![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/bf/badac4ff77de95412c78c3e933e81cd3.jpg)
住吉大社の大みくじ、今年もひいてみました。
去年は間違えて札を取ったけど、
2011-01-10 住吉みくじ「波のしらゆふ」
今年は箱横にも→ついてたので間違えずに取りました。
16番大吉
言わずとも思ひは空に知りぬらむ あまくだります住吉の神
このみくじにあう人、その誠実さを神様がお喜びです
お御籤で今年やっといい卦が出て、これを信じることにします。
気をよくして、住吉大社の市(いち)えびすにも詣でてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/a8/47c16c799ca82327703169c28330d0e2.jpg)
神功皇后が三韓の貢物や百貨をもって立てられたのが、わが国の「市」の始まりだそうです。
その「市」発祥の地です。
朝市が立ち、ごま木が焚かれる神事が行なわれていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/15/328067cb897c82da986d64f4f07da784.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/48/6ca82171fe660f46d0768988e81612fa.jpg)
去年は間違えて札を取ったけど、
2011-01-10 住吉みくじ「波のしらゆふ」
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16番大吉
言わずとも思ひは空に知りぬらむ あまくだります住吉の神
このみくじにあう人、その誠実さを神様がお喜びです
お御籤で今年やっといい卦が出て、これを信じることにします。
気をよくして、住吉大社の市(いち)えびすにも詣でてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/a8/47c16c799ca82327703169c28330d0e2.jpg)
神功皇后が三韓の貢物や百貨をもって立てられたのが、わが国の「市」の始まりだそうです。
その「市」発祥の地です。
朝市が立ち、ごま木が焚かれる神事が行なわれていました。
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今日は宵戎空いていたので良かったです。
食事もおいしくいただきました。
毎年同じメンバーにて行きましょうね。
おみくじ安心できましたね。
チンチン電車にも乗れたしちょっとした小旅行気分、エビフライも美味しかったね。
何よりもおみくじが一番うれしい、やれやれです。
藤森神社の本殿裏にはたくさんお社(分社というのですか)があって、真ん中辺に7社まとめたお社があって、その真ん中が住吉さんです。他に厳島神社とか、吉野神宮とかあります。藤森神社にお詣りしたら、あちこちに分社があるので、全部お詣りします。でもどうしてこれらの神社が一緒に藤森神社にお祀りされてるのか、本来の不勉強で、恥ずかしながらわかっていません。
でも時計は夜中の1時半近くなので、勉強は中断します。
すみよっさんは大らかなやさしい神様であられました。
このたび初めて藤森神社にお参りさせてもらって、ちょっと普通の神社とは違う感じをもちました。
大衆にこびていない、誠実である、しかしなぜかくらい。
馬や武具があり武神的性格の強い神社であるにしてはなぜ強さや激しさを感じないのか不思議でした。
ご紹介いただいた「戸原のトップページ」はとても詳しくて専門的で、ちょっと難しいですね。
しかしご興味もたれた方の参考になると思いましたので、次のコメントに簡単にまとめておきます。
「藤社(フジモリ)のやしろは墨染の北にあり。本殿の中央は舎人親王、東は早良親王、西は伊豫親王を祀る。また本朝武功の神を配祀し奉る。神武天皇・神功皇后・日本武尊・武内宿禰等なり。かるがゆえに弓兵政所と号す」
とあり、主祭神は舎人親王で、神功皇后以下は配祀神としている。
特に中座を中心とする由緒に諸説があり混乱しているのと同じように、祭神についても混乱・輻輳がみられ、すっきりしない。
当社では、武神的性格の強い神社というが、東西二社の祭神からみると御霊神的神格が強いとの印象が強い。
拝殿左前に大きな石碑が建ち、「日本最古の学者・学問の祖神 舎人親王御神前 追贈 崇道盡敬天皇」ことからしても、藤森神社の主祭神は舎人親王ともとれます。
西座の祭神三座/早良親王(750--85)伊豫親王(783--807)井上内親王(717--75)ともに、朝廷・貴族内部の政争・内紛に巻き込まれ、無実の罪によって非業の死を遂げた人物で祟りをなす御霊として畏れられた。
本殿裏の摂末社もあちこちから集めらたこの藤森に押しやられた印象があります。
八幡神社:真幡寸神社が西方に移った後その分霊を祀ったということにしても、それを八幡宮と称する理由は不明。
大将軍社:王城鎮護のために都の四方南方に祀られた方除神であるが、祭神はイワナガヒメ(コノハナサクヤヒメの姉神で、長寿の女神として崇拝される)というがこれは珍しい。
末社である七宮社:豊臣秀吉が伏見城を築城するとき、その地に祀られていた七社を遷して祀った。
藤森神社の西方にある城南宮も方除の大きな神社です。
しかしその気になって調べてみると面白いもんですね。
藤森神社って、伏見稲荷に土地返せだけでなく、もっと深い理由があるようですね。
大阪の南では方違神社ですけど、現在の家を建てる時は城南宮さんで祈祷してもらいました。
それにしてもイワナガヒメがどうして方除神なんでしょうね。
何か分かったらまた教えてください。