしすぎることがないので、ケガの防止につながります。4週間プログラムの中の基本の2つのタオルストレッチ、シコストレッチ、1週目の内ももストレッチ、4週目のドアストレッチは揺すりながらすると特に効果的ですね。

・どうしても忙しければ1分でもいいのでストレッチをすること。本当に時間がないときはシコストレッチを最優先するとよいこと。その日成長がなくても、最低限横ばい、後戻りを防ぐことを心がけてほしいこと。きっちり目標を決めてひとつずつクリアしていくことも美しいが、現実の生活の中で、多少障害があってもモチベーションを失わない手立てを考えておくこと。調子がいいときに先を急がず、一定のペースで持続すること。そうした考え方は、ダイエットを成功させるコツとよく似ていること。

・私は開脚していると、不思議と気持ちがどんどん高まって、痛いのに気持ちいいような、むしろリラックスして眠りに落ちそうなハイな状態になることがあるんです。すごき気持ちいいいんですよ。私、勝手にその状態を「開脚ハイ」って呼んでいるんです。ランナーズ・ハイ、クライマーズ・ハイみたいな状態が、きっと開脚にあるんだろうと思います。だから、いろいろ悩んだり、考えごとがあったりすると、開脚するんです。私はよくわかります。頭がすっきりするし、いいアイデアもひらめきますよ。

良かった本まとめ(2016年下半期)

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瀬長島ウミカジテラス(沖縄県那覇空港近く)の「親父のまぐろ」のアヒポキライスはとてもオススメ!

2017年05月17日 01時00分00秒 | 外食
 沖縄に行き、那覇空港近くの瀬長島ウミカジテラスの「親父のまぐろ」というお店のアヒポキライスが絶品だったので紹介したいと思います♪

 まず瀬長島ウミカジテラスとは、2015年夏にオープンしたばかりの斜面に造られたすべてテラスがある34もの店舗群で、沖縄ならではの果物・野菜、地産メニューを中心にしたグルメ・スイーツショップ、沖縄で作られたジュエリーやクラフトショップからなります。


↑ウミカジテラスの店舗


↑ウミカジテラスからの海


↑ウミカジテラスの下の方からの海


↑ウミカジテラスのパンフレット店舗案内


↑夜のウミカジテラスの写真

 なお、島の一番上には瀬長島ホテルがあり、温泉も出るようで、友人はここで個室温泉も楽しめたとのことで、綺麗で素晴らしいホテルだと思います♪
一度泊まってみたいですね♪


↑瀬長島ホテル

 瀬長島ウミカジテラスは陸地とはつながっていますが、瀬長島という島の上にあり、那覇空港から車で約15分のところにあります♪

 那覇空港からゆいレールというモノレールの1つ先の駅の赤嶺駅から無料シャトルバスが30分~1時間おきに出ていますのでこれを利用すると便利です♪
 ちなみに私は「ゆいレール」の48時間フリーパスを購入してその後の国際通りなどの観光にも役立ちましたし、赤嶺駅では400円コインロッカーに荷物を預けて快適でしたね♪


↑ゆいレール

赤嶺駅から20人乗りくらいのバスに乗り、15分ほどで瀬長島ウミカジテラスへ到着します♪
運転手のおじさんが色々と優しく説明してくれます♪
休日の夕方は渋滞するので早めに帰りのバスに乗った方がよいようです。
上の方の店舗から見ていきますが、いろんな店があって楽しいですね。
また海が綺麗です♪

その瀬長島ウミカジテラスの中で一番下の左にある「親父のまぐろ」へ行きました♪


↑親父のまぐろの店構え


↑親父のまぐろの店構え拡大

若夫婦のお店ですが、その彼らの父が釣ったマグロを提供するとのことで、店名が「親父のまぐろ」とは面白い♪

メニューは「親父のまぐろ丼」880円と「アヒポキライス」1250円の2っとシンプル♪


↑メニュー

 南米のアンチエイジングに良いアローカナの卵付きで、漬けまぐろや旬の県産野菜、アボカドを使ったアヒポキライスを注文♪
+300円で海ぶどうをトッピングし、お吸い物100円も注文しました♪


↑アローカナの卵の説明

せっかくなのでテラス席に座り、目の前に広がる青い海を見て、心地よい潮風に吹かれて待ちます♪
天気予報は雨でしたが雨は降らず、しかも雲の間から晴れ間も見えだして青い海が広がり、あぁぁ癒されます♪


↑目の前の海

しばらくして「アヒポキライス」が運ばれますが、おぉぉ美しい!!


↑アヒポキライス

ご飯の上に綺麗にアボカドとマグロが置かれています♪
これをさっそく頂こうと思っていると、なんとこれを全部かき混ぜてくださいと言われて驚きました^_^;)
せっかくのこの綺麗な「アヒポキライス」をぐちゃぐちゃにかき混ぜて食べると美味しいとのことなのです。

またオススメの「わさび油」を少しお好みで加えてくださいとのことでした。
卵を割り入れて、スプーンで豪快にかき混ぜます♪
意外と、かき混ぜても美しかったです♪
野菜や海ぶどう、アボカドの緑色と、卵の黄色、マグロや野菜の赤色が、色鮮やかですね♪


↑混ぜたアヒポキライス

さっそく「わさび油」を入れて食べますが、おぉぉ確かに絶品♪
これはかなり美味しいです♪
マグロや野菜が新鮮さを感じますし、海ぶどうのプチプチ感も良いですし、わさび油で少し刺激が加わり、絶妙な味♪
想像以上に美味しくて感動♪

またお吸い物も、中に魚が入っていて、よく出汁が効いていて美味しいです♪

「親父のまぐろ」は目の前の海を楽しみながら、美味しいアヒポキライスなどを頂け、とてもオススメですね!
ぜひ海ぶどうトッピングもお試しください♪

美味しかったものまとめ(2016年下半期)

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「シャンデリア テーブル(大阪駅近くの阪急百貨店13F)」での食事はとてもオススメ!

2017年05月16日 01時00分00秒 | 外食
 知人に勧められて、大阪駅近くの阪急百貨店13階にあるシャンデリア テーブルで食事を楽しみました♪

13階にエレベーターで上がって店に行くと、店内が明るく綺麗で、想像以上に広大な空間が広がっていて、とても驚きましたね♪
この広さは驚異的です♪


↑店構え


↑店内

入口近くの案内を見ると、さすが結婚披露宴としても使われるようです。
自分が行った時には30人ほどの団体が入店していましたが、あまりに広くて余裕で対応できていましたね^_^;)
すごい!

 奥の方まで歩いて行き、席を案内されて座り、メニューを見ます♪
17時前だったので、ランチメニューで対応できるということで、よりリーズナブルに対応して頂いてラッキーでした♪

メニューのお値段で、サラダやスープ、ドリンク付きとはかなりリーズナブルだと思います♪
どれを美味しそうな洋食で、どれを選ぶか悩みましたが、本能に従って九州産赤牛デミグラスソースのふわふわ卵オムライス1500円が美味しそうで、それを注文します♪


↑オムライスのメニュー

それにしても、シャンデリア テーブルは綺麗であまりに広大な空間が広がっていて素晴らしいです♪
気持ちが良いですね♪

すぐに結構山盛りなサラダとカップスープが運ばれます♪
新鮮なレタスが嬉しいです♪
またアツアツのコンソメスープも美味しいですね♪


↑サラダとカップスープ

しばらく経つと17時になったようで、少し暗く、赤系色の照明になったのには驚きました♪
ランチタイムの白く明るい雰囲気とは対照的に、ディナータイムはムードたっぷりとなるようです^_^)

そしてオムライスが運ばれます♪


↑オムライス

 さすがオムライスは卵がふわふわで、デミグラスソースは出汁がよく効いていて美味しい♪
濃厚なソースは美味しくて嬉しいです♪
たっぷりオムライスを堪能できましたね♪
旨い♪

そして食後にはホットコーヒーが運ばれますが、カップが分厚く、もしや思って後で裏返してみると、やはりイタリアのアンカップ製のカップでした♪
アンカップはバリスタの大会でも使用されるブランド力がある製品で人気のようです。
さすが器にもこだわるお店ですね♪


↑コーヒー

もちろんコーヒーも濃厚でとてもコクがあり美味しいです♪
さすがのお味ですね♪

シャンデリア テーブルは、綺麗で広大な空間で、美味しい食事やコーヒーを楽しめ、とてもオススメです!

美味しかったものまとめ(2016年下半期)

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「羽田空港 国際線旅客ターミナル」はとてもオススメ!

2017年05月15日 01時00分00秒 | イベント・外出
「羽田空港 国際線旅客ターミナル」へ行ってみたのですが、想像以上にフロアが日本風にまとめられていて、上質な飲食店や物販の店舗が江戸小路に統一されているだけでなく、江戸時代の日本橋を1/2の大きさに復元されていて素晴らしかったので紹介したいと思います♪

 羽田空港の国際線旅客ターミナルは2010年10月に開業したようで、比較的新しいビルです♪


↑国際線旅客ターミナル

 羽田空港の国際線旅客ターミナルは国内線の第一ターミナルや第二ターミナルとはかなり離れているので、ターミナル間は約4分毎に運行している無料バスで移動することができます♪
国際線旅客ターミナルでは0番乗り場がその無料バスでしたね♪

国際線旅客ターミナルは5階まであり、各階毎のフロア構成は以下となります♪

5F TOKYO POP TOWN(展望デッキ、はねだ日本橋等)

4F 江戸小路(飲食店や物販店等)
3F 出発ロビー
2F 到着ロビー
1F エントランスプラザ

 1Fフロアには、5月ということもあり端午の節句の兜や鎧があるのは日本の風物詩として素晴らしいと思いましたね♪
立派なセットです♪
日本をアピールしていて良いと思います♪


↑端午の節句の兜と鎧

 そしてエスカレーターで4Fまで上がりますが、天井にな巨大なこいのぼりがたくさん飾られているのも素晴らしいと思います♪


↑こいのぼり

そして、奥の左側上の方には、木製の巨大な橋が架けられているようで驚きましたが、なんと「はねだ日本橋」とのことで、江戸時代にあった日本橋を1/2の大きさで復元したものとのことです♪
これはとても嬉しかったですね♪


↑左奥上に「はねだ日本橋」


↑左奥上に「はねだ日本橋」の拡大

5Fに上がってその「はねだ日本橋」へ行ってきますが、左側には「旅立ちは 昔も今も 日本橋」と書かれていて洒落ています♪


↑はねだ日本橋


↑はねだ日本橋の拡大

この「はねだ日本橋」は19世紀前半の日本橋をベースに1/2のサイズで復元したとのことで、全長14間(約25.5m)、幅2間1尺(約4m)とのことです。
本物は全長約51m、幅約7.9mあったとのことでかなり大きかったんですね♪


↑はねだ日本橋の説明

当然ですが木製というのが何だかすごいですね♪
歩くところは湾曲になっていて、かなり丈夫ということが分かります♪

また、近くには江戸時代初期の「江戸図屏風」を拡大したものがあり素晴らしかったですね♪
浅草周辺・寛永寺・神田周辺・日本橋・江戸城・京橋/新橋周辺・増上寺・八丁堀/築地周辺・富士山とあります♪


↑江戸図屏風


↑日本橋

特に日本橋の屏風をよく見てみます♪
高札場所もよく分かりましたね♪
日本橋をここまで忠実に復元したのは素晴らしいと思います♪

それから5Fには屋外に出て展望デッキもあり、実際に飛行機の離発着を見ることができます♪
晴れていて気持ちよかったですね♪


↑展望デッキ

そして5FのTIAT Sky Roadには、かわいい飛行機の形をした本格的なフライトシュミレーターが4台あったのには驚きました♪
本格的な操縦体験ができます♪
初級、中級、上級とあり、子供から上級者まで楽しめるとは素晴らしい!
5分300円(モーション付き)もしくは200円(モーションなし)のようでしたね。


↑フライトシュミレーター

それから同じ5Fにはお祭り広場があって、そこでは大きな筆で書道が体験できるものがありました♪
すごい!
日本らしくて良いですね。
1枚2000円のようです♪


↑大筆書き

そして4階に降りると、中央には江戸舞台があり、ここでも久月の端午の節句の鎧や兜などがありましたね♪


↑久月の端午の節句の鎧や兜

その江戸舞台の左右には江戸小路があり、たくさんの飲食店や物品販売のお店があり、それがすべて江戸風な店構えに統一されているのは素晴らしいと思いましたね♪


↑江戸小路


↑江戸小路

飲食店は以下のように結構日本らしいお店が集められていると思います♪

・銀座 木村屋(あんパン)
・焼肉チャンピオン
・つるとんたん
・せたが屋(ラーメン)
・吉野家
・日本橋だし場
・MOSカフェ

また物販では、伊東屋(itoya)や金子眼鏡店があるのは素晴らしいと思いましたね♪
質が良さそうです♪

なお、羽田空港国際線クーポンがあるので、ぜひ活用した方がお得だと思います♪

今回は焼肉チャンピオンで食べてみました♪
A-5ランク和牛を使用しているとのことで、肉が上質で美味しい♪
焼肉御膳大盛りを堪能しました♪


↑焼肉チャンピオン


↑メニュー


↑メニュー


↑焼肉御膳大盛り

羽田空港国際線旅客ターミナルは、季節感あふれる端午の節句等の展示や「はねだ日本橋」、展望デッキ、フライトシュミレーター、美味しい飲食店や上質なお買い物を楽しめ、とてもオススメですね!
飛行機出発待ちの際等に十分楽しんで頂ければと思います♪

お勧めなお話(2016年下半期)

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「超一流の雑談力(安田正)」という本はとてもオススメ!

