神戸王子動物園のパンダ、興興(コウコウ)
9月9日、人工授精のための精子採取後の麻酔から回復中に窒息死。
この死によって中国に50万ドル(4150万円)を損害保険でまかない支払うそうだ。
2000年に10年契約で借り受けていて、
今年6月に5年間の契約延長したところだったようです。
15年程前に上海で動物園へ行った時は、パンダの檻の前がらんとしてました。
パンダできゃぁきゃぁ言うのは日本だけかも。
今年のあまりもの暑さで山の木々のどんぐりが不作で、
熊が里へ降りてきて被害を与えたニュースがあちこちで。
北海道にいるのはヒグマ。
本州以南の山間部に生息するのはツキノワグマ。
全国の生息数は推定2万~3万頭、四国では多くても数十頭まで減少、九州は絶滅したとされる。
米軍が製作した「顔がテディベア風の救助ロボット」
身長約180cm、傷付いた兵士をお姫様だっこするキャタピラ走行の軍事用です。
アメリカの第26代ルーズベルト大統領が、熊狩りに出かけたある時、瀕死の熊の最後の一発を仕留めなかった。
このエピソードに因んで、バーモント州のおもちゃメーカーが熊のぬいぐるみにルーズベルト大統領の通称である「テディ」と名付けて発売した。
ちなみに「テディベアの日」10月27日は、セオドア・ルーズベルトの誕生日。
絵本などの物語でも、人間に近い振る舞いをするキャラクターとして登場することの多い熊。
クマのプーさんは世界的に有名です。
北方少数民族や北米先住民をはじめ、広く世界的に熊は人間と異なる神・あるいは知恵のある存在・豊かさの象徴として、信仰の対象とされてきました。
漢方では、熊の胆嚢を原料とした熊胆(ゆうたん)、熊の胆(くまのい)ともいうが強壮剤・腹痛薬・解熱薬などとして珍重された。
熊という漢字は、クマ、あるいはユウと読むことを知りました。
「熊」は中国語で「ゆう」と発音する。
日本の地名で熊といえば、熊本、熊野。
ここからイモヅル式に思ったこと。
中国古代に楚という王号を称える国があった。
楚の国はいつごろからあったのか定かでないが、BC223年秦によって滅ぼされた。
翌々年相次いで斉も滅び、春秋戦国の2強国を倒した秦の始皇帝が中国を初めて統一したBC221年。
この前後からこの日本列島では、稲作文化の弥生時代が始まる。
1973年・1978年の発掘調査で発見された、浙江省余姚市の河姆渡遺跡(かぼといせき)
紀元前6000年~紀元前5000年頃のものと推定される大量の稲モミなどの稲作の痕跡が発見された。
この長江文明の発見から、稲(ジャポニカ米)の原産が長江中流域とほぼ確定され、日本の稲作もここが源流と見られる。
春秋戦国時代には、諸子百家と呼ばれる思想家たちが登場し、様々な新しい思想が形作られた。
この時代はありとあらゆる物が新しく誕生し、後に中国と呼ばれることになる大本がこの時代に形作られたと言われている。
日本や朝鮮半島南部に新しい文化や技術を持ち込んだ人々は、
中国の春秋戦国時代の戦乱から逃れてきた人々である可能性が高い。
その中に楚から来た集団があった。
楚を構成した民族及び支配層がいかなる民族であったのか、また現代のどの民族に関係しているのかは、まだ明らかとはなっていない。
しかし楚は、黄河文明系の諸民族とは異質なり、長江文明の流れを汲む南方の異民族によって建設されたと考えられている。
楚の伝説上の祖は祝融氏。
第18代の武王の時に初めて王号を熊通(ゆうづう)(前740~690年)と名乗った。
楚の王族の姓は熊(ゆう)であり代々これを名乗る。
秦氏の祖を『書紀』は弓月君、『続日本紀』は融通(ゆうづう)王としている。
本来は融通王であり、出自をごまかすために弓月という字を当てたと考えられている。
熊本とは熊族の本家と読めて、「熊族の楚」
大和朝廷に従わなかったとされる熊襲(くまそ)の本拠地。
9月9日、人工授精のための精子採取後の麻酔から回復中に窒息死。
この死によって中国に50万ドル(4150万円)を損害保険でまかない支払うそうだ。
2000年に10年契約で借り受けていて、
今年6月に5年間の契約延長したところだったようです。
15年程前に上海で動物園へ行った時は、パンダの檻の前がらんとしてました。
パンダできゃぁきゃぁ言うのは日本だけかも。
今年のあまりもの暑さで山の木々のどんぐりが不作で、
熊が里へ降りてきて被害を与えたニュースがあちこちで。
