秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

剣山の名前の由来ふたつあり

2015-05-02 | 古代史のミステリー
山頂の宝蔵石の下に安徳天皇の御剣を納めたことから剣山と呼ぶようになったとの説:1
その御剣とは、三種の神器のひとつである天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)だと。
まさに名前のとおり宝の蔵の石、この大きな岩のどこら辺に埋まっているのでしょうか。

往路は尾根道コースを登り、帰りは大剣コースの道を下りました。
1200mと少し距離がある分、傾斜は緩やかになっても崩れた岩が散乱してて足を滑らしやすい。

十分足元確かめながら少し下った所に





「天地一切の悪縁を絶ち、現世最高の良縁を結ぶ」とされる縁結びの神社と書かれてありました。

劔神社の総本山 大劔(おおつるぎ)神社
後ろの大きな奇岩が、御塔石、神の宿る岩です。
もともと剣山は石立山と呼ばれていたそうで、剣山と名前を変えたのは
劔神社の御神体でもある御塔石が侵食の影響で剣形をしているからという説:2

阿波藩の藩撰の地誌として記された『阿波志』(1815年藤原之憲著)に、
「劔の祠は祖谷の菅生から二里のところに剣山という山の上にある。そして頂に高さ三丈の岩(今の御塔石)があり土人これを以て神と為す。…その形の似たるを以て劔と曰う」とあるそうです。


最初の(説:1)は大劔神社の由緒にあります。
創立年代は不詳。
祖谷山開拓の折に大山祗命を鎮祀して祖谷山の総鎮守とした。
1185年、今から830年前の寿永4年、源氏との戦に敗れた平家の一門が安徳天皇を奉じて祖谷の地に。
平家再興の祈願のため安徳天皇の「深そぎの御毛」と「紐劔」を大山祗命の御社に奉納。
以来剣山(劔山)と呼ばれ、神社も劔神社と称されるようになった。




山頂で見かけた外人さんにまたであった。
この先に「日本名水百選」に選ばれた神々しい湧水がああります。
予習で知ってたので空のペットボトルを持っていきました。
しかしガイドさんが言うに最近水質よくないので飲まないほうがいいといわれました。

「御塔石」の真下にある小さな祠の横に穴がありひしゃくが置いてあります。
ご神体である巨大な岩の下から水が湧き出す剣山御神水です。
見ただけで味見もしませんでした。





剣山の西側を巻くように進む登山道は、その立派な岩がどんどん崩れて白いかけらが散乱してました。
指のサイズのかけらを拾いましたが、なんとなく持ち帰るのはためらわれ最後に置いて帰りました。


2009年ごろの画像では

もう少し高さがありとんがってるような感じがします。


安徳天皇 (歴代天皇事典より)
(1178~1185) 第81代天皇(在位1180~1185)
父は高倉天皇、母は平清盛の娘で中宮の平徳子、第1皇子。
国政の実権を握っていた外祖父の平清盛の意向により生後1ヶ月で立太子。
平清盛が治承三年(1179年)のクーデターで独裁体制を築くと翌年3歳で即位させられた。
これはもちろん平清盛の意向によるものだが、この清盛の強引な手法は全国に燻っていた源氏らの大反発を招き全国的な内乱に発展した。
1183年木曾の源義仲の軍勢に京を追われ、平家一門とともに西国を転々とした。
1185年後白河上皇の院宣を得た源義経に攻められて破れ、祖母の平時子に抱かれて壇ノ浦で入水。
このとき三種の神器のうち宝剣が海中に没したという。



しかし、この剣山では、安徳天皇は、「草薙の剣」を剣山の頂上にある高くそびえる大岩に納め、平家一同の盛隆を祈願されたことになってます。

屋島の戦いで敗れた後、平国盛(教経)の一行は、ひそかに幼い安徳天皇をお守りしながら、山深い祖谷の地で平氏再興の望みをつないでいたといわれる伝説が残されています。
祖谷平家伝説




熊笹に覆われていることでも有名な剣山ですが、山道は苔むしていて朽ちた木も時々見かけました。
休憩の山小屋も木が腐り崩れ落ちるので中に入らないよう立て札あったり。





立派なサルノコシカケ






リフト降りて歩き始めでスタートさせたウォーカーは、下のリフト降りてストップ。
7130歩 歩行距離4706m でした。
たいして歩いてなかった(≧∇≦)