2017年05月12日 01時00分00秒 | 
「超一流の雑談力」の購入はコチラ

「超一流の雑談力」という本は、雑談とは本来、人間関係や仕事の質を根本から変えてくれる魔法のようなメソッドとのことで、その雑談力を高めるテクニックについて、数々の実践例から確実に効果のあった方法を取り上げ、だれでも日常に取り入れられるようにまとめたものです♪

雑談のレベルが高まると以下のようなことが起きるとのことです。
素晴らしいですね♪

・自分に対する印象や評価がガラッと変わる
・仕事が驚くほどやりやすくなり、成果も上がる
・苦手な人がどんどん減っていき、人間関係で悩まされなくなる
・どんな場所にも顔を出すことができるようになり、よい縁にも恵まれる
・チャンスにも恵まれるので「食うに困る」ことがない
・表情や気持ちが明るくなってきて、人生が充実しているように感じられる

特に以下を改善すると魅力がアップするようです。
ぜひ心がけたいですね。

・声をいつもよりも3音くらい高くする
・相手が聞きたいと思う話をする
・相手の言いたいことを理解してから話す
・あいづちやうなずきのバリエーションを増やす
・質問で上手に会話を広げる

本書では特に以下についてナルホドと思いましたね♪

・会話の序盤の自己開示は自慢話はしない、軽い失敗談を話し、意外性を生む情報が良い
・アノマトペ(擬音)を会話に使う
・会話は一文を短く、リズミカルに話す
・声の高さはファかソの高さ
・開口一番のさわやかなあいさつ
・雑学ではなく実用の知識を提供すること
・あいづちの「さしすせそ」は重要。さすがですね・知らなかったです・素敵ですね・センスがいいですね・それはすごいですね
・頑張っていることやこだわっていることを褒めること
・相手の答えに対しては要約して応える
・会話をした直後には何を話したか記録する
・褒めるときはつぶやくように感想を言い、視線を外す
・二度目に会ったときは一度目に会った時に話したことをふれる
・ちょっとした手みやげをする
・電話はトーンを上げて声量も大きくする
・大事な話の時は間をおく
・本題に入る際は、ポイントは3つなどと全体予告をする

ぜひ雑談力を上げて、より良い人生になればと思います。
「超一流の雑談力」という本はとてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です。

・会話の序盤でぜひ取り入れていただきたいテクニックとして挙げられるのは、適度な「自己開示」をすることです。雑談の際、一方的に自分のことばかり話すのはNG。これは「自分勝手」などの悪印象を与える雑談です。かといって「目の前の人がどこの誰だか、何を考えているのかわからない」では、相手も安心してコミュニケーションが取れません。そこで自己開示をしていくことで距離を縮めるスピードを早くするのです。具体的なやり方としては「自慢話はしない」「軽い失敗談を話す」といったことが基本になります。ただし失敗談にも注意が必要で「この人は人間的に大丈夫なのか?」と思われかねないような失敗談、また相手が引くくらいの経験談、身の上話はNGです。あくまでほどよい気安ささを生むために自分はどういうことを経験して、どんなことを考えている人間なのかを伝える作業です。たとえば、意外性やギャップを生む情報(「見た目は軽そうなのに、実はまじめ」「細いのによく食べる」「まじめに見えるのにユーモアがある」など)があると相手も魅力を感じてくれやすくなりまう。ただし、「まじめに見えるのに中身はテキトウ」などは絶対に見せてはいけないギャップなので注意してください。

・どうして当たり前の話しが面白く、分かりやすいものに見えてくるのか?そのテクニックの一つとして「オノマトペ」を使うことが挙げられます。アノマトペはフランス語で、音や感情の様子などをあらわす擬声語です。たとえば「雨がザーッと降ってきた」のザーッにあたる部分)「駅から出た瞬間、大雨が降ってきた」ことを伝えたいとき、「駅から出た瞬間、ザバーーーッと雨が降ってきまして」とするだけで、その激しさが伝えやすくなりますよね。オノマトペを使うことで、言葉の勢いやニュアンスを出しやすくなります。話芸の達者な人は、このオノマトペとさらにその言葉に合わせた身ぶり手ぶりを使うことで、話に臨場感を与えるのです。

・話をわかりやすくするために心がけたいことは次の2つ。
①一文を短くすること
②リズミカルに話すこと

・ふだんあまり振り返る機会がないのですが、雑談では基本的に「高めの声」を出すように心がけてください。高い声は、話す人のキャラクターを社交的に感じさせる効果があるのです。一方、低い声はどうかというと、話の内容に対する信頼度が高く感じられるといったメリットもあるのですが、それ以上にデメリットのほうが大きく「高圧的」「暗い」「とっつきにくい」印象を与えてしまいます。ですから気軽なコミュニケーションでは声は高くが鉄則です。では高いといってもどれくらいの音がちょうどいいのでしょうか?これにははっきりと指標があります。
「ドレミファソラシド」と音階を口ずさんでみてください。そのうち、ちょうどいい声の高さの目安は「ファ」か「ソ」の音です。なお高い声で話すにはテンポも大切です。声が低くなりがちな人は、話すスピードを上げてみましょう。早口言葉、たとえば「バスガス爆発」や「生麦生米生卵」をなるべく早く言おうとすると自然と声も高くなると思います。その要領で、テンポよく、リズムよく話すことで自然と「いい感じの声」が出るようになるでしょう。

・雑談をすとき、意外とできていないのが「開口一番のさわやかなあいさつ」です。さまざまな要因はあるかと思いますが、みなさん得てして会話のはじめのあいさつを軽んじる傾向があります。特に初対面の会話では緊張してしまったり、照れてしまったりすのか、ぎこちなくて相手まで緊張させるような会話になることもあります。「会話の始まり」とは、「つかみ」の部分。ここでうまくいくと、その後の会話の空気がとてもよいものになります。ではどのように始めたらよいのでしょうか。何ということはありません。まずは元気に、素敵な笑顔で「はじめまして、○○社の××と申します。本日はお時間をいただきどうもありがとうございます。よろしくお願いします!」と言ってください。開口一番はこれでOKです。不思議なもので、「よろしくお願いします」と言われると、人はこれを好意的に受け取ってくれます。さわやかに「よろしくお願いします」と伝えることで、相手と話すことを許される状態をつくる。小さいようですが、とても大事なステップの一つなのです。

・話し方は人生において重要な財産となります。苦手な人は少し時間がかかるかもしれませんが、訓練して人前で楽な気分で話せるようにするといいでしょう。人前で話すのが恥ずかしいというのは、大きな弱点になります。話し方は大事な技術です。本当にコミュニケーションというのは一度身につければ人生を左右する貴重な財産になります。

・最初のきっかけとなる話題は次の中から選ぶとよいとお伝えしています。気候/相手の会社情報/衣服、ファッション/健康/趣味/最近のニュース/共通のこと/出身地/血液型/仕事
簡単にいえば、誰にでもあてはまるようなあたりさわりのない話題がいいということです。

・なお雑談では「出すべきでない話題」もいくつかあります。代表的なものは、よく言われるように政治の話や宗教の話です。というのも政治や宗教は個人の思想が深く関わってきます。さらに話のテーマが深すぎるために「雑談」ではなく「議論」になってしまう可能性があるのです。雑談の話題は、ある程度の気軽さがないとうまく盛り上がりません。決して議論をしてはいけないというのは一つ大事な鉄則です。

・健康話だけではなく、まだ世の中で知られていないイベントやサービス、便利なグッズ、ひそかに話題になっているスポットなど幅広い人に対応できるように雑談のネタを仕込んでおくと距離を縮めるきっかけをつくれます。具体的な数としては、違うジャンルで常時5~6個。ある程度古くなったエピソードは入れ替えていくようにしてください。たとえば「自分の本業に関わる面白い話」「健康の話」「スポーツ」「最近気になる商品」「面白かった映画や本」など、相手の年齢や性別を選ばない幅広いネタを持つようにすると、相手がだれでも対応しやすくなります。

・ちょっと距離のある人との雑談では、ヘタな笑い話よりも相手が興味のある話をしたほうがよいと私は思っています。人の興味にもいろいろとありますが、最も興味を持ってもらいやすいのはどんな話でしょうか?それは相手に実益のある話です。雑学ではなく実用の知識。これをうまく提供していけるとよいわけです。

・勤め人はもちろん、そうした人たちとやり取りをする可能性がある人は、最低限が日経新聞。ただそれでは相手に話を合わせるくらいで精一杯でしょうから、より質の高い情報を探すときには「日経産業新聞」がおすすめです。日経産業新聞は専門誌ですが、手に入れやすく、その割に読んでいる人が少ない。さらにさまざまな業界の情報がバランスよく載っていて難易度もちょうどいいのです。さらに雑誌でいえば「プレジデント」や「日経ビジネス」あたりをおさえておくと仕事の雑談にはちょうどいい情報が手に入るでしょう。これに加えて「週刊文春」「週刊新潮」などの週刊誌も1冊くらい読んでおくと大衆的な情報も入ってくるのでおさえておきたいところです。ではテレビ番組ではどうでしょうか。私がおすすめするのはNHKなどで時事問題を幅広く扱っている番組や、ビジネスものでは「カンブリア宮殿」「ガイアの夜明け」あたりをフォローしておいていただきたいところです。また生活情報ならば「ためしてガッテン」。健康などの身近な生活情報は誰とでも話ができるという点でおさえておくとよいですね。

・具体的によいあいづちとは何か考えていきましょう。大事なのはその話を受けて「自分はどう感じたのか」を相手に伝える言葉を選ぶということです。「さしすせそ」のあいづちといって、次のようなものを紹介しています。
さ:さすがですね
し:知らなかったです
す:素敵ですね
せ:センスがいいですね
そ:それはすごいですね
もちろんこれにならう必要はありませんが、共通するのは「相手の話に価値がある」というリアクションを取るということです。もちろんタダ言うだけではダメで、何よりも大切なのは、しっかりと話を聞いて言葉や動きに情感を込めることです。つまり「ああ、この人はちゃんと話を聞いてくれるな」と相手に感じてもらうことがゴールになります。

・基本的には話している相手の目をずっと見るようにしてください。目を見るのが苦手なら、ネクタイのあたりを見ていれば大丈夫です。あるいは眉間のあたりを見てもいいでしょう。絶対に目を離してはいけません。とはいえ、じーーーーっと観察するように見つめられると相手も気持ち悪いので、あくまでもソフトに、おばあちゃんが孫の話を聞いているときのようなスタンスを心がけてみてください。目に力を入れない、目尻をやわらかくしたソフトな表情です。その中で、相手の話すスピードや間の取り方などを見ながら、うなずきのテンポをつかんでいきましょう。たとえば、言葉数の多い人なら小刻みにうなずくことが大切ですし、間が多めの人なら一つひとつのうなずきを深くしましょう。またその人が力を込めて語っているところにはより強いうなずきをして、どうでもいい場所でうなずかない、というメリハリもポイントです。

・人は髪型を変えたり、こだわりのアイテムを身につけていたりすると、そのことに気づいてほしいという欲求を抱く生き物です。自分が生活の中で頑張っていること、こだわっていることを褒められれば、誰だってうれしいわけですね。そういうときに「何か特別なことをされているんですか?」というフレーズは相手の欲求を刺激してくれます。「いや、別に特別ということでもないんですが・・・」と、まんざらでもない様子で話してくれるでしょう。

・理由を問うのがなぜよくないかといえば、このように会話の流れが止まってしまう可能性が多々あるからです。「なぜか?」を考えるのは人間にとって大きな負担になります。さらに知識のレベル差もありますから、その質問に答える知識がないと当然ながら相手も困ってしまうのです。またもう一つの理由として、言葉そのものが持つニュアンスとして、「なぜ」という言葉には圧迫感があります。これは日本人の感覚的な問題ですが、ちょっと窮屈で相手にプレッシャーを与えるような質問なのです。ですから、雑談の中で「なぜ?」という質問は避けるようにしてください。ただし教養のレベルが高い相手、その分野に詳しい人に対して、あるいは会話が深まってきた場合は投げかけるのはありでしょう。相手を見ながら質問のレベルを使い分けます。

・こちらが質問したことに対して相手が答えてくれたとき、どのように反応するかです。話を聞きながらメモを取ったり、図にまとめてみたり、「○○ですか」などとオウム返しをするのもよいテクニックです。そして最も大事な点としては、最終的に自分なりの要約を伝えることです。
・「つまりたとえるなら○○のようなものでしょうか?」
・「ということは××ということですか?」
・「私の業界でいう△△のようなものなんですね」
などとたとえや置き換えなどを使い、自分の理解の度合いを相手に伝えます。ちょっとしたことですが、こうした一言が「頭の回転が早い人」「話をよく聞いてくれる人」というよい印象を残してくれます。

・その日に人と出会って会話をした直後、何を話したか記録をする。要は何を話したのか覚えておくためにメモを取りましょうということです。「趣味」「年齢」「出身地」「家族構成」「血液型」・・・何でも構いません。次に会ったときのために記録をしておきます。私は最初の雑談で盛り上がったことや、教えていただいたことなdをメモします。昔は大学ノートを使っていましたが、今は携帯電話がありますから基本的にスマホにメモをしています。うまく管理ができるのであれば名刺の裏に情報を書き込むのでもよいでしょう。そもそもなぜそのようなふり返りをしなければならないのか?それはたいていの人は1回目のコミュニケーションでせっかく距離を縮めることに成功しても、2回目でその関係性をリセットしてまた初めから関係をつくり直すことが多いからです。そうならないために、距離をさらに縮めるのに必要な情報を覚えておく。そのための雑談ノートということです。

