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秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

まむ多の楠どらと茨田堤

2014-03-08 | 古代史のミステリー
2月の終わり頃一週間前の話ですが、お隣の門真市の保護司さんから差し入れ戴きました。

まむ多の楠どら、どら焼きです。
超美味しかったです。

それにしても変な名前の店名だと調べてみました。
その和菓子屋さんのある地の旧名が茨田(まんだ)郷という水郷地帯。
旧蹟茨田の堤が近くにあり、近畿自動車道の大東鶴見出入り口は茨田(まった)と呼んでます。

むかしむかしは、まむた と呼んでいたことが、まむ多の由来でした。


茨田堤(まむたのつつみ/まんだのつつみ/まぶたのつつみ)は、
仁徳天皇が淀川沿いに築かせたとされる堤防です。
5世紀頃、淀川の洪水を 防ぐため渡来人などの技術を用いて築かれました。



1年前に、淀川堤防を歩いて気になったことを記事にしました。
2013-01-14 とうとうと流れる淀川、実は

その時に、この仁徳天皇の築造の際、困難な箇所が2ヶ所あり、人柱を立てた地が2箇所あることを知りました。

「強頸の絶間」は大阪市旭区千林町、
「衫子の絶間」は寝屋川市太間町だといわれています。

そのうち見学行って記事にしようと思ってたら、あっという間に1年が過ぎ
先にどらやきがやってきたという次第です。

天皇は夢に「武蔵の人強頸(こわくび)と、河内の人茨田連衫子(ころもこ)の2人を以って河泊(かわのかみ)を祭れ」
との神のお告げを得て、2人を川に沈めようとしたのです。

強頸は悲しみながらも人柱となり川に沈んだ。
しかし、衫子は身代わりに匏(ひさご)を水中に投げ入れ神意をはかり死を免れたと伝わります。

つまり水に投げ入れたひょうたんが沈んだら私も水中に身を投げるが
浮いたら沈む必要なないみたいなことを言って助かったのです。
ひょうたんは水に浮くのが当たり前ですもんね。




この地図の上の方、三島、かつては御島に三島鴨神社も祀られたのですが、
そこよりも下流の淀川新橋近くの寝屋川に絶間橋という地名が残っています。



茨田の堤の完成により河内平野の農耕は急速に発達するも、堤はその後も度々決壊修築されています。
淀川の堤防の決壊の記録は百数十回にも及ぶとのこと。

近世になって豊臣秀吉の文禄堤の築造や淀川や大和川の治水工事が進つれ、
この茨田の堤の役目も終わったのでした。

この僅かに残された「茨田の堤跡」は1973年(昭和48年)大阪府の史跡に指定されています。




今回の記事で一番気になるのは
河内の人茨田連衫子ころもこ)が瓢箪で助かったという言い伝えです。
秦氏 ひょうたん などで検索すると、話はどんどん歴史のミステリーにはまり込んで行きます。

エソラ作品と郡山宿本陣のお雛様

2014-03-04 | ケータイ・スマホから

ソファに腰かけたゆうりの頭の上に赤い張り紙が。



ひな祭りは昨日でしたが、今日エソラママから画像届きました。

幼稚園で作ったらしいです。
画伯は急激に進化してるみたい。






彼が通う幼稚園近くに西国街道の郡山宿本陣の史跡があります。

保護司会と協力雇用主会合同の視察研修で、
浪速少年院へ行った帰り、本陣見学行ってきました。












手力雄神と天石門別神社

2014-03-02 | 古代史のミステリー
溝咋神社には絵馬を掲げる建物があります。
神楽を上演する舞台も設けられかつてはここで神楽の上演があったのですね。

一つの絵馬越しに写ったお社が手力雄神社(たちからおのかみのやしろ)
そのお社をちゃんと撮影するのを失念してました。

ちなみに本殿もなぜか撮影してませんでした。
下の絵馬を撮影したものと一緒に屋根が写っています。




何から書こうか思案してました。
調べれば調べるほどワケ分からんようになって収拾がつかなくなって…



神門をくぐって、左手に手水舎があります。


松の木の後ろに写っているのは、池の真ん中の末社で木花開耶姫命社。
ご祭神は不思議な取り合わせで
木花開耶姫神このはなさくやひめのかみ(安産子育ての神〉
級長戸辺命しなとべのみこと    (風の神〉
市杵嶋姫命いつきしまひめのみこと 〈農耕治水の神〉
菅原道真公 〈学問の神〉
《現在の星見町(旧二階堂村)のご祭神が合祀されている》
歯神天満宮ともいわれ、そのように記載されている地図が多かったです。


手水舎に並んで、絵馬殿があり、その先に手力雄神社がありました。
ご祭神は、手力雄神たちからおのかみ 〈力の神〉
《現在の玉島(旧十一村)の了専(石崎喜兵衛)さんも祀られている》

なんで溝咋神社に手力雄神がおられるのだろう。



2/28にエントリーした先の記事で紹介した図の天石門別神社が気になる。


茨木神社の奥宮として境内に鎮座してました。
天手力男命が主祭神ですが、もとは社名のとおり天石門別神(磐間戸命)を祀っていた。
大同2(807)年、坂上田村磨が荊切の里を作った際に地主神として祀られたようです。

この天石門別神も知らない神様でした^^

天石門別神(あまのいわとわけのかみ)は、
古来より天皇の宮殿の四方の門に祀られていた神で天太玉神の子ともいう。

天孫降臨の神話において、瓊瓊杵尊と共に随伴した神々のうちの一柱。
天照大御神より思金神、天手力男神と共に八咫鏡の祭祀を任命された神。

瓊瓊杵尊が天磐戸を引き開け八重雲を排分けて降し奉った時の天と地の境にある門。
天上の出入り口となる門のことで、天岩戸神話で天照大御神が籠もった岩戸ではない。

古事記には、別名が櫛石窓神、豊石窓神であると記されている。
「天石戸別神、亦名櫛石窓神謂、亦名豊石窓神、此神者、御門之神也」

加えて「御門之神也」と記され、古の宮城の内裏その四方の門に祀られていたという。

門は、外部と内部を隔てると同時に互いを結ぶ接点となるという性質から
その境界にあって外部から侵入しようとする悪霊や災厄を防ぐ役割をも持つともされる。


櫛石窓神(くしいわまどのかみ)
豊石窓神(とよいわまどのかみ)

天石門別神(櫛石窓神・豊石窓神)を祀る神社に
天岩門別神社(岡山県美作市)、櫛石窓神社(兵庫県篠山市)、
大祭天石門彦神社(島根県浜田市)、天石立神社(奈良県奈良市)などがある。

石生の水分れにあるいそ辺神社の奇日方命(くすひかたのみこと)ってどなた?
と調べた時、例えば、

滋賀県蒲生郡竜王町にある石部(いそべ)神社は江戸時代は磯部大明神と称し
『特選神名牒』は「久斯比賀多命」
これって くしひかた ですよね。
 

天日方奇日方命(あめのひかたくしひかたのみこと)は
別名:櫛甕玉(くしみかたま)、櫛御方命(くしみかたまのみこと)
あるいは鴨主命といい、三輪君・鴨君の遠祖であったり
三輪明神(大神神社)の大田田根子命の父もしくは祖父だとか。


お名前の前半:天日方、後半:奇日方
二つの神様が一緒になってるのかも…