秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

猛暑日の追善供養

2012-07-15 | 日々是好日
実家の家屋が無くなりました。



そのため、平成12年8月に亡くなった父の13回忌を、
融通念仏宗の総本山である大念仏寺で追善供養してもらうことになりました。



今日は全国的に猛暑日で、大阪もものすごく暑かったです。
しかし大阪府最大の木造建築である本堂は
天井も高く、開け放たれた扉より涼しい風が通ります。
お坊さんの朗々とした美声のお経が響き渡り、荘厳ながらとても心地よかった。
きっと父も喜んでいることでしょう。

弔いが終わったら、休憩所に案内されて上等のお茶をいただきました。
焼き菓子と御香と、さがの紬の風呂敷をおさがりとして賜りました。


この部屋の壁に融通念仏宗の開祖・良忍上人の絵が掛けられてありました。


融通念仏宗って御存じない方のほうが多いことと思います。
平安末期以降広まった念仏信仰の先駆けとなり国産念仏門の最初の宗派です。

1117年良忍上人が46歳のとき、阿弥陀如来より感得され
1127年平野に念仏道場を定められました。


融通念佛宗総本山大念佛寺サイトより

「一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行 
是名他力往生 十界一念 融通念仏 億百万遍 功徳円満」

融通とは溶け合い和合することです。
砂とセメントと水は、それぞれその形も働きも異なりますが、この三者が溶け合って和合すると強固なコンクリートになるのも融通です。
融通念仏は、念仏が相互に融通して大きな力となることをいいます。
すなわち念仏を称えることによって、人と人、人と物、物と物とのすべての関係の上に融通和合の世界を自覚し、苦脳と迷いのこの世を喜びに満ち溢れ、悟りの智慧かがやく楽土(浄土)にすることをめざした教えです。

念仏のすすめ
融通のはたらきの中では、一人の念仏は小さくとも、同時に一切の人に功徳を分かち、一切の人の念仏が一人の上に注がれてくる。
念仏こそすべての善行の根本であり、すべての善行は念仏の中に摂(おさ)まってきますから本宗の信徒は毎朝十遍の念仏と、日課念仏百遍を称えることが大切なつとめとなっています。





お昼はがんこ平野郷屋敷で土用にむけてうなぎをいただきました。
法事を終えて昼宴をもたれるグループが次々と来られ超満員でした。

13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして (DIVA)
2012-07-15 23:10:17
御実家が更地になり、お寂しくなられましたね。立派なお寺で法事をされたのですね。

「神々が…」のコメント欄で、堺つながりのお話させて頂いたことがあります。拝察するにうららさまはチョ~賢いM高校出身、私は海側のS高校ですよ。

さて、祇園祭のコンチキチンで夏が始まりました。山鉾のひとつが役行者山。ご神体は一言主神(赤熊)・葛城神(女体)・役行者(中央)です。

古都・京都の代表的な祭りに、鄙びた大和の村の一言主や葛城神が登場するなんて興味深いですね。うらら様が先のブログで紹介された、一言主神社の神様です。

私も堺の実家が更地になった時、自分のルーツを確かなものにしておきたくて、葛城古道を調べ歩いたのでした。

今日の法事、お父様も御喜びですね。合掌。
返信する
DIVAさんへ (おざさ)
2012-07-16 08:18:05
おはようございます。
なんでかコメント欄の開きが悪いので、
神社フリークの記事での返事見てもらえなかったかも。
何度かチャレンジしてご覧いただけたら幸いです。
いやさかの木さんのブログでの素敵なコメント拝見してました。
拙ブログでお越しくださり、そして足跡残していただけたこと感謝です。

この画像の土地には実家と妹んちの家とで二棟が建っていました。
共に壊し、新たに1軒が新築となります。
この妹夫婦はDIVAさんと同窓でS高校出身の同級生です。
母がグループホームでお世話になりすでに6年、実家には居住者いませんでした。
昭和初期の建築物で古民家としてリノベーションも考慮するもあまり高くつくので却下。
時代の流れ、家族の変化、家の寿命、いろんなものが重なり
今回の再生へ向けての破壊が第一段階となりました。

家に仏壇があればいつもどおり檀那寺の住職さんに来てもらっての法要です。
たまたま今回、永代供養も考えての総本山での法要でした。
融通念仏宗の念仏は鉦太鼓たたいてにぎやかな楽隊つきで、時々シンバルも鳴ります。
これが本山本堂で賑々しくも荘厳で感激しました。
おまけに家で行なうよりも、うんと安かったのもうれしいことでした。
返信する
再々々度 失礼致します (DIVA)
2012-07-16 17:01:33
書き込み方がわからなくて、再チャレンジしてました。もうひとつのコメントも拝読、2回も返事ありがとうございます。御容赦を…。

へえ~妹さんは同窓!こちら、夫がM高校なんです。M高校の北側の反正さん(天皇陵古墳)の母君は、葛城の磐之媛なので、そんなお話もしたいなーと思っていました。

さて、お家。思い出つまった家屋ですもの、古民家で残したいとの思い、同感です。ウチも葛城へ移築なんて夢を描いたこともありました。でも費用がね。せめて伝わる古文書だけでもと、葛城歴史博物館にアタック、納めさせて頂いたんです。放っておけば紙クズが、郷土の資料として蘇りました。