・思わず好かれるようなよい表情とはどのようなものでしょうか?具体的には話すときには上の前歯を6本以上見せて、口角を上げることを習慣にしてください。口を結んでいるときも、口角を上げることを意識します。するとどんなことが起きるでしょうか?同じ人物とは思えないほど素敵ですよね?これが人と接するときに心がけるべき表情です。こんな顔で話しかけられたらなかなか雑に扱うことはできません。たとえば営業マンや経営者、販売員など、人と関わる仕事をしている人はもちろんですが、その他の人間関係でも同じです。表情が悪いということは、自ら好かれづらいオーラを発してしまっているとてつもなく大きなハンデを背負った状態ということです。私自身、この仕事をしながら表情を変えただけで人間関係・職場の雰囲気が変わったとおっしゃる方を何人も知っています。表情、服装、身だしなみ、その威力をあなどってはいけません。

・日本人は話がおもしろくないとよく言われます。では話がおもしろくない人の特徴は何かというと「どうでもいいことをダラダラと話す」ということですね。この原因としては、文化や教育の問題もあるでしょうし、あるいは気質的に「まじめすぎる」ということが挙げられるかもしれません。あった出来事を一から十まで正確に伝えようとすると、どうしても話はダラッとなるものです。そんな人に私がおすすめしたいのは「ちょっと話を盛る」ということです。ちょっと盛るというのは端的にいえば表現を大げさにするということです。本当にあったことをベースにそれを着色するような表現を織り交ぜていく。そうすると話はおもしろくなりやすいものです。

・反論や意見の食い違いが起きたとき、どうするのが正解でしょうか。特に自分の得意分野や詳しいことでツッコミが入ると、「いや、そう思われると思うのですが」「お言葉ですが・・・」などと反論したくなるかもしれません。しかしそれでは一流の対応とは言えません。そんなときにぜひ使っていただきたいのは「うかつでした!」というフレーズです。仮に自分が正しそうな場面でも「それはうかつでした!」と相手の主張を飲み込むのが正しい対処方法です。特に商談のように、明らかにこちらの立場が下の場合では妥協を迫られる場面もあるので、とても使い勝手のよいフレーズです。

・会話中、基本的に目線は相手の顔に向け続けるべきです。ただし一つだけ、相手から視線を外していいタイミングがあります。それが相手を褒めるときです。それも大事な褒めどころ。「ここぞ!」というときにぜひ試していただきたいテクニックを紹介しましょう。それは相手からためになることを教えてもらたり、感動するような言葉をもらえたときに、つぶやくように感想を言う、相手を褒める、という方法です。具体的なやり方としては、
1)あえて相手から視線を外して、天井や宙を見る
2)うなずいたり首を横にかしげたりしながら
3)「いや~さすがだなぁ、その視点はなかったなぁ」「何だか○○さんの話は落ちてくるんだよなぁ」などとつぶやきます。
冗談のようですが、この効果はなかなか絶大で、一気に相手との距離を縮めることができます。もちろん。やりすぎては嘘くさいので、あくまでも自然に、本当にためになったなぁと思ったときに試してみてください。

・1時間の商談のうち50分が雑談で、最後の10分で「そういえば今回の件なのですが、こういう話で・・・」と本題を伝える。たったそえだけのやり取りで契約が決まってしまうことが、稀ではなくよく起こります。では、このとき何が行われているのでしょうか?役員たちは雑談を通して何を見ているのでしょうか?それは、「この人物が本当に信用に値するのかどうか」をコミュニケーションの取り方、教養のレベル、ビジネスマンとしてのマナー、身だしなみなど、あらゆるところを雑談を通して「審査」しているのです。というのも、役員は実際のテーブルにつくまでに商談の内容は(部下の報告などから)すでに心得ていますから、だいたいの方針は決まっています。あとは、その判断が正しいのかどうかコミュニケーションで測るということなのです。大手企業の役員ともなると、その態度は実に温和で柔らかなのですが、実はものすごく鋭い目をされています。笑顔にも関わらず目の奥が光っているのです。コミュニケーションはビジネスにおいてもそれだけ大切であり、人間としての総合力が試されるスキルです。

・基本としてお伝えしたいことは二度目に会ったときは「一度目に会ったとき話したことに必ずふれる」ということです。前回どのようなことを聞いたか、それをふまえてどうアクションに起こしたか、実際に体験してみて何を感じたか、などを伝えられるようにします。そして、さらならうテクニックとしては、「また教えていただいてもよろしいですか?」といった一言を加えることです。相手と今後も継続的な関係をつくっていきたいという意思を見せることで一気に距離は縮まります。中には、相手が「あれ?そんなこと話したっけ?」と忘れてしまっていることもあるかもしれませんが、それでも構いません。人が喜んでいる姿を見れば、「そういえばそんなこと言ったかもしれないな」「まぁ喜んでくれているならよかった」と、悪い気分にはまずならないものです。また前回の会話の中で、相手が教えてくれた個人的な情報を折りにふれて出すのもよいでしょう。情報は具体的であればあるほどよいです。

・人と会うときに簡単な手みやげを渡せると距離は縮めやすいでしょう。人の心にスルスルッと入っていける人はちょっとしたサプライズがうまいものです。いったい何を持っていきうのが正解でしょうか?年齢や関係性などで大きく異なってくるところはありますが、基本的にまだ会って1~2回くらいの人に対しては高価な贈り物は避けるべきでしょう。数千円というのはちょっとやりすぎです。「何でそんなものを?」と相手を戸惑わせたり、警戒させたり、余計な気をつかわせたりします。相手の立場によっては「ワイロ」として取られかねないところもあり、受け取りを拒否されてしまうケースもあるでしょう。もちろんプライベートでも同様ですね。なので500円くらいのもので十分です。たとえば私の人生で最大のヒット手みやげとなったのは、出身地でもある宮城県の特産品「仙台長茄子」でした。まだ右も左も分からなかった新入社員の頃、地元に帰ったときのおみやげとして営業先にたまたま持っていったところ、大ウケしたのです。これに味をしめた私は、一時期、100個単位で長茄子を購入して取り寄せたこともありました。

・手みやげの具体的なポイントをいくつか挙げてみましょう。大きなところとしては「大したものではないのだけれど、わざわざ行かないと手に入らないもの」だったりするとよいでしょう。何でもネットで手に入る時代ですからその地域でしか買えないご当地の限定品などは喜ばれると思います。たとえば、世界で「富豪」と呼ばれるような人たちが日本のおみやげに選ぶのは「カルピスウォーター」や「箱に入った20円の風船ガム」など日本でしか買えない商品で、これらを数百個単位で買っていくのだといいます。これなどは参考にしたい手みやげの例ではないでしょうか。また相手の好みが把握できていれば品物でもいいでしょうが、どちらかといえばお菓子などの「消えもの」のほうが無難だと思います。何か珍しいものである必要はなく、それこそ長めの打ち合わせの際に「のど飴」や「缶コーヒー」を渡すとか、ちょっとしたものでも構いません。要するに「今日はよろしくお願いします」「会えるのが楽しみでした」といった思いが伝わる手みやげであることが大切なのです。

・電話というのは、対面でのコミュニケーションよりさらに声が低く聞こえます。ですから、対面時のトーンよりもさらにトーンを上げて、声量もいつもより大きくして話さないといけません。そうしないと「怖い」「冷たい」「元気がない」といったマイナスの印象を与えてしまうことになります。

・雑談はテンポよく、継ぎ目なくパッパと進めていくのが理想です。ところが、そうではないときが一つだけあります。あえて「間」をつくると効果的な場面があるのです。それは「大事な話をしたいとき」です。たとえば、「今日はぜひお話ししたいことがありまして、実はですね」と普通に言ってしまうのではなく、
「今日はぜひお話ししたいことがありまして・・・実は」
と、大事な話題の前に少し間を置いてみます。
すると、相手の注意が一気に高まるのです。
それまでの会話のテンポがよいほどこの間は効果的で、会話に緩急ができます。この違和感が相手の目と耳を話に傾けさせてくれるのです。その他のシーンとしては、
「最近、パソコンのウイルスに感染してしまう人が増えているそうです・・・なぜなら」
などと理由や根拠を伝えたい場合。あるいは、
「何かを成し遂げるときに必要なのは執念です。・・・たとえば」
といったようにたとえ話をする場合など、聞き手の注意をひきつけることができます。具体的な間をおく時間としては、0.5秒くらい。「うん」と軽くうなずく程度の時間で結構です。何度も使えるわけではありませんが、会話の中の「ここぞ」という場面でぜひ使ってみてください。

・いよいよ本題に入ったとき、特に本題の最初の部分では、雑談で温まってきた空気を冷ましたくありません。しかし本題なのできちんと主旨を伝えなければあらない。そんなとき、相手の興味を引っ張りつつ、正確に伝えるにはどうすればいいのでしょうか?まずその入口として挙げられるのは「この話のポイントは3つあります」といった話全体の予告をすることです。簡単にできるテクニックなのですがその効果は絶大です。「ポイントは○個あります」と言われると、相手の話を理解しようと聞く準備を始め、思わずメモを取りたくなってしまうのです。さらに話し手にとっても、「話が脱線しない」というメリットがあります。

・もう一つ本題に入るときに使えるテクニックがあります。それは「○○について分析しましたので、本日はこれについてお話しいたしまs」というように全体のテーマをあらかじめ伝えることです。この前置きがあると話の全体の方向性を理解しやすくなるため、相手を話に引き込むことができます。ポイントとしては、この予告の際、どれだけ長くても17秒以内で、できれば10秒で話せるとよいでしょう。17秒というのは耳から得た情報を記憶できる量の限界と言われており、あまり長すぎると相手の頭に残りません。またまとめるときのコツとしては、
1 話のポイントは何なのか
2 それらのポイントを一言でまとめると、要するに何であるのか
とこのような手順で話の内容をまとめるとスマートな話し方ができます。

・雑談というのは、互いをよく知らない人同士で行うもの。本質的なことをいえば、さまざまなタイプの人と、さまざまな場で出会う。場数を積めば積むほどそのレベルは上がっていきます。最近はSNSのおかげもあって、異業種交流会などに参加するのも簡単ですし、「知り合いの知り合い」の飲み会に参加すのも難しくありません。そうした場で、まったく知らない人といかにうまくコミュニケーションを取れるか。これこそが雑談力の真価でもあります。自分の力試しと実力アップ、そのどちらにも役立つので、ぜひ習慣化していただきたいトレーニングです。パーティーなんか行く機会がないという方もおられると思いますので、その場合はたとえば「行ったことのにバーに行く」「タクシーの運転手と話す」「初めての美容院に行く」といったことで構いません。バックグラウンドがまったく違う人とでも、うまくコミュニケーションを取ることができる。誰からでも学びを得て、他の機会に活かすことができる。これも雑談力の効果の一つです。

・続いてのトレーニング方法は、今働いている職場や、コミュニティの中にいる「苦手な人」と話すことです。グループがある程度の規模になってくると、そこには当然苦手な人、得意でない人が出てきます。それを避けてしまうのではなく、あえて自分から話しかけてみるようにしてください。これは人との接し方のスタンスを見直す効果もあります。「返報性の法則」ですが、人のことを「苦手だな」と感じてしまうと、相手もこちらを「苦手だな」と感じてしまうものです。そうではなく、相手を好きになろうと努力し、その結果として相手にも自分を好きだと思ってもらおうとする-という流れが大切なのです。この努力は環境改善にもつながるとても大事な習慣です。苦手な人がいるというのはある程度仕方のないことかもしれませんが、対話しようとする努力は多くの場合実を結ぶと私は思います。


良かった本まとめ(2016年下半期)

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「豚足かどや(大阪 難波)」の豚足等はディープでオススメ!

2017年05月10日 01時00分00秒 | 外食
 大阪在住の知人にディープで良い店があると勧められて^_^;)、大阪の難波駅近くにある「豚足かどや」へ行ってきました♪

 あらかじめ平日19時に予約の電話をいれましたが、そのくらいの時間は予約はしていないし、大丈夫とのことでした^_^;)

 19時頃に到着すると、確かに満席ではありましたが席を作ってくれ、また少し経つとカウンター席に案内してくれました♪
お店の方は優しい♪


↑店構え

なお、あまり大阪に詳しくなかったので驚きましたが、近くはラブホ街でしたね^_^;)
さすがディープな場所・・・。
また、店内も昭和の雰囲気の雑踏で、お店の方が大声で注文された品を厨房方面へ連呼しています♪

そして、ビールと豚足をさっそく注文します♪
ビールはアサヒの瓶ビールで、2月でしたが春の季節のラベルとなっていましたね♪
キンキンに冷えてます^_^)

そしてすぐに豚足をたくさん乗せた皿が運ばれます♪
なお、テーブルの上には大ざっぱに切られたキャベツや長ネギがあり、これらは自由に食べられます♪


↑豚足

豚足は、おぉぉ肉がよく煮込まれていて、柔らかくて美味しい♪
骨太ですがコラーゲンたっぷりですね♪
さすが店名に豚足と付けるだけはあります!
これは看板メニューですね♪

この「豚足かどや」は1951年創業とのことで、老舗ですね♪

そして、お店の方が焼きや生のものを勧めてくれるので、まずはキモやはらみ、生センマイ、ムシ豚、タン、ココロ等を注文します♪


↑キモ


↑ハラミ

焼きは3本ずつで550円ほどです♪
どれもそのくらいのお値段でしたね。

キモやハラミは柔らかく良い焼き加減でgood!
美味しい♪
これはビールが進みます♪


↑生センマイ、ムシ豚

生センマイもオリーブオイル?と塩胡椒に付けて食べて美味しい♪
これはさすが絶品でしたね♪

そしてタンやココロも良い焼き加減で、結構ボリュームもあり美味しい♪
糖質制限には良いメニューで嬉しいです♪
(ビールはよくないかもしれません^_^;))


↑タン


↑ココロ

そしてもう一つ運ばれますが、すみません。何を頼んだか忘れてしまいました^_^;)

↑焼き物

この店を紹介してくれた知人に美味しくてありがとうとメッセージを入れると、締めにはスープを頼めと指令があるので、スープを頼みます♪


↑スープ

おぉぉ濃厚な豚骨スープで、これは旨い!
美味しいお店を知っている友人知人を持つことは大切ですね♪

「豚足かどや」はディープな場所でディープな店内でディープな味を楽しめ、とてもオススメです!!