北海道にいるのはヒグマ。
本州以南の山間部に生息するのはツキノワグマ。
全国の生息数は推定2万~3万頭、四国では多くても数十頭まで減少、九州は絶滅したとされる。
米軍が製作した「顔がテディベア風の救助ロボット」
身長約180cm、傷付いた兵士をお姫様だっこするキャタピラ走行の軍事用です。
アメリカの第26代ルーズベルト大統領が、熊狩りに出かけたある時、瀕死の熊の最後の一発を仕留めなかった。
このエピソードに因んで、バーモント州のおもちゃメーカーが熊のぬいぐるみにルーズベルト大統領の通称である「テディ」と名付けて発売した。
ちなみに「テディベアの日」10月27日は、セオドア・ルーズベルトの誕生日。
絵本などの物語でも、人間に近い振る舞いをするキャラクターとして登場することの多い熊。
クマのプーさんは世界的に有名です。
北方少数民族や北米先住民をはじめ、広く世界的に熊は人間と異なる神・あるいは知恵のある存在・豊かさの象徴として、信仰の対象とされてきました。
漢方では、熊の胆嚢を原料とした熊胆(ゆうたん)、熊の胆(くまのい)ともいうが強壮剤・腹痛薬・解熱薬などとして珍重された。
熊という漢字は、クマ、あるいはユウと読むことを知りました。
「熊」は中国語で「ゆう」と発音する。
日本の地名で熊といえば、熊本、熊野。
ここからイモヅル式に思ったこと。
中国古代に楚という王号を称える国があった。
楚の国はいつごろからあったのか定かでないが、BC223年秦によって滅ぼされた。
翌々年相次いで斉も滅び、春秋戦国の2強国を倒した秦の始皇帝が中国を初めて統一したBC221年。
この前後からこの日本列島では、稲作文化の弥生時代が始まる。
1973年・1978年の発掘調査で発見された、浙江省余姚市の河姆渡遺跡(かぼといせき)
紀元前6000年~紀元前5000年頃のものと推定される大量の稲モミなどの稲作の痕跡が発見された。
この長江文明の発見から、稲(ジャポニカ米)の原産が長江中流域とほぼ確定され、日本の稲作もここが源流と見られる。
春秋戦国時代には、諸子百家と呼ばれる思想家たちが登場し、様々な新しい思想が形作られた。
この時代はありとあらゆる物が新しく誕生し、後に中国と呼ばれることになる大本がこの時代に形作られたと言われている。
日本や朝鮮半島南部に新しい文化や技術を持ち込んだ人々は、
中国の春秋戦国時代の戦乱から逃れてきた人々である可能性が高い。
その中に楚から来た集団があった。
楚を構成した民族及び支配層がいかなる民族であったのか、また現代のどの民族に関係しているのかは、まだ明らかとはなっていない。
しかし楚は、黄河文明系の諸民族とは異質なり、長江文明の流れを汲む南方の異民族によって建設されたと考えられている。
楚の伝説上の祖は祝融氏。
第18代の武王の時に初めて王号を熊通(ゆうづう)(前740~690年)と名乗った。
楚の王族の姓は熊(ゆう)であり代々これを名乗る。
秦氏の祖を『書紀』は弓月君、『続日本紀』は融通(ゆうづう)王としている。
本来は融通王であり、出自をごまかすために弓月という字を当てたと考えられている。
熊本とは熊族の本家と読めて、「熊族の楚」
大和朝廷に従わなかったとされる熊襲(くまそ)の本拠地。
<m(__)m>
返す返すも残念です。
オザサさんのお品物はいつも新鮮で、海外ブランドだけではなくて上品な日本製等もありまして、とても楽しめます。(*^_^*)
一昨日は残念でした。何度もすみませんでした。
又、素敵なお品物をよろしくお願いいたします。<m(__)m>
お目当ての商品の落札かなわず残念でした。
少しの差で落札できなかった時はとても悔しいだろうとお察しします。
オークション出品をお褒めに預かりうれしいです。
少しでも目先が変わるよう、いろんなまだ使える商品をご紹介できるように努めています。
今後ともご贔屓賜りますように、よろしくお願いいたします。
富山の薬問屋のミュージアムに行った時、生薬「ユウタン」を買ってきましたが、みんなお土産にあげてしまいました。うららさんのブログに載っている熊の図柄のユウタンは、富山の薬みたいですね。
ユウタンの中で熊が出ていて一番分りやすかったのでこの画像をもらうことにしたのでした。
かたい内容の話は画像でも間に挟まないとね。
字がいっぱい並んだだけで読む気なくしますから関連画像を探してきました。