秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

畿内逆五芒星と、位山と水無神社の位置

2018-03-18 | 古代史のミステリー


名神と北陸自動車道の地図に線引いてみた。



岐阜県高山の位山と飛騨一宮水無神社
2本の線がどこを通ってるかというと



左側は伊吹山を通過し、淡路島の伊奘諾神宮へ。

右側は名古屋の熱田神宮を通過し、伊勢神宮へ。

なぜ線引きたくなったかというと
めねふねさんブログで見た畿内逆五芒星の図




他サイトでもいろいろ見つかりました。


奈良観光jp






第二次世界大戦時に熱田神宮の草薙の剣が水無神社に疎開してたんですよね。
なぜ、そこが選ばれたのかな、何かありそうとは思ってましたが、
伊勢と結んだ線の途中に熱田神宮あるのを発見して
エヘヘ(^_−)−☆

伊奘諾神宮と伊勢と位山の3点はほぼ二等辺三角形ですね。








グーグルマップで線を引いてみると微妙にずれてる。
淡路島の伊弉諾神宮から伊吹山に引いた線と、位山や諏訪大社に引いた線はピッタリは重ならなかった。

でも、伊勢神宮を中心にして、水無神社までの半径で円を描いたら、
越前海岸から剣神社、平泉白山神社あたりを通り、御嶽山を通るというのも面白い。





14 コメント

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位山!? (めねふね)
2018-03-19 01:19:42
そこまで考えてませんでしたヨ。
おもしろい!
ありがとうございます。
位山と恵那山のラインに浜岡原発。
なるほどな~浜岡原発にMOX燃料が搬入された2009年5月18日に位山付近で地震が起きたのは、伊奘諾神宮と伊吹山につながってるのか。
鉄カルマの現代版が、核ですもんね。

で、MOX燃料が到着した御前崎といえば塩の道。相良。
相良の塩の道起点の碑⇒平城京⇒Cross22(四貫島のニコニコ火災)⇒臥龍山(島根女子大生)は北緯34度41分。
ミロクの犠牲の十字のヨコ。
藤原氏R369ラインですね。
平城京のミロクセッティングは2010年ですが、それ以外はどれも2009年です。
イザナミが黄泉がえった回帰日蝕の年。

若狭湾は不老長寿に人魚、竜宮伝説などある意味ロマンチックだけど、その反面「闇」だし、人身御供伝説もあります。
http://www.kepco.co.jp/corporate/profile/community/wakasa/ew/tanpou/40.html 
(↑先日再稼働した大飯原発の関西電力HPってとこがまたなんとも)
そしてなんといっても鳥浜貝塚に代表される縄文!
2009年にドラム缶に入れられ小浜湾に遺棄された、塩の道の相良氏の末裔の相良さんは、ある意味縄文(イザナミ)への人身御供でもあったんですよね。

しかも水無⇒熱田⇒伊勢ですか。
すごいっすね。
まさに今!じゃないすかその三角形。
ひぐらしのなく頃にシンクロは、このこと伝えたかったのかも。
重ねてありがとうございます!
ちなみにメッセージを読み取ろうとGYAOアニメみてたんだけど、あまりにひどくてめげました(笑)。
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めねふねさんへ (ulala)
2018-03-19 16:10:09
グーグルマップで距離を測るというので線を引いたのを追加しましたのでご確認ください。
残念なことに紙の地図に線引いたのとはわけ違い、伊吹山は線上に載ってきませんでした。
少しのドットでズレも出るでしょうけど、微妙~

伊弉諾神宮と諏訪大社を結ぶ線は、諏訪の上社下社のどちらを選ぶのかとか迷ってるうちに、うっかり少しずれた位置にドットしてました。
伊勢の神宮だって、内宮外宮、どちらを選ぶかで線は変わってきますね。

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面白いですね。 (りひと)
2018-03-19 16:41:41
私もちょっと関係者の縁で三角見つけました。
乗鞍と御嶽と位山。それぞれ関係ありそうなのがいるので中心に何があるのか?とグーグルでみたら秋神温泉くらいでした。ただ秋神も春神も奈良や諏訪と関係ありそうなので今後探ってみます。