美味しかったものまとめ(2016年下半期)

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「中央市場 ゑんどう(大阪市)」のお寿司はとてもオススメ!

2017年05月09日 01時00分00秒 | 外食
 大阪在住の知人に勧められて、大阪市中央卸売市場内にある「中央市場 ゑんどう」という寿司屋へ行って来ました!


↑大阪市中央卸売市場の入口


↑大阪市中央卸売市場の案内

 場所はJR大阪環状線の野田駅や地下鉄千日前線の玉川駅から徒歩約15分の所に市場があり、その入口から入って奥の左側の飲食店の並びにあります♪


↑店構え

 私は東京の築地市場内にある寿司屋等飲食店すべてで食べたことがあるので、特に大阪の市場内のお店には非常に興味がありました^_^)
ワクワクしましたね♪

 この「中央市場 ゑんどう」は明治40年の老舗で、しかも「にぎり寿司」ではなく「つかみ寿司」というのは面白いと思います♪

 普通の寿司は炊き立ての酢飯を冷ましてから寿司を握りますが、この「中央市場 ゑんどう」では炊き立てアツアツの酢飯を冷まさずにそのまま寿司にするとのことで、これは創業当時から守られている伝統とのことです♪

また、米は岡山の備前米にこだわり、炊飯に使う水もこだわっていて、ミネラル豊富で栄養価も高いようです♪

 店の前には平日11時頃到着しましたが、外国人の方が1組店の前で並んでいました。
店内に入るのに15分ほど待ったでしょうか。
二人で訪れ、カウンター席の奥に案内されました♪

 さっそく注文しますが、このお店では「上まぜ」を頼むのが基本とのことです♪
「上まぜ」とは「上」の「盛り合わせ」とのことです。
つまり1皿5貫(1050円(税抜))の寿司が盛られ、1皿ごと注文するスタイルとのことで、5皿頼むと、すべてのネタが食べられるとのことです♪
6皿目からは最初の1皿目に戻るようです。
面白いシステムで、そんな寿司屋は初めてですね♪
もちろん単品で頼むこともできるとのことでした。

その「上まぜ」と「赤出汁(300円(税抜))」を注文します♪

さっそく一皿目と赤出汁が運ばれます♪


↑一皿目


↑赤出汁、ガリ、醤油

おぉぉ一皿目から結構豪華です♪
右からハマチ、トロ、鯛、ウニ、アナゴ♪
このお店で面白いのは、醤油は自分でハケで塗るというもの!
ハケを自分で使えるとはすごいですね♪

また、この醤油は創業以来継ぎ足して使っているとは素晴らしいです♪
しかもネタに直接ハケを触れさせることによって、魚の旨みや脂分がハケを通じて醤油に行き渡り、醤油の旨みがより増して美味しくなるとのおとです♪
すごい!!

さっそく右側のハマチから食べてみますが、おぉぉ柔らかい!
柔らかいながらも熟成されていて美味しい♪
この美味しさには感動です♪
もちろん2番目のトロも柔らかく、とろける!
3番目の鯛も熟成!
そして4番目のウニも粒がしっかりとしていて上質さを感じます♪
アナゴも柔らかく美味しい♪
アナゴは瀬戸内海のものを利用しているようです。
どれもかなりネタが仕込まれていて、これは美味しいです♪
これは築地場内の店より美味しく感じてしまいます♪

また赤出汁もかなり出汁が効いていて濃厚で、シジミが大きいし、茗荷の香りも素晴らしい♪
しかもアツアツ!
こんなに濃厚で美味しい味噌汁は初めてですね♪
数種類の味噌をブレンドしているようです♪

あまりに美味しくてすぐに二皿目を注文します♪


↑二皿目

二皿目は右から太刀魚を炙ったもの、トロ、ホタテ、赤貝、カニ!
太刀魚は旬なのでしょうか。
これだけ炙っていますが、これも良い炙り加減でかなり美味しい♪
そしてトロも柔らかく、ホタテが厚みがあってこれも上質、赤貝も柔らかい!カニも素晴らしい♪
この美味しさには感動です♪
トロはインドマグロのようです。

小食の同僚も、迷わず三皿目に突入です♪


↑三皿目

右からタコ、鉄火、アワビ、?、卵!
特に驚いたのは鉄火のマグロも柔らかくてこんなに美味しい鉄火は初めて!
そしてアワビもかなり柔らかくて美味しくて驚き♪

昼からまさかの四皿目に突入で、小食の同僚はさすがに行かないだろうと思いましたが、迷いもなく四皿目に突入!


↑四皿目

四皿目は右かシャケ、大トロ、さより?、イクラ、イカ!
これも右から食べますが、シャケが厚みがありこれも柔らかく上質で絶品!
トロも口の中でとろけます♪
そういえば、どの皿も必ずトロがありますね♪
まさかのイカも想像以上に柔らかくて美味しいです♪
どのネタも柔らかく味が熟成されていて絶品です♪

五皿目も行きたかったのですが、自制しました^_^;)
あぁぁでもやっぱり行けば良かったかな?

 なお、この「ゑんどう」は大阪市中央卸売市場だけでなく、京橋の京阪モール5Fやタイのバンコク(トンロー)にもあるとのことなので、そちらも利用してみるのはいかがでしょうか。

「中央市場 ゑんどう」は、とても美味しいお寿司や赤出汁を堪能でき、とてもオススメです!

美味しかったものまとめ(2016年下半期)

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根津美術館(庭園含む)及び特別展「燕子花図と夏秋渓流図」はとてもオススメ!

2017年05月08日 01時00分00秒 | イベント・外出
 以前から行きたいと思っていた東京メトロ表参道駅A5出口から右に約400m先にある根津美術館へ行ってきました!


↑根津美術館の入口

 2017年4月12日~5月14日には国宝の尾形光琳の燕子花図屏風が特別展示されていることと庭園が綺麗と友人から聞いていたためです♪

 また、東京の人気スポットを決める東京都交通局とトリップアドバイザーによる<TOKYO100>(平成28年4月12日~平成29年3月31日の口コミを対象)では根津美術館は8位に選出されていますね!
さすが!

 この根津美術館は、実業家「根津嘉一郎(1860-1940)」の遺志により昭和16年(1941年)からこの南青山に開館したとのことで、国宝7件・重要文化財87件・重要美術品94件を含む日本と東洋の古美術約7,400を収蔵し、絵画・書蹟・彫刻・陶磁・漆工・染織・金工など多岐にわたる作品を毎回テーマを変えて展覧しているとのことです。

また17,000平方mを超える日本庭園や茶室もあり四季折々の風景が楽しめます♪


↑根津美術館のパンフレット(外観や概要等)


↑根津美術館のパンフレット(コレクション等)


↑根津美術館のパンフレット(ガイドマップ)

入口で観覧料大人1300円を支払ってさっそく入館します♪
かなり綺麗で大きな建物で、さすが観覧券も四角形の紙ではなく洒落ています♪


↑観覧券


↑観覧券

 今回の特別展は「燕子花(かきつばた)図」「夏秋渓流図」がメインのようで、広い部屋にこの2つが並べられていました♪


↑特別展「燕子花図と夏秋渓流図」のチラシ(表)


↑特別展「燕子花図と夏秋渓流図」のチラシ(裏)

「燕子花図」は尾形光琳(おがた こうりん)(1658~1716)作の国宝で、総金地の6曲1双屏風に濃淡の群青と緑青のみによって燕子花が描かれています♪
左右隻の対照も計算され、部分的には同じ燕子花が描かれたりしているようです。
特に群青は高価なようです。
確かに構図が素晴らしいですね♪

「夏秋渓流図」は鈴木其一(すずき きいつ)(1796~1858)作で、鈴木其一は琳派に属するとのことです。
「夏秋渓流図」は渓流が流れる檜林で、右隻は山百合が咲く夏景で、左隻は桜の葉が紅に染まる秋景を表すとのことです。
 特にこの群青の渓流の描写が秀逸でしたね♪
こんな描き方があるのかと、かなり驚きました!
 渓流は近くで観るとかなりデフォルメされていて堅さを感じますが、離れて観ると檜の静との対照のバランスや色合いがとても良いと思います♪
右隻の白い山百合や、左隻の紅い桜の葉の感じが素晴らしいです♪
また近くで観と、檜の葉が細かくかなり精密に描かれていて驚きましたね♪
また蝉(セミ)がいるとのことで、結構探しました^_^;)
右隻の中央の檜にありましたね。
この「夏秋渓流図」は素人ながら傑作だと思いました♪
ずっとゆっくり眺めてしまいました♪

なお、今回の展示物一覧は以下となり、その他の作品も素晴らしくて感動しましたね♪


↑展示物一覧


↑展示物一覧


↑展示物一覧


↑展示物一覧

それからせっかくなので庭園へ行ってみました♪
これが想像以上に広大でビックリ!
南青山でこんなに広大な庭園があるとは知りませんでしたね♪
新緑であふれています♪


↑新緑あふれる庭園

空を見上げても新緑が美しい!!


↑空の新緑

池には屋形船も浮かべてあり風流さを感じます^_^)


↑池の屋形船

そんなか赤い葉をもつ木もあり、紫色の燕子花と池がいい感じです♪
国宝の燕子花図が、燕子花の開花と併せて展示とは素晴らしいですね♪
さすが!
燕子花は4月末から5月上旬が見頃とのことです。


↑赤い葉と燕子花

ほかの場所でも燕子花が見頃でした♪


↑緑の中の赤い葉と燕子花


↑池と燕子花


↑新緑紅葉と燕子花

それから庭園の奥からは池が木々の緑や青空を映し出し、とても美しくて感動でしたね!
これは素晴らしかった!
とても癒されましたね♪


↑池が木々の緑や青空を映し出す

根津美術館は、とても綺麗で広大な空間で国宝などを鑑賞でき、庭園で広大で素晴らしく、とてもオススメです!
この燕子花の特別展は、2017年5月14日までですので、それまでにぜひご鑑賞ください!
それを過ぎると、また来年だと思います♪

お勧めなお話(2016年下半期)

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「江戸の快楽(荒俣宏)」という本はとてもオススメ!

2017年05月05日 01時00分00秒 | 
「江戸の快楽」の購入はコチラ

 「江戸の快楽」という本は、平成11年とかなり前に出版された本ですが、筆者が大好きな町という東京の下町の日本橋、人形町、蠣殻町、佃島、深川等の街の歴史、建物、川、橋、販売店、飲食店、職人等についてとても分かりやすく書かれ、とても素晴らしいと思いましたので、ここで紹介したいと思います♪

 特に日本橋、人形町、隅田川周辺と大きく3つに分かれて書かれていて、特に以下については興味深く読みましたね♪

<日本橋>
・日本橋と東海道
・日本銀行
・高島屋と丸善
・山本海苔店
・兜町

<人形町>
・水天宮
・芝居街
・花街
・町火消
・明治座

<隅田川>
・大相撲
・隅田川の花火
・隅田川の川開き・川遊び
・佃島
・江戸前の味
・大名屋敷
・庭園
・富岡八幡宮

 改めて本書を読みながら上記の所は行ってみたいと思いましたね♪
特に、日本橋丸善や隅田川等の橋、人形町の喜代川(うなぎ屋)、富岡八幡宮、深川江戸資料館はすぐにでも行ってみたいです♪

「江戸の快楽」という本は、江戸時代からの歴史や老舗等を学べ、街歩きにも役立ちとてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です♪