うらら様の御実家は、昭和初期の建造物なのですね。お仕事柄に合わせ、なんか、古い宝物がザクザク出てきそう…。文化的価値がありそうなら、地域の資料館や博物館へ。この手使って下さいね、フォエバーうらら家!です。しかし、再生・新築になるのはウラヤマシイなあ~。

荘厳な法事も、時代を生き抜いた御先祖様たち、喜んでられます、きっとね。

返事が嬉しかったので又々書いてしまいました。歴史に裏打ちされた日々を紡ぐ、こちらのブログ、応援してまーす。
返信する
DIVAさんへ (おざさ)
2012-07-16 21:58:39
今日も暑かったですね、いよいよ梅雨明けでしょうか。
実家は旧家でも名家でもないので二人の娘は婿を取ることなく嫁にでました。
だからあのときから今日が来ることは父も覚悟してました。
今の日本の出生率って2人を切ってると思いますので、日本各地あちこちで起こっている事象かもしれません。

反正天皇陵、懐かしいです。
40年以上前に何度もその陵前を通りました。
この年齢になってとても気になる天皇でひそかにおっかけてます。
DIVAさんの家系は葛城に繋がり、おまけに葛城歴史博物館に寄贈する古文書おありなんですね。
葛城のことを語りあえるお仲間見つかりうれしいな。
またいろいろ教えてください。

以下投稿論文、すでにご存知かもしれませんが興味深いです。
「国つ神」葛城の神の没落 
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-29.htm

鴨がネギしょってくるという言葉も、鴨にされた話からきているとどこかで読みました。
返信する
うららさま (DIVA)
2012-07-17 00:37:31
この論文御存じなのですね。ウレシイなあ。鴨ネギは初耳でした。

反正陵そばのM高校前を通る時は、私など、ハハア~と自然に頭が下がります。

いよいよ夏本番?御身たいせつに…。
返信する
DIVAさんへ (おざさ)
2012-07-17 22:05:06
やはりご存知でしたね。
この小論文、DIVAさんが少し畏敬の念を持ってくださってるM高校出身者にはちと難しい。
中学校までは地元で神童と呼ばれただの、知能指数が150あるだの、
ところがM高校に来てみてただの人であるのを知り愕然とする。
大なり小なり、挫折した思いがあるのではないでしょうか。


ネギかもの話、どこで見たかをお知らせしておきます。
これもまた実に興味深い、しかしちょっと難しくてウラをとってません。

神々の歳時記 http://kami.tudura.com/index.html
9月下1旬のページhttp://kami.tudura.com/page139.html
の下までスクロールすると
9/23 ■当麻蹴速の命日か
この最後の方にでてきます。

「彼ら王族は渡来の新勢力から「鬼」とされ、カモ族はクモや蛇と蔑まれた。
此れが出・カモ・クモとして以後も「出雲」と言われたのだ。
言わばカモの道となった。…
根来はネゴロと読むが、ネギとも読む。
関西には「カモがネギ背負ってやって来る」と言う例え話が伝わるのはこの事を云ったものだろう。
餌食となる相手を「いいカモだ」と云うアレの事です。」
返信する
そうなんだぁ~ (DIVA)
2012-07-18 00:26:21
はあ~~ で、あのあたりの出雲系の神様の意味も謎解けたような。新興勢力の頃には、ハイテクタウン。磐之媛は葛城高宮を望郷し、歌姫街道の陵に眠ります。滅びて興り、層のように積み重なる歴史が面白くて…。根来は禰宜の意味もあるって聞きました。お話、エンドレスになってしまいましたね。いろんな情報ありがとうございます。
返信する
DIVAさんへ (おざさ)
2012-07-18 17:14:45
歌姫街道って知りませんでした。
神々の歳時記の文章、なんとなく信憑性高そうな気がしますでしょう。
私は神様の名前も事象も神社もあまり詳しくないので良くわからないことが多いのです。
ホンとは全部読みたいけれど読みづらいのが実感で、まだ全部読みきれてないです。
藤井寺を歩いたときに菅原道真と土師氏を調べていてヒットしたんだろうと思います。
返信する
Unknown (くるみのママ)
2012-07-18 22:12:17
ご実家を取り壊されたのですね・・・

お母様が、それはきれいに掃除をなさっていたご実家ですよね。

我が家も実家はずっと留守宅で、つい先日も弟から処分するようにと言われたところでした・・

家の中にはほとんどの家財道具が入ったままです。

弟は欲しいのは、少しの写真だけとか。

そういう私も、我が家だけで手一杯。

これも仕方のないことですね。
返信する
くるみのママさんへ (おざさ)
2012-07-19 16:37:26
家って人が暮らさなくなるといたみが早いと聞きますがそのとおりです。
まぁ水や電気のインフラも年々進化してますから。
これから生活していくものが快適に暮らせるようその家族形態に見合った家に。
家の見直しはものすごいエネルギーいりますでしょう。
元気なうちに頑張ってください。
返信する

コメントを投稿