そううららさま、ネットニュースの程度なのですけど鳥取と高松塚の絵が似ているとかありましたよ。鳥取と奈良も同じく探ってますので色々な線が出て、またそれが考古学上での見解や共通点が出てくると面白いですね。
8461、8と4は出ましたね。
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あ、 (めねふね)
2018-03-20 22:55:59
ひぐらしのなく頃には、飛騨高山じゃなくて白川郷でしたよね。
しらべたらイザナギ神宮と白山をむすぶラインが白川郷にいくのが気になります。
白川八幡神社ではないけど。

事象的なエネルギーは細いラインを流れてるわけではないので、僕的にはある程度アバウトでいいと思ってます。
五芒星という意味ではたしかにちとズレるけど、伊吹山はあくまで周辺地域の鉄カルマの象徴。
確認したら、イザナギ→位山のラインは奥伊吹だけでなく、ちゃんと鉄カルマ地名の鍛冶屋町をとおってます。
レイラインっつうよりストーリー(事象)ラインとして考えた場合、これ重要なんですよね。
また、位山→熱田神宮→伊勢内宮のラインは収穫です。
1stステージの位山→恵那山→浜岡原発と天照大神対応するラインなのに、ぜんぜん気づいとらんかったとです。
ありがとうございます。
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りひとさんへ (ulala)
2018-03-21 09:26:43
あの地では、乗鞍岳がとても神々しく見えました。
位山と御嶽山と乗鞍の三角形の間には、木曽街道に沿ってダムがいっぱい繋がってますね。
ダムで沈んだ集落や神社があったかもしれません。
白川郷周辺の御母衣のダム湖に沈む前に白川神社が御遷座して、水無神社にありましたもの。
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めねふねさんへ (ulala)
2018-03-21 09:38:16
白川郷あたりで御母衣のダム湖に沈む前に御遷座した白川神社が境内社として水無神社にありました。
君の名は。の舞台かもと検証したサイト読んでると面白かったです。

ところで、紙の地図見てたら、南宮大社は伊吹山と熱田神宮を結ぶ線上にあるかと思います。
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乗鞍神々しい (りひと)
2018-03-22 14:52:14
ちょっと嬉しいかも。
父と上高地で次の日待ち合わせしていたのもあり前日のツアー申込して待ち合わせに準備。
たまたまそのツアーの集合日の一発目が御来光でした。夜出発のツアーだったのかな?仕事だったので多分終わって間に合うツアー申し込みで落ち会ったはずです。超寒くて真っ暗で頂上にスタンバイ、三脚いっぱい設置済みでみんな待ってましたね。そのシルエットがまた良かったです。
で結果見事ご来光みれました。どの時期だったんだろうなあ?

乗鞍の頂上からどの方向に太陽が出るのか?ちょっと興味持ってきましたよ。その当時は神社とかに全く興味もなかったですけど、神社とかはなかったのかなぁ?どこの方向の山からご来光なのかそこが気になりますね。8343
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りひとさんへ (ulala)
2018-03-22 16:25:21
乗鞍岳登られたことおありなんですね。
飛騨のいろんなとこから、頂の白雪が美しく写真撮りたくなりました。
ということは古代は祈りの対象だったのでしょう。

乗鞍岳をググってみると
飛騨山脈(北アルプス)南部の剣ヶ峰(標高3,026m)を主峰とする山々の総称。古代においては「アワ山」と呼ばれ、 乗鞍の意は「祈り座」からきたものと伝えられている。山頂に乗鞍本宮があり、飛騨側に乗鞍本宮(鞍ヶ嶺神社)、信州側に朝日権現社が背中合わせで建っている。近くに高天原と呼ばれているところもあり、周辺には祭場が散在している。最初の神都があった処と言われ、飛騨高天原の中心となっている。
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飛騨高天原いいですね! (ろひと)
2018-04-24 19:53:18
古代祭事があったなら素敵ですね。乗鞍って結構マイナーじゃないのかな?登山する方はよく知っているのかしら?うちの父は登山好きだったようで友人とどこか行ってたらしいのですが、今は聞き人にも会えずです。もっと話しておけばいいヒントいっぱいあったのにと。