・東京の下町は、人形町や浜町の例を引くまでもなく「まち」といわずに「ちょう」と呼ぶ。そもそもこのひびきから江戸の香りがしてくる。元来は一丁目、二丁目の「丁」であった名残である。この名称は昔の都市計画である「町割」から興った。京都では○○町(まち)という名が多いが、これは碁盤の目に区切った枡のひとつ、四十丈四方の「面」につけられた名だった。これに対し、「丁」は地区をつくる道路、つまり「線」につけられた名である。ひとつの道路をはさんで両側に商家を中心とした「町」をつくるようになったので「町」という。そうした「町」のイメージをいちばん色濃く残しているところ。それが日本橋界隈の下町なのである。たとえば人形町を歩いてみよう。元吉原・芝居町と呼ばれていた歴史的な色っぽい町である人形町のすみずみを観察してまわると、ここが目に見えるものばかりでなく、目に見えないものをも残している奇跡的な一角だと、知らされるようになる。まず職人たちが素晴らしい。よくこんな職種が生き残っているな、と感心するほど珍しい”化石”職業も多い。たとえば甘酒横丁には、竹と漆で仕上げるつづら作り、さすが元吉原・芝居町の伝統を偲ばせる三味線作り。横丁を通るたびに、つづら屋のご主人が黙々と漆を塗っている姿や、三味線屋の粋な若主人が女優たちの三味線の修理に精を出している姿にぶつかる。そしてこの横丁を歩いていけば、やがて明治座に行き着く。化石種といえば、昔や屋号を聞いただけで商品がすぐに思い浮かぶといったたづいの店があったものらしい。人形町界隈にもそういう実例が残っている。「うぶけや」というのはどうだろう。産毛(うぶげ)と書けばすぐに判る通り、江戸の人々のおしゃれ道具だった毛抜きをはじめとする金物屋のことだ。かつては全国に「うぶけや」があったという。もうひとつ「さるや」というのは判らないかもしれない。これは楊枝屋の代名詞で、むかし日枝だの猿を店に飾っていたことに由来するといったような説がいくつかあるが、大正時代までは全国で、さるや=楊枝屋の名ということは常識だったようだ。しかも仏教の食作法に起源をもつ楊枝をつい50年ほど前まで東京の人たちは歯ブラシとして愛用していた。歯の掃除に欠かせない日用品だったのである。

・今は東京の中心と呼ばれている日本橋、つまり八丁堀あたりから銀座、日比谷にかけては、江戸湊の大きな入り江が広がるうら寂しい砂州だった。これを現在のような町にしたのは徳川家康で、駿河台の神田山を切り崩した土で埋め立てたといわれる。そもそも江戸は、いわば水びたしの土地であったから、陸路よりも水路が発達した。日本橋川も江戸城と城下の中心地をつなぐ大運河として造られた。大商店がこの運河沿いに立ち並び、早くも慶長8年(1603)には運河の両岸をつなぐ日本橋が架橋されている。だが陸路が無視されたかといえばそうではない。家康は江戸を始点に日本各地へ向かう幹線道路「五街道」を整備し、とくに京都へ向かう東海道の起点を日本橋に置いた。こうして日本橋は水路と陸路が交差するその交点ともなった。古代律令制の下で造られた「五畿七道」にあって、関東の道といえば、東山道と東海道の二本が有名だった。東山道は近江から今の信州、栃木を通り、陸奥へ通じる山道。東海道は伊賀から伊勢、尾張、駿河を経て、武蔵から安房、常陸へと向かう海べりの道。この道すじには国府など官の連絡用に駅と駅馬十頭が置かれた。また近くの郡をつなぐ連絡用の足として、伝馬五頭が置かれた。駅は55カ所あったといわれる。駅馬を使った場合、都から陸奥まで約8日で走り抜けたといわれる。しかし、古代の東海道は今の東京23区内よりずっと内陸側を通過する形をとっていた。これが都区内へ入るようになったのは、中世になり鎌倉が重要な通過地点とされてからあとの話である。そのため旅人たちが越える峠も、足柄峠から箱根峠に変わった。道が都区内を通るためには、鎌倉から見ると最初に多摩川を渡らなければならない。ここに舟の渡しができあがる。東海道は鶴見、川崎を経て「六郷の渡し」、鎌倉を起点とした鎌倉古道下の道は「矢口の渡し」、そして足柄峠越えの旧道も「丸子の渡し」や「二子の渡し」を使って東京入りした。これら主要道路が別々の渡しを渡ってあらためて合流するのが日本橋付近であった。こうした古道を整備拡大して造りあげられたのが江戸の五街道といえる。家康は関ヶ原の戦が終わると、京都・大阪への連絡路である東海道にあらためて強固な伝馬制を敷き、一宿につき36頭の馬を常備した。53の宿があって「53次」といわれるが、この数は53人の善知識を訪ねたすえに普賢菩薩に巡り会い、西方浄土での往生を願うことになった善財童子の話(華厳教)にちなむ。次いで、板橋から草津まで行き東海道と合流する中山道、千住と日光を結ぶ日光道中、宇都宮から白河へ向かう奥州道中、内藤新宿から出て下諏訪で中山道に合流する甲州道中という道が拓かれた。

・五街道のうち家康がもっとも重視した東海道だが、53次という数にこめられた「浄土願望」からもわかるように、江戸の安寧と繁栄を左右する街道となった。江戸から全国各地の里程を計算する原点ともされ、明治時代に入ってからも「日本道路元標」がここに建てられた。「日本橋一里々々の名付け親」という川柳もこの事実を伝えている。江戸時代の日本橋を描いた図では、何といっても安藤広重の「東海道五拾三次」が思い出される。丸い板橋を渡る人々の動きを見るにつけ、「お江戸日本橋七つ立ち」と歌を口ずさみたくなる。この七ツ立ちは、今でいえば朝一番の出発を意味していた。七ツ、つまり午前四時に木戸が開き、江戸市中の通行ができるようになるからだった。現在ある洋式の石板は明治44年に架橋された。橋柱にある橋の名は、最後の将軍だった徳川家喜がきごうした。なぜ日本橋かといえば、ここが日本の中心で全国の人が渡るからだといわれる。しかし一説に、ここから東向きに空を見渡すと、朝日がよく見える(日の本(もと))ところから由来したともいう。橋桁に飾られている青銅の聖獣は、東京市の市章をもつ獅子と、翼を広げた麒麟とから成る。その象徴性はさまざまにいわれているが、獅子は眠るときも目を閉じないと信じられたところから門や戸口の守り神、また麒麟は慈悲ある王を連れてくるとされたために、繁栄と安全のシンボルと見られる。日本橋の北側にある小伝馬町・大伝馬町は、奥州道中に面し、伝馬制度の下で働く人々が住んだ場所だった。明治になって鉄道馬車が敷設されたときにも、このあたりは馬車のルートとなり、”伝馬”の伝統を継いで馬や馬車の管理にもあたる人が多かった。新しい交通もまた伝馬の制を継いでいる。

・日本橋は、その名のとおり日本の中心にかかる橋である。慶長8年にこの橋がっかり、翌年には全国里程の原点に定められた。東海道ほかの五街道はここがスタートとなり、江戸の町の丁目も、日本橋から数えて一丁、二丁と付けられることになった。「町」の原点でもある。ここから道が日本中に通じ、日本中の人が渡るので、日本橋と名付けられたと伝えられる。現在のアーチ型石橋は明治44年につくられたもので、東京駅とならんで、明治における帝都東京改造計画の目玉とうたわれた。大きさといい、装飾の見事さといい、日本橋を超えるほど豪華な西洋式石橋は、その後も決してつくられていない。日本橋の下を流れる日本橋川は、物資輸送に使われた運河で、日本各地から荷が運び込まれた。その拠点が魚河岸だろう。はじめ家康から漁業の許可を受けた漁師は、日本橋に河岸地をもらって仕事をはじめた。そして幕府の膳所に白魚を毎日納入していたが、やがてその余りものを市民にも売るようになった。これが日本橋魚市場の起源とされ、昭和になって魚市場が築地に移転するまで江戸いちばんの魚河岸として栄えた。俗に江戸前と呼ばれ、新鮮な魚を生で食べる風習は、この魚河岸が整備されたことから生まれた。江戸前とは「江戸の前海」を指し、川が流れ込んで適度に「甘く」なった湾内は、おいしい魚介類の宝庫だった。のち、江戸前は江戸で捕れる魚を意味するようになり、江戸後期になると、酢飯に生魚をのせる江戸前鮨が誕生した。最初や屋台店として出発した江戸前鮨だが、日本橋魚市場で毎日新鮮な魚が入手できるので、各店がいきの良さを競うようになったという。なかには、せっかく炊いたごはんや生魚を仕込んで3時間もすると、思い切りよく川に投げ棄てる店もあった。やがて江戸前鮨がそのように無駄や贅沢を尊ぶようになったため、天保の改革では鮨屋の多くが贅沢の罪で投獄されたといわれる。ちなみに魚河岸のいきの良さは、ここに出入りする魚商たちの気質にも及んで「いなせ」という流行語が生まれた。きっぷがよく侠気にあふれた河岸の若衆は、おしゃれとして、イナという魚(ボラのこと)の背のゆるやかなカーブによく似た髷であるいなせ銀杏を結った。いわばかっこよい若者の発祥地が日本橋だったのである。日本橋周辺には、幕府が呼び寄せた関西の豪商たちが大きな店をかまえていた。今でも多くの店が健在で、布団の「西川」、紙の「はいばら」、かつおぶしの「にんべん」、海苔の「山本」などの有名店がそろっている。なかでも三井家に連なる「三越」は日本橋のシンボルともいえる老舗である。三越の前身、三井越後屋は、松坂の豪商三井高利がひらいた呉服店だった。高利は52歳のときに京都と江戸に店を出したが、それまでの商習慣に反し、掛け売りや値引きを廃止した。<店前(たなさき)売り、現銀掛値なし>という定価で正札商法によって、呉服も仕立てでなく、今でいう「つるし」すなわち既製品を売ったところから、都市の市民に迎えられた。百貨店商法のはじまりである。三井越後屋は明治38年に株式会社三越呉服店となるまで、店名を何度も変えたが、商売のスタイルは変化させず、扱い商品の範囲を化粧品、食堂、履物、貴金属というふうに広げていき、名実ともに日本の百貨店の元祖となった。現在の三越本店は、関東大震災後に建て直されたものだが、それ以前の大正3年に建ったビルは、日本初のエスカレーターを設置した建物として有名だった。東口玄関にあるライオン像は、そのときに飾られたシンボルである。当時の支配人は大のライオン好きで知られ、息子にも「雷音(らいおん)」と名付けたほどだったという。デパート新築にあたり、玄関にぜひライオンを置こうとして、ロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン提督像の足もとにいるライオンをモデルに使った。「商いの王者」という自負の気持ちがこめられたともいわれる。

・日本橋周辺は、江戸時代の通貨鋳造所に深い関わりをもつ土地だった。まず丁銀や豆板銀といった銀貨をつくる「銀座」は、昔の新両替町(今の中央区銀座)にあったものが、1800年の寛政改革で日本橋人形町に移された。次に小判と一分金をつくる「金座」も、徳川家康の時代に日本橋本石町に置かれた。つまり金貨も銀貨もここ日本橋でつくられていた。そこで明治維新後も、金融の本拠が日本橋に集中することになる。明治6年、渋澤栄一が興した第一国立銀行本店は、江戸橋の近くに建てられた。そして明治15年、西南戦争後のインフレを抑える目的から日本の中央銀行として「日本銀行」が生まれるのだが、この本店が新築されたところは、かつて「金座」があった場所そのものが選ばれているという。日銀は開業当初、北海道開拓出張所を間借りしたが、江戸以来の金融の中心地を10年かけて買い取り、いよいよ「金座」にとって代わることになった。新しい建物は、渋澤邸や東京駅などの設計者として名を残す辰野金吾に命じて造らせることになった。辰野はベルギー中央銀行を参考に、ネオバロック様式の大建築を造りあげた。日銀の第三代川田総裁が示した「堅牢で機能的な建物を」というオーダーにぴったりの名建築である。現に関東大震災にもビクともせず、百年余を経た今も業務に使われている。建築に先立ち、「土一升金一升」という文句の源になった金座あとが堀りかえされ、その土をふるいにかけて金粉を集め、建築費用の一部にあてたというエピソードもある。

・西洋のバンクは、なぜ日本で「銀行」と訳されるのか。この用語は明治5年に登場するのだが、それまで金融業は「両替」と呼ばれていた。これではあまりに俗っぽいというので、商店や会社を意味する中国語の「行」に、貨幣のシンボルである金か銀を被せることになった。したがって「金行」でもよかったわけだが、語呂が悪いという理由で「銀行」のほうが採用されたといわれる。日銀は、日本の中央銀行として第一に通貨発行の仕事を行う。「日本銀行設立の議」を建議した大蔵卿松方正義が、それまでの金に換えられない政府紙幣を回収し、新しく兌換を保証された銀行券を発行して、インフレを収束させようとしたのもこの役割に期待したからこそだった。しかし明治18年から発行されだした初期の日銀券は蓄積の多かった銀に基づく「銀兌換」の紙幣となった。これで国内のインフレは落ち着いたが、銀価格の下落により円の海外為替相場が急落してしまった。そのため政府は日清戦争で得た賠償金、3億円を金準備の資金にまわし、明治30年に念願だった金本位制へと移行した。ここでついに日銀は「新しい金座」となったことになる。

・日本橋丸善は、いわば「知の総合商店」として歩んだ歴史をものがたる品物にあふれているが、もうひとつ、丸善が発祥とされる奇妙な商品もある。「ハヤシライス」である。今も屋上に日本初の屋上ゴルフ練習場とともに、ハヤシライスを出すスナックがある。早矢仕有的は、明治初年のころ、友人をもてなすため、台所にある肉や野菜を何でも煮こんで飯と一緒に出した。友人たちもいつかこれをハヤシライスと呼ぶようになったと伝えられる。しかし現在では洋食ハッシュド・ビーフが訛ったものというのが定説とされる。