剣山、なんか不思議なお山です。
とくにネット検索してると中世の平家以前の不思議がヒットします。
失われたアーク聖櫃であったり、いろいろ興味深いことかかれてます。

阿波世界農業遺産の登録向けての申請原案ページでは
剣山系の農業の歴史は、縄文後期頃の焼畑農耕の時代まで遡り、剣山系の傾斜地集落は「ソラ」と呼ばれる。… 
その傾斜地集落は、山上部より谷底・川筋へ向かって拓かれた。それ故に、「頂上部に住む人ほど高貴な人で、山の上から拓かれた。頂上部付近から谷沿いへ降りてきた。」との口伝が残される。




この画像は「剣山への空海の思い」というページから拝借しました。
関心のありの方は→こちら

なんで安徳天皇をいだいた平家一門は剣山を目指したんだろうとか、疑問が少しは納得できるかもしれません。


7 コメント

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驚きです (N)
2015-05-03 13:23:10
計画的にやったのか、後付の理屈なのか、近畿の五芒星といえ、この三角形といえ、伊能忠敬が正確な地図を作るよりもはるか以前に位置が決められたようですね。
不思議としか言いようがありません。
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Nさんへ (ulala)
2015-05-04 10:26:26
NHKプレミアム5/4放映、日本百名山に剣山との情報ありがとうございます。

今回レポートした画像のうち、白い小花、名前何かなと思ってました。
最後に紹介した拝借画像のリンク先を読みふけってましたら、コメツツジかもと思えました。

邪馬台国のシリーズのところで、ミヤマクマザサとコメツツジが群生してるのは…
http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=196

この筆者は、邪馬台国が四国の剣山辺りを想定されてます。
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調べました (N)
2015-05-04 11:33:28
花の名前は気がかりなので調べてみました。
「セントウソウ」のようですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%A6%E3%82%BD%E3%82%A6
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Nさんへ (ulala)
2015-05-04 21:58:22
教えてくださった番組見ました。
ガイドさんが剣山はどの季節でも見どころ多く、心の山だととても気に入ってそうでした。

そして米粒のように小さい白い花、セントウソウで正解みたい。
葉っぱも花もその通りでした。
米粒みたいに小さいけれど群生してて目にとまりました。
コメツツジは初夏に山頂で咲いてる画像見ました。
葉っぱもツツジでした。
また色々教えてください。
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勉強しています (岩本かおる)
2017-07-12 13:20:12
私の父や母わ西祖谷山村です現在私の住まいは世界遺産の富士の麓御殿場です過去に木屋平音頭かきましたが今回美馬郡音頭書く予定で勉強しています曲はプラメロにはめ込んでいます之を歌い動画を張り付けて呉れる人がいるのですーー全て無料で私も高齢者です
剣山の前の名前が知りたいのです
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岩本かおるさんへ (ulala)
2017-07-13 12:36:26
コメントありがとうございます。
ご両親が西祖谷山村ご出身とのこと、いろんな伝承の末裔かもしれませんね。
あちこちのサイト読みふけってしまいますが、夢ロマンたっぷりの剣山ですよね。
美馬郡音頭を作詞されるのでしょうか?
確か、美馬ってトルコのカッパドキアと関連してたような・・・
この記事書いてから月日経過して詳しいこと忘れてしまいました^^
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スゴ! (りひと)
2017-08-07 18:57:23
今伊能忠敬が最初というのに疑問とコメ書いたあとランキングの記事で同じ感想。

この前講演会でもおしゃっていましたが、ネットでのそういう五芒星とか三角とか直線に並ぶとかはあまりにも誤差の範囲も広すぎてなんておっしゃっていました。なので研究者さんも検証したり話を理解したりしてくれているようです。

結果は、後わかることですし変わらないはず。ならば色んな意見を出せる事はありがたいですよね。
ある一族にはそういった特殊能力があってもおかしくないですし、伊能さんがそこに関わった事も必然じゃないかな?そのルーツとか。伊能さんは門仲にお家あった地に碑がありますし、家康さんの芝の東照宮のお山(古墳)の上にも伊能さんの碑があります。
最後に番組のプレゼンターのナカ田さんは、名誉もお金も全て捨てて夢を目指して没頭した伊能さんを評価していましたね。私も同感で、夢が叶うか叶わないかよりも今夢に向かってコツコツやっている今が一番楽しいんです。父の家の因縁とる目標は相当大変だと覚悟してますけどできないと思ったら終わり、わずかな可能性を焦る事なくただ黙々とやるのみです。一人では何もできないので、周りに感謝しながらです。5481
剣山気になりますね。
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