前回のコメント後すっかり調べてもいなかったので情けないなあと。でうららさまからその地がどんな意味かが理解出来ましたし無性に興味ありますね。

で笑えるのが22日なのも。先月はちょうど春彼岸の頃に御来光を思い出した。そして一ヶ月後にダイヤモンド富士を見てきた。22日と太陽って私の中では関係ありそうです。ただ今回の感想としては、頂点真ん中の時期ではなく剣の付くお山の大会所からだったので少しずれていました。なのでダイヤモンドはちょっと惜しかったです。
ただ大日如来としては後輪みたいな感じで笠被ってるのは中心が多少ズレていても違和感なくいい光が見えました。

そう考えると乗鞍をどこかから見るかってのも気になってきましたよ、高天原ですからね。通常は東に山があるのか?
とても興味が出たところで調べてみます。

そうそう、今日東京の国立博物館に行ってみたんですけど立派な仏像さまにいっぱい会えました。
けど各地のものはやはり各地にあるべきだとも。
集めてハイって展示したらもったいないです。お薬師さまは6体も。嬉しかったですけど複雑でした。
あと法隆寺の別館みたいな場所にも観音様や菩薩様がまたいっぱいで。でびっくりしたのがだいたい7世紀で如来も観音も阿弥陀三尊もあったんですよね。それも小さな仏像さん達が。645辺りにはすでに出来ているんですよね。そう考えると仏教伝来から50年程度でそんなに出来る技術があるのか?半跏もありましたね。で正倉院に入るのか?法隆寺で保管されていたのか?私にはよく分からないですけど同じような形ですけどそれぞれ個性がありまして、技術も意欲もむしろ感じましたよ、表情があるんですから。

大きな仏像が出来るまでの前段階としてもかなり興味深かったです。あと光背もいっぱい並んでいたのですが小さい物、そして金属が長い物もありおそらく差して固定するんだろうと。後ろに穴のあるの見つけて挿したいと思ったくらい。
とにかくその当時は小さな物、その後の時代はきっと偉い方々の自念仏になってるか大きな物の胎内仏になりそうに思いました。

光背は、当時仏像と一緒に作られたけどサイズが合わないとか不明とか結構あるようですけどそれにもやはり意味ありそうに思います。

仏像と光背の関係が山と太陽に思えて来ましたよ。ならば自然由来の信仰が小さな仏像さん達の中にも息づいていたらいいなあと。別展示だったんですけどだから余計にきになりましたね。仏像ありきの光背ですし、山ありきの太陽だと思いますね。なので太陽に引っ張られすぎても良くないはず、セットでご来光も考えてみたいですね。

そうそう、大阪にまた興味が広がりましたよ。道明寺の十一面さんがいらしたのと貝塚市のお寺でお薬師さんがいる所だったかな?〜恩寺、光だったかな?全く知らないお寺が出てきましたよ。
ただあの辺りは私の中ではとても大事な地山を超えると和歌山奈良吉野へ繋がります。
大阪の方にはぜひご存知かどうか?記事であればぜひご紹介頂きたいです。3325、2127
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りひとさんへ (ulala)
2018-04-25 11:44:13
たぶん、りひとさんですよね。
「り」→「ろ」にうっかり入力ミスというのも深読みししてしまいそう。

仏像がいっぱい並んでる博物館、確かにいっぺんに見れていいのですけど、やはり、ね。
去年秋に正倉院展のチケットが仏像展示も一緒に見れました。
各寺院で保存するのも大変なので美術館博物館に預ける気持ちもわからんではないですが。
見学者としては感激が薄れ、どこで何を見たかの記憶がまた一段と混乱します。

ところで、貝塚の~恩寺には関係ないと思いますが、貝塚の寺で以前から気になっていること。
それは明智光秀がらみで、岸和田の本徳寺、
開基時は、鳥羽村(大阪府貝塚市鳥羽)にあり、「海雲寺」と称していたが、兵火に焼かれその後、岸和田藩主・岡部行隆の命で寺号を「本徳寺」と改め、岸和田の地に移転した。

この寺に薬師仏があるのかどうかも調べてないのですけど、今鳥羽がマイブームなもので。
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