・江戸だけにしかない名物というと、あるようでないのだが、確実に誇れる産物がひとつだけあった。それが海苔である。淡水の混じる静かな入江は、よい海苔を得るのにふさわしい環境だった。乾海苔のことを「浅草海苔」と呼ぶのは、江戸の初期に浅草寺門前町に海苔屋が多かったためだという。当時の江戸湾は、アサクサノリなど海苔の原料となる海藻がよく育つ海だった。浅場にヒビ(枝のついた竹や樹でつくった付着装置)を立て、そこで冬に摘んだアサクサノリを和紙と同じ手順で乾燥させ、「海苔」を作った。浅草紙の製法が活用されたのも、浅草海苔と名付けられた理由のひとつだろう。海苔は古くは「紫菜」と呼ばれ、大宝律令の賦役令にも、「調」すなわち貢ぎ物として認定されていた。飛鳥時代では常陸や出雲で海苔づくりが知られていたようだ。ただし江戸時代になるまでの食べ方は生海苔のまま吸い物の具、あるいは茶菓子などに使ったといわれている。しかし江戸に幕府が開かれると、生育条件の合った江戸湾で海苔摘みが行われだし、元禄時代前後から養殖されるようになった。養殖といっても、アサクサノリがどのような生活を送っているか、その実態は不明のままだったから、偶然に任せる生育方法が長く続けられた。夏の高温時期には、海中のどこを探しても、ノリのノの字も見当たらないのに、11月も下旬になると、魚を活かしておく囲いの竹や杭に、アサクサノリがびっしりと付く。これを収穫したのだった。とにかく冬しか採れない食品であり、乾燥させた海苔が少しでも湿ると、味も落ちてしまうというまことに管理の難しい商品だった。そこで海苔屋は冬に採れた新ものをできるだけ長く保存する手立てとして「囲いがめ」という大きな保存容器を利用した。かめから出すと、海苔はふつう一ヶ月しか保たなかったので、季節限定の味というイメージが強かった。また保存よく運搬することが難しいので、うまい海苔は箱根を越えないともいわれた。

・隅田川にかかる橋をわたって本所、千歳、清澄の方向へ足をのばすと、一気に江戸文学の世界が広がる。この地域は松尾芭蕉にゆかりが深く、芭蕉が職業的な俳句の師匠をやめ、草庵に入って専門の俳人となった地である。そのシンボルといえる芭蕉庵跡は隅田川沿いにあり、この周辺で多くの名句が生まれている。「古池やかはず飛びこむ水の音」の句碑は芭蕉庵跡のほか千歳の要津寺と清澄の清澄庭園にもあり、今でも土地の人々に愛されている。赤穂浪士討ち入り前の本所深川が、草庵もあり、またカエルの飛びこむ水音に趣きを感じられるほど静かだったことをこの句は伺わせる。今でも芭蕉庵跡に静けさと趣きとが残されているのは、ひとつの奇跡といっていい。永代橋を越えて門前仲町まで足をのばせば、ここは鶴屋南北の世界となる。南北は、この門前仲町から少し入った黒船稲荷で没した。深川、亀戸あたりが散策場所で、南北はこの界隈を歩きながら、あの傑作「東海道四谷怪談」の想を練った。恐ろしいできごとがおきる舞台-堀や三角屋敷や蛇山などは、すべてこの付近に集中している。四谷怪談の本当の舞台が四谷ではなく深川であったことを知る人は案外少ない。

・安全と安産の神様として知られる水天宮がある一帯は、古くから蠣殻町と呼ばれてきた。もともとは浅海を埋め立てたところなので、牡蠣もずいぶんとれたにちがいない。おいしい貝だというので、昔の人もカキをたくさん食べたのだろう。当然、貝殻が山のように残りそれで-カキガラチョウになったと早合点してはいけない。江戸時代の初期には、カキの殻はもっと重要な用途を持っていたからである。思いがけないことに、カキ殻は屋根材に使われていた。この時代の町家といえば、屋根はまず<こけら>という薄板でふかれた。しかし板だけでは雨がしみこむので、これを流してしまえるような瓦が必要になる。そこで利用されたのがカキの殻だった。この貝殻はすべりにくく、しかも並べやすいから、屋根はカキの殻で覆いつくされた。今の蠣殻町は界隈は、ほとんどが武家の居住するところだったといわれるので、同じような大きさの蠣殻屋根がきれいに並んでいたのだろう。そこで蠣殻町といわれるようになった。大名・旗本屋敷が多かった上に、明治元年に造幣局ができるまでこの町に銀座があった。銀貨と銭貨がつくられていたので、一種の規制区域だったのだろう。赤坂から水天宮が引っ越してきた明治5年当時、蠣殻町に住んでいる人は556戸、2325人だった。ずいぶん静かなお屋敷町だったことになる。

・明治5年、水天宮がこの蠣殻町に移ってきたことから、蠣殻町はまたたく間に、浅草に肩を並べる繁華街になってしまった。それも道理で、水天宮といえば、水難よけと安産祈願のお参り場所ナンバーワンだった。社が芝の赤羽にあったころから、毎月5日の参詣日には、江戸中の庶民が願かけに集まってきた。なぜ水天宮だけがこんなにもてたのか。その話は赤穂浪士と生類憐れみの令でおなじみ、五代将軍綱吉にまでさかのぼる。九州の久留米藩をあずかる有馬家がある年の参勤交代に将軍から拝領した犬を同行したところ、道中なんの事故もなく旅を終えることができた。有馬家ではこれにあやかって、大名行列を仕立てるときには必ず犬を連れるようになった。ところで犬は昔から安産と子育てに付きものだった。妊婦が戌の日に岩田帯をしめたり、子どもの枕もとには魔除けの犬張子が置かれるのもその名残なのだ。江戸の庶民はいつしか、旅の安全と安産を願う神様として、有馬家が自邸にまつる水天宮をお参りするようになった。有馬家のお国元、久留米の水天宮は、壇ノ浦に敗れて身を投げた幼い安徳天皇を供養するために、そば仕えだった按察使の局がたてた祠にはじまる。つまり母子をまつった宮だから、安産の神になった。また、水死した霊をまつるから水難よけの宮ともなる。蠣殻町の水天宮も、境内には水難よけを願って奉納された船いかりや、いかりの絵馬が多い。だがよく考えると、蠣殻町の水天宮は有馬家が久留米から芝の赤羽にあった屋敷は分霊してきたプライベートなお宮である。それが明治維新による東京建設のために赤坂へ移され、次に蠣殻町へ引っ越してきた。この私設のお宮に、江戸中の庶民がお参りさせろと押し掛けていたわけだ。有馬家も五の日だけとはいえ、庶民に門をひらいていたことがおもしろい。当時の江戸は水運が中心だったし、出産も女性の大仕事で死の危険があった。この両方を護る神様だから、大名屋敷の庭だろうと、どこだろうと、人々が押し掛けたに違いない。それで明治11年には一般参拝される神社として公認された。こうして今の人形町通りにかけては五のつく縁日に出店が並び、大変なにぎわいをみせるところになった。

・浅草より以前に、現在の人形町あたりに吉原遊郭があった事実になると、今ではほとんど知られていない。このオリジナルな吉原を俗に<元吉原>と呼ぶ。徳川将軍のお膝元として、大発展した江戸だが、はじめは武家や商人が多く、女性の少ない町だったので、私営の遊女街ができあがった。しかしこれは非公認だったので、遊郭とはいっても、店先に紺もめんののれんを下げ、鈴をつけただけのたたずまいだった。ただ客が店内をのぞき込むと、鈴が鳴り、それを合図に遊女がでてきたという。そういう店ができた品川の一角を、だれ言うとなく、<鈴ヶ森>と呼んだそうだ。そこで、正式に幕府の認可を得たところへ遊郭を集めようという気運が高まった。庄司甚右衛門が元和3年(1617)に、現在の人形町2、3丁目および芳町一帯を用地とする傾城町(けいせいまち)開設の認可を得た。傾城とは、城を傾けさせるほど男を迷わせる遊女の別名である。用地は埋め立て地で、よしがたくさん茂った湿地だったところから<よし原>と呼ばれた。いまの芳町(よしまち)も、このよしに由来する町名のようである。吉原は最初のうち大繁昌したが、風紀をまもる意味から夜間の営業が禁じられたため、花街の遊びをもとめる客たちも風呂屋の湯女や女歌舞伎の役者たちに目を奪われていった。町の夜はやはり華やかでないと楽しくなかったからである。そうこうするうちに、吉原一帯を幕府用地として利用する計画が生まれ、歓楽街を浅草千束に移転させることになった。ちょうどその折に、明暦の大火で遊女町が焼けてしむ事件もおきた。吉原年寄りたちは思案のすえに、江戸中の湯女を一掃することと引き替えに移転を了承した。元和の開設以来40年を経て、遊郭は浅草に移ったが、幕府も吉原を保護するために200軒もあった風呂屋に取り壊し命令を出したという。こうして幕府公認の花街ではなくなった人形町、芳町あたりには、遊女に代わって、別種の華やいだ人々が集まるようになった。そのひとつは、江戸文化の陰に咲いたいわゆる陰間である。近くに芝居町があった関係で、女形の役者が客の相手をした。美少年を呼んで楽しむ座敷も、陰間茶屋として芳町界隈につくられた。川柳に「女でも男でも芳(よし)町といひ」と詠まれたのがこの時代だった。こうなると、芸事で身をたてる女性たちも黙ってはいない。公認の遊女が去ったあと、踊り子と呼ばれる私設の芸者が料亭や茶屋にあがって、客をもてなすようになった。踊り子たちは10歳になるかならずで置屋に住み込み、三味線と踊りを仕込まれ、17歳ぐらいで一人前の芸者に育つ。彼女たちは町芸者の意気を売り物にして人気を集め、吉原以外の私的な花街-芳町、深川、柳橋を<花柳界>と呼ばれるまでに発展させた。

・正月は、盆とともに日本で最も広く、最も深く根付いている行事である。新年を迎えるおいうことは、新しい年の神を迎えることを意味するだけに、家じゅうをきれいに清め、神聖な場所をこしらえて、神のおいでを待たなければならない。したがって年の瀬は何かにつけて忙しい。正月の神を「年神」または「歳徳神」と呼ぶ。この年神さまを迎える行事をとりしきる人を、年男・年女という。今では節分の豆まきでしか聞かないが、本来は正月迎えの主役だった。この年神は、毎年やって来る方角が異なる。次の年の干支に合った大吉の方角が、年神のおいでになる道となるので、その方角を「恵方」といい、年神を祭る年棚を置く。昔は神社に時計の文字盤によく似た恵方盤があり、毎年の恵方に針や指示棒を合わせた。こうして迎えた年神からは、その一家ひとりひとりに贈りものが与えられる習俗があった。これがお年玉である。今では正月に子どもに与える小遣いの意味しかない「お年玉」だが、本来は年神からいただく贈り物-つまり一年の実りである米のことであった。この米を使って餅をつき、丸めて配ったために「お年玉」の名が出た。もちろん神から人へ贈られるものであるため、両親から子へ贈られる小遣いもお年玉といえないことはない。日本では正月を迎える準備がとても多くあって、暇もお金もかかった。ふつう正月迎えは12月13日から始まる。まず1年の厄を祓う「すす払い」があり、家の中をきれいに清める。続いて山にはいり、門松に使う松を切り出す。松の枝が緑色を保っていられるのは、おおむね半月から1ヶ月といわれるから、12月中旬に切り出すことは、非常に理にかなっている。正月の行事が終わり、1月14日に年神が各人の家から引き上げるまで、門松は青いままでいられる計算になるからである。年越しと新年の行事は、じつは盆と同じように先祖の霊を迎える祭であったといわれる。その証拠が「お歳暮」という習慣に残っている。古くは先祖の霊に贈る供え物だったが、やがて本家や家長に対し、分家独立した子どもたちが贈る供えものというふうに意味が変化した。ちなみにもうひとつの贈り物行事である「お中元」も、盆の先祖迎えにかかわる供え物から出発している。大晦日に夜じゅう眠らず、初詣をするのも先祖の霊とともにお籠もりをした古い習慣の名残りといえる。こうしてようやく新年を迎え、お祭りした年神とともに雑煮を食べ、正月を祝うことになる。こうした正月行事の中で、風物詩といえば、やはり門松ではないだろうか。門は人が出入りする場所というよりも、霊や神の出入りする神聖な場所として日本人に深く敬われていた。盆には門火といって、迎え火と送り火を門のそばでたいたという。門松もまた、年神が寄るためのよりしろとして機能したらしい。神がこの松に向かって降りてくるのだから、青く、新鮮でなければいけないし、12月30日までに立てなければ意味もなかった。この門松は決まった形があるわけではなく、一本だけ立てる地方も多い。しかし現在は門口の左右に置き、根本を薪木や俵で囲い、注連縄で飾るスタイルが主流となった。

・浜町のシンボルといわれる明治座は明治6年4月28日に「喜昇座」として開場したのが、はじまり。ところが火事、震災、空襲、また火事と合計5回も焼失している。改築のために取り壊したのは平成5年が最初だという。ろうそくやガス灯などで照明していた古い時代の劇場は火災が多く、江戸時代から明治5年までは東京の劇場が三座しか認可されていなかった。東京府令が出され、三座以外の興行が打てるようになり、いち早く開場した「喜昇座」は明治12年に大劇場に改築され、座名も「久松座」、「千歳座」と変わり、明治26年から現在の「明治座」となった。事実上の座主に初代市川左団次がつき、歌舞伎座に次ぐ大劇場として人気を勝ち得た。座主の左団次は、五代目尾上菊五郎、九代目市川団十郎とならぶ明治の三名優のひとりであり「団菊左」とうたわれた。座主となった俳優は、世間の評価もずいぶん違ってくる。その名を海外にまで轟かせ、男らしい役に当たり役が多かった。左団次の芸が見られる明治座は人気を呼び、座主の留守には菊五郎、団十郎も出演した。さらに桐竹紋十郎の人形芝居、博多にわか、活動写真など珍しい興行も試みられたが、なんといっても重要なのは、明治36年に明治座初登場を果たした川上音二郎一座だろう。この一座のシェイクスピア劇が上演され、貞奴も女優として舞台を踏んだ。おもしろいのは、大入袋を出す習慣が、この劇場で始まったことだ。明治29年に市川団十郎が25日間大入り満員を記録し、楽屋の習慣に従ってそば札を大入袋にいれて配布した。その後、そば袋は100円銀貨に変わったが、いかにも劇場らしい習俗ではないだろうか。もちろん、興行には浮き沈みが付き物である。初代左団次の死後は役者も固定してしまい活力がなくなった。大正元年、松竹の大谷竹次郎と新派の井伊が明治座を引き受け、新しい時代に突入する。

・隅田川べりには蔵が多かった。地名にもなっている蔵前は、江戸時代にあった幕府最大の米蔵、<浅草御蔵>の前にあたる一角をさす。ほかい現在の佐賀町から深川まで、このあたり一帯は蔵で埋められていた。この蔵には、全国から船で運ばれてきた物資、とくに米や大豆などの農産物が収められ、活況を呈した。重い米俵や穀物を担ぐ荷役だちは威勢がよく、力くらべをしあううちに芸や習俗にまでなった。俗に「力持ち」と呼ばれる米俵を持ち上げる芸は、深川などで今も伝えられている。日本には古くから米に不思議な力が秘められており、米を食べたり担いだりすることで、その力が授かると信じられた。したがって力自慢の相撲とも関係が深く、江戸三大勧進相撲の興行場所は、蔵前の蔵前神社、両国の回向院、深川の富岡八幡といずれも隅田川べりの蔵街にあった。

・米蔵のあった蔵前には札差(ふださし)と呼ばれる金融商人が軒を並べていた。この札差は、本来は米問屋だったのだが、幕府から俸禄として米を現物支給されていた旗本や御家人に米を担保に高利で現金を貸し付けた。享保9年に109人の株仲間がつくられ、旗本御家人への貸付を独占したため、豪商がたくさん誕生した。はじめは幕臣たちが米を現金にするまでの手続きを代行するだけで、百俵につき手数料はわずか金3分だったそうだ。しかし次第に武家に高利で現金を貸す金融業となり、年18%程度の公定利子のほかにさまざまな二重利子をとったので、急激に発展した。そのため旗本や御家人は利息の支払いに行き詰まり、とうとう札差の債権を帳消しにするという荒っぽい命令を含めた寛政の改革を引き起こした。しかしこの札差は江戸っ子のライフスタイルをつくりあげた点で注目に値する。彼らは派手に金を使い、遊里に遊び、芸ごとに熱中し、本田まげに黒小袖、鮫ざやの脇差という札差ファッションを生み出し、通人であることを強調した。江戸の中期にはこのファッショナブルな江戸っ子が蔵街を闊歩した。道楽者の見本として広く知られた札差たちが、新しい江戸のアートと風俗を先導したといえるだろう。

・江戸の蔵街のひとつだった現在の佐賀町に「食糧ビル」が今もあるのはひとつの因縁といええるだろう。このアールデコ趣味にあふれる美しいビルは、古くは「東京廻米問屋組合深川正米市場」と呼ばれた。明治18年、札差が姿を消したあとに米市場がここに開設された。深川の正米市場として有名になったが、正米というのは米の現物を指し、各地から集められた米を米穀問屋のあいだで取引きした。参考までに米の先物市場のほうは期米と呼ばれる。戦前は自由取引時代であり、このような正米市場が全国に100カ所もあったが、東京深川がいちばん大規模な市場のひとつだった。現在のすばらしい建物は関東大震災後の昭和2年に完成した鉄筋コンクリートづくりで、スペインの建物によく似た広い中庭がある。ここで米の現物が取引されたそうだ。

・江戸は勧進相撲が頻繁に行われたところだが、始まりは寛永元年(1624年)に明石志賀之助が四谷塩町にあった笹寺で打った興行だといわれる。その後、さまざまな場所で興行が打たれるが、米倉が集まり力自慢の多かった蔵前の蔵前神社、同じく新開地の荷役場だった深川の富岡八幡、そして隅田川周辺の寺社で盛んになった。両国の場合は水難者や無縁仏をとむらう本所回向院が供養を兼ねて勧進相撲を開催する。力士は生きている仁王として江戸を守り、加えて不幸な死者を慰め、冥府の世界から両国橋を渡って侵入しようとする邪霊を踏み破る役割を担った。両国にあった本所回向院は、こうして幕末の天保年間に定場所となり、両国橋にやぐら太鼓を鳴り響かせる。丸い土俵も定着したが、ただ野天相撲だったので年に2回、各10日間の興行といっても雨天中止日を見込めば1ヶ月近くもかかったようだ。明治になって梅ヶ谷と常陸山による相撲人気が再び高まると、相撲協会が雨天でも相撲のとれる常設館をいちばん有力な定場所だった両国に建設することになる。これに伴い横綱を頂点に置いた現代の序列体制が決められ、力士が東西に分かれて優勝を争うシステムも設置された。また関東大震災後には大阪相撲との合併が行われ、全国的に統一された<大相撲>となり、近代相撲が確立する。けれども古くは大阪ほか多くの地方都市に相撲集団がいて、たがいに勧進元となって興行を打っていた痕跡も消えたわけではない。大相撲が巡業に出たり大阪・名古屋・九州でも本場所を開催しているのがその証拠である。

・両国の花火は、今から260年ほど前に始まった行事といわれる。享保17年(1732年)に飢饉と疫病が流行し、江戸でもたくさんの人が亡くなったため、翌年に幕府が死者供養と悪疫封じの祭りを催した。その際、両国橋あたりにあった水茶屋が水神に献上する余興として、流行し始めていた外国伝来の見せ物<花火>を大々的に打ち上げた。これが縁になり、陰暦5月18日の両国川開きに花火が打ち上げられるようになったという。もともと川開きは、水難で亡くなった人の霊をなぐさめる水神祭と深く関わっていたので、ごく自然に両国の名物になったようだ。ところで肝心の花火だが、日本に渡来したのは思いの外新しい。中国で発明された火薬がヨーロッパに渡り、ルネサンス期にイタリアの年で花火が誕生している。14世紀以後盛んになった花火は火薬の配合をポイントとする鉄砲づくりと関わっていたこともおもしろい。日本でも種子島に鉄砲が伝えられてのち、花火もつくられるようになった。関ヶ原の合戦以後、全国に散った鉄砲職人は天下泰平になった江戸時代に花火師に職替えするケースが多かったといわれる。江戸には、慶長18年に唐人の花火師がやってきて、家康も見物するなか、江戸城二の丸で大花火を打ち上げた記録が残っている。

・初期の花火師は線香花火のようなものをつくり、行商していたらしいが、やがて両国横山町に鍵屋、両国吉川町に玉屋という二つの大きな花火屋ができた。両国の花火はこの2店でつくられた花火を打ち上げたためか、見物客は「かぎや、たまや」というかけ声を出すのが伝統となった。ただしこれらの花火師は、のちに将軍家日光参詣中に失火事件をおこしたため、家業を断絶させられ、両国を追われたともいう。そのあと元禄にかけ、日本の花火師が鼠火、流星、牡丹など大仕掛けの打ち上げ花火を開発し、人々を熱中させた。ところが火に弱かった江戸では、まるで流星のように火花をちらす花火が、しばしば火事の原因ともなった。幕府としても花火の禁令を出さざるをえなくなり、両国の花火を残してあとは打ち上げが禁止された。こうして江戸中期からは、花火といえば両国が唯一の名所となった。川開きの夜には江戸の札差や豪商が屋形船を仕立てて隅田川に漕ぎだし、豪華な船上宴会を楽しんだ。また町人だけでなく、大名も花火師を雇い、盛大に花火を打ち上げさせたというから、まさに都ぐるみの行事だったといえる。両国の花火は第二次世界大戦を除いて、昭和35年まで続いたが、火事の心配ならぬ隅田川の汚染と交通渋滞のために中止された。しかし江戸以来の風物詩を復活させようという声に押され、昭和53年に再開された。かつては地元の江戸っ子を楽しませた催しも、現在はTV中継を通じて全国的な行事にまで拡大している。ただ昔は両国橋と新大橋の間で打ち上げられていた花火が今は桜橋と言問橋のあいだ並びに駒形橋と厩橋のあいだと打ち上げ場所が変わってしまった。

・隅田川べりに夏を呼ぶ川開きは、旧暦5月28日に始まり、8月末に終わる。両国の川開きといえばすぐに思い浮かぶのが花火だが、これは元来川開きと関係がなかった。川開きは、浅草から両国橋あたりに船遊びを楽しむ遊船が出る日を指す。川開きを合図に、陸では両国広小路付近に夜店がたくさん出て、夜がにぎやかになる。一般の市民はこれで楽しめたが、大名や豪商は屋形船を仕立てて川に出た。川べりに建つ船宿や茶屋は、景気をつけるために自費を投じて花火を打ち上げた。このアトラクションを船から眺めるのが、まさしく船遊びの醍醐味だった。文化文政のころ600軒もあった船宿は、物資運搬用の船を少ししか持たず、9割方が遊興用の船であったという。花火見物のほか、納涼、宴会、そして花見などに利用された。その遊山船を象徴するのが、屋形船である。屋形船は、上に屋根をつけた船のことを指す。隅田川では最初は見かけない船で、慶長のころ浅草川に涼みに出る船が、日除けに屋根をつけるようになったのが始まりという。最初は大名が用い、後に町人もこれを利用したが、巨大なものは中が5、6部屋もあったといわれる。障子を立て、簾を掛けなどして、まことに風雅だが欠点が2つあった。まずとても乗りにくいこと。着物芸者たちは、鴨居に両手をかけて、そのまま中に飛び込んだという。そして第二が船足の遅いことだった。陸上を歩いても屋形船には追いつけたそうだ。ただし西鶴が「天下の町人なればこそ、1日5両の船賃」と書いているように、屋形船を仕立てて川に出ることは一種のステータスシンボルだった。鈍足の屋形船に対し、快速をもって知られたのが猪牙船だった。この快速船の名は、形がイノシシの牙に似ているからとも、また長吉という人が発明したからともいわれる。このタイプの船は吉原通いに使われたので、「勘当船」ともいう。船遊びはよほど江戸っ子の趣味に迎合したらしく、成田山詣でのような小旅行も、現在の箱崎あたりから船を利用して行われた。本行徳で船をおり、後は歩いて詣でて帰宅まで3泊4日ほどの旅であった。

・隅田川の川遊びといえば、もうひとつ江戸でブームになった「釣り」がある。江戸の川や運河は潮の混じるところで、豊富な魚種に恵まれている。淡水魚と海水魚のどちらをも対象とできるため人気を博した。この釣りブームを当てこんで、江戸川べりに住む権次という農夫が船宿をつくり、小舟を貸す仕事を始めたのが、釣宿の始まりといわれる。隅田川の釣りで面白いのは、女性もこれに興じた事実であり、釣船にいろどりを添えた。また、当時流行した陸地から糸を垂らすいわゆる<陸釣り>は、この美しい釣り師たちを川辺から眺めるために利用する男性が多かった。文字通りの陸釣りである。秋から冬にかけて川遊びの楽しみは、「寒タナゴ釣り」であった。江戸の深川木場はタナゴ釣りの名所で、ゆたかな町人たちが集まった。なお、深川は潮の満ち引きが大きく水たまりがよくできるので、江戸時代に釣り堀ができたことでも有名である。川遊びとしての釣りが大ブームになり、江戸の川から魚がいなくなったため、手軽に豊漁が期待できる人工の池が必要となったためだった。

・隅田川には、人や車のわたる橋だけでなくガス橋や水道橋など、あわせて35橋もある。だから、水上バスでこれらの橋を次々にくぐる楽しさは、大変なものである。それぞれの橋を品定めするのも一興で、姿が一番美しいという声の高いのが清洲橋である。これは世界でも有名な美橋として知られるドイツのケルン橋をモデルにしたので当然ともいえるが、新大橋は水上交通の関係者にいわせると、一番くぐりやすい橋なのだそうだ。橋脚が一本だけであるため、川筋が曲がっていても船をそうさしやすいようである。しかし以前の新大橋は、むしろ「お助け橋」と呼ばれて東京市民に親しまれていた。というのは、関東大震災があった年、隅田川にかかっていた七つの鉄橋のうち、新大橋だけが供面まで鉄製だったからである。したがってこの橋だけが火災に耐え、本所・深川から焼け出された人々を日本橋側へ逃げのびさせる唯一の通路となった。それを記念する「避難石碑」も橋のたもとに残されている。ところで、新大橋を楽しんだら、ぜひとも訪れてみたいのが芭蕉記念館ではないだろうか。その庭園には、かつての芭蕉庵を彷彿させる庵も再現されており、玄関そばを流れる泉水も風流を感じさせる。なぜなら、あの名句、「古池や蛙飛びこむ水の音」の舞台となったのが、記念館付近にあったといわれる芭蕉庵の池だったからである。残念なことに、句によまれた古池は現在どこにあったか不明いなっているが、記念館から200mほど南下したところにある芭蕉稲荷は、元来の芭蕉庵跡だと考えられている。いずれにしろ、芭蕉が「おくのほそ道」をつづったころの新大橋をしのぶためにも、このあたりの風情は壊したくないものである。

・江戸前浜(江戸前)で捕れた新鮮な魚を生の状態で使用する「にぎりずし」は、文化文政時代(19世紀後半)に生まれたといわれる。この時期に江戸三大すし屋とうたわれた「松が鮨」「毛抜き鮨」「与兵衛」のうち、関西の押しずし系統に属する笹巻きずしを売った「毛抜き鮨」を除くほかの2店が、にぎりずしを創案したといわれる。それまでの関西ずしは、近江の鮒ずしのように発酵させてつくる「なれ鮨」か、箱に詰めて切り出す「押しずし」のどちらかだった。ところが江戸前と呼ばれるすしは、酒粕酢を混ぜたにぎりめしの上に具を乗せ、わさびを添えて「つけ醤油」で食べる形式をとる。一説に、火事の多い江戸では、炊き出しのとき、おむすびの上に具をのせて人々に振る舞う習慣があったという。深川の「松が鮨」は、いわゆる海苔巻き、サバ、アジ、タイの丸漬けをにぎりめしの上にのせたすしを文化年間に出し、すしの様式を一変させた。宣伝の仕方も面白く、武家屋敷に手製の新作鮨をもっていき、「固いものが入っておる場合もありますから、お気をつけてお食べください」と忠告する。食べると固い壱朱銀が入っていたそうだ。にぎりずしは珍しさも手伝って一気に広まったらしい。両国回向院前に店を出した「与兵衛」も、関西の押しずしのように同じ具が続くのではなく、1個1個自由に具を選べるにぎりずしを売って名をあげた。江戸前ずしのネタの多彩さはここに原因がある。にぎりずしは早くできるのが取り柄なので、発酵させる代わりに酢をまぶした。それも米酢でなく、当時の新製品だった酒粕酢を使ったのも、江戸前ずし成功のポイントとなった。甘味が抑えられ、食欲が湧き、しかも殺菌力があった。また生のネタに醤油をつける習慣も、すでに丸漬けにされ味がつけてある関西ずしと異なる点だった。利根川周辺で生産された生醤油の普及が、これに貢献している。昔は大きな器の中に醤油を入れ、これにみんなですしの端を浸して食べたという。一方、わさびは古くから貴重な”毒消し”調味料だったが、江戸時代に栽培ものが普及し、刺身とそばの薬味となった。そこで「松が鮨」がサバの臭みを消すのにわさびを使い、以後はにぎりずしに欠かせなくなったといわれる。かくて、にぎりずしは大ブームになり、高価なネタを競って使う状態となったため、天保の改革で出されたしゃし禁止令にぶつかり、「松が鮨」「与兵衛」ほか200余ものすし屋が手鎖をかけられ投獄されてしまった。

・天ぷらだが、俗にこの新料理の名付け親は、山東京伝だといわれている。天明のころ、恋い仲の芸妓を連れて江戸に落ちてきた利介という者が、魚肉に衣をつけて揚げる食品を創案した。これを試食した京伝が、「ぶらりと江戸へやってきた天竺浪人のつくった食べ物」だから天ぷらがよい、と命名したのだそうだ。したがって、江戸初期に家康が大好きだったとされる「天ぷら」は、今の衣揚げ天ぷらではなく、さつま揚げに似た精進用の揚げ物(サツマアゲなど)だったわけだ。ただし定説ではポルトガル語のテンプロ(寺院の意)を語源とする。江戸天ぷらは、衣や魚に味がついていないので、揚げたての熱い天ぷらを少し冷ました上に魚の味を引き立てるつけ汁として、天つゆも考えだされた。長崎から関西では、やはりすでに味がついていたサツマアゲの食べ方が踏襲され、塩をつける形になっている。

・徳川時代初期に根づいたもりそば、すなわち「つけ汁」形式のそばも、江戸趣味であることがわかってくる。なお、かけそばの方は、熱い汁をそばにかける「ぶっかけ」の形式であり、元禄のころに新材木町の信濃屋がはじめた新しい食べ方だという。江戸では三大そば屋といって、「藪」「砂場」「更科」が覇を競った。「藪」は江戸中期から雑司谷名物「藪の内そば」として知られ、青い色をしたもりそばを出した。その後「藪」を名乗るそば屋も増え、なかには浴室まである店ができた。これは、手打ちそばで有名になった道光庵という寺に対抗するためだったらしい。なお、江戸のそば屋い「○○庵」と名の付く店が多いのは、道光庵の名声にあやかろうとしたからである。「藪」のそばはつなぎが上手にいって長く切れないので、台を低くし、一気にズルズルとすいこむ食べ方になる。また、音を立てて食べるのは、仏教の作法によるともいわれる。「砂場」は大阪新町遊郭の一部につけられた俗地名<砂場>から出ている。ここに有名なそば屋があり、江戸には徳川中期に大阪砂場そばが看板をあげ、現在の老舗「砂場」につながっている。また麻布永坂の「更科」は信州更科の一番そば粉を使うそばで売り出した。色が白いそばだ。それがいつのまにか屋号になった。

・江戸時代には食べ物の名前に霊力があると考えられ、夏負けには「う」の字がつく食品がよいと信じられた。そのために、ウメ、ウリなどが食される習慣があり、これに鰻屋が便乗したのだとする説も有力だ。ところで夏負けに効く「う」の字をそのまま看板に使った、いかにも江戸らしい鰻屋が、人形町のとなり町、小網町にある「喜代川」というお店である。明治7年創業、いまの店舗はなつかしい木造で、関東大震災のあとに建てられて以来70年を経ている。天井は屋久杉の一枚板、面皮の柱、そして鏑木清方筆の掛け軸と、5つほどあるお座敷を見るだけでも価値がある。ウナギを食べるのが大好きだったのでお嫁にきたという女将さんに、まず土用丑の日の真意を訊ねてみた。すると、ほかの魚と同じくウナギは冬がいちばん美味なので、夏のウナギを食べてもらうために考え出した宣伝でしょうと笑って答えてくださる。明治時代の伝統的なウナギの蒲焼きは今のように甘いタレではなく、もっと辛い味であったそうで、喜代川の味付けは伝統に従っている。なるほど食べてみるとスッキリとした味だ。蒲焼きいれる器も、戦前までは銅に漆を塗り、お湯を入れた容器を使っていた。この容器の上にウナギを入れた重箱を乗せ、冷たくならない工夫をした。その器をこのお店はまだ使っている。蒲焼きの焼き方も江戸伝来の方法だ。江戸ではウナギを背から開く。関西では他の魚と同じように腹から開く。背びらきは、他の魚とわけがちがうぞという江戸っ子らしいメッセージかもしれない。割いて串に刺し、背を焼いて魚を締める。これをシラ(素)をいれるという。そのあと柔らかく蒸し、タレをつけてから備長炭で腹がわを素早く焼く。このとき活躍するのがうちわだ。パタパタやっては、手でパチンと叩く。こうすると、火をまんべんなく回せる上に、お客の目までひける。職人さんの暑さも消えるという万能の小道具である。

・隅田川を清洲橋までさかのぼった一角にある清澄庭園h、規模こそ小さいが、いかにも趣味のよい回遊式庭園であり、通人の庭ちう印象が強い。ここは亨保年間(1716~36)に下総国関宿の城主久世大和守の下屋敷となり、ある程度の庭園造成が行われたが、明治維新後の明治11年に岩崎弥太郎の所有へと移った。岩崎は三菱社員の慰安のためと賓客の接待施設を兼ねて、大きな庭園をつくらせた。潮入りの池の特色を十分に活かそうとして、全国から奇岩名石を取り寄せ、池のまわりに置いた。池の間も飛び石を踏みながら渡るところがおもしろい。今では取水口が埋められているが、池には隅田川の水を引き入れ、名石が沈んだり浮上したりする情景が楽しめた。また、浜離宮よりも上流にあるため、鳥ではウやカモ、魚ではコイやフナなど淡水系のものが多く、現在はこれにカメと外国産の魚ティラピアが加わっている。水の出入りはないが、清澄の名の通り、水には透明感がある。ここには近代的な数寄屋づくりを誇る大正記念館もあり、思いのほか色濃く、明治の東京のたたずまいを残している。

・深川の散歩はまさしく水に親しむ喜びを味わうためのもの。まずは清洲橋を渡って隅田川を越え、東西に流れる小名木川を見渡すことにしよう。深川に数ある運河の中でもこの川は、徳川家康が江戸に入って最初に開いた水路といわれる。必需品の塩を千葉の行徳から運び入れるための運河だった。その後、塩は関西からも入るようになったが、房総や北関東の産物を輸送する水路としての役割を果たし続けた。この小名木川を中心にして、大小さまざまな運河、250にも及ぶ橋に結ばれて生まれたのが、”深川”だった。その名は、大阪から来た開拓者、深川八郎右衛門の名にちなむ。江戸初期の深川は、物資輸送の拠点だったが、まだ特色のある町とはいえなかった。明暦の大火(1657)をきっかけに、江戸市民が再建のための木材に殺到すると、幕府は材木を一カ所に集めて統制管理を行う政策をとった。そのとき選ばれたのが、水利のよい深川だった。あちこちに貯木場(いわゆる木場)がつくられ、それまで神田や日本橋などに分散していた材木問屋が、ここへ移ってきて町をつくりあげた。実をいうと、紀州ミカンを江戸に運んで財をなしたとされる紀伊國屋文左衛門も木場の有力な材木商になっている。深川は江戸城から見て南東(古い用語で辰巳の方角)にあたっていたので、辰巳とも呼ばれた。材木商の大尽たちをもてなした深川芸者が”辰巳芸者”といわれる理由もここにある。粋でいなせで気が強いという江戸っ子気質にふさわしいところとなった。しかい繁栄を誇った深川も、明治維新を迎えて輸送のシステムが陸上に切り替わると、運河が使われなくなり、逆に水害の町へと変貌してしまう。なにしろ元来がゼロ・メートル地帯であり、東京湾の海水が満ちてくると、水路から水があふれる。おまけに昭和に入ると、地下水をくみあげすぎて、地盤沈下が起こり、川も天井川可していくありさま。肝心の材木も昭和50年ごろに新木場埋立地に移された。そこで残された運河の再利用として採用されあのが親水公園案だった。運河は市民の憩いの場に変身した。現在深川周辺には9つほどの親水公園がつくられ、一角に東京都現代美術館もある一大文化リゾート圏をつくりあげている。旧木場には永代通りから北にのびる”木場親水公園”がある。昔の堀を思わせる石組と板橋の運河。水辺に降り足をぬらすことができるのも、ここならではの工夫だ。水路には伝馬船(物資運搬船)が浮かび、常夜灯も立つ。秋に親水公園を散歩する人は、もう一つの幸運に恵まれる。木場の伝統芸といえる角乗りだ。木場の職人は、蔦口一本を使い、水に浮かべた角材を乗りこなして筏を組んだ。この技が芸能として発展し、水上の妙技となった。木場親水公園の一角に練習場があり、本番は10月第一日曜と13日の区民祭に都立木場公園で開催される。

・富岡八幡宮は寛永4年に創建された。菅原道真の子孫といわれる長盛上人が、ある日夢を見て、お告げを受けた。永代島一帯の砂洲を埋め立て八幡宮と寺を建立せよという。上人はなんと自力で6万坪の埋め立て地を造成した。ここに生まれたのが富岡八幡宮と門前町屋だ。大鳥居をくぐると、まず右手に大関釈迦ヶ嶽の「等身碑」がある。強い力士だったが、安永4年に27歳の若さで急死した。身長2.7mあったという。実弟の稲妻が、釈迦ヶ嶽の身長と同じ高さの碑を奉納したものが、200年余を経た今も残っている。この碑と背くらべすると、巨大さが実感できる。近くには歴代巨人力士(身長2.05m以上)12人の身長を刻んだ「巨人力士身長碑」もある。ほかに「手形・足形碑」、「超50連勝力士碑」など、相撲関係の興味深い記念碑が並んでいる。しかし圧巻は巨大な「横綱力士碑」だ。石碑では日本一といわれるだけあって、実に大きい。タテ3.5m、横3m、厚さ1m、重さ20tで、明治33年に建った。碑の両側で立ち合っているのは、左に不知火、右に陣幕の両横綱。あうんの金剛力士像をかたどるように身がまえている。この陣幕が碑を寄進した本人だ。それにしてもなぜ富岡八幡宮に多くの力士碑があるのだろうか。実は風紀を乱す興行として長らく禁止されていた勧進相撲がようやく解禁となり、はじめて春冬2場所の興行を許された場所がここ富岡八幡宮だったのだ。貞亨元年(1684年)のできごとである。勧進相撲とは社寺が建立や修繕の寄進をつのる目的でひらく興行を指す。当時は本場所が”晴天8日間”として行われた。客は男ばかりで古川柳に「船頭は男ばかりを8日漕ぎ」とうたわれている。以後、相撲は江戸下町の人気興行として定着するが、富岡八幡宮の本場所も年に一度は必ず開催され続けた。最後の本場所は亨和元年(1801年)という。一方、明治5年(1872)には本所回向院でも相撲が行われるようになり、小屋掛けだったが、年2場所の回向院相撲を定着させた。これが江戸の本場所を独占するかたちとなり、明治42年、両国に常設館ができ、回向院相撲を継承したのが今の国技”大相撲”だ。富岡八幡宮境内には、相撲以外にも興味深い発見はまだまだある。たとえば「花本社」は、松尾芭蕉を神としてまつる末社だ。なんと、「祭神 松尾芭蕉命」と掲示されている!芭蕉庵が深川六間堀(現在の江東区常盤一丁目)にあった縁で、寛政年間に創建された。和歌俳句の趣味をもつ方にはぜひ足を運んでほしい場所である。

良かった本まとめ(2016年下半期)

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